第4話 返り血を浴びる覚悟があるなら、どうぞ斬ってください
「いつも応援ありがとうございます!お楽しみください!」
殺気に満ちた刃先が向けられる。だが、俺は一歩も引かなかった。俺は男たちを見据え、意識を集中した。
(――『絶対診察眼』)
念じた瞬間、俺の視界にオーバーレイするように、男たちのステータスと状態異常が可視化された。
『状態異常:軽度の気道炎症』
『兆候:呼吸数上昇、手指の震え、発汗』
俺はさらに、男たちの顔を覆う革のマスクと、手袋の隙間を観察した。分厚いが、鼻の脇も顎の下も密閉されていない。手袋の袖口も開いている。あれで、この森の瘴気を防いでいるつもりらしい。
なるほど。ステータスの兆候や強張った動きから見て、彼らは威勢よく吠えているが、内心ではこの森を極度に恐れていることがわかる。
しかも、防護の知識が甘いせいで、すでに微量の瘴気を吸い込んで気道が炎症を起こし始めている。
けれど、何をどう恐れるべきか。正しい防護の仕方までは分かっていない。それなら、やりようはある。
俺はゆっくりと往診バッグを開け、サージカルマスクと青いニトリル手袋を取り出した。こちらの装備も、本来は瘴気を防ぐための完全な防護服ではない。
だが、この世界の彼らから見れば「隙間なく肌を覆う、得体の知れない医療装備」に見えるはずだ。
手袋をはめ、口元を覆う。最後に、青いゴム手袋をパチンと鳴らした。
さっきリコが苦しんでいた咳を思い出し、喉を潰すように咳き込んでみせた。獣医として何度も聞いてきた、肺をやられた動物の呼吸音。それに少しだけ似せる。
「ゴホォッ! ゲホッ、ゲホッ……ヒュー……ッ」
「……あ? なんだお前、病気か?」
俺の異様な態度に、男が怪訝な顔をしてピタリと足を止めた。俺は苦しげに胸を押さえながら、低く掠れた声で答える。
「ゲホッ……ええ。当然、私は『医者』として完全な防護をしているのですが……それでも防ぎきれないほど、この森の『汚染』は強力らしい」
「お、汚染……? 防護だと?」
「このスライムを見てください」
俺は足元を指差した。プルは何も知らず、じゅうじゅうと黒い汚染を食べている。
「黒い汚染を取り込んでいます。普通の生き物なら、触れただけでただれかねない濃度です」
「な、何が言いてえ……」
「逆に言えば、それほど危険なものが彼女の血と傷口に混じっている。斬れば飛びます。剣にも付きます。あなた方のその革手袋とマスクでは、目も口も完全には守れない」
俺はわざと咳き込んだ。
「先ほどから、喉に違和感がありませんか?」
俺の言葉による心理的な思い込みと、実際にマスクの隙間から吸い込んだ微量の瘴気による炎症。一人の男が、反射的に喉を押さえて咳き込んだ。
「ああ、もう初期症状が始まっていますね。この黒い汚染は、粘膜や血液からあっという間に入り込みます」
男たちの顔色が一気に土気色に変わった。
「返り血を浴びる覚悟があるなら、どうぞ斬ってください」
俺は静かに言った。
「医者としては、絶対に勧めませんが」
こいつらを斬れば、自分も汚染される。その生理的な恐怖は、刃物で脅されるよりも遥かに彼らの心を抉った。
「ひぃぃっ!?寄るな!! こいつら、マジでヤバい汚染を持ってやがる……ッ!!」
「そ、そんな欠陥品も、そのバケモノも、もう俺の商品じゃねえ! 勝手に処分しやがれ!!」
欠陥品。その言葉に、背後のリコの息が一瞬だけ止まった。
男たちは剣を取り落としそうな勢いで、悲鳴を上げながら来た道を転がるように逃げ戻っていった。
草木をかき分ける音が完全に消え、森に再び静寂が戻るまで、俺は立ち尽くしていた。
「……ふぅ。行ったか」
俺はサージカルマスクを外し、大きく深呼吸をした。プルの浄化圏内の空気は、相変わらず澄んでいて、肺に引っかかるものがなかった。
「コホン。……ただ森の乾燥と埃のせいで、少し喉がいがいがしただけなんだけどね。まあ、汚染物質は血液や粘膜からも入る可能性があるのは本当だ。血を流させるのをためらわせるには、十分なハッタリだったな」
俺が独り言のように呟くと、背後から呆れたような、しかしどこか弾んだ声が聞こえた。
「……お前、性格悪いのだ」
振り返ると、リコが目を丸くして俺を見ていた。その瞳からは、先ほどまでの刺すような恐怖が、少しだけ薄れていた。
「性格が悪いのは否定しないが、獣医師の知恵と言ってほしいな。血を見ずに済むならそれに越したことはない」
「それに……プルはただ、朝ごはん食べてただけだし」
俺がそう言って足元でぷるぷる揺れるスライムを見ると、リコは小さく吹き出した。
「ふふっ……あははっ! あいつら、ただのスライムに怯えて逃げていった! 傑作なのだ!」
腹を抱えて笑う彼女を見て、俺は安堵の息を漏らした。尻尾も楽しそうに揺れている。
警戒心はまだ残っている。傷も、恐怖も、消えたわけじゃない。それでも、今の笑い声だけは、悪くない兆候に思えた。
俺は再び、頭の中でカルテを開いた。
【患者個別カルテ:リコ】
種名:狼獣人。
特記事項:初笑いを確認。警戒心、わずかに低下。経過観察を継続。
もし『続きが気になる!』『この話、面白い!』と思っていただけましたら、下部の☆☆☆☆☆から【評価】や、作品フォロー&ブックマークをしていただけると、執筆の励みになります!ぜひよろしくお願いします!




