第37話 湯気
家族との会話なんて単純だ。家でのこと、友人のこと、学校のこと。身の回りに起きたなんてことのない出来事をただひたすら話すだけ。現に早苗は高校に入学してからのことを面白おかしく喋っている。
「――うふふ。駈は最近学校、どうなの?」
紗季は優しい声色で向かいに座っている駈に問いかけた。先ほどまで早苗に向けられていた視線が集まる。授業中に急に先生から名指しで当てられた時のような、どこか緊張した気持ちになってしまう。
駈はとにかく今は学校のことを思い出そうと、意識を頭に集中させた。しかし、いくら考えても一人で過ごしている姿しか出てこない。強いて言えば、速人と話していることぐらいか。
「まあ、それなりに?」
駈は自信なさげに語尾を上げながら答える。具体的な感情を伝えようとも嘘になってしまう。それなら有耶無耶にしてしまえば問題ない。
「そうなの。速人君とはどう? 確か同じクラスになったのよね」
「速人とはいつも通りだよ」
「そう、良かった」
紗季は駈の目を見ながらニコニコと嬉しそうにしている。昔から遊んでいることはもちろん知っているため、今も仲良くしていると聞いて安心しているのだろう。孝も「そうかそうか」と腕を組みながら首を縦に振っている。
両親は小さい頃から駈や早苗に対して、その日の出来事などは滅多に聞くことはない。それは決して興味がない訳ではなく、話したいほどの出来事が起きたなら自分から言いに来るはずだからだ。なので、今回のように直接聞いてくることは珍しい。
その後、駈の学校生活を深堀してくる様子はなかった。早苗の話題にすぐさま切り替わり、また盛り上がる。まだ入学してから4か月程度、登校日数で言えば50を超えたあたりだというのに早苗の口が止まらない。
「それで、最近『こはるん』って言う友達が出来て――」
「お待たせしましたー」
間に入ってきた店員はメニュー名を言いながら、それぞれの席前に運んでくる。風に乗って伝わってくる匂いは、空腹を感じていなかったはずなのに食欲を刺激してくる。
「わあ! 美味しそうー」
早苗は言葉を遮られて固まっていた口角を緩ませる。食べたかったものが来たのだから当然と言えばそうなのだが。
早苗に箸を渡そうと手を伸ばすとスマホを持っていた。気になった駈は思わず眉を寄せる。
「何してんの」
「何って、友達に写真送って自慢するんだよー」
「ほう?」
流石は今どきの女子高生と言ったところか。慣れた手つきで写真を撮り、すぐさま縦持ちにしたかと思うと高速で指が動き始める。
(自慢か……)
駈は何か思いついたのか、真似事をし始めた。同じように目の前にあるラーメンを撮り、おぼつかない指を動かす。
『ほれ、お土産だ』
嫌味とも思えるメッセージを速人がふざけて作成したグループに送った。思わず緩んでしまう口元をラーメンのせいにしようと、箸に持ち変える。
駈が頼んだのは味噌バターコーンラーメンだ。味噌が溶かされた濃厚なスープには厚切りのチャーシュー、それに引けを取らない量のコーン、細かく刻まれたねぎともやし、煮卵が浮かぶ。
野菜に腰かけるように添えられたバターは熱にやられたのか周りを黄色く染めている。湯気と共に香ってくる匂いは甘く、今すぐにでも麺に絡めて味わいたい。
「よし、いただきます」
かぶりつきたい気持ちを抑えるように手を合わせ、落ち着いた声で食前の挨拶を済ませた。
「んー、美味しい!」
早苗は先に食べていたのか、幸せな表情を浮かべながら箸を進めている。駈も負け時とスープの中に箸沈み込ませ、麺によく絡ませてから挟む。最初の一口はどの料理でも最高と言えるが、今食べているそれは特別感を覚え、体の芯から叫びたくなるほど深く沁みている。
「確かに、美味い……」
「お、駈。バターが混ざったスープと野菜はもっと美味いぞー」
孝から助言をもらって、すぐさまレンゲにスープを集める。層になっている油はきめ細かく、入り込む光が反射してキラキラしている。
「美味いな……」
「だろ?」
孝は自慢げに右眉を上げる。口に運んだ瞬間香るバターと味噌が絶妙にマッチしている。王道である醤油、味噌、塩を選んでもよかったのだが、冒険した甲斐があった。
『めちゃくちゃ美味いぞこれ』
思わず箸を止め、速人たちにメッセージを送る駈。どこか得意気になりながら、スマホの画面を眺めている。
「ちょっと、今は食事中よ」
「げ、はい……」
睨みつけるように鋭くなった眼光に怖気づいた駈は、そっとスマホをしまった。紗季はすぐに目元を緩める。メリハリがはっきりしている分、優しい表情と厳格な態度の差にはどこか恐怖を感じてしまう。
「お兄、もしかして私の真似してた?」
「え、まあ」
突然声を上げて早苗は笑い始めた。何もおかしいことはしていないだろうと駈は首をすぼめながらラーメンを食べ進める。
「あはは、JKの真似するお兄面白すぎ。でも、速人くん以外に友達いるもんね」
含みを持たせた言葉に両親は動かしていた手をピタリと止めた。駈は何も気にせず、ラーメンを口に運び続ける。
「……駈に友達?」
「そうだよ、しかも女の子」
「女の子だと!?」
孝は持っていた箸を置き、真剣な面持ちで手を組みながら駈を見る。
「その女の子とはどうなんだ、駈」
「どうって……速人繋がりで話す程度だしな……」
きっと彩夏のことを言っているのだろうと思い、今までのことを振り返る。友人と言えるほど仲がいいかは分からない。
「話す程度って、プールに誘われたんでしょ?」
「それは二人きりでか!?」
目の前にいるというのに大きい声で詰め寄る姿に駈は思わず腰を引く。早苗は何を面白がっているのか、クスクスとほくそ笑んでいる。
「い、いやそれは速人たちも行ってるし……それに同じクラスの美術部の人も。ていうか早苗、わざと勘違いさせるような言い方してるだろ!」
「えーどうでしょう」
わざと視線を逸らし誤魔化そうとする早苗。募ってくる苛立ちを何とか抑えようと溜め息を挟む。
「はあ。まあその人とは友達、なのかな? 良く話すし」
「駈に速人君以外に友達ができるなんて……」
「俺も嬉しいよ、異性だしな」
「ったく……ほら、今は食事中!」
駈は紗季に言われた言葉をそのまま返した。嬉しそうな口調の両親は持っている箸をスープに沈めたまま感傷に浸っていた。異性だからというのがどこか癪に感じたが、それは黙っておこう。
駈はいつの間にか赤くなっていた頬を隠すように、顔をラーメンに向ける。それは未だに冷めておらず、湯気が出続けていた。
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