03話 ゴシップ
「ただしこれは、あまりお勧めできない作戦です。いわば両刃の剣です」
エレノアは弾かれたように顔を上げた。
「聞かせて! 打てる手があるなら全部打ちたいの!」
「これは奥の手と言いますか、あまりよろしくない作戦です。他に打てる手がなくなり、どうしようもなくなった場合の最後の手段としてお聞きください……」
弁護士は少し残念そうに微笑すると、説明をした。
「名誉棄損罪を逆利用するのです」
弁護士の語るその提案を、エレノアは食い入るようにして聞いた。
「リリス・ミラー嬢がいかにマナー違反で不道徳な女性であるか、あなたが彼女の醜聞を社交界で大っぴらに宣伝するのです。婚約者の略奪は、犯罪ではありませんが、道徳的には破廉恥な行為であり醜聞です。醜聞が広まればリリス・ミラー嬢は夜会や茶会に招待されなくなり、結婚も困難になるでしょう」
「醜聞を広めて追い詰めてやるのね。やってやるわ!」
「やることは、そうです。しかし目的は違います。あなたはリリス・ミラー嬢の醜聞を大っぴらに流して、リリス・ミラー嬢があなたを名誉棄損で訴えるのを待つのです」
「え……?」
この意外な提案の意味が呑み込めず、エレノアは首を傾げた。
「私が訴えられるの? あの女に?」
「そうです」
「どうして私が?」
「名誉棄損罪に相当するからです。あなたが流した醜聞によって多大な不利益を被れば、リリス・ミラー嬢は名誉棄損であなたを訴えるという反撃をしてくる可能性があります。訴えられた場合、あなたは必然的に法廷に立つことになります」
「それであの女に勝てるの?!」
「社会的には必ず勝てます。これはリリス・ミラー嬢に社会的な制裁を加えることを目的とした奥の手です」
弁護士は苦い表情を浮かべながら説明した。
「リリス・ミラー嬢があなたを名誉棄損で訴えた場合、あなたは法定で『真実性の抗弁』を行うことになります。リリス・ミラー嬢の破廉恥な行動の目撃証言を証拠として提出し、彼女がいかに破廉恥であったかを事実として公にするのです。……裁判にはリリス・ミラー嬢が勝つかもしれません。しかし、破廉恥な行動が事実として公的に認められたリリス・ミラー嬢は、社会的には敗北します。二度と社交界に顔を出せなくなるでしょう」
「そんな手があるのね……」
エレノアは感嘆の声を漏らした。
弁護士は微妙な表情でエレノアに忠告した。
「これはいわば『戦いに負けて戦争に勝つ』方法です。この作戦ではレディ・エレノアも無傷ではすみませんので、別の方法があるなら使わないほうが良い手です」
「ええ、理解しています」
先程までどんよりと暗い表情だったエレノアの顔は、晴れ晴れとた笑顔に変わっていた。
「ホルト先生、知恵を貸していただき感謝いたします」
「どういたしまして。お役に立てたなら幸いです。決して早まったことはなさいませんよう」
「ええ、まずは家族の理解を得られるよう努力してみます。結果報告も兼ねてまた相談に来ますわ」
清々しい笑顔でそう言ったエレノアに、弁護士はおだやかに微笑んだ。
「承知いたしました。いつでも歓迎いたします」
◆
弁護士アーサー・ホルトは事務所を出ると、腐臭とインクの臭いが漂うフリート街から暗く狭い路地へと入った。
その路地には、煤けて黒ずんだ看板を掲げた、古ぼけた木造の建物があった。
掲げられている看板には『チェシャー・チーズ』と書かれている。
老舗のパブだ。
弁護士アーサー・ホルトは、そのパブの古びた木製の重い扉を開け、店内へと入った。
狭い店内には、煙草と麦酒とロースト・ビーフの臭いがむっと漂っている。
「空いている席にどうぞ」
適当な席に座った弁護士アーサー・ホルトが、ステーキ&キドニー・パイをつつきながら麦酒を飲んでいると、声を掛けて来た者がいた。
「やあ、旦那、お久しぶりです」
麦酒のジョッキを片手にそう話しかけて来た男は、見知っている顔で、何度か話したこともあった。
インクで指先を汚しているその男は、おそらく新聞記者なのだろうが、しかし名前は知らない。
「旦那、最近、何か面白い事件はありましたか?」
「職業柄、滅多なことは言えなくてね」
「承知しています。世間話で結構ですよ」
「ふむ……」
弁護士アーサー・ホルトは、おそらく新聞記者だろう男に世間話をした。
◆
それからしばらく後。
あるゴシップ・ニュースが世間を騒がせた。
――『裏切りのワルツ! 傷心の令嬢、正義を求めて裁判所へ!』
――『伯爵令嬢、不実の子爵令息を提訴!』
――『悪女に蹂躙された清き誓い!』
それは伯爵令嬢が、男爵令嬢に浮気をした婚約者の子爵令息を、結婚約束不履行で訴えたという事件についてのニュースだった。
通称、伯爵令嬢の正義事件。
伯爵令嬢は、不実な子爵令息の浮気により、結婚適齢期の大切な時間を無駄にされて人生に大損害を受けたのだ。
伯爵令嬢はこれを結婚約束不履行であるとして訴えを起こし、被告である子爵令息に莫大な損害賠償金を請求した。
不実な婚約者を法廷に引きずり出し、裏切りを許さないという強い意思表示をした伯爵令嬢は、多くの女性たちから喝采を浴びた。
ゴシップ誌には風刺画も掲載された。
悪辣な顔の男爵令嬢、その男爵令嬢を抱き寄せ鼻の下を伸ばしている子爵令息、泣いている伯爵令嬢の風刺画は、読者たちの感情を煽った。
子爵令息の浮気相手であった男爵令嬢は、法廷で破廉恥な行為の数々が公にされたため、ふしだらな悪女として醜聞にまみれた。
とはいえ、一般法は、他者の婚約者を略奪したこの悪女を罰することができなかった。
この法の理不尽に、世の女性たちは憤った。
「新聞、新聞!」
ロンドンのどんよりと曇った灰色の空の下。
テムズ川とそこに流れ込むフリート溝と、印刷所のインクの臭いとが混じり合い、凶暴な悪臭が漂うフリート街。
新聞記者や植字工や法律家たちが雑多に行き交う、その路上では。
今日も新聞売りの少年が、事件がぎっしり書かれた新聞を抱え、ロンドンっ子訛りで売り口上を叫んでいた。
「伯爵令嬢の正義事件の悪女リリス・ミラー! 法で裁けなかった悪女が社会からどんな制裁を受けたか! 悪女リリス・ミラーの転落がこの新聞に書かれてるよ! さあ、知りたい奴は買った買った! たったの1ペニー!」
――完――
※『伯爵令嬢の正義事件』は架空の事件です。




