オウジを助けに現れたのは
「うぷっ」
オウジは込み上げるものをこらえきれず、吐き出した。びしゃっとこぼれたのはわずかな胃液。
小さな水たまりを目にして、研究者を自称する女プラタナスが笑う。
「あはっ、良〜いよぉ。出した分、入るからねえ。吐けるならどんどん吐いちゃって〜」
「そうそう吐けるかよ……」
「がんばれがんばれえ〜」
プラタナスは嬉々としてタンクのポンプを押した。タンクに溜まっているのは魔力を帯びて光る水、宙水だ。タンクから伸びた管を通り宙水が流れて行く。その先にあるのはオウジの体だ。
「うっ、ぐぅ……!」
ぐったりとしていたオウジがわずかに身じろいだのは、流し込まれた宙水で体の内側から押されたせいだった。
腹に穴を開けて管を押し込まれ、体内に直接水を流し込まれているのだ。
痛くはない。いや、穴を開けられた箇所はじくじくと痛んでいるが、それよりも不快感のほうが大きかった。
内臓を押し潰される苦しみにもだえるオウジの顔をのぞいて、プラタナスが興味深そうに頷く。
「ほーほーほー。顔色はやや悪いけどぉ、呼吸やや速いけどぉ、脈拍やや乱れありだけどぉ、まだまだ死にそうじゃなぁい。すごいすごぉい!」
うれしそうに言って、プラタナスは手元の紙に何かを書き付ける。
「もうこれでぇ、予定の半分の水が入っちゃったあ。普通の人ならぁ、この半分も入れたら壊れちゃうのにぃ。ゆーしゅぅ〜」
こてん、と首を傾げてプラタナスは「あ」と声を上げた。
「ちがうかぁ。水を飲ませるんじゃなくて、水袋にできるんじゃなあい? って気づいたアタシが優秀なのかぁ〜」
プラタナスの自画自賛を聞きながら、オウジは腹に穴を開けられる前のことを思い出す。
──ひとまず魔力を流し込んでみるかって、水を嫌というほど飲まされたな……。
口を上向けて頭を固定され、水を流し込まれたのは立派な拷問だった。
飲んでも飲んでも水だ。この世界の住人にとっては水に含まれる魔力が何かしらの影響を及ぼすらしいが、魔力を持たないオウジにとっては腹に溜まるだけのもの。
抵抗もできずただ腹が膨れ上がり、どれくらい時間を置いたのか。用を足せば水は出て行き、魔力もすっかり出ていった。らしい。
オウジは魔力のことなどとんとわからないので、プラタナスの言葉を信じれば、という注釈がつく。
──水も過ぎれば毒になると聞くが。この世界の水と俺の知る水とは違うんだろうな。
幸い、と言っていいのかはわからない。オウジにとってはおもちゃにされる時間が伸びたようにしか感じられなかった。
──外が見えないせいでどれだけ時間が経ったのかわからねえが……。
囚われてから結構な時間が経ったように感じられる。苦痛なのはもちろんだったが、それ以上にオウジを落ち着かなくさせるのはあの若い編集者、猪野ふらんが何かしでかしやしないということ。
──何をするかわかんねえのが怖いんだよな……。
本当に、まったくもって猪野ふらんの行動はオウジにとって予測不可能。
ふらんに暴走させないため隙を見て逃げ出そうにも、意識のあるうちはずっとプラタナスが視界に入る距離にいた。
女の興味関心を独り占めしている、という状況だけをみれば悪く無いのかもしれない。相手は若い女であるし、オウジもまた枯れていない男なので。
しかし興味関心が昆虫に対して子どもの持つそれと同じである現状は、ちっともうれしくない。
「なあ、いつまでやるつもりだ」
声をかけたのは、現状を変えたかったから。
人語を解するからと人扱いしてくれる相手でないことはわかっていたが、手足を固定され腹に管を繋がれた状況で他にできることもない。
案の定、プラタナスは視線を走り書きだらけの紙から上げもしなかった。
「うーん? そうだねぇ……限界まで入れたら時間を置いて変化の様子を見たいからぁ〜」
──そうそう終わりそうにないな……。
隙ができるのはまだ当分先のようだ、とオウジはひっそりため息をこぼした。
それを待っていたかのように、建物の扉が慌ただしく開かれる。
「所長! 大変です、侵入者がっ」
「はーいはい、うるさいから静かにしとけ〜」
飛び込んできた研究員の側頭部を殴り倒して、姿を見せたのは赤髪の青年。名をカラカと言ったはずだ。
彼はオウジを捉えてじっと目を凝らした。
「お、どこにでも居そうなおっさん発見。んんん〜、よく見りゃせんせーじゃん。あったり〜!」
カラカはにかっと笑い、天を仰いだかと思えば、とんでもない大声で吠えた。
「パープラー! いたぞー! 俺の勝ちぃっ!」
現れてから呼ぶまで、何秒もかかっていない。
そのあまりにも唐突な登場と行動にあっけに取られたのは、オウジだけではなかった。
固まっていたプラタナスが目を白黒させる。
「っえ、えええ? なんでえ? なんでここにいるのぉ!」
「ああ、警備か? 倒した! 俺つえーもん」
胸を張るカラカにプラタナスは首を横に振る。
「じゃなくてぇ、追手が行ったでしょぉ?」
「おー、おー。追手な、来たぜ〜。なんか何人もゾロゾロと追いかけてきたけどよ。まいてやった! まいた後に元の街に戻るとは思わなかっただろ」
どや顔の見本を作るならば、この顔を挙げるだろう。そう断言できるほどにカラカの顔は自慢げ。
一方のプラタナスは意味がわからない、といいたげに頭を抱えている。
「なんで、なんでぇ? なんで戻ってくるの。追手をまいたなら、逃げちゃうでしょふつうぅ〜! わざわざ戻ってくるなんて、この街のトップに楯突くことだって、可哀想な頭じゃわかんないのぉ?」
「おうおうおう、誰がかわいそうな頭だっ! わかっててやってんだよ」
カラカはずかずかと室内に入ってきて、プラタナスをぐいっと押しのけた。「ぶへっ」と潰れた声をあげる彼女を無視して、カラカはオウジを見下ろしにかっと笑う。
「偉そうにしてる連中からおもちゃを奪ってやったら、最高に楽しいだろ?」
腰の剣を鞘ごと抜き取ると、無造作に振り下ろした。硬い音を立てて砕かれたのはオウジの手を戒める固定具。続けて足、首も解放される。しかし、そこでカラカの手が止まる。
「んんん? なんか腹にぶっ刺さってんな。これ、壊して良いもんか?」
「だっ、だめだよぉ!」
「やってくれ」
首を傾げた彼の疑問に、プラタナスとオウジが同時に答えた。
二方向から真逆のことを言われてカラカが「うんん?」とますます首をかしげる。
「だめだめだぁめぇ! いま魔力を流し込んでる最中なんだから、下手に刺激したらどうなるかわかんないんだよぉ。大事な実験体が死んじゃったらどぉするのさあ!」
プラタナスが必死に叫ぶ。その鼻から赤いものが垂れているのは、カラカに押しのけられて転んだ際に顔をぶつけたらしい。
──拭いもせずに確保したがるとは、熱烈だな。
嬉しくないが、とオウジは鼻で笑う。
「やってくれ。どうせここに捕まったままでも命の保証なんざねえんだ」
「それもそうだな!」
「だぁめえー!」
「うるせえなあ。ちょっと静かにしてろよ」
カラカはプラタナスの口にその辺の紙束を押し込んだ。ついでとばかりに手足を縛って転がす動きには無駄がない。
「おし、これでやれる」
躊躇なく管を握りしめたカラカがその手に力を込める。
「ぐぅぅっ……!」
オウジの体の内側から管が引きずり出される。その感覚にこらえきれず、唸り声がもれる。
抜け切ると同時、どぽっとこぼれた液体は宙水か、それともオウジの血か。何色をしているのか確かめたくもなくて、目を向けずに痛みに耐える。
「なんでも、良い……巻きつけて、こぼれないようにして、くれ……」
「ほいほいほーい、っと!」
軽い返事をしたカラカは、遠慮のない力加減でオウジの腹に布を巻きつけていく。
ぎちぎちに締め付けられる苦しさはあったが、こぼれる感覚が無くなってオウジはほっと息をついた。
「助かった。しかし、ちょうど良い布があったもんだな。どこから調達したんだ……」
言いながら目をやったオウジの声は途切れる。カラカの背後に縛られて横たわるプラタナスの両脚が、派手に露出していたからだ。腰のあたりにわずかに残る布地とオウジの腹に巻きつけられた布地は、大変よく似ている。
──服を奪ったのか。追い剥ぎか……? いや、相手は悪人だ。考えるまい。
オウジがそっと意識にふたをする間に、カラカはオウジを肩に担ぎ上げた。
「ぐぇ」
「お? わりぃわりぃ。でもよ、あんたが走れるの待ってたらぜったい捕まっちまうからさ」
荷物のように担がれて圧迫された腹が苦しい。ただでさえ流し込まれたのは水で膨れているのだ。けれどオウジは泣き言を飲み込む。
「良い。気にせず進んでくれ」
「よっしゃあ!」
気合い十分、カラカが歩き出したとき。
「だぁめだよぉ」
べっ、と口の中の紙束を吐き出したプラタナスが声を上げた。
「出ないほうが良いよぉ」
「ああ? お前の言いようにはさせねえぞ。口が自由になったところで何もできやしねえくせに。大人しく、そこで転がってろ」
カラカは「しつこい」とプラタナスに改めて背を向ける。オウジも、実験台を引き留めたくて言っているのだろうと相手にしない。
そんな二人の背に目をやって、プラタナスが口を尖らせる。動きたいが縛られた手足をどうにもできないのだろう、もぞもぞと体を揺すりながら。
「あ〜あぁ、ちがうのにぃ」
「何が違うってんだ。意味わかんねー」
言いながらカラカが部屋を出ると当然、担がれたオウジも外に出る。
──今日は何日目の昼間だ?
明るく光る空を見上げて目を細めたオウジは、そこに何かを見つけて眉を寄せた。
「……おい、何か来てるぞ」
「んん? 何かって……なんじゃ、ありゃ」
促されるまま空に目を向けたカラカの口が大きく開く。
その目に映るのは空に巨体をくねらせる龍の姿。
オウジはそれを見たことがあった。
「魔王だ」
前回の転移時に勇者たちが倒した魔王が、街に向かって来ていた。




