【覚醒】死の間際に目覚めた『時を止める力』。そして明かされた真実
最初は、ただ自分の意識が遠のいているだけだと思った。
血の気が引き、視界が揺れ、世界が遅く感じる。
ああ、死ぬんだ。
だが何かが違った。
廠は、顔を上げて、ゆっくりと立ち上がる。
音が消えている。
盗賊の怒号も、村人の悲鳴も、風のざわめきさえも、視界にあるすべてから音が抜け落ちた。
(……なんだ……?)
振り下ろされる剣は、空中で止まっていた。
本当に止まっている。
刃先にまとわりついた土埃の粒が、宙に浮いたまま動かない。
(……俺は、うごける…)
手を伸ばす。
震える指先が、止まった剣の刃に触れた。
冷たい金属の感触だけが、確かにそこにあった。
動かない。
世界が、本当に止まっている。
廠は理解した。
これは錯覚ではない。
死の間際に見た幻でもない。
自分以外の時間が止まっているのだ。
冷静に深呼吸をした。
やはり、なにもかも動かず、音も無い。
自分の鼓動だけが聞こえる世界。
(…これ、あれじゃね?…どうすれば、時間が動くんだ?)
試しに、目の前の賊の剣を槍でつつく。
槍で、身体をつつく。突く。叩く。
なんの反応も無い。
右の賊の肩を槍で思いっきり突く。
突いた感触ははっきりとあるが、やはり何の反応も無い。
今度は、左の賊を蹴飛ばしてみる。
当たった感触はあるのだが、音もなにもしない。
何回もやってみるが、何も変わらない。
(これ…すごい能力だけど、どうやって、解除するの…)
その時、頭の中に声が響いた。
念じよ。止まれ、と。
念じよ。動け、と。
(何なんだ…この声…でも、ちょっと試しに)
動け。
そう念じた瞬間、世界が震えたように見えた。
次の刹那、止まっていた空気が一気に流れ出し、音が洪水のように押し寄せる。
怒号、悲鳴、風の音、すべてが一度に戻ってきた。
そして、廠の目の前で、賊たちが一斉に崩れ落ちた。
右の賊は肩を押さえ、苦悶の声を上げながら地面に転がる。
左の賊は、蹴り飛ばされた勢いのまま、遅れて吹き飛ぶように倒れ込んだ。
廠が、止まった世界、で与えた衝撃が、時間の再開と同時に一気に反映されたのだ。
周囲の賊たちは、その異様な光景に目を見開いた。
「な、なんだ、今のは」
恐怖が走り、数歩後ずさる者もいる。
廠自身も、何が起きたのか完全には理解できていなかった。
「陛下」
鋭い声が戦場に響いた。
振り向くと、紅陽が駆け込んできた。
彼の顔は怒りと焦りで強張っている。
「お下がりください」
紅陽は廠の傷に気づくと、目を見開いた。
廠の肩からはまだ血が流れ、足元はふらついている。
「陛下、その状態で、どうやって」
紅陽は剣を抜き、周囲を囲む賊の首を次から次に跳ね飛ばしていく。
(やべ…痛みが…出てきた…いてえ…)
廠はその場に膝をつき、荒い息を吐いた。
音も、風も、痛みも戻ってきた。
だが、さっきまでの静止した世界の感覚だけはまだ身体の奥に残っていた。
調練場にいた指揮官と兵士達も駆けつけてくる。
「賊どもを斬り捨てろ」
援軍の兵たちも次々と戦線に加わり、形勢は一気に逆転する。
「廠!」
姜延が駆け込んできた。
廠は膝をついたまま前のめりになり、ゆっくりと目を閉じた。
ーー
最初に感じたのは、布の匂い。次に、肩の鈍い痛み。そして、誰かの低い声が耳に届く。
「陛下、聞こえますか」
紅陽の声だった。
廠はまぶたを重く開ける。
視界がぼやけ、天井の梁が揺れて見える。
「紅陽……?」
声にならない声が漏れる。すぐそばで、姜延が身を乗り出した。
「廠…よかった、本当によかった」
姜延の目は赤く、泣いた跡があった。
廠は状況を思い出そうとするが、頭がまだ霞んでいる。
「ここは…村は…どうなった?」
紅陽が短く息を吐き、真剣な眼差しで廠を見つめた。
「村は守られました。陛下が踏ん張らなければ、被害は拡大したでしょう。お見事でした」
「そうか」
「しかし、この怪我でよく、賊と渡り合えたものです」
(やっぱり、あれは現実だったのか…)
あの静止した世界の感覚だけが、今も身体の奥に残っている。
(試しに…)
止まれ。
音が消えた。
やはり、自分の鼓動だけが聞こえる。
紅陽の表情も止まっている。
動け。
音が聞こえる。
間違いない。今の俺は何故か時を止められる。
だが、一体なぜ。
いや、考えるのはやめよう。
(すげー能力だが…悪用するのはだめだな)
「廠…いや…へ、陛下…ご無事で、なによ、りで」
姜延がたどたどしく言葉を紡ぐ。
その声音には、安堵と混乱と、そして恐れが混じっていた。
紅陽がすぐに手を上げ、姜延を制した。
「陛下は、お前たち兵卒が直接口をきいてよいお方ではない」
その声音は静かだが、鋼のように硬い。
姜延は肩を震わせ、慌てて頭を下げた。
「は、ははっ」
下がれ、という紅陽の視線を受け、姜延は後退した。
その背中には、廠を心配する気持ちと、身分差への畏れが入り混じっている。
そのとき、外から足音が近づき、指揮官が部屋に入ってきた。
扉を開けるなり、彼は深く拝礼する。
「陛下のご無事、何よりにございます」
紅陽が近衛兵長であることは、指揮官クラスなら誰もが知っている。
その紅陽が陛下と呼ぶ青年がここにいる。
その事実だけで、場の空気が一気に張りつめた。
指揮官は紅陽に目を向け、報告を続ける。
「賊の残党はすべて捕縛いたしました。村の被害も最小限に抑えられました」
「陛下は、ご身分を隠してまでご自身の訓練のために参じていた。先に言っておくと意味がないと思って、皆には言わなかった」
「そうでありましたか」
「時に、お前」
姜延に向かって紅陽が言う。
「援軍を呼びに走ってくれたようだな」
「あ、は、はい。あ、足が、おれ、私の方が速いと、廠、いや陛下に言われまして、それで」
「礼を言う。お前がいなければ間に合わなかったかもぬ」
「あ、ありがたき、し、あわせにございます」
廠は、まだ完全には覚醒していない頭で、その言葉を聞いていた。
(俺のこの力、やはり誰も信じないよな…隠しておこう)
紅陽は廠の枕元に膝をつき、静かに言った。
「陛下。ご無理はなさらぬよう。今はお身体をお癒やしください」
その声音には、臣下としての敬意と、個人としての心配が同時に宿っていた。
廠はゆっくりと息を吸い、目を閉じた。




