第6話 レース産業
スプーンを手に取った。ここまで緊張する食事は、前世を含めても初めてだ。
まずは前座のスープから。俺は慎重に一口掬い、口の中へ流し込む。
味は――薄い。塩気が足りず、野菜の泥臭さがわずかに舌に残る。
だが、向かいで幸せそうに笑う彼女を見ていると、不思議と悪くない味に思えてくるから現金なものだ。
「おいしいですか? マサトさん」
「ああ、悪くない。……君と一緒に食べるからかな」
俺がサラリと言うと、ラーブルは「ふぇ?」と間の抜けた声を出し、スープを気管に入れそうになってむせた。
「ゲホッ、ゴホッ! ……な、何を仰るんですか! からかわないでください!」
「はは、すまんすまん」
赤くなって怒る顔も、懐かしい。
俺は湧き上がる愛おしさを飲み込み、手元にある「パン」に視線を落とした。
混ぜ物の多い、質の悪いパン。これが1788年の庶民にとって、精一杯のご馳走だという現実。
次はこいつだ。俺はこの「中ボス」を一口分にちぎり、とりあえず口の中に放り込んだ。香ばしい香りはするが、食感はお世辞にも良いとは言えない。パサパサで、口の中の水分をすべて奪っていくようだ。
そこで俺は、二口目のパンをちぎり、味の薄いスープにたっぷりと浸してみた。
パンが水分を吸って、ずしりと重くなる。それを口へ運ぶ。
「……お?」
あまり期待はしていなかったが、これが絶妙に美味い。
味の薄いスープがパンの香ばしさと混ざり合い、味わいに深みが出ている。さらに、石のように硬かったパンはスープを吸ってふわりと解け、互いの短所を見事に打ち消し合っていた。
なるほど、こうやって食べるのが正解かと自分の中で解決する。
さて、ラスボスはこいつだ。
俺は木製のジョッキに入った謎の飲み物『シードル』に手を伸ばした。
濁った黄金色。表面には粗い泡が浮いている。
俺は意を決して、ジョッキを煽った。
――シュワッ。
微炭酸の刺激と共に、強烈な酸味と、リンゴのような香りが鼻に抜ける。
これは酒か!しかも炭酸入りとは。
心の中で感心する。値段が激安だからどんな飲み物が出てくるか心配していたが杞憂だったようだな。
洗練された現代の酒とは程遠い、野生味あふれる発酵の味。
だが……。
「……ぷはっ。悪くない」
喉を通った後の爽快感は本物だった。この酸味が、泥臭いスープの後味をさっぱりと洗い流してくれる。
アルコール度数は低そうだが、空きっ腹には心地よく染み渡った。
「でしょう? アランソンのシードルは世界一なんです!」
自分のことのように胸を張るラーブル。
俺はジョッキを置き、少し真面目な顔で彼女に向き直った。
腹も落ち着いたところで、少し情報を整理しなければならない。
「ところで、ラーブル。レース職人の見習いだろ?レースなんて作ってるんだから、景気はいいんじゃないか?」
俺の問いかけに、ラーブルの表情が少し曇る。
彼女はスープの器の縁を指でなぞりながら、ポツリと言った。
「……レース職人はもうダメですよ」
「え?」
「マサトさんはご存知ないですか? 最近、アランソンのレースは売れないんです。マリー・アントワネット様が『シンプルなモスリンのドレス』を流行らせてしまってから、誰も豪華なレースなんて買わなくなってしまって……」
うむー。世界史だから、よくわからないが流行りによってレース産業が崩壊して絶対絶滅の状況なのか、派手好きなマリー・アントワネットさんがレースを使わなくなるとは。
とにかく流行によって、レース産業が大打撃を受けたという事実、これはしめたぞレース産業が崩壊寸前な今なら、新入りの俺が入っても問題ないのでは?そして、レースの技術から庶民向けの物を作らせれば儲かる事間違いないのでは?
「仕事がなくて、親方も夜逃げしてしまって……。私は路頭に迷っていたところを、あいつらに目をつけられたんです。『レース職人の見習いなら隠し金を持ってるはずだ』って」
ラーブルが悔しそうに唇を噛む。
歴史の教科書ではたった一行の記述。「産業の衰退」。だがその裏には、こうして泣いている生身の人間がいる。
「……そうか。大変だったな」
「い、いえ! 暗い話をしてすみません! でも、おかげで元気が出ました。マサトさんのおかげです」
彼女は無理に笑顔を作ってみせた。その健気さが、痛いほど胸に刺さる。
「さて、腹も満たされたことだし……これからどうする? よければ君のレース工房に連れてってくれないか?」
「レースの工房ですか?今は誰もいないのでいいですよ、廃工同然ですし」
さぁ、ここでいい感じに稼いで俺の野望を叶える第一歩とするか。




