今度は絶対に
「……っ、カティアさんっ!」
思考停止しかけた頭がようやく状況を理解し、私は急いで身を起こした。私を庇ってリッチの放った暗黒の魔法に曝されたカティアさん。頑丈な鎧すら見る影も無く剥がれて、背中側はあまりにも酷い有様になっていた。
――また、私の所為で人が犠牲になるのか?
西のダンジョンで捷疾鬼と戦った時のことがフラッシュバックし、またも思考が硬直する。
デイアンさんは、私を庇ったから死んでしまう羽目になった。カティアさんもたった今、同じように私を突き飛ばしてリッチの魔法から守ってくれた。けどその代わりに、彼女が攻撃の余波を浴びた。その結果、またもこうして友人が死に瀕している。
私はまた、目の前で大切な仲間を死なせてしまうのか――!?
「う、ううっ……!」
真下から聴こえた呻き声が、過去の誤ちに呑み込まれようとする私を現実に引き戻した。
「カティアさん!?」
カティアさんはきつく目を閉ざし、うつ伏せの身体を震わせていた。まだ意識はある。私は彼女の傍に膝を付き、必死に呼びかけた。
「しっかりして下さい! 傷は浅いです!」
「ち、がう……! しっかりするのは、あんた……っ!」
介抱しようとした私を、カティアさんは存外に力の籠もった眼差しで睨み付ける。
「私に構わないで……! 自分の仕事を、して……っ!」
「それは……!」
「言い訳しないっ! 皆は、今も戦ってる!」
カティアさんの指差す先では、シェーナ達が再びリッチの注意を引いていた。
シェーナはスキルで強化された身体能力を活かしてスピードで翻弄しつつ、合間合間で地面から拾った小石等を投げつけているようだ。投擲用として適しているかどうかは関係無く、ひたすら手に持てる大きさの物を(クリスタルを除いて)手当たり次第リッチにぶつけようとしている。
ミレーネさんは矢の続く限り、ひたすら射撃を繰り返している。立ち位置を変え、シェーナと被らないように注意しつつ、一矢一矢を確実にリッチの死角に打ち込む。シェーナとの連携が功を奏し、既に何本かはリッチの粗末なローブの上に突き立っていた。
モードさんは、一心不乱にミレーネさんの周囲を守っている。あの【ノン・スピリット】や狂った魔術士がまた出てこないとも限らない。リッチに直接攻撃が可能なミレーネさんを余計な敵から遠ざけるという役目に、モードさんは徹していた。
三人共、全身全霊でこれ以上リッチの攻撃がこちらにいかないように踏ん張ってくれている。カティアさんは、皆の努力を無駄にするなと私に訴えているのだ。
「っ……! 分かりました、カティアさん!」
私は自分の頬を両手で力いっぱい引っ叩き、しつこい弱気を完全に追い出した。いつまでもウジウジしてないで、私はさっさとオーロラを突破しなければいけない!
私は断腸の思いでカティアさんをその場に残し、オーロラへと向き直った。一歩一歩、振り返りたい衝動を必死に抑えて足を進める。
そして、ついに間合いに入った。
「“破幻”!」
最低限の詠唱に、最大限の力と気持ちを込めて、私は魔力を宿した短刀を振るう。偃月を象った魔法の光が、吸い込まれるようにオーロラと接触した。一瞬の閃光と共に生じる、巨大な波紋。
先程やった時とは比べ物にならないくらいの大きな亀裂が、私達を閉じ込める光の檻全体に広がる。オーロラの波打つような動きが止まり、パキ、パキ、と小気味良い音を立てながらボロボロと崩れ始める。
そしてとうとう、鐘の音と共に生まれた偽物の【天光の輪】は、その歪さを否定されるが如く派手に砕け散った。一部だけでは無い、全てがだ。
「わぁ……!」
崩落と共に飛散した光の欠片が、乱反射を繰り返しながらひらひらと舞い落ちる。まるで雪化粧にも似た……いや、それを遥かに凌ぐ美しさに不覚にも目を奪われた。
だが、それはほんの一瞬だけだ。
「皆さん、やりましたよ! オーロラは消えました! ……え?」
時間稼ぎをしてくれた皆に撤退を促そうと振り向くと、そこには意外な光景が広がっていた。
「どうした!? リッチの様子がおかしいぞ!?」
シェーナが片手に刀を、もう片方の手に土塊を握りしめたまま、戸惑ったように立ち止まっている。ミレーネさんも、モードさんも、眉をひそめて上を見上げていた。皆の視線の先にあるものを見て、私もポカンとする。
なんと、リッチは全身を激しく痙攣させて空中でのけぞっていた。明らかに苦しんでいる。
「ひょっとして、オーロラが消えたから!?」
理由として考えられるのはそれしか無い。あの魔族はオーロラを介して地上に出てきた。どんな理屈なのかはさっぱり分からないが、恐らくはオーロラがリッチのエネルギー源になっていたのではないか? それが全て消えてしまったから、あのように苦しみ出したんだ。
さっきはごく一部が砕けただけだから支障はなかったのかも知れない。だが今やもう、補給は断たれた。リッチは最早空中に浮かぶ力も無いらしく、へなへなと地上に舞い降りてきた。
望外の好機だ。主神ロノクスの御意志だと、シェーナなら言うだろう。
「今です、トドメを!」
自分でも意外な程に断固とした声を喉から放出して、私は短刀を腰に構えながら駆け出した。カッと全身が熱くなり、激情が心身を支配して四肢を衝き動かす。
「分かった! ミレーネ殿、モード殿、行くぞ!」
シェーナの合図で、他の二人も武器を構え直した。
「魔族よ、斃れろ!」
ミレーネさんが放った渾身の一射が、リッチの眉間を貫く。
「仇はオメェじゃねーが、くたばれ!」
モードさんの全身を使った斧の一撃が、リッチを袈裟に切り裂く。
「悪しき者よ、我が誅を受けよ!」
スキルの乗ったシェーナの刀が、杖を持った腕ごとリッチの胴を寸断する。
三人の攻撃を浴びても尚、リッチはギリギリで持ちこたえている。
そこへ、短刀を構えた私が間合いに踏み込んだ。
リッチの赤い眼が私を捉える。いつかダンジョンで感じたのと、同じ視線。あの時のあれが、このリッチのものであるかどうかなんて、もうどうでも良い。
魔術士達を、騎士達を、冒険者達を、そして何よりカティアさんを。
皆を苦しめたその報いを、最後は私の手で――!
「やァァァ!!」
自分に出せる最大限の叫びと共に、私は短刀をリッチの胸に突き刺した。
鈍く、跳ね返すような反動を感じたのは一瞬だけ。幻ではない、実在の刃は確かな手応えを手のひらに伝えた後、驚くほどするりと干からびた肉体に吸い込まれていった。
一際強く引き起こされる痙攣。リッチの赤い眼と私の目が合う。
「……」
私は目を逸らさず、代わりに短刀を握る手にぐっと力を込める。
――今度は絶対に、お前達の思い通りにはさせない。
鋼の刃を通して私の決意が届いたかのように、リッチの全身が黒い粒子となって崩壊していく。赤く輝いていた眼から光が消え、顔から力が抜ける。恐るべき魔族だったそれは、身体を構成していた成分が跡形もなく分解して地上の大気に溶けるように消えていった。
「…………」
私は無言で短刀に目を落とす。血も何も付いていない、綺麗な刀身だった。
「シッスル、やったわね!」
仄かに湧いた感傷は、シェーナの歓喜の声で打ち消された。
振り返ったところに、両腕を目一杯広げた彼女の姿が大写しになり、そのまま飛びつかれるように抱擁される。
「わぷっ! あ、危ないよシェーナ! まだ私、短刀握ってるんだから!」
「問題無いわ! それよりもやったわ! やったのよ! 私達の手で、魔族を斃せたの!」
私の注意をさらりと聞き流し、シェーナは私の身体を持ち上げるとその場でくるくると回りだす。
「わー! わー! め、目が回るって!」
「やりましたね、シッスルさん! シェーナさん!」
そこへ、ミレーネさんまでもが参戦してくる。私は前後から二人の女性に抱き着かれる形となり、押し潰されそうな圧迫感に悲鳴を上げた。
「ぐぇ~っ!? ミ、ミレーネさんまで!? く、苦しい……!」
絞り出すように抗議するも、喜びと安堵で満たされた二人には届いていない。到底敵わないと思っていた強敵に打ち勝てたことで、ミレーネさんは元よりシェーナまで浮かれ切っているようだ。
「おい、喜ぶのは良いんだけどよ。あの治癒騎士、放っておいて良いのかよ?」
意外にも一番冷静さを保っていたモードさんのセリフにより、勝利の余韻に酔った二人が素面に戻る。
「そうだ、カティア!」
「いけない、カティアさん!」
私達は急いで倒れているカティアさんに駆け寄った。うつ伏せになって荒い息を吐いているカティアさんは、それでも近付く私達に気付くと、額に大粒の汗を浮かべながら不敵に笑ってみせた。
「どうやら、上手くやったようね……!」
「カティアさん、大丈夫ですか!?」
「これが大丈夫に、見えるなら……あんた、目の治療を……勧めるわ……」
シェーナがカティアさんの傍にしゃがみ込み、素早く状態を確認する。
「……生命に別状は無さそうだ。それでも、早いとこ他の治癒騎士に診せた方が良いだろう」
「俺がおぶってやってもいいぜ」
いつもの生意気な態度への意趣返しとばかりに、モードさんは悪戯っぽい笑みを口元に浮かべて冗談めかした提案をしてくる。
「はっ……! お断りよ……! 誰が、あんたみたいな駄筋男に……!」
「そこまでにしておけカティア、私が背負おう。モード殿、貴君はひとっ走りして残った味方を掻き集めてくれないか? 既に霧は晴れて、オーロラも消えた。今なら合流も用意に出来る」
「そうね。モード、私からもお願い」
「へいへい、ミレーネにまでそう言われちゃ断れねぇよ。んじゃちょっくら――お?」
何かに気付いたモードさんが眉を上げる。シェーナも、ミレーネさんも、それから私も驚きで目を見開いた。
「途轍も無く悪い事態に陥っていたようだな。この惨状を見れば、誰の目にも明らかであろう」
守護聖騎士とも違う、豪華で綺羅びやかな鎧で武装した多数の騎士。それらを従えた、分厚い法衣を纏う老聖職者。
国教会の重鎮にしてウィンガート総長の先輩、ユリウス大主教がそこに居た。