no.15
ゴホッ、ゴホゴホッ、ゴホッ……。
突然、大じいちゃんが背中を丸めて咳き込み始めた。
僕は勢いづいて立ち上がる。
今までの咳と違うということが、直感的にわかった。
僕の体は勝手に動いて、大じいちゃんの背中を摩っていた。
ゴッ、ゴホッ、ゴホッ……。
大じいちゃんは、息をする暇もないくらい咳き込んでいる。
「大じいちゃん、大丈夫? ね?」
大じいちゃんは、返事をする余裕などなかった。
木製のベンチから転げ落ちてうずくまる。
僕は、大じいちゃんの背中を摩りながら、このままじゃだめだと思った。
「大じいちゃん、待ってて。今、誰か呼んでくる」
僕は走り出した。
牛小屋と鳥小屋の間を抜けて勝手口に飛び込む。
おばさんが流しに向かったまま、ポカンと僕の顔を見ていた。
「お、おばさん。大じいちゃんが、大じいちゃんが……」
「大じいちゃんが、どうかしたんか?」
「咳が止まらなくて、動けないんだ。早くっ!」
******
その日、大じいちゃんは、救急車で病院に運ばれたまま、帰ってこなかった。
その代わり、おじさんとおばさんが家と病院を行ったり来たりして、僕は従弟たちと大ばあちゃんと四人で夕食をとった。
夜遅く帰ってきたおじさんが、大じいちゃんの様態を教えてくれた。
大じいちゃんの風邪は質が悪かった。
肺炎を起こしていて年老いた体は弱り切っていた。
病院に行くのを嫌がっていた大じいちゃんだったが、とうとう入院という事態になってしまったのだった。
「もう歳だかんなぁ。たかが風邪くらいとも言えねえんだ。とにかく入院して様子を見るしかないってことだから。琢磨も疲れたべ。もう寝ろ」
僕は、どうしたらいいんだろう。
大じいちゃんが風邪を引いた原因は、僕だ。
何か言うべき言葉はないんだろうか。
僕は、どういう行動をとればいいんだろうか。
「心配すんな。病院にいんだから」
確かに入院していれば、医者や看護師がいるから大丈夫だと思う。
でもそんなことじゃなくて、僕は自分がどうしたらいいのかがわからなかった。
「気にするな、琢磨」
僕が座敷に入ろうとした時、背中でおじさんの言葉が聞こえた。
すぐに振り返ったけれど、おじさんは電気を消して風呂場に入って行ってしまった。
僕は何も言えないまま、座敷の布団に入った。
おじさんは、僕が気にしていることに気付いていたんだ。
でなければ、あんな言葉は言えない。
僕は、布団を頭まで被って泣いた。
ここの人達は優しすぎる。
僕は、いままでに味わったことのない、大きな優しさに包まれているような気がする。
******
大じいちゃんが入院して三日が過ぎた。
おじさんもおばさんも病院に行ったり、畑や田んぼの仕事で疲れ切っているのがわかった。
明日は、母さんの姉で横浜に住んでいるおばさんが、大じいちゃんの看病に来るという話だった。
完全看護の病院だけれど、歳が歳だけに夜の付き添いが許されていた。
それに入院させられたことに気付いた大じいちゃんが、家に帰ると言って暴れるらしく、誰かがずっと着いていないとならないらしかった。
僕は邪魔になるだけだろうと、病院に行きたい気持ちを抑えていた。
それでも気になって夜は眠れず、落ち着かなかった。
翌日、昼前に横浜のおばさんが来て、駅まで迎えに行くと言うので、僕も一緒におじさんと出掛けた。
おばさんが早く大じいちゃんに会いたいと言うので、そのまま病院に行く。
大じいちゃんが入院しているのは老人病棟で二人部屋だった。
おじさんとおばさんが入った後に続いて僕も病室に入る。
「なんなのよ、これ!」
おばさんの驚いた声がした。
僕は、二人の隙間から、大じいちゃんの寝ているベッドを覗いた。
大じいちゃんは、腕に白い紐をつけられて、その端はベッドの柵に括りつけられていた。
「仕方ないんだ。帰るって言って、暴れるもんだから」
「だからってこれはないでしょ! 人として扱われていないみたいじゃない」
「ずっと見ていられれば、こんなことしないで済むんだ。だけどそうもいかねえし。歳とってるって言っても、結構力があるんだ。男の俺だって抑えるのに苦労すんだかんな」
「だからって、こんな……」
僕は、何も言えずに立っていた。
毎日、畑仕事や散歩にと連れ出してくれていた大じいちゃんとは、まるで顔が違う。
頬はこけて目も落ちくぼんでいる。
ご飯がほとんど食べられなくて、点滴だけだとは聞いていたけれど、こんなにやせ細っているとは思わなかった。
「痩せちゃったわね」
おばさんがぼそりと言う。
「歳だかんな。あっと言う間に弱っちまう。医者は、夏が越せるかどうかわかんねえって言ってんだ」
信じられなかった。
大じいちゃんは、ただの風邪なんてすぐに治ると言っていた。
それなのに……。
━━ばっかだなぁ。もういい年寄りだぜ。おとなしく寝てりゃ、こんなことされないで済むのにな━━
しばらく顔を出さなかったボクが現れた。
僕は、大じいちゃんから視線を外して、床の一角を見つめた。
━━こんな風に扱われるんだったら、死んだほうがましだよな。九十近くまで生きてきて、これじゃぁな━━
ボクの言葉が痛く胸に刺さった。
おばさんは、このまま大じいちゃんの看病をするというので、先に昼食をすることになった。
━━昼飯なんて、食ってる場合か。お前のせいでこんな事態になってるんだぞ━━
ボクが病室の隅に立って、僕を責める。
━━まあ、ここまでこじらせたのは、本人だけどな━━
「僕、お腹空いてないからここにいる」
「そっか。じゃ、琢磨に任せて、先に飯食ってくるか」
結局、おじさんとおばさんが先に食事をすることになった。




