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エルフの大将、トホホの巻


 旧エルフの国、ブリューネス王国。

かつては首都であったネア・ブリュドワンの王宮の執務室で、重厚な黒檀の机の上に積まれた書類の束を前に、長髪エルフことリーンワイズはその整理に追われていた。

彼はグレッチェの大森林に住むエルフ族の現在のトップだ。

一応は王族に連なってはいるが、継承権も持たない末端の自分が、どうして代表に選ばれたのかは分からない。

しかし、纏め役として選ばれたからには、その責務は果たさないといけない。


歴史あるブリューネス王国は、魔王により文字通りそのまま歴史となってしまった。

エルフの数も五分の一にまで減り、兵は魔王軍に組み込まれている。

生き残った領民も、その大半は奴隷のような扱いだ。

それでもまだ、五体満足で生きているられるだけ幸運なのかもしれない。

悪名高きベーザリア領のエルフはともかく、魔王シングの招集……最後のチャンスすら手放した愚かな領主の巻き添えを食らった、辺境にある小さな村の領民達は些か哀れであった。

何も知らない内に、いきなり襲来した魔王軍に殺されたのだから。


とは言え、リーンワイズは確かに憐れみを覚えるが、それだけだ。

もちろん悲しみや怒りもある。

しかしそれ以上に嘲笑する気持ちの方が強い。

彼からすれば、自意識ばかり高い無能な領主と情勢を理解しない無能な領民どもだと思う。


(ふ…あの方に逆らえると考える方がおかしい)

自分があれだけ……それこそ不眠不休で真摯に説得したにも関わらず、彼等は無視をした。

領主の決定に異を唱えた街や村すら一つも無かった。

その結果が、これだ。


「……はぁ」

リーンワイズは大きく溜息を吐き、強張った筋肉を解すように軽く肩を回した。

魔王軍の傘下になったとは言え、事務仕事から解放されたワケではない。

やるべき事は多々ある。

国は滅んだとは言え、エルフが全て滅んだわけではないのだから。


「ふむ……横目付けの報告書か」

一枚の書類を手に取り、リーンワイズは読んだ後に破り捨てる。


仕事は多岐に渡る。

その中で最も重要であり、最も嫌な仕事が、仲間の監視だ。

リーンワイズは自分の腹心を、あらゆる所に配している。

何故なら、誰かが魔王軍に反抗的な行動でも取ったら、それこそ一大事だからである。


魔王軍……いや、魔王シングは容赦なく、エルフを殺すだろう。

もちろん、首謀者だけではない。

その一族もろともだ。

もし仮に、反抗を企てたのが領主であったならば、その領民全てが巻き添えだ。

一切の慈悲無く、皆殺しは確定である。

実際、先のスートホムス大山脈攻略戦で、働きの悪かった領主がいた。

後から加わった王族に連なる領主だ。

リーンワイズも昔から良く知っている。

プライドが高くて些か鼻に付いたが、領民思いの良き領主であった。

しかし彼は、魔王の恐ろしさを見誤っていた。

働きの悪い者は始末する、と魔王シングがわざわざ釘を刺すように言ったのに、それを単なる脅しだと思っていたようだ。


リーンワイズは代表として、また知己として、何度も諫言したが全くの無駄だった。

擁護しようにも、確かにその領主の働きは悪かった。

戦闘でもかなり手を抜いていた。

傍から見ても分かる程にだ。

王族としてのプライドがあったのだろうか、彼は魔王に命令されて動くのを良しとしなかった。

あれほど自分も含め他の面々が魔王シングの恐ろしさを語ったと言うのにだ。

この時点でリーンワイズは、匙を投げた。

もう好きにしろだ。

結果、スートホムス大山脈の制圧が完了すると同時に、彼は処刑された。

そしてその領民全てもだ。


「中途半端なプライドは、身を滅ぼすだけだな」

リーンワイズは呟き、小さく鼻を鳴らす。


本当にプライドが高ければ、最初から召集に応じなければ良いのだ。

そして勝手に独りで死ねば良い。

だが一度、恭順の意を示したのなら、徹頭徹尾、真摯に仕えるべきだ。

そうすれば自分も領民も生きる事が許されると言うのに。

何故そんな簡単な事に殆どの者が気付けないのか。


「さてと……」

また凝ってきた肩を軽く動かし、魔王軍参謀部から回って来た書類に目を通す。

評議国への出兵に関する命令書だ。

リーンワイズは一瞥し、今度は大きく鼻を鳴らした。


(愚かだ…)

本当に評議国の蛮族どもは愚かだ。

魔王シングは確かに残忍ではあるが、無軌道と言うわけではない。

その行動は一貫している。

即ち、矛を交えずに降伏した者は助け、一度でも反抗した者は一切の降伏を認めないと言うものだ。

逸早く、その法則に気付いた者は知恵ある者だ。

リーンワイズは気付いている。

そして評議国の大半の連中は気付いていない。


「しかし、まんまと嵌るとはな」

魔王シングの恐ろしい所は、巨大な力を持っているにも関わらず、常に最小の労力で最大の効果を得ようと謀を巡らしている所だと、リーンワイズは思う。

その辺が今までの魔王達と大きく一線を画す。


評議国には、幾つかの謀略を仕掛けたと聞いていた。

その結果として、評議国は三つに分裂し、内戦状態へとなった。

その三つとは、一つは多数派種族による反魔王派。

もう一つは、少数派種族による反魔王派。

そして最後が、残りの種族による親魔王派だ。

普通なら単純に、反魔王派と親魔王派の二派で争うと思うのだが、長年に渡る評議国内部の種族間対立もあり、反魔王派自体が二つに分かれて争っている。

自分で自分の首を絞めていると同じだ。

仮にもしここで、魔王軍が評議国へと攻め込めば、反魔王派は互いに矛を収めて手を取り合うと思うのだが、魔王軍は動かない。

静観しているだけだ。

その辺はさすがだとリーンワイズは思わずにはいられない。

おそらくは共倒れを狙っての事だろう。

そして直ぐに事態は大きく動いた。


優勢だった多数派種族の反魔王派が、少数派種族の反魔王派と親魔王派を追い込み、少数派種族の方は東方へと撤退し、親魔王派は、何とベーザリアのエルフの本拠地であった城塞都市リフレ・ザリアに逃げ込んで来たのだ。

リフレ・ザリアに駐屯する魔王軍第一軍団はこれを迎え入れたのだが、勢いに乗る反魔王派は、愚かにもリフレ・ザリアに侵攻したのだ。

その話を聞いた時、リーンワイズは思わず声に出して笑ったものだ。


ふ…自らの死刑執行書にサインするとはな。

愚かと言うのは本当にそれだけで度し難い。


魔王軍第一軍団は、逃げて来た親魔王派の種族を守りつつ、リフレ・ザリアから撤退。

結果、反魔王派はリフレ・ザリアを無血占領だ。

あの都市の防御能力を考えれば、何も撤退してなくてもとリーンワイズは思ったが、それこそ魔王シングの謀略の一つだったのだ。


(それにしても……)

リーンワイズは軽く自分の顎を撫でる。

(まさかリフレ・ザリアに残っているベーザリアのエルフまでもが、街を捨てて第一軍と供に逃げるとはな)


これは少々、予想外であった。

当初、魔王軍第一軍団は、評議国から逃げて来た親魔王派の種族のみを伴い都市から撤退した。

奴隷として使役していたエルフはそのまま街に放置だ。

通常なら、残ったエルフは侵攻して来た反魔王派により解放……と言う流れになると思っていたのだが、何と彼等は街を放棄し、そのまま第一軍団に付いて来たのだ。

つまり、都市に残って評議国の軍によって解放されるより、魔王軍の奴隷のままの方が良いと彼等は判断したのだ。


(正解だな)

リーンワイズは小さく何度も頷く。

(ベーザリアのエルフは、魔王シングの恐ろしさを良く理解している)


評議国に解放されると言う事は、魔王に歯向かうのと同じ意味だ。

それがどのような結果を招くかを、彼等は身を以って知っている。

そして数日を経ずして、リフレ・ザリアを占領した反魔王派の軍は地上から姿を消した。

魔王シングと魔王軍本隊の急襲により、皆殺しだ。

数万の兵が、一日も持たずに全て殺されたらしい。

その行動の速さからして、全ては魔王シングの計算通りであったと言うのが良く分かる。

何故なら行軍速度から逆算すると、第一軍団が撤退する以前から本隊はリフレ・ザリア目指して進軍を開始していた筈だからだ。


「本当に恐ろしい…」

リーンワイズは呟き、目の前の書類のページを捲り視線を落す。

評議国への第ニ陣として、ウォー・フォイの第4軍団に加わる為の部隊編成について書いてあった。


評議国反魔王派は、もはや軍とは呼べない。

主力部隊はリフレ・ザリアで全滅し、あとは都市に残る守備隊程度だと言う話だ。

聞けば幾つかの種族が降伏の使者を送って来たらしいが……ま、結果は言わずもがなだ。

既に三種族が根絶させられたらしい。

残りの種族も都市を捨て逃亡しているらしいが……一体何処へ逃げると言うのだろうか。


「それもまた策略の一つだと、ウィルカルマース様は仰っていたな」

奴等が逃げるとすれば、東方三王国か、はたまたペルシエラか……さすがに帝国は遠過ぎるだろう。

そして逃げたのを確認した後、その国に使者を送ると言う算段だ。

匿った種族を引き渡せと。

それは踏み絵だ。

従えばそれで良し。

もし拒否すれば、魔王の滅亡リストへその国名が記される事になるだろう。


「侵攻軍に参加するのは、リーンベイトとリーガリアと……あとクベルチェの一族で良いか」

編成表に書き込み、自分のサインを記す。

とその時、不意に部屋の扉がノックされると、

「失礼します、リーンワイズ様」

入って来たのは秘書官を務める歳若いエルフだった。


「どうした?」

リーンワイズは、まだ幼さなが少し顔に残るエルフを観察するように見つめる。

最近の癖だ。

何を言い出すのかを事前に察知し、心構えをする為である。

この秘書官の顔色や表情で、ある程度の事は分かる。

配下のエルフが何か問題を起こした時は困ったような顔をするし、魔王軍から何か言ってきた場合は小難しそうな顔をする。

一番顕著なのは、魔王シングから命令が届いた場合だ。

秘書官は死にそうな顔をするのだ。

しかし今回は……困惑、したような顔をしていた。

あまり見たことの無い表情だ。

だからか、リーンワイズは少し焦ってしまう。


な、何事だろうか?

何にせよ、あまり良くない話だろうが……


「実はリーンワイズ様に……その、面会をと……リーネア様が尋ねて参られて……」


「……は?」

リーンワイズは思わず口を開け、ポカーンとした顔をしてしまった。

予想外の秘書官の言葉に、一瞬だが思考が止まってしまったかのようだ。


リ、リーネア?

我が妹?

……は?

何故ここに?


「ま、待て待て待て」

リーンワイズは思わず椅子から腰を浮かし、宙に向かって手を伸ばした。


確かに、このグレッチェの大森林は現在は魔王領だ。

とは言え、前線や国境に壁があるわけでもなく、また広大な地域を全て網羅するほどの監視は物理的に不可能だ。

もちろん、主要街道には簡素ながら関なども設けられてはいるが、それだけだ。

実の所、魔王領へ侵入しようと思えば何処からでも入る事が出来る。

ま、数十名規模で動いていれば察知できるが、数名ならば発見は殆どされないだろう。

稀に何処にも属していない少数種族の狩人や旅人、冒険者だって迷いこんで来る事があるぐらいだ。

しかし妹は別だ。

リーネアは勇者パーティーの一員だ。

魔王軍からすれば最重要指名手配犯だ。

現に魔王エリウを急襲した過去もあるし、前魔王アルガスは勇者によって倒された。

魔王軍にとっては不倶戴天の敵である。

それが密かに自分に面会を求めてきた。

リーンワイズの背中に、嫌な汗が大量に浮かんだ。


(マ、マズイ……)

勇者一味と秘密裏に会っていたと知られたら、非常にマズイ展開になるのは必定だ。

自分のみならず、立場的にもそれはエルフ全体の問題にも関わってくる。


しかし、妹とはもう何年も会ってはいないし……

いやいや、今の自分はエルフの代表だ。

私情は二の次だ。


「妹は一人で来たのか?まさか勇者も……」


「い、いえ。それが……ヤマダ殿と二人のみです」


ヤマダ……

確か勇者パーティーの剣士だったな。

人間種だと記憶しているが……


「そうか。勇者オーティスはいないのだな?」


「は、はい」


「……」

パーティーが別行動を取っている?

どう言う事だろうか?

それはそれで気になる。

勇者の身に何かあったのだろうか?

しかし簡単に会う訳には……


リーンワイズは口を噤みながら、背凭れに身体を預け、天井を見上げて暫し思案する。

そして軽くテーブルの端を指先で叩くと、

「良し、会おう。応接室の一つへ案内してくれ」


「宜しいのですか?」

秘書官の眉間に僅かに皺が寄った。

「その……お立場的に些かマズイのでは……」


「あぁ、分かってる」

リーンワイズはテーブルの引き出しを少し開けた。

そこには奇妙な文字と図形が描かれた、掌サイズの長方形の紙が何枚か入っていた。

通信魔法と呼ばれている、遠隔地と精神で会話が出来ると言う、この世界には無い魔法のスクロールで、魔王シングから、何かあれば連絡しろと言われ手渡された物だ。

もちろんこの世界にも、テレパス等と呼ばれる精神感応系の通信手段は存在する。

が、距離も短い上に精度も悪く、何より一方通行の通信しか行えない。

それにそもそも使える者が非常に少ないのだ。


「もちろん、と言うか当然だが、シング様には報告する」


「そうですか。しかし……」


リーンワイズは手を伸ばし、若いエルフの言葉を遮った。

この者が何を言いたいかは分かる。

もし仮に、シングがリーネアを捕らえろか殺せと命じた時の事を案じているのだ。


リーンワイズは目を瞑り、大きく息を吐き出した。

その時はその時だ。

命令に従うしかない。

ただ、リーネアは勇者パーティーに属している……言わばエルフ族最強の戦士だ。

返り討ちに遭うかもしれない。


(それで終わるのなら、それも仕方ないか)

リーンワイズはどこか自嘲めいた笑みを溢した。

そして軽く息を吐きながら命じる。

「ともかく、リーネアとヤマダ氏をお連れしろ。私もすぐに行く」



(これがネア・ブリュドワンなの……)

久し振りに生まれ故郷へと戻って来たリーネアが、最初に思ったのがそれだった。


ブリューネス王国の首都であり、活気に満ちていながらもどこか静謐さを伴っている、そんな相反しながらも上手く調和した神秘的な都市であった。

それが今ではどうだ。

華麗なる木上都市は全て破壊され、エルフは地面に粗末な小屋を建てて生活をしている。

誰もが皆、暗い顔をしていた。

瞳からは生気が失われ、肩を落として歩いている。

逆に魔王軍の兵士は肩を怒らせ街を闊歩していた。

既にブリューネス王国は歴史の中だけに存在する国なんだなと、リーネアは嫌でも実感した。


そして今、彼女は旧王国の王宮の一室にいる。

王宮そのものは、昔のままであった。

特に破壊された形跡は見受けられない。

しかしそこからは精気のような物が感じられなかった。

かつてはエルフの守護樹である神木リーンブリューの加護を肌で感じられるほどの聖域であった筈の王宮は、今では立派ではあるがただの古い建築物のようであった。

日毎に廃墟の趣を増しているような気さえしてくる。


リーネアは華麗ではあるがどこか空虚さを感じさせる応接室を見渡し、僅かに眉を顰める。

彼女の隣には、物静かなヤマダが座っていた。

どうして彼が付いて来たのかは、実の所は分からない。

ただヤマダも自分同様、オーティスの下を離れる機を窺っていたのには薄々気付いていた。

だから彼女は敢えて何も言わない。

仮に尋ねても明確な答えは返ってこないだろう。

彼には彼の考えがあっての行動だと、リーネアは理解している。


沈黙と供に時が流れる。

静寂を打ち破ったのは、廊下より響く足音だった。

コツコツと規則正しい靴音が聞こえてくる。

それが扉の前で消えると同時に、今度は小さなノックの音。

扉が開き、入って来たのはリーネアの兄、リーンワイズだった。


「兄上…」

リーネアが席を立つ。

ヤマダも席を立ち、一礼。

エルフ貴族が着る、少しゆったりとした長衣に身を包んでいるリーンワイズは、にこやかな笑みを浮かべていた。

リーネアにとって兄であるリーンワイズと会うのは数年ぶりだ。

しかしその変貌に思わず目を見開き、すぐに言葉が出て来ない。

かつては穏やかで親しみやすい風貌の彼ではあったが、今は見る影もない。

目は落ち込み、頬もこけて頬骨が浮いている。

まるで幽鬼漂う姿だ。


そんなリーネアの視線に気付いたのか、リーンワイズは苦笑を浮かべつつ、自分の頬を撫でながら、

「あぁ、数日前までスートホムスを駆け回っていたからな。戦場暮らしだ。少しは痩せるさ」


「そ、そうですか」

確かに痩せてはいる。

しかし雰囲気が以前とは全く違うとリーネアは思った。

性格そのものが変わってしまったかのような印象を受ける。

「それで、スートホムス大山脈の方は……」


「ん?終わったよ。抵抗していた山岳部族連合は全滅だ」

リーンワイズは事も無げに言う。

それも微かに鼻を鳴らし、どこか嘲笑する様にだ。

「我等エルフの先発隊の後に、ファイパネラ様の第三軍団も動いてな。それで全ては終わりだ。しかし凄かったぞ、魔王軍は。ファイパネラ様は魔王エリウ様に少々疎まれていると言う話でな。それで少しでも心証を良くしようと、かなり気合を入れていたようで……いや、あれは切羽詰っていると言った方が良いかな。ふふ、彼女も大変だ」


「……兄上。少し……変わったわね」


「ん?ははは……変わらざるを得んだろ?」

リーンワイズは自嘲気味に笑うと、リーネア達に席を勧めながら自分も応接室の椅子に腰掛けた。

そしてテーブルの上の鈴を鳴らすと、待ってましたと言わんばかりに扉が開き、若いエルフの男性が入って来る。

「お茶で良いかね?それとも酒が良いか?」


「お茶で…」

リーネアが椅子に腰掛け、ヤマダも続く。


リーンワイズは若いエルフが部屋から出て行くのを見届けると、目の前に座るリーネアに視線を移し、

「本来なら……数年ぶりに妹と会ったのだ。宴の一つでも開きたい所だが、この状況ではな」

そう言って、ゆっくりと椅子の背凭れに身体を預けた。

ギギと微かに軋む音が室内に響く。

「ところで、オーティス君は元気かね?」


「オーティスですか?多分、元気にやっているんじゃないかしら……」


「ん?」

リーンワイズは首を傾げた。

「何か、随分と他人行儀な言い方だね」


「そう?私は……既に勇者のパーティーから外れたエルフですから……」


「ほ…」

リーンワイズは軽く身を乗り出し、リーネア、そしてその隣に座るヤマダを交互に見つめた。

それと同時に部屋の扉がノックされ、先程の若いエルフがお茶を運んでくる。

リーンワイズは無言でその所作を見つめ、エルフが立ち去ると同時に再び口を開いた。

「オーティス君から離れたと。それはまた……何か色々とあったのかな?」


「いえ。何も無いわ。……前から決めていたことよ」

それは事実だ。

先代勇者が死んでから、ずっと考えていた事だ。

「私はグロウティスのメンバーでしたから。オーティスはオーティス自身で、自分の仲間を集めるべきなの。ただ、あの子はまだ若く経験も殆ど無かったから……だからある程度の道筋が立つまではと、最初からそう決めていたのよ」


「ほぅ……なるほど。それはヤマダ氏も?」

リーンワイズの問い掛けに、剣士ヤマダは小さく頷く。

「ふむ……しかし道筋とか言ったが、お前は勇者パーティーとして魔王エリウ様に挑んだ。いきなり最終局面ではないか。少し矛盾しないか?」


「あれはギルメスが勝手に進めたのよ」

リーネアは小さく笑った。

そして嘆息すると、

「本当は、もっとオーティスに経験を積ませ、自分で仲間を見つけた後に、彼自身の力のみで魔王に挑ませようと思っていたのだけど……私もヤマダもね」


「ほぅ…」

リーンワイズはカップを手に取り、豊かな香りを放つお茶を啜った。

そしてカそれをソーサーに戻しながら、

「で、勇者パーティーを抜けたから、生まれ故郷に戻って来たと……そう言うことかな?」


リーネアは少し言葉に詰った。

何と答えたら良いのか、自分でも良く分からない。


自分は何でこの街に戻って来たのか……

魔王軍に制圧された街をこの目で見たかったから?

それとも兄や旧知の者達が心配だったから?

それとも……


そんな少し混乱している彼女の様子を見ていたリーンワイズは、目を細め、小さく首を振りながら溜息を一つ。

「こんな事を……久し振りに会った実の妹に向かって言うのは些かどうかと思うが……正直、今のこの状況はかなりマズイ。その辺の事を理解しているのか、リーネア?」


「え、えぇ……分かってるわ」


「いや、分かってない。お前はまだ、あの御方の恐ろしさを理解していない」

リーンワイズの顔が歪む。

「このネア・ブリュドワンが如何にして滅んだのか知っているのか?一時間だぞ?たった一時間、しかもあの御方一人でこの街を破壊したのだぞ。あまつさえ、ただそこを散歩気分で歩いただけでだ。もちろん、この街だけじゃない。あのリフレ・ザリアも同じだ。分かるかリーネア?このグレッチェの大森林のエルフなぞ、あの御方の気分次第で、いつでも絶滅させられるんだ。現にあの御方の気分を害し、その場で殺された……いや、死んだエルフは何人もいる」


「死んだ……とは?」


「あぁ、あの御方に睨まれたのだ。少し睨まれただけでも、エルフは呆気無く死ぬんだよ」


「……」


「勇者のパーティーに属していたお前は、魔王軍からすれば仇敵だ。そんなお前と、魔王軍の傘下にいる私が密かにこうして会っている。これがどれだけ危険な行為か……もし仮にだ、この事であの御方の不興を買い、罰としてエルフを百人殺せと言われたらどうする?」


「そ、それは…」


「私はそれに従わざるを得ない」

リーンワイズはこれ見よがしな溜息を吐き、上目でチラリとリーネアを見やると、不意に相好を崩した。

そしてまるで他愛の無い悪戯が見つかった時の子供のような茶目っ気のある瞳で、

「心配するな。あの御方はそんな不毛な事は言い出さないよ」

そう言った。

と同時に、それまで無言だったヤマダがいきなり席を立ち、腰に下げた剣に指を掛けながら、入って来た部屋の扉を睨み付ける。

リーンワイズは「ほ…」と小さな声を上げた。

そして目を細め、

「さすが、勇者パーティー随一の剣術使いだね。気配を殺していた筈なんだが……」


「五人……いや六人か」

ヤマダが呟く。


「あ、兄上…」


「手錬れの者達なのだがね」

リーンワイズが嘆息すると同時に、静かに部屋の扉が開き、エルフの戦士達が入って来た。

その中にはリーネアの見知った顔もいる。


「あぁ、そんな顔をしないでくれ、妹よ。別に君達を害する気はない」


その言葉にヤマダは小さく頷き、そして呟く。

「確かに。殺気は感じない」


リーンワイズは微笑んだ。

「実はシング様が、君達二人に会いたいと仰られてな。あぁ、もちろん強制はしない。するなと言われてるしね。このまま帰ってくれても結構だ。ただ……私なら、あの御方のお誘いを断るような愚かな真似はしないがね」


「……分かったわ」

リーネアは溜息を吐きながら言った。

「正直に言うと、私ももう一度、あの男に会いたいと思っていたのよ」

「某も…」

とヤマダも頷く。


「……そうか。しかしあの御方に会いたいとは……分かるような分からんような……ま、どちらにしろ、スマンなリーネア。今の私は、兄妹の情よりエルフの代表としての立場を優先させなければならんのでな」


「気にしてないわ」


「……現在、シング様は魔王軍本隊と供に魔王城に一時帰還している。お前達はそこに向かってもらうが……途中、ここから山脈沿いのストラハム渓谷周辺で魔王軍の護衛の者達と合流する予定だ。スートホムス周辺は魔王様の支配下になったとは言え、まだ幾つか残党が残っていると言う話でな。何が起こるか分からん。ま、お前やヤマダ氏ならば難無く対処出来ると思うが……ともかく、気を付けてな」


「兄上も」


「そうだな。場合によっては、私も評議国方面へ出陣しなければならんからな」









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