no.14
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何事もなかったかのように日が過ぎた。
ただ大じいちゃんの咳がどんどん酷くなるように感じられた。
畑仕事もこのところ、出ていない。
僕は、おばさんと一緒に南側にある畑に出た。
「ヘタんとこに棘あっから気、つけろ」
おばさんに借りたハサミで茄子の収穫をした。
竹で編んだ籠は、すぐ一杯になってしまう。
もう一つの籠には、先に収穫したきゅうりが入っていた。
きゅうりもなっているときは、棘があることを僕は初めて知った。
「そのきゅうり、井戸に冷やして丸ごと食べっとおいしんだ。あとで冷やしといてやっから」
その日の午後、久しぶりに大じいちゃんが僕を連れだした。
牛小屋と鳥小屋の間を抜けると小学校の庭に出た。
ミンミン、ジージーと蝉が煩いくらい鳴いている。
大じいちゃんは、校庭南側にある木製のベンチに腰掛けた。
僕も隣に座る。
「この木はな、わしが植えたんだ」
大じいちゃんは、目の前にある両手を回してやっと手が届くかというくらいの大きな桜の木を指して言った。
僕はそれを見上げる。
結構大きなものだ。
この木にも蝉がとまっているのか、すぐ近くで鳴いているのがわかった。
隣で大じいちゃんが煙草に火をつけた。
一息吸い込んで煙にむせたのか、風邪のせいなのか、酷く咳をする。
なかなか止まらないらしく、かなり苦しそうだ。
僕はこういう時、どうしていいのかわからない。
大丈夫って声を掛ければいいのだろうか。
でもそんなことをしたって咳は、止まらない。
やっと咳の収まった大じいちゃんを見てほっとした。
大じいちゃんの咳が心配でもあったけれど、どうしていいのか戸惑っている時間が嫌だった。
大じいちゃんは吸わないうちに小さくなってしまった煙草を足元に落とすと揉み消した。
「この木は、わしが子供ん時、山から引っこ抜いてきて植えたんだ。こいつが毎年、大きくなって春には桃色の綺麗な花を咲かすのが嬉しくってな」
山からって……。
木を山から持ってきたのか。
もっとも大じいちゃんが子供の頃なら、この木ももっともっと小さかったんだろうけど。
「戦争が始まって、ここが飛行場になったんだ。こいつは切らんないで済んだ。わしにとっちゃ、こいつは生きてる証みてえなもんだかんな」
なんだかオーバーに聞こえたけれど、戦争という言葉がそれを打ち消した。
大じいちゃんは戦争を経験しているんだ。
木が一本切られなかっただけのことでも、それは大きな意味があったのかもしれない。
「この村から戦争に行ったのは、一人っきりだったんだ。徴兵検査ってのがあってな。わしはこの通り、体がちっさいから兵隊にはなれんかった。ほとんどのモンがそうだったんだ。でも一人だけ、体格がええのがいてな。そいつだけ兵隊に行ったんだ」
僕は、その話を聞いて意外だと思った。
戦争で男は皆、兵隊に行って、農作業は女がやっていたんだとばかり思っていたからだ。
検査があって小さいと兵隊になれないなんて、初耳だった。
「わしも兵隊になって戦地さ、行きたかったんだ。でもな、今は行かなくっていかったと思ってる。兵隊にならんでも国のために戦いはできた。わしらはここで食べもん作って、それが戦いなんだってな」
大じいちゃんは、また少し咳をしたけれど、すぐに収まった。
「なんでだかなぁ。わしらが命を懸けて守った国は、こんなんじゃなかったはずなんだがな」
大きな溜め息が漏れた。
命を懸けて国を守るってことが僕にはわからなかった。
嫌じゃなかったのかな、戦うなんて。
間違えたら死んでしまうのに。
「あの頃はいかったな」
えっ?
「命懸けてでも守りたいもんがあったんだ。人間がそれで必死に生きてたんだ。今の人間は、命懸けてでも守りたいもんなんてなかんべ」
命を懸けて守りたいもの。
僕は考えたけれど、何も思いつかなかった。
命を懸けるってこと自体がよくわからないような気がする。
「何を見て生きてんだかな、今の人間は。守るもん、守れんで、そっぽ向いて。わしらはこんな国にするために命を懸けたんと違うんだけどな」
大じいちゃんは、また煙草に火をつけた。
僕は、吸い終わるまでヒヤヒヤしていた。
けれど今度は、咳も出なかった。
「この木は、ずっとわしと一緒に見てきたんだ。戦争もその後も、ずっとさ。戦争をしてきたわしらの育てた人間は、こんなに歪んじまったのに、この木はまっすぐ大きくなって、毎年綺麗な花を咲かす。なんで人間は、この木みてーになれんかったんだか。この木を見てっとそー思うんだ」
大じいちゃんは、一体何が言いたいんだろう。
大じいちゃんが守ってきた国の未来って、一体どんなものだったんだろう。
僕にとって戦争は、試験のために覚えなくちゃならない歴史でしかない。
その歴史の中で大じいちゃんは、一体何を考えてきたんだろう。




