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第24話 柴田勝家、力で測る

安土の朝は、本能寺の朝とは違う。


 寺の静けさではなく、城の静けさだ。

 人の数は多い。

 兵も、使いの者も、奉行筋も、女中衆も、みな動いている。

 だがその動きには、城の中枢にふさわしい統制がある。

 誰もが急ぎ、誰もが働いているのに、ただ慌ただしいだけには見えぬ。


 龍之介は、そんな朝の空気の中で呼び出しを受けた。


 呼びに来たのは蘭丸ではない。

 信長直属の近習でもなければ、丹羽の静かな使いでもない。

 いかにも武家らしい、声も足音も隠さぬ男である。


「三上殿」


「何だ」


「柴田様がお呼びだ」


 その一言で、おおよその察しはついた。


 評定の席でのやり取り。

 昨日の“理屈は通る”という勝家の反応。

 あれで終わる男ではない。

 頭で納めたなら、次は体で量りに来る。

 そういう類の武将だろうと、龍之介は思っていた。


「場所は」


「稽古場」


 やはりな、と思う。


 龍之介は刀へ手をやり、ふっと息を吐いた。

 戦国へ来てから、剣を抜く意味がいちいち重い。

 だがその一方で、こういう場が来るだろうことも分かっていた。


「承知した」


     ◇


 安土の稽古場は、城のほかの場所と同じく、見せるためだけではなく本当に使うための場だった。


 板敷きはよく踏み締められ、木剣の打ち合う音が染みついている。

 隅には槍もあり、弓もある。

 ただ広いだけではない。ここで何人もの武士が汗を流し、怪我をし、勝ち負けを覚えてきたのだろうと思わせる、乾いた実感があった。


 勝家はすでにいた。


 腕を組み、こちらを見る。

 いつものように、武の人間特有の“まず立っただけで圧がある”顔だ。

 その場へいるだけで、道場の空気が少し重くなる。


「来たか」


「お呼びと伺いましたので」


「理屈だけはよう回る」


「褒め言葉として」


「受け取るな」


 そう言いながらも、勝家の声音は評定の時ほど刺々しくはなかった。

 むしろ、わざわざ稽古場へ呼びつけた時点で、この男なりの順序があるのだろう。


「三上龍之介」


「は」


「おぬし、口は回る」


「ありがたく」


「だからこそ、体を見ておきたい」


 やはり直球だ。


「本能寺で日向の喉元へ刃を置いたと聞いた」


「少しだけ置きました」


「少しで済むものか」


「血は出しておりませぬ」


「それを少しと言うか」


 勝家は鼻を鳴らした。


「だが、そういうところが気に入らぬ」


「気に入られようとはしておりませぬ」


「ほう」


「ただ、見せねば届かぬ相手には、見せるしかない時もございます」


 勝家はそこで、ほんの少しだけ目を細めた。


「ならば今日も見せろ」


 そう言って、木剣を一本こちらへ投げてよこす。


 龍之介は受け取った。

 重さが手へ馴染む。

 現代の稽古道具とも、神社で触れた奉納用の木刀とも少し違う、もっと実用の匂いがする重みだ。


「本気でやりますか」


 龍之介が問うと、勝家はふっと笑った。


「死なぬ程度に、だ」


「それが一番加減の難しいやつですな」


「武を語るなら、それくらい飲み込め」


 たしかにその通りだった。


 龍之介は稽古場の中央へ進み、木剣を軽く振って感触を確かめる。

 若い身体はよく動く。

 現世で積んだ理合はある。

 だが相手は柴田勝家だ。

 力量がどうこう以前に、武の“圧”そのものが違う。


 勝つ必要はない。

 勝てるとも思わない。

 必要なのは、口先だけではない と示すこと。

 そしてもう一つ――勝家の武に、真っ向から潰されずに立てること。


「始めよ」


 勝家の一声と同時に、空気が変わった。


 速い。


 大きい身体から来る武は、鈍重とは正反対だった。

 踏み込みは深く、無駄がない。

 重いのに、重さが先に見えぬ。

 木剣の先がぐっと詰まり、龍之介の肩口へまっすぐ落ちてくる。


 龍之介は半歩ずれ、受け流す。


 重い。


 木剣越しでも分かる。

 これは真っ向から受ければ腕が痺れるやつだ。

 いや、腕だけでは済まない。重心ごと崩される。


 勝家は、間髪入れず次を打つ。

 今度は胴を狙うように見せて、途中で軌道が変わる。

 龍之介はそこで初めて、本能寺で光秀へ見せた剣とはまるで違う性質を感じた。


 光秀の気配は鋭く、よく見て、よく測る刃だ。

 勝家のそれは、重く、太く、前へ押し切るための武だ。

 個の技量だけでなく、“戦場で崩さず進むための剣”と言えば近いかもしれない。


「どうした!」


 勝家の声が飛ぶ。


「口ほどでもないか!」


「まだ二つ三つです!」


 答えながら、龍之介は次の一撃を外した。


 外す、というより、まともに受けない。

 勝家の武は真正面から競う類ではない。

 この重さへこちらも重さでぶつかれば、おそらくあっさり押し切られる。


 ならば、崩さぬことだ。


 間をずらす。

 踏み込みの線を外す。

 木剣の芯をいなす。

 そして、打ち返せるなら一手だけ返す。


 龍之介の木剣が、勝家の手首へ軽く触れる。

 浅い。

 だが“打たれっぱなしではない”と示すには十分だ。


 勝家の目が変わる。


「ほう」


 そこから先は、試しというより本当に量りに来た。


 圧が増す。

 踏み込みがさらに深くなる。

 上段から来ると思わせて、途中で下へ落とす。

 重さを見せておいて、今度は短く詰めてくる。

 ただ力があるだけの武将ではない。

 この男、武においても理が通っている。


 龍之介は受け続ける。

 いや、受けるだけでは駄目だ。

 受け流し、ずらし、たまに触れる。

 勝つためではなく、崩れぬため に。


 若い身体がありがたかった。

 老いてからの自分では、ここまでの圧に足が保たない。

 だが若い身体があるからこそ、現世で積んだ理合を、ぎりぎりで形へできる。


 勝家の一撃が、今度は龍之介の肩へ浅く入った。


 痺れるような衝撃。

 木剣でも十分に痛い。


 だが、それで終わりではない。

 龍之介は痛みを飲み込み、勝家の次の踏み込みの中心から半歩だけ外れた。

 そのまま木剣を短く返し、今度は勝家の胴脇へ浅く置く。


 止まる。


 勝家も、龍之介も、そこで動きを切った。


 しばしの静寂。


 道場の外の風の音だけが聞こえる。


「……なるほど」


 勝家が、やがて低く言った。


「勝つ気ではないな」


 龍之介は肩で息をしながら答える。


「勝てるとも思っておりませぬ」


「素直だ」


「その代わり、簡単には崩れぬことをお見せしたかった」


 勝家は木剣を下ろした。


 龍之介もそれに倣う。

 肩がじんじんと痛む。

 だが、まだ立てる。

 足も死んでいない。

 このくらいなら十分だ。


「理屈だけの男ではないな」


 勝家が言う。


「ありがたく」


「だが、やはり気に入らぬ」


「そこは変わりませぬか」


「変わらぬ」


 勝家はあっさり言った。


「理屈が立ち、剣も少しは使える。そういう男は余計に面倒だ」


 それはまあ、そうだろうと龍之介も思う。


「ですが」


 龍之介は木剣を持ったまま言う。


「嫌われたままで結構にございます」


「ほう」


「好かれることより、上様のお役に立つことの方が先かと」


 勝家の目が、わずかに細くなる。


「上様に取り入る言い方だな」


「取り入るつもりはございませぬ」


「ならば何だ」


「本音です」


 勝家はしばらく龍之介を見ていた。

 その視線は重い。

 だがもう、評定の時のような“何だこいつは”だけではない。


「……おぬし」


 やがて勝家が言う。


「上様を、生かしてしまったことの重さは分かっておるか」


 その一言に、龍之介は少しだけ息を止めた。


 やはり勝家も、そこを見ているのだ。


「はい」


「本当にか」


「分かりきってはおりませぬ。だが、ここで終わるはずだった御方を、その先へ進ませてしまったとは思っております」


 勝家は木剣を肩へ担ぐようにして、低く笑った。


「ならばよい」


「よい、にございますか」


「少なくとも、浮かれてはおらぬ」


 それは勝家なりの最低条件なのだろう。

 本能寺を止めた、信長に気に入られた、安土へ呼ばれた。

 そういう表の出来事だけで舞い上がっている男なら、勝家はもっと露骨に切り捨てていたはずだ。


「柴田殿」


「何だ」


「一つ、お聞きしても」


「申せ」


「先ほどの武、戦場の武にございますな」


 勝家の口元が少しだけ動く。


「見ておったか」


「重く、前へ進むための武に見えました」


「そうだ」


 勝家はあっさり認めた。


「一対一で綺麗に勝つためのものではない。崩れず、押されず、押し返すための武よ」


「なるほど」


「おぬしのは逆だな」


「と、申しますと」


「よく見て、よく外す。真正面から噛み合えば不利だと分かっておる剣だ」


 勝家は言葉を選ばない。

 だがそれは侮りではない。

 きちんと見ている。


「はい。その通りにございます」


「悪くない」


 短い一言だった。


 そして続ける。


「嫌いではあるがな」


「そこも一緒で結構です」


 龍之介がそう言うと、勝家はとうとう声を立てて少し笑った。


「図太い男だ」


「百まで生きれば多少は」


 今度は勝家もそこを深く追わない。

 比喩と受け取ったのか、それとも面倒だから流したのか。


 木剣を戻しながら、勝家はふと真顔になった。


「龍之介」


「は」


「羽柴と会う時は気をつけよ」


 その言葉に、龍之介は自然と背筋を伸ばした。


 来た。


「腹で斬ってくる、にございますか」


 勝家の目がわずかに動く。


「もう聞いておったか」


「少々」


「ならば話は早い」


 勝家は低く言う。


「あれは儂のように前から来ぬ。笑う。下がる。褒める。近づく。そうして気づけば、こちらの立つ場所を一枚ずつ剥いでいく」


「厄介ですな」


「しかも、自分が剥いだと思わせぬ」


 勝家は鼻を鳴らした。


「儂はああいうのが一番性に合わぬ」


「私もできれば会いたくはありませぬ」


「会うことになる」


「でしょうな」


「上様がそのうち面白がってぶつける」


 その予想は、あまりにもありそうで、龍之介は苦笑するしかなかった。


「上様らしい」


「まことにな」


 勝家はそこで、ちらと龍之介を見る。


「おぬし、理屈と武の両方を少しは持っておる。だからこそ、羽柴にとっても面倒だろう」


「それは褒めておられますか」


「褒めてはおらぬ」


「では」


「忠告だ」


 勝家は言い切った。


「あれは、おぬしのような半端に外から来た男を、敵とも味方とも決めぬまま様子見する。そこへ飲まれるな」


「肝に銘じます」


「よろしい」


 それだけ言って、勝家は背を向けた。


 去り際、足を止めずに続ける。


「それと」


「は」


「次に手合わせする時は、もう少し踏み込め。崩れぬのも大事だが、崩れぬだけでは上様のそばでは足りぬ」


 その言葉は、勝家なりの“また来い”だったのだろう。


 龍之介は小さく頭を下げた。


「承知つかまつりました」


     ◇


 稽古場を出たあと、肩の痛みがじわじわと広がってきた。


 若い身体であっても、勝家の木剣は重い。

 あれで「死なぬ程度」なのだから、戦場の柴田勝家がどういう男なのか、改めてよく分かる。


 廊下の角を曲がったところで、影鷹が壁の影から現れた。


「いかがでした」


「おぬし、本当に見ておったな」


「少しばかり」


「少しで済むものか」


 影鷹は目を細める。


「柴田殿、どうでございました」


 龍之介は少し考えてから答えた。


「嫌われたままだ」


「ですが」


「だが、口だけではないと見せることはできた気がする」


 影鷹は頷いた。


「それで十分かと」


「十分か」


「武の方々は、その方が話が早い」


 たしかにそうだろう。

 理屈だけなら、机上でどこまででも立てられる。

 だが、いざという時に腰が引けぬか、踏まれても立てるか、その一点で見られる相手には、体で示すしかない。


「それにしても」


 龍之介は肩を軽く回した。


「重い男だ」


「柴田殿にございますから」


「だが、嫌いではない」


 影鷹の目が少しだけ細まる。


「ほう」


「分かりやすい」


「それは大事にございます」


「うむ」


 勝家は真正面から来る。

 好き嫌いも、警戒も、認めたことも、比較的そのまま出る。

 だからまだ付き合いやすい。


 問題は――。


「やはり、羽柴か」


 龍之介が言うと、影鷹は静かに頷いた。


「皆、そこへ行き着きますな」


「丹羽も、勝家も、口を揃えて似たことを言う」


「それだけ、厄介ということにございます」


 龍之介は安土の空を見上げた。


 本能寺を止めた。

 信長に使われた。

 勝家に量られた。

 丹羽に試された。

 そしてまだ顔も見ていない羽柴秀吉が、すでに“次の本命”としてあちこちから匂ってくる。


 まるで、次の章の足音だ。


「……面倒だな」


 思わず本音が漏れる。


 影鷹は、そんな龍之介を見て少しだけ笑った。


「ですが」


「何だ」


「ようやく安土で、“異物が異物として保つには何が要るか”が見えてきた顔をしておられます」


「どういう顔だ、それは」


「噛まれながらも、まだ手を引かぬ顔でございます」


 龍之介はそれに答えず、ただ少しだけ苦笑した。


 たしかに、自分はまだ手を引くつもりがない。

 本能寺を止めて終わり、などと今さら言える位置ではないし、何よりここから先を少しでも見たい気持ちがある。


 だがその先には、信長だけでなく秀吉もいる。

 怪物が二匹いるようなものだ。


「閻魔ちゃんめ」


 つい小さく呟く。


「面白い生き方をしないか、などと軽く言うたが」


「何か」


「いや。かなり面倒な方へ来てしまったと思ってな」


 影鷹は、珍しく少しだけ声を柔らかくした。


「今さらではございますが」


「そればかりだな、おぬしは」


「今さらで済まぬものばかりにございますので」


 それもその通りだった。


 龍之介は、肩の痛みを抱えたまま歩き出した。


 安土の中は、今日も静かに動いている。

 その静かな動きの中で、自分もまた少しずつ“信長の政に噛まれた異物”として形を取り始めているのだろう。


 そして、その先には必ず羽柴秀吉がいる。


 会いたくないような、会ってみたいような。

 そういう相手ほど、たいてい避けられないものだと、龍之介は長く生きて知っていた。

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