第十三話
次の目指す場所は光の先と決まっているのだが、そう上手いことばかり行くわけでもなかった。
前回のように、なにもない平原から光を追いかけるのは比較的楽だったが、今回は森の木々や崖に邪魔をされてしまって、方向さえも曖昧になってしまっていた。
さすがにヴィクターもクーも一時のテンションに任せて進むようなことはなく、森を抜けた先にある村で情報を整理することにしたのだが、宿もないような小さな村だったため、家畜の肉を買うだけで、結局森の近くの川でテントを張ることとなった。
「しけた村だったな」
ハドは村で買ったカモの羽を処理しながらため息をついた。
「旅人が気軽に寄れるような町なんかあったら、誰かが先に上る滝のことを解明しちゃってるよ。不便な場所だからこそ、手垢がついてないってわけ」ここまでにこやかに言うと、クーは急に不機嫌に目を細めた。「それは私に対する嫌味なわけ?」
クーが言っているのは、ハドの手元にあるまるまると太ったカモだ。ダークエルフでもあり冒険者でもある自分が、森で鳥の一羽もとれないと思われているなんて心外だった。
「そう思うなら、森に行って取ってこいよ」
ハドが煽るように言うと、クーは袖をまくって森に向かったのだが、すぐに戻ってきて唇を尖らせた。
「まだ帰ってきてないよ。臆病鳥達め……」
クーは空を睨みつけた。この森にいる鳥は異変を感じ取って逃げてしまったのだ。
異変というのはもちろん、上る滝を操作したことによる魔力の乱れ。
クーの話では、鳥達は一日も経たずに戻ってくるとのことだ。もしも戻ってこないようだったら、森を管理しているエルフや妖精が出張ってくるので、さっさと逃げたほうが賢明だ。
特に自分はダークエルフで、他のエルフからはあまり良い目で見られないので、ゴタゴタに巻き込まれる可能性があると笑っていた。
「完全にこっちが悪いからな」という言葉とは裏腹にヴィクターも笑っていた。「面倒事は楽しいが、揉め事は良くない。一晩過ごしたらさっさと逃げよう。この辺の地理には詳しくないが、川沿いを行けば町があるだろう」
「オレは面倒事もごめんだ。だからさっきの村でカモを買う時に聞いた。一番近い町は光が反射した方向と別方向だとよ。どうする? 進むか戻るかだ」
ハドは羽を抜いたカモの産毛を、焚き火で炙り焼きながら言った。
光と反対方向ということは、港町アヴァへと戻るということになる。ここへ来るために一度情報を集めきった町なので、行くだけ無駄足になる可能性が高い。
「それでそんなに良いカモを買ったわけだ。中途半端な情報代だね。せめて船に乗るかどうかわかればいいんだけどねぇ。あっちの方角のことは全然わからないもん。陸続きがどうかさえね。ヴィクターはなにか知ってる? ……ヴィクター?」
クーはキョロキョロと見回してヴィクターを探した。つい先程まで隣にいたはずなのに、こつぜんと姿を消してしまったのだ。
「ヴィクターは森だ。リットの帰りが遅いってな。そんな遅いか? 太陽の位置を見てみろってんだ。大して傾いてもいねぇってのによ」
「まぁ、私達に比べたら遅いね。知識はあるけど、冒険に関しちゃまだまだひよっこ丸出し。なのに態度はいっちょまえと来たもんだ」
「おい……クー。どこに行くつもりだ」
ハドは背中を向けるクーの腕を掴んだ。
「リットのとこに決まってるでしょ。ヴィクターだけずるいじゃん。私もでかい顔して教えたいの」
「手のかかるガキじゃねぇんだぞ。なにを世話焼きになってんだよ。ヴィクターもクーもよ」
「わかんないけどモヤモヤするの。昔に描きかけのまましまっちゃった絵画を見つけちゃったって感じ。偶然でも目に触れたら、完成させたくなるじゃん」
「クーにそんな洒落た趣味があったとはな。人の顔に落書きするくらいしか想像できねぇ」
「何年生きてると思ってるのさ。長い人生、一度くらい絵画にはハマるってもの。まぁ、暇つぶしにもならなかったね。色合いが――とか、タッチが――とか。自分の目で見る風景が一番」
「なら今更昔の絵画に色を付ける必要なんてねぇはずだ。ヴィクターが逃げた分の代わりをやってもらうぞ」
ハドはテントを張るための草刈りや地ならし、それに水を汲みなど、やることは山ほどあると顎をシャクった。
「ヴィクターめ……」
クーは一人逃げたヴィクターへの不満を晴らすように森ごと睨みつけた。
その頃リットは頭を悩ませていた。
リットが森にいる理由は、今晩食べるための食料を調達して来いと言われたからだった。
食べられる野草や木の実のことは一通りクーに教わっているのだが、かなり昔の子供の時の話だ。それも、冒険の時に役立つからと話を聞いていたわけではなく、おやつに木の実が食べられるくらいの気持ちで聞いていたせいで、ほとんど頭に入っていない。
あからさまにわかりやすい木の実や野草なら判断出来るのだが、この森にリットが食べられると断言できる植物はなかった。
赤い実一つとっても膨大な種類があり、よほどの特徴がなければ毒があるかどうかわからない。
実が無毒でも種や枝に毒があることもあり、熟しているか熟していないかでも毒の有無が変わるものもある。一粒なら平気だが、二粒なら全身が麻痺するなど、知識がなければ触らないのが当たり前のことだ。
リットも今まで旅に出ていた時は、知識を過信せずに乾燥パンで凌ぐことがほとんどだった。おかげで、ノーラには延々と文句を言われていた。
だが、今回はなにか持って帰らなければならない。
強制されたわけではないが、三人が三人ともリットにとって師匠のようなものなので、手ぶらで帰るのはどうもきまりが悪かった。
目の前になっている二種類の赤い実。リットはどちらかを取ろうと手をさまよわせたが、踏ん切りがつかずに手を引っ込めてしまった。
「それが正解だ。どっちも毒だからな。特に右のは危険だぞ。もし傷口に汁が入ったら、痛みもなく腐り落ちるぞ」
ヴィクターは拍手の音を同時に響かせながら、木の陰から姿を表した。
「アンタが言うとシャレになんねぇよ……」
ヴィクターの死因というのは植物性の毒。そのことを知っているリットは、心臓が嫌な動悸をし始めた。
「シャレで言っているわけじゃないからな。危険だと言っただろ。まぁ、触る前に止めていたがな」ヴィクターはガハハと笑うと、急に真面目な顔になった。「ここは思ったよりも多いな。有毒植物が」
「そういうのは先に言えよな。プロなんだろ、冒険者ってのは」
「森の西側に多いんだ。東側から森に入ってきた時にはなかった。風が種を運んでくるのか、様々な植物が生えているということだ。丁度いい機会だ。毒性の植物の見分け方を教えてやろう」
「ありがたくて涙が出る。オレの代わりに集めてくれりゃ、もっと嗚咽まで垂れ流しそうだ」
「そうだろう。知識というのは最も大事だからな。ズバリ――丸暗記だ。一つ残らず覚えるしかない」
「よかった、そんな簡単なことでいいのか。てっきりフェニックスの羽で作ったペンで勉強しろとか、百万年生きた亀の血で書いて覚えろとかだと思ってた」
「そう皮肉を言うな。今すぐ覚えろというわけではない。長い人生、時間をかけて覚えろということだ」
「なら時間をかけて覚えた爺さんを連れ回すよ。その方が楽だ」
「なかなか目の付け所がいいじゃないか。近くに住む者に聞くのが一番手っ取り早い。その土地で暮らす者の知識と知恵。すなわち文化を尊重するということだな。飛び込むべきは植物ではなく人だ。どんな種族であれな」
ヴィクターは無理して知識を詰め込むのが嫌なら、人との繋がりを大切にしろと言った。
「そりゃ、ヴィクターが誰からも好かれるから出来ることだろ。普通はよそ者に教えたくないことが八割だ。もし万病に効く薬草があるなんてことになってみろ。国から依頼を受けた冒険者に根こそぎ持っていかれる。ヒハキトカゲだってそうだろ?」
実際ヒハキトカゲは害獣指定されているので、冒険者の依頼は駆除に当たるので問題はない。だが、根本は同じことだとリットは意地悪な笑みを浮かべた。
「まさしくその通りだ。冒険者ってのはその矛盾を仕事にしている。答えなんてものはない。願望を叶えるだけだからな。人の願い事なんて矛盾だらけだ」
ヴィクターはただの笑い声を響かせた。楽しくも悲しくもない。感情の色のない笑い声だ。
「なぁ、なんで冒険者になろうと思ったんだ?」
「どうした、突然」
「そこんとこをちゃんと聞いたことがなかったと思ってな」
「出会ってからそんな経ってないからな。冒険者になった理由か……そうだな……。やはり愛だな」
ヴィクターは自信満々に答えた。
「またそれかよ……」
「全ての根源だろ。愛に始まり愛に終わるのが人生だ。少なくともオレは愛されて生まれてきたぞ。だから全てを愛して生きるんだ。死ぬ時は愛されて死ぬ。それが理想で、オレの夢だ」
愛という簡単で単純な言葉は、ヴィクターにとって実に様々な意味が含まれている。百万の時間をかけても、億の言葉を使っても伝えられないもの。だが、愛の一言で伝わるものでもある。
「今のままのヴィクターでいれば、その夢は叶うと思うぞ」
「オレもその自信がある」ヴィクターは満面の笑みで言った。「後は取るに足らない理由だ。謎が解ければ楽しいし、想像もつかない出来事を体験すれば興奮する。たまに大金が入って豪遊も出来るしな」
「その取るに足らない理由ってのが、世の冒険者の原動力だと思うぞ」
「ならば、新たな謎が一つ解けたな。なぜオレの名が売れているか。その他大勢に括られないからだ」
「そういうの自分で言うと嫌われるぞ」
「ならリットが言ってくれてもいいんだぞ。ほら、いつでもいいぞ。どうした? 照れるな。相手を褒めるのは大事だぞ。言葉にできるものは全て言葉にしろ。相手が親友でも恋人でもな」
ヴィクターは両手を広げて、褒め言葉を待っていた。
「オレはよく知ってる。アンタはすげぇよ……色んな意味でな」
リットは何をするにも規格外だと皮肉って言ったのだが、ヴィクターはそんな意味には取らず、よく言えたと褒めるように抱きついてきた。
「頼むから言葉にしてくれ……」
ヴィクターの力強い抱擁に、リットは息が止まりそうになっていた。
「すまんな。嬉しいことを言ってくれるもんでついな」
「すまんと思うなら離れろよ……」
「二つ三つ具体的に褒めてくれたらな」
「言えるかよ……事情ってもんがあんだ」
ヴィクターの未来に関することなので、リットは何も言えなかった。言ったところでなにが変わるのかわからないが、言わないほうがいいと思うのは前と変わらずだ。こういう時の勘には素直に従ったほうがいい。
誰に言われたか覚えていないが、『ヤバいと思ったことは、大抵ヤバいことだからやめておけ』という言葉がリットの頭に浮かんでいた。
そんな事情も知らず。ヴィクターは「照れるな照れるな」とじゃれついてくる。
それはヴィクターが満足するまで続けられた。
ヴィクターに開放されたリットは、大きな大きなため息を落とした。
「将来子供が出来たら気を付けたほうがいいぞ……。こんなことしてたら絶対に嫌われるぞ」
「頭の片隅には残しておく。さぁ、さっさと帰るぞ。木の実も見つけたしな」
ヴィクターは危険だと言っていた右にある赤い実を見て言った。
大きな葉と枝を拾うと、枝をガサガサ払って木の実を落として葉で包んだ。
「おいおい……食えねぇって言っただろ」
「そんなことは言っていないぞ。傷口に触れると危険だと言ったんだ。熱すれば毒は消える。それどころか毒の成分が甘味に変わるんだぞ。ハドが買ってきたカモによく合うソースになるだろう」
「オレが取るのを止めて正解だって言ったじゃねぇかよ」
「素手で取ろうとしたからだ。森を歩くと目に見えない傷ってのが出来てるもんだ。傷口に汁に触れれば、体が腐って落ちるってのは本当のことだぞ」
「なんかよ……ヴィクターの言葉全部に試されてる気がしてきた……」
リットはヴィクターが間違ったことを言っていないとわかっていたのだが、どうも調子がずれると肩を落とした。
「クーでもあるまいし。いちいち試すものか。最初にどちらの実も取らなかったことで、オレの課題はクリアだ。遅くなるとハドが不機嫌になる。戻るぞ」
二人が川へと戻ったのは夕方になる前だったが、不機嫌だったのはハドではなくクーだった。
「おそーい! 時間がなくなっちゃうでしょ!!」
「遅くねぇよ。晩飯までまだまだあるだろ」
リットは疲れたと座り込んだのだが、クーに腰のベルトを掴まれて無理やり立たせられた。
「私と森に行く時間がないって言ってるの」
「今行って帰ってきたばっかりだぞ……」
「リットはね。私はまだ。さぁ、森とは何たるかを教えなくちゃね」
クーはご機嫌な鼻歌を響かせてリットを引きずっていった。