暗黒魔術
私の幻術によって悲惨な同士討ちに及ぶこととなった魔術士達を横目に、私達五人はひたすら坂道を駆け上がる。
「ねえ! 下から見てたけど、丘の上には魔族が居るんでしょう!? だったら、そっちに近付くのは危険じゃない!?」
分厚い鎧をガチャガチャ言わせながら、カティアさんが懸念を口にした。如何にも重そうだが、問題なく付いてきている辺りやはり彼女も訓練を積んだ騎士なのだと実感させられる。
「寝ぼけたことを言うな、カティア! カーヴァー隊長の命で、下に居た皆は丘の上を目指しているんだろう? だったら、彼らと合流する為には私達も登らないとダメだ!」
「分かってるわよシェーナ、少し気になっただけ! もし私達だけでアイツと遭遇したら、到底勝ち目は無いんだから!」
その通りだった。あの恐ろしい魔族の魔術士、【リッチ】はただひとりで大勢の騎士や魔術士を圧倒していた。この黒い霧も、【ノン・スピリット】達もアイツが生み出したものだ。上空に浮いていては、シェーナがスキルを発動させたとしても攻撃は届かない。【捷疾鬼】にも並ぶ、いやあるいはそれ以上の脅威かも知れない。再遭遇は避けるべきだった。
「でも、周りはオーロラで逃げられないでしょう? 他の味方と合流出来たとして、それからどうすれば……!」
言葉尻を窄ませる代わりに、ミレーネさんはさっと振り返って短弓につがえた矢を放った。その一矢は黒い霧の中を真っ直ぐ飛び、背後から私達を追ってきていた【ノン・スピリット】の一体を射止める。どうっ、ともんどり打って地面に倒れ込む黒い飴細工のような魔物には目もくれず、ミレーネさんはすぐに次の矢を指に挟んで弓弦にあてがった。
「コイツらからも、いつまで逃げられるか分かりませんし……!」
語調は弱気に聴こえながらも、ミレーネさんは再び正確な射撃を披露して別の一体を斃してみせた。だが、たった二体が減っただけでは焼け石に水だ。私達の背後には、無数の【ノン・スピリット】達が我先にと押し寄せてきているのだ。
残念ながら先程の私の幻術は、生態がまるで不明な第一種原生型の魔物である【ノン・スピリット】達には通用しなかった。ご覧の通り、奴らは逃げる私達に気付いて追跡してきている。魔に堕ちた魔術士達と戦っていてくれれば良かったのだが、聴覚を起点とする幻術では細かいところの調整が出来なかった為にその目論見は外れた。
「ミレーネ、あまり弓を撃つことに拘んなよ! その分足が遅くなるんだからよ!」
言いながら、モードさんも踏み出した足を軸にさっと身体を回転させ、その勢いで担いでいた戦斧を大きく振り回し、突出してきた【ノン・スピリット】に叩き込んだ。胴から真っ二つに分かれて地面に落ちる亡骸を蹴っ飛ばして、モードさんは再び身を翻して駆けっこ走者へと早変わりする。
流石デイアンさんのパーティメンバー、ミレーネさんもモードさんも冒険者としての腕は確かだった。
「オーロラの心配なら無用だ! シッスルが突破口を開いてくれる!」
ミレーネさんの不安を、シェーナが明るい声で否定した。
「なんですって!? この子ならあのオーロラを破れるとでも言うの!?」
「詳しい説明は省くが、その通りだ! だから皆、全力でシッスルを守ってくれ! シッスルが無事なら、生き残る希望は潰えない!」
「あんた、一体何者よ……!?」
カティアさんが、得体のしれないものを見るような目で私を見ていた。まぁ、それも無理は無いかも知れない。他の魔術士達が正気を失う中で私だけが何とも無い上に、オーロラを傷つけることまで可能とくればまず気味の悪さが先に来る。それは自分でも分かっていた。
だが、たとえそうだったとしても、ここは自分を全面的に信じてもらうしか無い。
「私に任せて下さい! 幽幻の魔女サレナの一番弟子、その名に掛けて必ず皆さんを助けます!」
普段の私らしからぬ自信に満ち溢れた(ように必死で見せかけている)言葉に、カティアさんはじっと黙り込む。注がれる眼差しが、私の真偽を見定めようとしている。
「私はシッスルさんを信じます! シッスルさん、後ろの守りは任せて下さいね!」
「ミレーネさん……!」
三人の中で真っ先にそう言ってくれたのはミレーネさんだった。お兄さんに起きた顛末を知って尚、私を信じると言ってくれた彼女に胸が熱くなる。
「ミレーネを死なせるワケにはいかねえ。今度こそ頼むぜ、魔術士さんよ!」
「……分かったわよ。どの道、他に方法は無さそうだしね」
モードさん、続いてカティアさんも私に運命を預けてくれた。
「皆さん、ありがとうございます!」
感極まり、ぼやけそうになった目元をローブの袖で拭って私は感謝した。
「オーロラまで、私達が貴女を守り抜くわ。そこから先は貴女に掛かってるわよ、シッスル!」
「うん!」
シェーナの念押しに、私は強く頷いて応えた。
方角すらも分からない黒い濃霧の中を、彼方から除くオーロラの光だけを頼りにひたすら駆け続ける。丘の上を目指している他の騎士や冒険者と遭遇出来ないかと願っていたが、そのような淡い期待は周囲を囲む闇の中に飲み込まれ、私達の後に続くのはおぞましい異形の魔物達だけだった。
「良し、坂は終わった! オーロラまで後少しだ! 皆、頑張れ!」
シェーナの励ましを聴きながら、私は魔法を使う間合いを計っていた。シェーナの言う通り、私達は坂道を登り切り再び丘の頂上へ出ていた。目的のオーロラも大分近い。もう少し……もう少し近付けば“破幻”の射程距離に入る。背後からは相変わらず【ノン・スピリット】が食い下がって来ているが、前方に敵の気配は無い。このまま行ければ……!
「あれ? 何だか、魔物達の足が鈍くなってませんか?」
殿を務めるミレーネさんから、そんな声が上がった。
「俺もそう感じたぜ、ミレーネ。しつこい奴らだったが、とうとう諦めたのかもな」
モードさんも同調する。どうやら、あれだけ執拗に追ってきていた【ノン・スピリット】達の姿が遠ざかっていっているらしい。後ろを振り返ってみてもそこには黒い霧が立ち込めているだけで、あの異形の怪物達が飛び出してくる様子は無い。ゴソゴソと彼らが蠢く音だけは霧を越えてまだ届いてくるが、私達が走り続けている間にそれもどんどん小さくなってゆく。
「諦めたですって? どうして急に……」
「何だっていいだろ治癒騎士、ともかくこれで――」
「待てカティア、モード殿、何かおかしい!」
「どうしたの、シェーナ?」
「……霧が薄まってきている」
「えっ!?」
私は改めて周囲を満たしている黒い霧を見渡した。
本当だった。あれ程濃く大量に発生していた霧がみるみる晴れてきている。目の前にあるオーロラの光も相まって、既に視界は相当に開けていた。
「リッチの魔法から逃げられたってことかな?」
もうしそうなら、殆ど虎口を脱したと安心出来るところなのだが……。
「いいえ、残念だけどそう甘くは無いみたいよ」
前を見据えるシェーナの顔つきは厳しい。
「……だよね」
誰からともなく、足が止まる。シェーナはずっと掴んでいた私の手を離し、腰の刀を抜いた。カティアさん、ミレーネさん、モードさんも状況を理解して即座に武器を構えた。
「親玉は最後のお楽しみってことかい。燃えてくるじゃねぇか」
黒い霧が晴れ、良好になった視界の先で。
オーロラを背に控えて杖を構えるリッチの姿があった。虫食いだらけのローブの裾をはためかせ、枯れきった顔に赤く光る眼だけを宿らせてじっと私達を待ち構えている。
「あいつ……! 私達を逃さないつもり!?」
「そうらしいな。シッスルがオーロラに風穴を穿ったところを、あの干物もしっかり見ていたからな」
シェーナが刀の切っ先をリッチに合わせる。その動きに反応するかのように、リッチも杖先をこちらに向けた。嵌めこまれた黒曜石のような宝珠がキラリとオーロラの光を反射する。
「聖術は使えない、攻撃が来たら各々で躱すしか無いぞ!」
シェーナが全身に青い光を纏い始めたと同時に、リッチの周囲に幾つもの黒い玉が出現する。
「私が時間を稼ぐ! 皆はシッスルと共に行け!」
「シェーナっ!」
私の呼び止める声を置き去りにして、スキルを発動させたシェーナが前に飛び出した。どんな獣すらも凌駕する驚異的な疾さで、的を絞らせないようジグザグに走行しながらみるみるリッチとの距離を詰める。
「来るわよ、シェーナっ!」
カティアさんが叫ぶと同時に、リッチの周囲に浮いていた黒い玉が一斉に弾けて黒い尾を描きながら発射された。シェーナの走行コースを先読みするように、漆黒の流星のような魔力の弾幕が雨あられと降り注ぐ。点どころか面での制圧すら出来そうな激しい攻撃を、しかしシェーナはリョス・ヒュム族のスキルを最大限に発揮して全て紙一重で躱してゆく。
「私も援護します!」
リッチの注意がシェーナに向いている隙を衝いて、ミレーネさんが矢を放つ。取り回しのしやすい短弓から発射された矢は、しかしリッチに届く前に黒い魔弾の驟雨に阻まれてしまう。
「くっ……! 此処からでは角度が悪い……! なら、死角を衝くまで!」
「ミレーネ、俺も行くぜ!」
ミレーネさんとモードさんは、シェーナの戦闘を補佐するべく二人だけで移動を開始する。離れ際に向けられた目線に、私は頷きを返して二人の背を見送った。
「役割分担は分かってるわね? さ、私達も自分の仕事を済ませるわよ!」
「はい! カティアさん、周囲の警戒はお願いしますね!」
シェーナ、ミレーネさん、モードさんがリッチを足止めしてくれている間に、私は急いでオーロラを打ち破らなければならない。即興で仕上がった役割分担に異議を唱えることなく、私はカティアさんと一緒に走り出そうとした。
「――っ! まずい!」
だが、それを見逃すリッチでは無い。あの赤い眼が私達の方へ向けられたのを、私もカティアさんも敏感に察した。
リッチが杖を大きく振りかぶり、虚空を切り払うかのように一薙ぎした。
私が短刀を使ってやったように、杖の軌跡に合わせて暗黒の魔力の波が発生してこちらに飛来する。
「シッスル!!」
遠くのシェーナが放った声と、近くのカティアさんが発した声が重なった。直後に身体に鈍く重い衝撃が加わって、私はその場から突き飛ばされた。
視界の端で暗黒の魔力波が掠め、一瞬前まで立っていた場所に着弾する。地を穿ち、土をめくる凄まじい轟音と余波。
「うわああっ!?」
私は倒れ込んだ場所に伏せながら、必死に自分の身を守った。
やがて振動も収まり、巻き上がった土埃も薄まって次第に静けさが戻ってくる。だが安心してはいられない、すぐに追撃が来るだろう。
「げほっ、げほっ! カティアさん、何処ですか!? 急いで――」
咳込みながらカティアさんを探した私は、すぐに彼女の所在に気付いた。しかし……
「カ、ティア……さん……?」
私を突き飛ばした姿勢のまま、寄り添うようにうつ伏せで倒れていたカティアさん。
彼女の背中側は、着込んでいた鎧が砕けて剥き出しになり、壊死したのかと見紛うようなおぞましい変色を遂げた背中に、黒い魔力の残滓がこびりついていた。




