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桜の木の下で  作者: 湖森姫綺
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15/22

no.15

 ゴホッ、ゴホゴホッ、ゴホッ……。

 突然、大じいちゃんが背中を丸めて咳き込み始めた。

 僕は勢いづいて立ち上がる。

 今までの咳と違うということが、直感的にわかった。

 僕の体は勝手に動いて、大じいちゃんの背中を摩っていた。

 ゴッ、ゴホッ、ゴホッ……。

 大じいちゃんは、息をする暇もないくらい咳き込んでいる。

「大じいちゃん、大丈夫? ね?」

 大じいちゃんは、返事をする余裕などなかった。

 木製のベンチから転げ落ちてうずくまる。

 僕は、大じいちゃんの背中を摩りながら、このままじゃだめだと思った。

「大じいちゃん、待ってて。今、誰か呼んでくる」

 僕は走り出した。

 牛小屋と鳥小屋の間を抜けて勝手口に飛び込む。

 おばさんが流しに向かったまま、ポカンと僕の顔を見ていた。

「お、おばさん。大じいちゃんが、大じいちゃんが……」

「大じいちゃんが、どうかしたんか?」

「咳が止まらなくて、動けないんだ。早くっ!」



 ******



 その日、大じいちゃんは、救急車で病院に運ばれたまま、帰ってこなかった。

 その代わり、おじさんとおばさんが家と病院を行ったり来たりして、僕は従弟たちと大ばあちゃんと四人で夕食をとった。

 夜遅く帰ってきたおじさんが、大じいちゃんの様態を教えてくれた。

 大じいちゃんの風邪は質が悪かった。

 肺炎を起こしていて年老いた体は弱り切っていた。

 病院に行くのを嫌がっていた大じいちゃんだったが、とうとう入院という事態になってしまったのだった。

「もう歳だかんなぁ。たかが風邪くらいとも言えねえんだ。とにかく入院して様子を見るしかないってことだから。琢磨も疲れたべ。もう寝ろ」

 僕は、どうしたらいいんだろう。

 大じいちゃんが風邪を引いた原因は、僕だ。

 何か言うべき言葉はないんだろうか。

 僕は、どういう行動をとればいいんだろうか。

「心配すんな。病院にいんだから」

 確かに入院していれば、医者や看護師がいるから大丈夫だと思う。

 でもそんなことじゃなくて、僕は自分がどうしたらいいのかがわからなかった。

「気にするな、琢磨」

 僕が座敷に入ろうとした時、背中でおじさんの言葉が聞こえた。

 すぐに振り返ったけれど、おじさんは電気を消して風呂場に入って行ってしまった。

 僕は何も言えないまま、座敷の布団に入った。

 おじさんは、僕が気にしていることに気付いていたんだ。

 でなければ、あんな言葉は言えない。

 僕は、布団を頭まで被って泣いた。

 ここの人達は優しすぎる。

 僕は、いままでに味わったことのない、大きな優しさに包まれているような気がする。



 ******



 大じいちゃんが入院して三日が過ぎた。

 おじさんもおばさんも病院に行ったり、畑や田んぼの仕事で疲れ切っているのがわかった。

 明日は、母さんの姉で横浜に住んでいるおばさんが、大じいちゃんの看病に来るという話だった。

 完全看護の病院だけれど、歳が歳だけに夜の付き添いが許されていた。

 それに入院させられたことに気付いた大じいちゃんが、家に帰ると言って暴れるらしく、誰かがずっと着いていないとならないらしかった。

 僕は邪魔になるだけだろうと、病院に行きたい気持ちを抑えていた。

 それでも気になって夜は眠れず、落ち着かなかった。


 翌日、昼前に横浜のおばさんが来て、駅まで迎えに行くと言うので、僕も一緒におじさんと出掛けた。

 おばさんが早く大じいちゃんに会いたいと言うので、そのまま病院に行く。

 大じいちゃんが入院しているのは老人病棟で二人部屋だった。

 おじさんとおばさんが入った後に続いて僕も病室に入る。

「なんなのよ、これ!」

 おばさんの驚いた声がした。

 僕は、二人の隙間から、大じいちゃんの寝ているベッドを覗いた。

 大じいちゃんは、腕に白い紐をつけられて、その端はベッドの柵に括りつけられていた。

「仕方ないんだ。帰るって言って、暴れるもんだから」

「だからってこれはないでしょ! 人として扱われていないみたいじゃない」

「ずっと見ていられれば、こんなことしないで済むんだ。だけどそうもいかねえし。歳とってるって言っても、結構力があるんだ。男の俺だって抑えるのに苦労すんだかんな」

「だからって、こんな……」

 僕は、何も言えずに立っていた。

 毎日、畑仕事や散歩にと連れ出してくれていた大じいちゃんとは、まるで顔が違う。

 頬はこけて目も落ちくぼんでいる。

 ご飯がほとんど食べられなくて、点滴だけだとは聞いていたけれど、こんなにやせ細っているとは思わなかった。

「痩せちゃったわね」

 おばさんがぼそりと言う。

「歳だかんな。あっと言う間に弱っちまう。医者は、夏が越せるかどうかわかんねえって言ってんだ」

 信じられなかった。

 大じいちゃんは、ただの風邪なんてすぐに治ると言っていた。

 それなのに……。

 ━━ばっかだなぁ。もういい年寄りだぜ。おとなしく寝てりゃ、こんなことされないで済むのにな━━

 しばらく顔を出さなかったボクが現れた。

 僕は、大じいちゃんから視線を外して、床の一角を見つめた。

 ━━こんな風に扱われるんだったら、死んだほうがましだよな。九十近くまで生きてきて、これじゃぁな━━

 ボクの言葉が痛く胸に刺さった。 

 おばさんは、このまま大じいちゃんの看病をするというので、先に昼食をすることになった。

 ━━昼飯なんて、食ってる場合か。お前のせいでこんな事態になってるんだぞ━━

 ボクが病室の隅に立って、僕を責める。

 ━━まあ、ここまでこじらせたのは、本人だけどな━━

「僕、お腹空いてないからここにいる」

「そっか。じゃ、琢磨に任せて、先に飯食ってくるか」

 結局、おじさんとおばさんが先に食事をすることになった。

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