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64 帰宅

 早いもので楪の二泊三日人質生活も残すところ数時間となった。

 昨夜の光春の乱入の件で楪の機嫌は最悪だったけれど、昼食を一緒に作ろう、と声をかけたらすぐに元に戻った。


 楪はチョロい。ちょろちょろだ。


「へえ、昨日そんなことがあったの」


 目の前に並んでいるのは祝と楪で一緒に作ったどこにでもあるような焼きそばである。野菜をカットしている大きさが不揃いなのは楪のせいであって、祝のせいではない。

 祝が食べていた焼きそばの肉と言えば豚バラだったけれど、離れの冷蔵庫の中にあった豚肉は山形県平田牧場から取り寄せた金華豚だけだった。

 祝はこの豚肉が大好きなので、できれば豚肉の味がわかるような料理法で食べたかった。が、泣く泣く少しだけ焼きそば用に使わせてもらった。


「沙織さんは気をつかって出てきてないのだと思ってました」


 薄くスライスされた豚バラはピンク色と脂肪の白が美しいストライプを描いていた。お米を食べて育っているからか、肉自体が甘く、臭みがまったくないのだ。


「まさか。ぐっすり夢の中だったわ。一度寝ると起きないのよね」


 できれば塩コショウだけでダイレクトに豚肉の旨味を味わいたい。

 それかしゃぶしゃぶでもいい。細切りされた日高昆布で出汁を取り、とびうおの醤油をすっとくぐらせて薬味と一緒に口へ運ぶのもいい。


「光春さんねえ。またややこしいのが出てきたわね。だけど、気にする必要ないわ。言いたい人には言わせておきなさいな」

「沙織さん……」


 それなのに、適当な豚肉がなかったために、そんな日本の宝とすべてを飲み込んで自分色に染めてしまうソースと絡めてしまった。ごめんなさい、金華豚さん。


「これ、ユズくんが作ってくれたんでしょう? とっても美味しいわ」


 いや、ソースが悪いわけじゃない。

 このオタフクソースは甘さの中にコクがあって、それはそれで大好きなのだけれど。


「祝が教えてくれたんですよ。沙織さんが良く作ってくれたのだと言って。そうだよね、祝?」


 二人の視線が自分の方を向いていることに気が付いて、「へっ?」と顔を上げた。


「祝? どうしたんだ、ぼんやりして。昨日のことを気にしてるのか?」


 昨日のことなんてちぎって丸めてゴミ箱に捨ててしまいたいぐらいの記憶なのに。


「いいえ、まったく気にしてません。さあ、それより早く食べてしまいましょう。もうすぐお父さんも帰ってくるはずですから」

「今年は上手く話し合いが進んでいればいいけど」

「お父さんが行ってますから早々変なことにはならないと思いますけど、実際、今の状態は大変ですからね」


 父が倒れていた三年間の領主会議に出ていたのは当主である伯父で、まもとな発言すらさせてもらえなかったのか、うちの領地には『鍵』が四人しかいないのに、仙境の修復範囲を広げられてしまったのだ。

 四人のうち、伯父は仙境へは入ることは稀だし、楪は祝福がなく、祝は子どもだから動けるのが父だけだったのだ。


「兄さまの母親の実家に呪われてお父さんが倒れて、その間に兄さまの父親が領主会議で足を引っ張って……本当、どうしてくれようかと思いますよね」

「……ときどき、すごく性格が悪くなるな」

「愚痴でもこぼさないとやっていけませんもの。天真爛漫な十歳という時を全員頭のネジがどこか緩んでいる家族の中で過ごしているんですよ。ちょっとはわたしのことをかわいそうだと思って労わってくださいませ」

「その頭のネジが緩んでいる家族の中には私も入っているのかしらね、祝」


 筆頭だよ!

 と、口に出して言いたいのはぐっと堪えた。


「沙織さんは緩んでなんかいませんよ! あの、とても素敵な女性だと思いま……す……」

「アハハ、ありがとー!」


 母は手を伸ばして楪の頭をガシガシと撫でていた。

 楪は耳を真っ赤にして俯いている。

 祝の横に控えていた風斗が祝にだけ聞こえる声で「遅い初恋ですかね」と呟いたので、「気持ち悪いこと言わないでください」と返しておいた。


 父と有馬と七緒が帰宅したのは、昼食から一時間ほど経ってからだった。

 使用人が父たちの帰宅を知らせ、祝たちも一緒に玄関まで出迎えに行った。


「おかえりなさい」


 母が父に最初に挨拶をする。

 思ったより顔色は良さそうだ。これなら話し合いも上手くいったのかもしれない。


「留守をありがとう。変わったことはなかった?」

「ええ、たいしたことはなかったみたい」

「たいしたことじゃないことはあったってこと?」


 父は目を細め、最初に母を、それから祝を見た。

 祝は肩をすくめて、視線を楪に向けた。


「光春大叔父上が昨夜お越しになったのです。蝶子と風斗が追い返してくれました」

「ここで立ち話もなんですから、皆さま、食堂へご移動くださいませ。すぐにお茶をご用意します」


 蝶子が話を切り上げさせるようにパンパンと手を打って、全員を玄関から追い出した。

 祝たちは先に食堂へ、帰宅した父たちは一度荷物を整理してから食堂へ集まることになった。


 食堂ではすでに帰宅したばかりの七緒が千尋と一緒にお茶の準備をしていた。


「七緒さん、今日ぐらいお休みしたらどうですか?」

「まあ、祝さま、ありがとうございます。今回はほとんど仕事という仕事もありませんでしたから疲れておりませんので大丈夫ですよ」


 七緒がにっこりと微笑むので、それ以上は言わずにお茶を淹れてもらうことにした。

 父と有馬が食堂へ来たところで、会議で決まったことだけ先に父が説明しだした。


「まず、最果ての地の管理区域は元に戻すことができた。以前と同じ範囲になったから今年からは少し余裕が出来ると思う。それから、うちの領地には実働できる『鍵』が僕独りだけだということについて、かなり他の領地から心配という名の横やりが入った」


 父はそこまで言ってため息を吐いて祝を見る。


「祝には負担をかけるけれど、早急に火の精霊王のところへ行って祝福を受けて欲しい。それが終わったらお父さんと一緒に最果ての地で実地訓練をしよう」


 祝が頷くと、楪が口を開く。


「叔父上、僕も何か手伝えることはありませんか?」


 楪も『鍵』ではあるけれど、体内にある光の量より闇の量の方が多いから祝福を未だに誰からも受けていない。だから、正直言って手伝えることなどないのだ。


 父もそう思ったのか、片方の眉を上げ楪を窘めるように黙って見つめていた。


 だけど、体質は楪兄さまの責任じゃないから――。


「それなら兄さまは無理でも兄さまの側近になれそうな方に精霊王からの祝福を受けてもらうというのはどうでしょうか?」


 川渡の人間ばかりで固められた伯母に選ばれた側近候補より、祝福を受けることができるぐらいの人間を側近に置いた方がこれから先も良いはずだ。

 祝がそう説明すると、父も有馬も賛成してくれた。

 ただ、楪だけは難しい顔をしている。


「僕に付いてくれる人を自分で見つけることは簡単じゃない」


 楪はしばらく俯いたまま考えていた。けれど、意思を固めたように顔を上げた。


「だけど、探して頼んでみます」


 父がそれを聞いて、小さく口元を緩めたのを祝は見逃さなかった。

 少しは楪のことを見直してくれたらいいのだけれど。


「じゃあ、楪はそれを自分のペースでいいから進めるように。あとで報告には行くけれど、先に兄さんに楪から会議の結果を伝えてきて欲しい」

「わかりました。それではここで失礼します」


 楪は席を立ち、千尋を呼んで荷物をまとめるように伝えた。

 母に「お世話になりました」と挨拶をしている楪を見ると、この三日間で変わったなあ、と感慨深い。


「見送りは結構です。それでは失礼します」


 荷物を持って戻って来た千尋と一緒に楪は玄関へ向かう。それに付き合ったのは祝と蝶子だった。


「祝にも世話になったね。すごく楽しかった」

「また泊まりにきてくださいね、せっかく隣りなんですから。またお料理しましょう」


 祝がそう言って手を振ると、玄関の外へ出ていた楪も手を振り返した。


 




 


 


読んでくださってありがとうございます。


やっと父帰宅、楪も帰宅です。


暑い週末となりました。どうぞ熱中症などにお気を付けくださいませ。


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