表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『戦国転生剣豪録 ――死ぬ間際の心残りは今期アニメの最終回でしたが、目覚めたら美少女閻魔に戦国転生を勧められたので本能寺の変を覆しに行きます』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

82/92

第82話 秀吉、正面で戦わず横から場を取る

重い橋が前へ出ると、たいていの者はそこへ目を奪われる。


 明智光秀が京へ入った。

 しかも、ただ来たのではない。

 最初に本丸へは入らず、下と周りの線を見たうえで、家の顔と都の理へ順を立てて入っていった。

 その動きだけで、寺社も公家も町も、みな少しずつ呼吸を変えた。


 龍之介もまた、その重さを目の当たりにしたばかりだった。

 光秀が場へ入ると、言葉の置き方ひとつで空気が締まる。

 人が、先に自分の言葉を整え始める。

 理の橋とは、こういうものかと思わされる。


 だが、だからといって他の橋が消えるわけではない。

 むしろ、重い橋が前へ出た時ほど、横から場を取る者の才はよく見える。


 羽柴秀吉は、そういう男だった。


     ◇


 その朝、宿の表は一見おだやかだった。


 荷は流れ、人足は声を交わし、寺の小者も町の使いもいつも通りの足で動いている。

 だが、よく見れば昨日までと違う。

 人が人を見る目に、少しだけ“決まったこと”への警戒が混じっている。


 明智が入った。

 理の場が動き始めた。

 ならば次は、何がどこで誰の顔で決まるのか。

 皆がその気配を嗅いでいる。


「三上殿」


 影鷹が戻ってきて言った。


「何だ」


「羽柴の口が、もう動いております」


 やはり、と思う。

 いや、そうでなければ秀吉ではない。


「どこへ」


「正面ではございませぬ」


「だろうな」


「用人筋の、そのまた外。町の口と、寺へ品を入れる側とのあいだ。そこへ薄く」


 龍之介は、小さく息を吐いた。


 重い橋が本筋へ入る。

 ならば、秀吉はその正面で競わない。

 競えば、理で負ける。

 だが負ける場で真正面からぶつかるほど、この男は浅くない。

 そのかわり、重い橋が入ったことで周りが固まりすぎぬよう、外側へ糸を張る。

 そうやって“場そのもの”を自分の手触りに寄せていく。


「……嫌な動きだな」


 龍之介が言うと、影鷹が頷いた。


「まことに」


「だが必要でもある」


「はい」


 光秀が理で通す。

 その時いちばん怖いのは、下が“ではもう上で決まる”と黙ることだ。

 秀吉は、そこへ先回りしているのだろう。


     ◇


 主人に確かめると、秀吉の糸はすでにいくつかの口へ触れていた。


「三上様」


「何が動いた」


「大きなことではございませぬ」


 主人は慎重に言う。


「ですが、“明智殿が入ったからとて、すぐにすべてが固まるわけではない”という言い方が、町の口に少し」


「……」


「寺の下にも、“今のうちに困りごとを閉じ込めるな”という、別の言い方が薄く」


 やはりそうか。


 秀吉は、何かを決めるのではない。

 決まりすぎぬようにする。

 理の場が強く立つほど、その外で“まだ全部が固まったわけではない”という逃げ道を残す。

 そうしなければ、下は自分の火をしまい込む。


「主殿」


 龍之介が言う。


「これは羽柴殿の口か」


「間違いなかろうかと」


「なぜそう思う」


「明智殿が正面から場を締められると、たいてい皆、黙る方へ寄ります」


「うむ」


「ですが羽柴殿の口は、その黙り方を少しだけ崩す」


 主人は少しだけ苦笑した。


「ありがたいような、ありがたくないような働きにございます」


 言い得て妙だった。


     ◇


 龍之介は、その日のうちに秀吉へ顔を出した。


 向こうが呼んだわけではない。

 だが、こういう時に知らぬ顔をしていると、あの男はあの男で勝手に場を進める。

 それは避けたい。


 秀吉は、小さな座にすでに座っていた。

 いつも通り、よく笑う顔。

 だが今日は、その笑みの下がよく働いているのが分かりやすい。


「三上殿」


「羽柴殿」


「ようお越しで」


「妙なことをしているな」


 単刀直入に言うと、秀吉は声を立てて笑った。


「妙なこと、とは」


「理が立つ前に、周りへ“まだ固まっておらぬ”と流している」


「ほう」


「寺にも町にもな」


 秀吉は、茶へ手を伸ばしながら言った。


「それが何か」


 開き直る時の顔だ。

 しかも、悪いと思っていない顔でもある。


「羽柴殿」


 龍之介が言う。


「日向守殿が上へ入っておる」


「ええ」


「その時に周りを動かせば、場が濁る」


「濁りませぬ」


 秀吉は、あっさりと言った。


「どうして」


「日向守殿は上を締めておられる」


「うむ」


「なら、下が全部黙ってしまわぬよう、誰かが横で割らねば」


 そこだ。

 やはり、この男はそこを最初から読んでいる。


「正面で戦わぬのか」


 龍之介が問うと、秀吉は笑った。


「戦って勝てる場なら、戦います」


「今回は」


「日向守殿の場にございます」


 即答だった。


 その潔さが、かえって嫌らしい。

 自分が勝てる場かどうかを、この男はほとんど本能で見分ける。

 そして勝てぬ場では、横から場を取ることに迷いがない。


「では」


 龍之介が問う。


「今のおぬしの勝ち筋は」


 秀吉は、少しだけ目を細めた。


「下が黙りきらぬようにすること」


「……」


「町も寺も、“理は上で通っている。だが、まだ自分たちの火も見えている”と思えるようにする」


 龍之介は、そこでようやく腹の中の違和感の形が見えた。


 この男は、光秀と戦っていない。

 だからこそ厄介なのだ。

 理の場を邪魔せず、しかし理だけで場が完成してしまわぬようにする。

 その外側を握れば、重い橋が正しく立っても、周りの空気には羽柴の手触りが残る。


「……嫌な勝ち筋だな」


 龍之介が言うと、秀吉は楽しげに笑った。


「ありがたいことです」


「ありがたくはない」


「ですが必要でしょう」


 それがまた、否定しづらい。


     ◇


 宿へ戻ってから、龍之介はそのやり取りを光秀へそのまま渡した。


 ここで秀吉の動きを隠すと、また場が偏る。

 だから都合のよい嘘はつかない。

 それが、ここまで橋を持たせてきた龍之介のやり方だった。


「日向守殿」


「何だ」


「羽柴殿は、正面で争う気はございませぬ」


「だろうな」


「そのかわり、周りを割っております」


「どう割る」


「町と寺の下へ、“まだ全部は固まっておらぬ”という口を少し」


 光秀は、一度も眉を動かさずに聞いていた。

 やがて、小さく息を吐く。


「らしい」


「はい」


「嫌な男だ」


「まことに」


 そこでようやく、少しだけ場の緊張が緩んだ。


「だが」


 光秀は続けた。


「その糸は要る」


 それが、この人の強さでもあった。


 感情では嫌う。

 だが理として必要なら拾う。

 それができるから、光秀は裏切らなかった世界でも重い橋でいられるのだろう。


「日向守殿」


「何だ」


「羽柴殿は、理が通るほど下が黙ると」


「そうだろう」


「……」


「おぬしもそう見たのであろう」


 図星だった。

 町の番頭も、寺の下役も、いまは前ほど率直ではない。

 光秀が正しい理を置いたからこそ、“いま細かい火を差し出すのは違う”と構え始めている。


「はい」


 龍之介が答えると、光秀は静かに言った。


「ならば、私が上を持つあいだ」


「……」


「羽柴の糸を切るな」


 それは、もはや半ば命に近かった。


「承知いたしました」


 龍之介がそう返すと、光秀は頷いた。


「ただし」


「は」


「羽柴に、骨までは渡すな」


「もちろん」


 そこが大事なのだ。


 秀吉の糸は必要だ。

 だが、必要だからといって場の骨まで任せれば、今度は何もかもが羽柴の手触りで繋がる。

 それでは、理の橋が別の意味で痩せる。


     ◇


 その日の夕方、龍之介は町を少し歩いた。


 番頭のところで帳面の手が止まるのを見た。

 寺の下役が、言いかけた不満を一度飲み込むのを見た。

 そして、そのあとで

 “ですが三上様には……”

 と、ようやく小さく火を渡してくるのも見た。


 秀吉の糸は、たしかに働いていた。

 下はまだ、完全には黙りきっていない。

 そして、それを拾う橋として自分もまだ生きている。


「……ようやく三つとも動き始めたか」


 龍之介が独り言のように呟くと、影鷹が横で言った。


「今さらでございます」


「今日のは、本当にそうだな」


 今回は素直にそう思った。


 光秀が上を持つ。

 秀吉が周りを割る。

 自分がそのあいだで火を拾う。

 この三つが、ようやくただの理屈ではなく、実際の動きとして噛み合い始めている。


 それは、ずいぶん大きい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ