第7話 宝の山
食事を終え店を出た瞬間、生暖かい風と共に、鼻を曲げるような悪臭が漂ってきた。
俺は思わず、顔を顰めるがこの時代のフランスでは、当たり前の為我慢する。
流石にこの匂いはまだ慣れない。18世紀のフランス、ベルサイユ宮殿などの華やかな裏側の庶民が暮らす街路は「巨大な便所」と変わらない。
下水道設備は未発達で、住民は夜になると窓から汚物を「それっ!」と通りへぶちまけるからだ。だから俺は住宅街を避け、裏路地などを移動していた。
「マサトさん、大丈夫ですか? 足元、気をつけてくださいね」
「あ、ああ……ありがとう」
隣を歩くラーブルは平気な顔をしている。慣れとは恐ろしいものだ。
俺たちは汚泥の水たまりを避けながら、慎重に石畳を進んだ。
やがて、メインストリートから少し外れた、薄暗い通りへとたどり着く。
「……ここです」
ラーブルが足を止めたのは、古びた石造りと木造が混じった、2階建ての建物の前だった。
かつては看板が掛かっていたのだろうが、今は留め具だけが錆びついて残っている。
彼女が懐から大きな鉄の鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。
「ガチャン、ギィィ……」
重苦しい音を立てて、扉が開く。
「どうぞ。もう誰もいませんけど」
俺たちは中へと足を踏み入れた。
ラーブルが手近にあった燭台に火を灯す。
揺らめく炎の中に浮かび上がったのは、埃を被った作業台の数々と、主を失った道具たちだった。
怖いほどシン、と静まり返った室内。
床には書き損じの図面や、切れた糸くずが散乱している。まるで、夜逃げした当時の混乱がそのまま真空パックされているようだ。
「……帰ってきちゃいました」
ラーブルの声が、空っぽの室内に虚しく反響する。彼女は愛おしそうに、埃の積もった作業机を指でなぞった。
「親方は腕のいい職人だったんです。でも、レースが売れなくなって借金取りに追われて……。みんな、散り散りになっちゃいました」
俺は黙って頷き、部屋の四隅に視線を走らせた。
感傷に浸るのもいいが、まずは安全確認だ。
窓には鉄格子、扉には太いカンヌキがある。壁も厚い石造りだ。
これなら、外から暴漢が押し入ってくる心配はない。あのチンピラどもが嗅ぎつけてきても、籠城戦なら十分に持ちこたえられるだろう。……悪くない。最高の隠れ家だ。所有者も夜逃げだし、しばらくここにいても問題はないだろう。
俺は心の中でガッツポーズをした。
雨風を凌げるどころか、ここを拠点にして活動できる。
ふと、俺は大量に山積みにされた麻袋を見つけた。
「ラーブル。この大量の麻袋には何が入ってるんだ?」
「あぁ、それは失敗したレースの『端切れ』とか、汚れた糸くずが入ってるんです。燃やすくらいしか使い道がなくて放置されてたんですけど……」
ラーブルは興味なさそうに言い、袋の口を開けた。
俺は何気なくその中を覗き込み――動きを止めた。
「……おい、ちょっと待て」
俺は袋から、掌ほどの大きさのレースの切れ端を取り出した。
確かに、端が少し解れていたり、模様が途中で切れていたりする。
貴族が着るような豪華絢爛なドレスに使うには、あまりにも小さく、不完全だ。
だが。
俺は燭台の光にレースを透かしてみた。
繊細な網目。立体的な花柄の刺繍。
腐っても『アランソン・レース』だ。その美しさは、現代の機械編みとは比べ物にならないほどの気品がある。
……いけるな
俺の頭の中で、パチリとパズルのピースがハマる音がした。
現代日本には「リメイク」や「ワンポイント」という文化がある。ドレス一着分のレースは買えない。だが、この「切れ端」を使った小物なら?
今は1788年。来年にはフランス革命が勃発し貴族の時代が終わり、市民などが台頭してくる時代だ。
どこの時代の市民は自分より上の階級に憧れるものだ。例を挙げると日本の江戸時代くらいには、武士の真似をして農民が脇差しなどを刺していたのだ。フランスもきっと自分より身分の上の人間に憧れるであろう。
だが市民と貴族ではどんなに努力しても越えられない壁がある。それは身分の壁だ。市民から貴族になれる者など中々いない。だから金を持っている市民は貴族の真似事をしたいはずだ。そこに、この「最高級レースの端切れ」を使った商品をぶつけたらどうなる?数に限りはあるが、そこそこの稼ぎになるはずだ。俺はニヤリと口角を上げた。
「ラーブル、このゴミ、全部俺に預けてくれないか?」
「え? いいですけど……薪にするんですか?」
「まさか」
俺はレースの切れ端を、まるで宝石のように掲げてみせた。
「こいつが俺の『軍資金』になるんだよ」




