第八髪 真剣に 向き合う姿 手に異本
一方、慎太郎は午前の打ち合わせを終え、部下である下北沢と共に少し遅めの昼食をとるため、会社近くの少し洒落た飲食店に来ていた。
大通りから一本入った人通りの少ない場所にあるその店は、下北沢が開拓した当初は客の入りも少なく、手ごろな価格で美味しいランチを落ち着いて食べられるという、理想的な場所だった。
だが、最近は口コミがきっかけで、特に若い女性の間で人気が急上昇しているらしい。
そんなわけで、ほぼ満席で実に賑やかな雰囲気の中、窓際の席に通された二人は、各々にランチをオーダーし、レモンのフレーバーが加味されている水を飲みながら、最近のニュースのことでひとしきり盛り上がる。
「それでですね、最近はこういったアプリが若い世代で流行っていて……」
「ほほう、なるほどなあ。こういったものを商品開発に繋げられればいいんだがなあ」
下北沢は話術も巧みで、表情も豊かだ。
嫌味がなく、自然と引き込まれるのが分かる。
顔よし、能力よし、人当たりよし、身長よし。
そして、――髪よし。
天はこの男に何物与えるのだろう、と羨ましくもなるが、不思議と嫉妬の気持ちは湧いてこない。
素晴らしいものは素直に認めるのが、慎太郎のモットーだ。
そうこうしているうちに並べられた料理をサラリーマンらしく高速で平らげ、食後のコーヒー(おかわり自由)が運ばれてきたところで、慎太郎は満を持して、この信頼のおける部下に話を切り出す。
「下北沢君。その、少しいいかね」
「……? どうされました、室長。例の育毛プランの話でしょうか」
少しだけ身を乗り出し、小声でひそひそと話しかける慎太郎を不思議に思いつつ、下北沢も同じように体を寄せる。
「例のプランの話も重要なんだが、今はそれよりも聞いて欲しいことがあるんだ。なかなか言いにくいんだが、こんな話、君くらいしかまともに聞いてもらえそうにないからね」
慎太郎の表情から、どうやら真剣な話であることを瞬時に読み取った下北沢は、同じように声を潜めて応じる。
その距離は五センチほどで、とても密だ。
遠くの席で女子の黄色い歓声が上がるが、二人の耳には入ってこない。
「その、昨日のことだ。リビングで不覚にも寝てしまったんだが……。夢を見たんだ。その夢がちょっと何というか、普通ではなくてね」
「と、申しますと……。恐ろしい悪夢、もしくは縁起のいいもの、または予知夢などでしょうか」
「そういうのだったら、まだ夢として笑い話にも出来たんだが……。何というかその、とてもリアルだったんだ。非現実的な設定なんだが、あまりにもリアリティーがあってだね」
慎太郎は昨夜のことを、つとつとと話し始める。
一度話し始めると普段見る夢のような細切れで飛び飛びの連続などではなく、流れが初めから説明出来、しかも鮮明に思い出せる。
まるで、本当にあったかのように。
軽く相づちを打ちながら静かに聞いていた下北沢であるが、普段の会話で見せるような愛想笑いはひとつもなく、ともすれば仕事の時より真剣な眼差しのまま、あごに手を当て、考えを巡らせる素振りを見せる。
しばらくすると、上質の革で作られた黒い営業鞄から、一つの雑誌を取り出し、慎太郎のコーヒーカップの横に置く。
「室長。これを読んで下さい」
「下北沢君、これは……」
慎太郎はその表紙に目を向けると、そこには実に怪しげなアート絵にセンセーショナル見出し、そして「アシュタ」という雑誌のタイトルが赤文字でデカデカと書かれていた。
慎太郎も知らない雑誌では無かった。
アシュタは1990年代後半に創刊された、世界中の「超常現象」や「怪奇現象」などを取り扱う風変わりな雑誌だ。
やれ、古代エジプトの神秘や古代アンデス文明の謎に迫ってみたり、宇宙人の詳細や未確認飛行物体の目撃内容や、宇宙人を呼ぶための儀式について赤裸々に語られていたり、霊的現象や呪い、占い、超能力など、この世のありとあらゆる摩訶不思議に対して、体当たりで挑んでいる。
慎太郎はこれを10代の頃に知る機会があり、ほんのひと時その世界にどっぷりと首を突っ込んではみたものの、現実的な情報社会に生きる中でいつしか関心が薄れていったのであった。
そのような雑誌が、地に足がついているであろう下北沢の鞄から出てきたのも驚くべきことであったし、なおかつ彼が真顔で読ませてくること自体、尋常ではない光景であった。
ぺらぺらと雑誌をめくってみると、その中に「異世界からの帰還者」を特集しているページがあった。
昔は見かけなかったジャンルであったが、時代を経て、このようなものも取り扱うようになったらしい。
軽く流し見たところ、異世界に行ったらまず行うことや役立つ知識、出現する怪物のイラストやその特徴など、ゲームの攻略本と見紛うばかりのテイストとなっていた。
「もう、お昼の休憩時間も終わりますね。そちらの雑誌はお渡しします。きっと室長のお役に立つ情報があるはずなので、お時間があるときにでもお読み下さい」
「ああ、もうそんな時間か。ありがとう、せっかくだからちょっと拝借するよ」
あの『夢』で見たものとはかなり趣向が違う気もしたが、何か参考になるものがあるかもしれない、と慎太郎は大事そうに小脇に抱えた。