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『戦国転生剣豪録 ――死ぬ間際の心残りは今期アニメの最終回でしたが、目覚めたら美少女閻魔に戦国転生を勧められたので本能寺の変を覆しに行きます』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第90話 光秀、ついに“軽くは触れられぬ”と言う

 深い火ほど、近づいた者の顔を変える。


 下の火なら、誰が見てもまず熱さが分かる。

 荷が止まる。

 人が困る。

 顔が曇る。

 そういう形で、火は目に見える。


 だが、もっと高いところにある火は違う。

 熱はすぐには上がらない。

 煙も薄い。

 だから、一見すると何も燃えていないように見える。

 その代わり、そこへ触れようとした者の方が先に変わる。

 言葉が慎重になる。

 足が止まる。

 いつもならすぐ返る返事に、一拍の間が生まれる。

 そういう形で、火の深さだけが先に姿を見せる。


 龍之介は、その変化をもう何度か見ていた。

 宿の主人の間。

 用人筋の慎み。

 秀吉の笑みの薄さ。

 そして何より、光秀が

 軽くは触れられぬ

 と口にしたこと。


 あの光秀が、そう言った。

 それだけで、この火の質は十分すぎるほど知れた。


     ◇


 朝、宿の奥に差し込む光は穏やかだった。

 だが、穏やかさとは裏腹に、人の気配はどこか張っている。


 町の番頭からの報せは、荷ではなく構えについてだった。

 寺の下役からの報せは、不足そのものではなく、それを上へどう響かせるかについてだった。

 つまり皆、火の内容より、火をどう扱うかへ先に神経を使い始めている。


 その時点で、もう普通の火ではない。


「日向守殿」


 龍之介が声をかけると、光秀は書き付けから目を上げた。


「何だ」


「昨夜のお言葉、やはり重い」


「どれだ」


「軽くは触れられぬ、と」


 光秀は、少しだけ視線を落とした。


「重く受けたか」


「当然にございます」


「そうか」


 それだけのやり取りなのに、妙に場が締まる。


「龍之介殿」


 光秀が言う。


「は」


「高い火は、理だけでは測れぬ」


「……」


「だからといって、理なしに触れれば崩れる」


 静かな声だった。

 だが、その一言に、光秀がこの火をどう見ているかが全部入っている気がした。


 理だけでは足りぬ。

 だが理を離れてもならぬ。

 つまり、最も扱いの難しい火だ。


「日向守殿でも、ですか」


 龍之介が問うと、光秀は即答しなかった。


 その間が、かえって答えだったのかもしれない。


「私でも」


 やがて、そう言った。


「軽く入れば誤る」


 龍之介は、思わず深く息を吸った。


 この人がそこまで言う。

 ならば本当に、いままでの延長で踏み込んでよい火ではないのだ。


     ◇


 昼前、主人が持ってきたのは、これまでよりさらに曖昧で、さらに重い報せだった。


「三上様」


「何だ」


「名は、まだ申せませぬ」


「構わぬ。輪郭だけ言え」


「はい」


 主人は声を落とした。


「近うはございません。ですが、朝廷へ近い顔の一つが、“近頃の織田の理の伸び方”について、少し慎重に見始めているようにございます」


「……」


「不満、というほどではない」


「うむ」


「だが、“軽くは見ぬ方がよい”という空気が、その周辺に」


 やはり、そこまで来たか。


 家の面目ではない。

 都の理だけでもない。

 もっと朝廷に近い顔。

 しかも、はっきりと怒っているのではなく、“慎重に見始めている”。

 この種の火は、一度明るく燃えればまだ扱いやすい。

 厄介なのは、こうして静かに測られ始める時だ。


「誰が最初に触れれば、どう見える」


 龍之介が問うと、主人は迷いなく答えた。


「そこにございます」


「……」


「誰が触れても意味になります。ゆえに、誰も軽くは触れられませぬ」


 まったく同じ結論に、主人も来ていたのだ。


 つまり、京の場を読む者らは皆、もう同じ崖を見ている。

 ただ、まだ誰もその崖の縁へ最初の足を出したくない。

 それがいまの段なのだろう。


     ◇


 秀吉の見立ては、さらに嫌らしく、そして正確だった。


 今日の秀吉は、いつもより軽口が少なかった。

 それだけで、かなり本気だと分かる。


「三上殿」


「何だ」


「高うございますな」


「やはりそう見えるか」


「はい」


 秀吉は、茶をひと口飲んでから言った。


「こういう火は、中身もさることながら」


「うむ」


「最初に誰が“見つけた顔”になるかで、あとが決まります」


 そこだ。

 主人も同じことを言った。

 そして昨夜、影鷹も

 触れ方が火になる

 と言った。


「羽柴殿」


 龍之介が問う。


「おぬしならどうする」


 秀吉は、少し笑った。

 だがその笑いには、珍しく自嘲に近いものが混じっている。


「わしは、いまは触れませぬ」


「ほう」


「軽すぎます」


 あっさり言い切った。


「家の顔ならまだしも、もっと高うなると、羽柴が先に触れたというだけで」


「器が変わる」


「その通り」


 秀吉は頷く。


「“ああ、利と糸でそこへも入るか”と見られましょう」


 たしかにそうだ。

 秀吉が先に触れれば、その火は一気に“羽柴が食い込みにいった話”として読まれる。

 内容ではなく、触れた者の色で意味が決まってしまう。


「では、日向守殿なら」


 龍之介が言うと、秀吉は少しだけ真顔になった。


「明智殿でも、まだ早いかと」


「なぜ」


「理が重すぎる」


 秀吉は続ける。


「まだ輪郭も定まらぬ火へ、重い理で先に入れば」


「……」


「向こうが構えます」


 それもまた、その通りだった。


 光秀は、いまや都に通じる重い橋だ。

 だからこそ、その橋が最初に高い火へ触れれば、向こうは“織田がここまで理で押し入るか”と構える。

 火そのものより先に、受ける側の防えが立つ。


「では」


 龍之介が問う。


「どうする」


「いまは、まだ見る」


 秀吉は即答した。


「誰が」


「三上殿が」


 嫌な答えだった。

 だが、いちばん腑に落ちる答えでもある。


「わしでは軽い」


 秀吉が言う。


「日向守殿では重い」


「……」


「なら、いまは三上殿が、“まだ形にならぬ火”として見ておくしかございますまい」


 その言葉は、重かった。

 また橋役に戻る。

 いや、戻るのではない。

 さらに細い橋で、さらに深い火の縁を覗く役だ。


     ◇


 その日の夕方、光秀と秀吉と龍之介は、短くではあるが再び同じ場に顔を揃えた。


 昨日のように役を定める場ではない。

 もっと小さい。

 だが、いまの火について三人の見立てを一度だけ重ねるには必要な場だった。


「申せ」


 光秀が言う。


 まず龍之介が、主人から拾った輪郭を置く。

 朝廷に近い顔の一つが、織田の理の伸び方を慎重に見始めている。

 まだ名は出ぬ。

 まだ怒りとも不満とも言えぬ。

 だが、軽く扱えば器が壊れる。


 次に秀吉が言う。


「わしは、いまは触れませぬ」


 光秀は頷く。


「だろうな」


「はい。羽柴が最初に触れれば、それだけで火の意味が変わります」


「うむ」


 そして、最後に光秀が静かに言った。


「私も、まだ軽くは入れぬ」


 その一言で、場の骨は決まった。


 秀吉は軽い。

 光秀は重い。

 どちらも、いま最初の手にはなりにくい。


 ならば、誰が見るか。


 二人の視線が、自然と龍之介へ向く。


「……嫌な役だな」


 龍之介が言うと、秀吉が珍しく笑わずに答えた。


「そうでしょうとも」


「だが」


 光秀が続けた。


「いまはおぬししかおらぬ」


 それが、もっとも重い言葉だった。


     ◇


 龍之介は、そこでようやく覚悟が腹に落ちた。


 いまこの火は、解きに行く段ではない。

 測る段だ。

 だが、測るだけで意味が変わる。

 ならば誰が測るか。

 軽すぎてもならぬ。

 重すぎてもならぬ。

 そうなると、自分しかいない。


「日向守殿」


「何だ」


「見ます」


「うむ」


「ですが、解くとは申せませぬ」


「それでよい」


「羽柴殿」


「はい」


「周りの気配だけは見ていてくれ」


「もちろん」


「だが、手を出すな」


 秀吉は、そこでようやくいつもの笑みを少しだけ浮かべた。


「そこまで言われずとも」


「言う」


「怖い方にございます」


 その軽口で、少しだけ場の息が抜けた。


     ◇


 夜、宿の奥で一人になった時、龍之介は今日の言葉を反芻していた。


 光秀が軽くは触れられぬと言った。

 秀吉もまた、いまは軽すぎると退いた。

 そして二人とも、自分へ“まず見よ”と役を渡した。


 それは褒められたからではない。

 信頼されたからでもない。

 ただ、いまその火へ最初に触れても、器を変えすぎぬ位置にいるのが自分だからだ。


「……橋というより、測り棒だな」


 思わずそう呟くと、影鷹が答えた。


「今さらでございます」


「そこも変わらぬか」


「変わりませぬ」


 やはり最後はそれだった。

 だが今回は、その一言が少しだけありがたかった。

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