第十五話
降る雪はひらりひらりと風に流されて、遠くまで飛んでいくかと思いきや、すぐさま海面に溶けて消えていく。
灰雲は彼方まで続き、空と水平線との境界線をなくす。まるで世界はどこまでも延々と繋がっているようだった。
リット達は港を出る商船に乗り、大海原のど真ん中にいた。
行き先はペングイン大陸にある『オルソバルデルド』と言う港町。
ハドが見つけてきた情報では、ペングイン大陸が雪の大陸と呼ばれるようになった秘宝が隠されている洞窟があるということだった。
他に情報があれば吟味するのだが、有力な情報はハドしか見つけておらず、ヴィクターが絶対に船に乗りたいと駄々をこねたので、行き当たりばったりで向かうこととなったのだ。
「やっぱり船は最高だ! どこにでも行ける!!」
ヴィクターは見張り台より高く、マストのてっぺんによじのぼって叫んでいた。
すると、あくび混じりの船員が、ぞろぞろと甲板へと出てきた。
ヴィクターの朝の叫びは、今やこの船に朝を知らせるお決まりの合図となっていた。
ヴィクターの話では、目覚める度に船の偉大さに感動し、叫ばずにはいられないとのことだった。
「毎朝毎朝うるせぇよ……」
リットは見張り台で毛布に包まりながら、上にいるヴィクターの尻に向かって言った。
イサリビィ海賊団の船に乗っていた経験から、リットは船に対しての知識を持ち合わせており、実践能力も少しはあったので、雑用を押し付けられていたのだ。
商船に乗せてもらう条件というのが、船の雑用だったので文句はないのだが、船長に気に入られてたヴィクターと、航海術を学びたいと嘘八百で雑用から逃れたハドは別の仕事をしており、同じく雑用するはずのクーは命令も聞かずにマイペースに好きなことをしていた。
結局リットのやることばかりが増えてしまったのだ。
「もう……うるさいよ……」
クーはリットが巻いている毛布の中かから顔を出すと、ヴィクターを睨みつけた。
自由にしていても雑用は雑用。仕事をしなければ寝る場所も食べるものもない。
どこでも寝られるクーでも、さすがに寒さには敵わず、リットの体温で暖を取って寝ているのだった。
初めは追い返していたリットだったが、何度も追い返しても猫のように戻ってくるので諦めた。離れていったとしても、その時は毛布まで持っていかれるので、クーにひっつかれているほうが結局は暖かくて良いのだった。
「うるさくもなるだろう。海を越えたら、そこはもう別の世界だぞ。オレの地図もまた広がるってものだ」
ヴィクターはマストから飛び降りてくると、地図を広げてリットに見せた。それはリットの世界では見慣れたもの、この世界では見慣れないものだった。
というのも、ヴィクターが冒険者として評価されたのは、到達困難な場所へ行き、地図を埋めたという功績が大きい。
なので、今リットが見ているのはポピュラーとなった地図の途中経過だった。
「ヴィクターの夢はわかるけどさ。私はもっと楽に移動したいよ。パーンっと一瞬で」
クーは毛布を引っ張って奪い取ると、リットの膝の上に座り直してあくびをした。
「自分の船を持てたら、無敵だと思わんか? 世界中どこへでも行き放題だ」
「そんなわけないでしょ。海賊に襲われるよ。もう忘れたの? あんなに下品に乗り込んでくる人達初めてだよ」
実はこの船は出航して四日目に海賊に襲われていた。イサリビィ海賊団のような物々交換の海賊ではなく、奪い殺す本物の海賊だ。その時に活躍して追い払ったのがクーであり、働かないクーを船から下すことが出来なくなってしまったのだ。
本来ならば英雄と讃えられて然るべきなのだが、クーの活躍は商船の積荷にも多大な被害を被ることになり、手放しで褒めることもできなかった。
そこで一応は雑用だが、好きに動いてかまわないうという暗黙のルールが出来上がったのだった。
それが許されるのも、リットというストッパーがいるからであり、なにかクーが問題ごとを起こせばすぐにリットが呼ばれる。
今までも、魚釣りをしていたクーが巨大なサメを釣り上げたり、ハーピィーの歌にうるさいと物を投げつけて喧嘩になったりと、リットは散々振り回されていた。
そして、リットの居場所といえばこの見張り台が主だ。ランプの修理が出来るため夜警にうってつけだと押し付けられたのだ。
リットの居場所が固定されることにより、四人の集合場所はいつ間にか見張り台となっていた。
「オレは井戸か? 井戸端会議なら他所でやってくれ……」
リットはヴィクターが起きてきたなら、仕事は休憩で寝る時間だと言ったのだが、クーは毛布を返さなかった。
「ちょっと……寒さに凍えるダークエルフを追い出すつもり? ただでさえ昨夜はあんまり寝てないんだから、もう少し寝かせてよね……」
「寝てない?」
リットはおかしいと首を捻った。クーは夜には自分のところで寝ていたはず。もし寝ていなかったのなら、起こされて相手をさせられていたはずだ。眠い頭をフル回転させて思い出すと、リットはクーに起こされたという記憶があった。つまり、どのくらいかわからないが寝ていた時間があったということだ。
もしやと思った時には遅かった。
甲板から「誰だ! こんなところにタコ墨でイタズラをしたのは! 酷い臭いだぞ!!」という怒鳴り声が響いた。
「おい……クー……」
「闇夜から忽然と姿を現す船ってカッコいいじゃんって思ったんだけど、タコの数が足りなかったんだよ。もっといっぱい捕まえられれば、真っ黒な船になるまで墨を塗ったんだけどね」
クーはあっさり自分が犯人だと白状すると、リットの膝から立ち上がり頭を撫でた。
それとほぼ同時に「雑用! 掃除だ!」と怒鳴られたので、リットはため息をつきながらマストを降りていった。
「持つべきは仲間だね」
クーは甲板を小走りするリットの背中に手を振った。
「随分酷い扱いじゃないか」
「そうでもないでしょ。あれでリットも喜んでると思うよ」
「どうしてそう思うんだ」
「だって慣れてるもん。心底嫌って感じじゃなくて、仕方ないなぁって感じ。きっともう誰かに仕込まれ済みだね。なんだかんだ面倒事を抱え込むタイプと見た。ヴィクターと同じタイプじゃん」
「オレは面倒事を発生させるタイプだぞ」
ヴィクターが誇らしげに言うものだから、クーは笑いながら確かにと笑った。
「ヴィクターは自分の面倒事ごと、相手の面倒事を引き受けるタイプ。無敵だよねー。なんでも楽しんじゃうんだから。リットは相手の面倒事なんてごめんだと思ってるけど、興味が出たらつっついちゃうタイプ。だから結局関係して面倒ことを引き受けることになるんだよね。つまりどっちも私にとってのカモだね」
「それはいい。一緒にいるだけで、楽しいことが降って湧いてくるんだ。カモも満足してるぞ」
ヴィクターはガハハと笑い声を響かせると、朝食だと鼻歌を鳴らしながら降りていった。
「あらあら……なんとも簡単に人の心を救っちゃってまぁ……」
クーは笑みを浮かべると、そのままの顔で眠りについた。
「いいか、染み一つ残らず綺麗に掃除しておけよ」そう命令されたリットは、甲板に積もった雪を利用して板の間にこびり付いた墨を拭き取っていた。
「なんだって……オレがクーのケツを拭かなけりゃなんねぇんだよ……。こっちのクーには、まだ義理がねぇってのによ……」
リットがぶつぶつ独り言を言っていると、だんだん波が荒れてきた。風の強さを考えるに、ここまで波が強くなるとは考えにくいが、船員が慌て出したのを見ると、これから時化るようだ。
海の天気は変わりやすい。リットは海賊船で何度も体験したと、今更慌てるようなことはなかったのだが、どうにも慌て方が尋常ではなかった。
このまま進めば、海の終わりにでも突き当たるのではないかと思うほどの慌てぶりだ。
だが、リットが命じられたことと言えば、甲板の墨落とし。様子を見に行って、ゴタゴタ言われるのも面倒臭いとモップで墨のついた雪の塊を海に下ろしていると、ハドが慌てて駆け寄ってきた。
「なにしてる!」
「女でも口説いてるように見えたか? 掃除だよ。アンタら全員が逃げたから、オレがするハメになったな。長いか? なら短くしてやる。アンタらのケツを拭いてんだ」
「そんなことはどうでもいい。中に入って、何かに掴まってろ!」
「なんだよ……嵐が近付いてきてんのか?」
リットは空を見た。青空は見えないが、荒れそうな黒雲もなかった。空は雪が積もったような灰色の雲で満たされているだけだ。
「クラーケンだ! この船を追いかけてきてるんだ!」
「んなアホな……。追いかけてきてるのが見えたら、あっという間に追いつかれて海の藻屑だ」
「これはなタコ波っていう特殊な波で、クラーケンが海面付近で泳ぐ時に発生する波なんだ。前にクラーケンに襲われた船員が言ってる。間違いねぇって。いいか? 船を壊されたら、ヴィクターの悪運でも、クーの閃きでもどうにもならねぇ。リット、お前は海に落ちないようにだけしろ。とてもじゃねぇが、助けてやれる余裕はねぇからな」
ハドの顔は真剣そのもので、海に飽きてからかっている様子でもなかった。大きな声で自分を奮い立たせようとしているようにさえ見える。
「なんだって、この船が襲われてんだよ。それも、姿が見えないようなところから追いかけられてるなんて、目印でもつけられたのか?」
「それがわかれば苦労しねぇよ。わからねぇから皆慌ててんだ。とにかく、大人しくしてろ。いいな?」
ハドは念を押すと去って行こうとしたのだが、リットの「あっ!」と言う声を聞いて慌てて戻ってきた。
「なんだ今の不吉な鳴き声は……まさかオマエが原因じゃねぇだろうな」
「もしかすると一割くらいはそうかも知れねぇ……」リットは墨で汚れた雪を、モップでハドの足元に寄せた。「クーは釣ったんじゃなくて、捕まえたって言ってた」
「……ニオイか!? つまりオマエが呑気にタコ墨のついた雪を落としたから、同胞を殺されたクラーケンが怒り狂って追いかけて来てるってことか!?」
「墨を落とせってのは船長命令だしよ、タコを捕まえてきて墨を塗りたくったのはクーだぞ」
「こい!」
ハドは怖い顔でリットの腕を掴むと、クーの元まで案内させた。
寝ていたクーは物音で起こされていて、すっかり不機嫌になっていた。
「もう……どう言うこと……。私のおねむタイムなんだけど……」
「こっちのセリフだ……よくもタコを殺してくれたな……おかげでクラーケンが船を壊す為に追ってきてる」
「ちょっと……人聞きの悪いこと言わないでよね。殺してなんかないよ。無理やり吐き出させて、海に返してあげたよ。私が無駄な殺生するわけないでしょ」
「アホか! 殺しとけ!」
ハドが吠えると、クーは耳を塞いだ。
「もうなんなの……殺してないんだからいいでしょ」
「オマエが海に逃したタコが告げ口したんだよ。だから、バレて追いかけてきてんだ」
「そう思うなら、タコ墨を落とした方がいいんでない? その臭いで追ってきてるんでしょ? 甲板についたタコ墨を全部落としたら、ニオイがわからなくなって、見失うと思うんだけどな」
「あのなぁ……他人事みてぇに言うなよ」
ハドはまだ文句を言おうとしたが、こうしちゃいられないと慌てて甲板に降りて行った。
どうせ手伝わされると自分も降りようとしたリットだったが、クーに毛布で捕らえられると、そのまま背中から抱きつかれた。
「まぁまぁ、そんな働き詰めると疲れちゃうよ。たまにはゆっくり休まないと。ね?」
「あのなぁ……誰のせいで休めないと思ってんだよ……」
「誰のおかげででしょ」
クーはリットの肩に顎を乗せて、忙しなく走り回る船員たちを見下ろした。
クーの提案に賛成したらしく、バケツに雪を積めて運んだり、モップを持ってかけたり、まるで戦場のようにドタバタしていた。
「オレには恨む未来が見えてんぞ……」
リットは遠くに見える高波に身震いした。
寒いのかと勘違いしたクーは更に身を寄せて抱き締めるが、リットの震えは止まらなかった。
その高波はクラーケンが起こしたものだとわかるからだ。
「絶対感謝するって。だって、もう飽きたでしょ? 海の上の生活は」
クーがにっこり笑って言うと、リットの震えは止まった。これはクーが故意に起こしたものだとわかったからだ。
「おい……飽きたのはクーじゃねぇのか……」
「まぁ、そうとも言うねぇ。だって皆命令ばっかりなんだもん……。もう飽き飽き……。でも、そんな生活とももうすぐおさらば。来いよ波! 待ってろオルソバルデルド!」
クーが高らかに拳を上げると、船は高波に襲われた。しかし、その前にタコ墨は落としきりクラーケンは船を見失っていた。
船は波に流されてスピードを増した。
「知ってる? タコ波って凄いんだよ。まるで小さな津波。一度波に乗れば、陸まで勢いは衰えず。これならあっという間だね」
船は波に乗り上げ、まるで津波に流される漂流物のようになっていた。
しかし、クーが止まる時のことを考えているわけもなく、数日後船は浜に乗り上げる形で止まったのだった。




