第89話 囁かれた影
「ここの数字、書き換えられています」
とてもうまく誤魔化しているけれど、陽に当てると裏に隠された文字が透けた。
「本当、これもね、同じ手法ね」
スジェ先生が確認していた書類を、窓に向けて透かす。
「大胆に桁が2つ足されてるわ」
「え、そんなに?」
国家の支出は単位がいちいち大きく、それも王家の『無駄遣い』とも思える支出が多い。
王族だからと百歩譲って目を瞑るとして、それでは足らずに軍事費用や維持費用、他国との貿易関連にも誤魔化している数字が見られた。
王家と言えど、国家のお金を私物化してはならない。
そんな決まりがこの国にはあって、だから王家はあらかじめ組まれた予算以上に私用で好き勝手には国のお金を使えないことになっている。
この決まりを作った三代前の賢王、アレクサンドロスさまの功績。
ここ百年は、それが守られているはずだった。
「この消えたお金を、ぜんぶダーリアさまが私的流用していたというの?」
問いかけるように、スジェ先生はつぶやいて考え込む。
違うと、言えない私。
たぶん、ダーリアさまは誰かに嵌められただけ。
私のように。
可哀そうだけれど、ダーリアさまにもつけ入れられる「隙」があったのだろう。
ダーリアさまが国外の重鎮と通じていたのは、事実と言われている。
海外逃亡を企てていたのかもしれないし、国内に悪しき者を手招こうとしていたのかもしれない。
あの悲痛な叫びを毎日聞かされていた私には、ダーリアさまが大それたことをするようには感じられなかったけれど。
どちらかといえば、とても弱い方だと思う。
「ダーリアさまは、第一王子だけれど王は位を継がせる気はないとおっしゃっていると前々から囁かれていた。だから、それを理由に今回のことを企てたというけれどあの方ひとりでそんなことをできるとは思えない」
スジェ先生も、私と同意見のようだった。
だから私も、うんうんとうなずく。
「これはね、ここだけの話。私の妄想に過ぎないのだけれど」
スジェ先生は、ひとさし指を唇に立てて「内緒」という仕草をして声をひそめた。
私はうなずいて、先生の口元に、耳を寄せる。
「王の隠し子がまだいるらしいの」
「隠し子!?」
「シーーーーーーッ!!!」
思わず声が出てしまった私の口を、先生は慌ててふさいだ。
「ご、ごめんなさい」
ひそひそに戻る。
「だって王は、もう子供が作れる歳じゃ……」
「子供じゃないわ。もういい歳の隠し子がいて、この隠し子が王都に入り込んで裏で暗躍しているんじゃないかと思うの」
「…………」
ダーリアさまは知っていたんだ。
その隠し子の存在。
叫びの中には、そんなことも含まれていた。
「あいつが、あいつが入り込んできた」
あの「あいつ」が、その隠し子だとしたらいろいろ辻褄が合ってくる。
「じゃあ、その隠し子がダーリアさまをそそのかすとか騙すとかして、こんな事態に?」
「私はそう踏んでるけれど、確かではない話だから慎重に調べてみないとね。といっても……」
先生は、不正が見られる数枚の書類をピンと指で弾いた。
「これを書き換えたという人物はもう生きていないから、どこまで調べられるか」
「先生調べるんですか!? だってダーリアさまをはめた人物ですよ、危険すぎます」
先生、そして私にも影響が出てくるだろう。
なにかを暴いてしまったら。
「大丈夫よ。とりあえずは、この書類の『間違い』を探すだけ」
「でも……」
「大丈夫。隣の書庫と、この書類の束と、城をうろつける権利でできることしかしないわ」
ぱちっと右目を閉じる合図で安心してと言われても、不安しかない。
「ひとりで突っ走ることだけはやめてくださいね」
「ふふ、この書類の山はまだこんなにあるのよ、しばらくそんな暇ないからあなたはその心配だけしてね」
「はい……」
スジェ先生は笑っているけれど、事の重さをわかってない。
この世の中は、簡単に殺されてしまうんだ。
身に覚えのない罪で。
先生を護るために、クリアリの力を借りよう。
先生に、私に、なにかふりかかる前に。
『その先生とやらは、随分と探究心が強いのね』
呼び出したクリアリに、昼間のスジェ先生との会話を話すと、クリアリは背もたれに身体をあずけて片手に野苺の焼き菓子、片手に魔法のティーカップを持ちいつものようにしている。
背中を預けるなんて上品な言い回しより、ふんぞり返っていると言ったほうが相応しいかしら。
大事な話をしているのに、緊張感が足りなくないのでは?
おまけに。
『おかわり。……なぁに、その顔は』
すっと空いた皿を差し出すから、呆れてしまうのも無理はないと思う。
『美味しかったわよ、あなたも食べなさいよ』
「…………」
確かに野苺の甘酸っぱい香りが立つお菓子で、美味しそうではあったけれど。
お茶会じゃないのだから、呑気に菓子を頬張る気がしなかったのよ。
まさかぜんぶ食べてしまうとは思わなかったわよ、残ると思ったわよ。
「おかわりね。貰ってきたら、ちゃんと話聞いてくれるのよね? 力を貸してくれるのよね?」
念を押した私に、クリアリは手をヒラヒラさせて早く行きなさいとばかり。
知っていたわよ。
この女神の食い意地は、私の悩みの上を行くことは。
お母さまは、どうやってクリアリと仲良くしていたのか、聞けるなら聞きたい。
「じゃ、行ってくるけど同じものがあるかは保証しないわよ」
『なかったら、今度は塩気のあるものがいいわ。パンと塩漬け肉とか、ね』
お母さま、最近クリアリの要求がどんどんわがままになっている気がします。
ため息が漏れちゃうけど、いまの私にはクリアリの存在がどれほど大きいかの自覚もある。
おやつひとつで、運命を左右する審判を聞けるのなら、この広い敷地の私の部屋から一番遠い厨房に赴くのも大した労力じゃないわ。
そう自分に言い聞かせても、足取りはトボトボとしてしまう。
まだ夜は浅いけれど、誰にも会いませんように。
手に持ったお菓子とパン、まるで私がお夜食をこんな時間に食べるのかと勘違いされるだろう。
特にモアディさまには会いたくないな。
「あらぁ、お姉さまっ!?」
背後からしたその甲高く甘ったるい声に、ぎくりと足が止まる。
「な、なぜあなたがここに……? クミン」
振り返るとそこには、城にいるはずのない義妹とユハスさまが立っていた。
流行りものにのるのが好きな私ですが、人生で初めての「インフルエンザ」を罹患しまして、10日も寝込んでしまい、まだ咳も残るというやられっぷりでございます。
さて、忘れてました? な存在が出てきましたよ。
モアディさまより、会いたくない人が。




