囚われのオウジ
オウジは背中に当たる板の硬さで目を覚ました。
はじめに目に入ったのは青白い光。壁面に沿って並ぶ巨大なタンクを満たす液体が淡く発光して、室内を薄暗く照らしている。
──どこだ、ここは。救護のために寝かされてるってわけじゃあ、無さそうだが。
倒れたオウジを誰かが保護したというのなら、手足を拘束することはないだろう。百歩譲って怪我でもしていて、暴れないようにと拘束するのだとしても、首輪までつけて頭まで固定する必要はないはずだ。
──ろくでもねえことになってるんだろうな。
首すら動かすことができず、せめてもと目だけを動かしたところで見えるものは変わらない。部屋の隅のほうは光が足りないせいだろう、見通せなかった。
そのなかにあって視界に入ってきた相手の顔は見たくないものだったので、オウジは思い切り顔をしかめた。
「あ、やほー。起きたね!」
しかめ面に返すには、およそ相応しくない朗らかな笑顔と気さくな声かけ。一般的には人に好まれるだろう振る舞いをするのは、若い女だ。
これが街中で出会ったというのならば、何の違和感もないだろう。
けれど片方は訳も分からず全身を拘束されているのだから、女の異常性が浮き彫りになる。
そもそも、オウジは気絶するまでにこの女を見ているので、こうして囚われているのは十中八九この女のせいだ。
──つまり、こいつは敵だ。それも明確に。
「……あんた、どういうつもりだ」
「ええ〜? あんたはやだから、プラタナスって呼んでよぅ」
女、プラタナスが不服そうに口を尖らせる。
無邪気といえばそうだが。警戒心を隠しもしないオウジに対する反応としては、明らかにずれている。
「どういうつもりって言われてもぉ。うう〜ん、そうだなあ。ええっと、面白そうなのがいたから、実験に使おうと思って拾ってきた、かな?」
うまく伝わってる〜? と首を傾げるプラタナスには、あきらかに常識が欠落していた。
オウジの知る常識だけではない。この花紋の世界においても、初対面の人間を「実験に使おう」と捕まえるのは常識から外れている。
──隠しもせずに実験道具だってか……さしずめこの台は実験用の作業台ってわけか。
プラタナスからして見れば、オウジはまな板の上の鯉というわけだ。いや、まな板ならばまだ良い。食べるためにさばく台なのだから。目の前の女は実験のために人をさばくのだろう。さばいて、いじくり回して、食べもせずにおもちゃにする。
──逃げるべきなんだが、体が痺れて動かねえんだよな……どうしたもんか。
我が身の危機とわかっていながら、オウジにはあまり積極的に逃げようという気持ちはなかった。
なぜなら、これまでのどの異世界でも死ななかったから。
──どうにかなっちまうんだよな。転移者特典なんだか知らねえが。
そのおかげでオウジはこれまで生き延びてきたし、そのせいでオウジは幾人もの異世界の人々が命を落とすのを見てきた。
大勢が死ぬような瞬間において、自分だけが生き残ってきたのだ。何をすることもできない、非力な凡人でしかない自分だけが。
自分が生き残ったせいで命を落とした人もいるのではないか。
そんな思いに苦しんだ頃もあった。
異世界から来たオウジがいたせいで、本当は助かるはずだった誰かが命を失ったのでは、と悩んだ頃もあった。
いまだにそう思う瞬間はしばしばある。
──いっそこの命、すっぱり手放してしまえりゃいいんだが、なあ……。
諦めて状況を受け入れるには、記憶の端に引っかかる顔が邪魔をした。
やたらと主張のうるさい顔だ。出会ってから過ごした時間はほんのわずか。それなのにいやにはっきり思い出せるのは、本人に遠慮というものがまったくないからだろう。
──俺が死んだら、面倒を起こしそうだよなあ。あの編集。
オウジの諦めを邪魔するのは、猪野ふらんと名乗った若い編集者だ。
ファンだ何だと大騒ぎしていた彼女が、オウジの不在に気づいたらどうするだろうか。
──まあ、間違いなく探し回るだろうな。あの子どもどころか、他の現地の人間まで巻き込んで。
その様を見たことはないが、想像するのはあまりに容易い。
子どもを連れた猪野が巨鳥モアに乗り、街の住人を引き連れて中央を囲む壁をぶち破ってくる姿。
──冒険ファンタジーの主人公かよ。
そのあまりに騒々しい想像にオウジはひっそりとため息をつく。
転移者特典に期待して時間が解決してくれるのを待つという選択肢は、取れ無さそうだ。
──おとなしくしているわけにもいかないか。
オウジはため息の代わりに言葉をつむぐ。
「なんだって俺を実験台にしようと思ったんだ。自分で言うのも何だが、何の取り柄もない凡人だぞ」
謙遜でも卑下でもなく告げたオウジに、プラタナスは驚きの声を上げた。
「い〜え、い〜え〜! 凡人だなんてそんなわけないでしょお。だってこんな魔力からっぽの人なんて、初めて見るしぃ!」
魔力がゼロ。
異世界の人とは違うのだと言われたオウジは、とっさに否定しようとするも。
「凡人っていうのはねえ、魔力を扱えない人だよう。花紋が無くて魔力を扱えなくたって、普通は体のなかにちょっぴりでも魔力が溜まってるもんなんだから。なのにアナタはほんとの空っぽ。死体ならわかるけど、ちゃあんと生きてる。そんなおかしな生き物だってこと、わかっちゃうんだよお。この特別な眼鏡があればね〜」
すちゃ、とプラタナスがはめて見せたのは眼鏡というよりゴーグルと呼ぶべき代物。
スチームパンクが好きそうな、金古美のいかつい物だ。
「これはねえ、作るのに苦労したわけで〜。なんでかっていうと、魔力を込めて作っちゃうと覗たときに眼鏡自体に宿った魔力が見えちゃうわけで〜。だからぜーんぶ、手作業。型を作るのも、レンズを磨き上げるのも、組み上げるのも、全部ぜ〜んぶ手作業で。それも素手じゃダメ。人の魔力が移っちゃうと意味な〜し、なので魔力を遮断する手袋して〜、手先がうまく動かない状態でがんばってもぞもぞごそごそって〜」
つらつらと語られる内容のほとんどが、オウジにとって興味のないものだった。
魔力が見える眼鏡、とだけ言われれば反論を飲み込む。プラタナスはそんなことはお構いなしで、単に話したかっただけなのだろう。
オウジが聞いているかどうかなど気にもせず、なおも言葉を続ける。
「知ってるぅ? 魔力って〜水といっしょに動くんだよぉ。水の枯れた地域に魔物は出ないしぃ、魔王が現れるのも水を貯め込んだ土地ばっかり!」
「……おい、その話は本当か?」
オウジが食いついたのが嬉しかったのか、プラタナスはゴーグルを額に押し上げて「本当だよぅ!」と目を輝かせた。
「どれも調べたもん。でも、調べる前から偉い人たちは知ってたんだよ〜。ずるいよねぇ、ずっと昔からわかってたのに、みんなには内緒にしてるんだからさあ。ちゃんと話してくれてたら、水と魔力の関係から調べなくって良かったのにい」
「昔ってのはいつごろだ」
焦って促すオウジだが、プラタナスはのんびりと首を傾げる。
「う〜ん? 生まれる前は全部、昔だからなあ。ええっと〜、いつだったっけぇ」
「細かい年数は良い。百年前にはわかってたのか」
「ああ〜! そういうざっくりで良いの? だったらそう。百年前にはわかってたよ〜」
軽やかに告げる声は王子の耳に遠く聞こえた。
百年前。それはオウジが一度目にこの世界に来た時代。その時に見守った勇者たちは、どこから現れるかわからない魔王の脅威にさらされながら、戦っていた。時には逃げだしたいとつぶやきながら、時にはなぜ自分がと世界を呪いながら、それでも人々の安穏のために命をかけて戦っていた。
だというのに。
──当時すでに、魔王が現れる条件がわかっていただと? 魔力が、水が魔王を引き寄せるとわかっていて、けれどあの街の上の連中はそれを手放さずにいたから、街は魔王に襲われて……だったらあいつらの守ろうとしたものは何だったんだ。
湧き上がるのが怒りなのか、絶望なのか。
判別もつかないほどの感情に震えるオウジをよそに、プラタナスは機嫌良く笑う。
「知っちゃったね〜? 水とか魔力とか魔王のこととか、みぃんな知っちゃったねえ。知っちゃったからにはもう、ここから出せないんだぁ。アタシもそうだもん。でも、だぁいじょうぶ! アタシは魔力の研究させてもらえてるしぃ、アナタのことは実験動物として飼ってあげるからあ」
「……はっ、何一つ大丈夫じゃねえな」
「ええ〜? アタシの腕を疑ってるわけえ? しっつれいだなあ。ちゃあんと死なないようにギリギリを見極めてあげるから、安心してよ! 手始めにぃ……」
プラタナスが手にした透明の容器のなかで、淡く光る液体がゆらりと揺れる。
「空っぽの器にどれだけ魔力が詰め込めるか、試してみよっか!」
青白い光に照らし出された研究者の笑顔は、ひどく禍々しくオウジの目に映った。




