二十二片 やはり、そのままでいい
今度は夢、それとも──。
花梨は目を閉じたまま、感覚を研ぎ澄ませた。ガタガタと風で木戸が鳴るような音、うっすらと感じる木の匂いと畳の香り──木製の家屋の中だろうか? 隙間風で頬にあたる空気は冷たいが、体は温かい。なにか布のようなものが体に掛けられている。
(……また夢なのかな?)
最初の夢は木々の中を走り抜けていた。
次の夢は耳に響く怒鳴り声から始まった。
次は──。
花梨は、おそるおそる瞼を開けると、ほのかに明るい光が目に入った。燭台の影が蝋燭の動きに合わせて揺れている。蒼い丸柱、格子のように張り巡らされた天井には桔梗の花が描かれていた。暗がりでも美しいとわかる装飾に、いつもの花梨なら目を奪われていただろう。だがどんなに美しくとも、たとえ極楽のような輝かしい世界でも、それは花梨が見たい世界じゃない。
(今度はどっちなの?)
夢か現実か──いや、現実ではない、ゲーム世界と言うべきか。それともこの場合は異世界が正しいか。だがそれがわかって何になる? 戻れたわけでもないのにと、花梨は苦い笑みを零した。
わかる事はまた横になっていたこと。そしてまた──。
(肩の痛みが消えてる)
再確認するため、左手で肩に触れようとした時だ。淡い桃色の袖が見え、花梨は目を見開いた。
(服が変わってる。じゃあまた夢の世界なの?)
驚いて起き上がり、手、足、服を確認する。服は花梨の花が描かれた美しい単で制服ではない。また別人になっているのか? と思ったが手や足は花梨のものと酷似している。それでも今までの事がある……と、花梨は確信できずにいた。
(どこかに鏡があれば……)
「目が覚めたか?」
突如、横から男の声が聞こえ、ぬっと出て来た姿に花梨はわっと悲鳴を上げた。
「どうした!?」
声を掛けた男が警戒し周囲を見回す。
「いや、おじさんの顔にびっくりし……あは、あはは」
「……」
夏行の雷眉が不快そうにピクリと動く。だが文句も言わず、その場にドスっと座り込むと、「すまん」と深く頭を下げた。いわゆる土下座だ。
「また土下座……」
これで二度目だ、と花梨は心で呟く。
「なんで謝るの?」
「大輔とやらを連れて帰れなかった。その上……」
あぁ気絶させたことか……と花梨は思い出す。当時は腹が立ったが、今の花梨は落ち着いていた。むしろ止めてくれねばどうなっていたか。それほど大輔は濃い邪気で覆われていた。あのムカデすら可愛く思えるほど重く、苦しい邪気だ。そこに神力もなく浄化もできない花梨が行けば、死にに行くようなもの。もし堕ち神が暴れたら、全員が死んでいた可能性だってある。
「ううん、あたしこそごめん。あの時は冷静じゃなかった」
花梨の言葉に、夏行は顔を上げると、ぽかんと口を開けた。
「どうしたの?」
「てっきり喚くと思っていたゆえ」
「あのね……あたしをなんだと思ってるのよ」
(どうせ猿みたいにキーキー言うと思ってたのね)
正直、花梨だって悔しくてたまらない。思いっきり喚いて当たり散らしたい。でもそんな事をしても何にもならないし、誰かが解決してくれるわけでもない。
(今までなら大輔が、なんとかしてくれたけど)
その大輔を今度は花梨が救わねばならない。
「ハードだなぁ……」
「はあど?」
「厳しいって事。で、ここはどこ? あたしはどれぐらい寝ていたの? 状況を教えてくれる?」
「ここは婆様の寝所だ。お前は三日ほど眠っていた。選定の儀まで身を護るには、ここが一番安全だからな」
あれをもう一度するのかと、花梨は渋い顔をする。
「……大輔はどうなったの?」
途中で気を失ったため、花梨は事の結末を知らない。
「わからぬ。あれから姿を消したままだ。だが各地の黒獣被害が目立って増えた報告はない。庭園の件も無事終了し、復興作業が始まっている。儀はまだだが、名目上、お前は巫女姫として迎えられるだろう」
「え? なんで?」
花梨は戸惑う。庭園は浄化したが、予言通り堕ち神が目覚めてしまった。あれほどの邪気に周囲が気づかないとは思えない。
「あの件を気にしているのか? それなら不思議と誰も気づいておらぬようだ。婆様はわからぬがな」
「え?」
(気づいてない?)
「どうして? だって堕ち──むぐっ」
聞こうとした花梨の口を、夏行が手でふさぐ。今は聞くなという圧らしい。
(どこに耳があるかわからないから? たしかにこの件が公になったら、大輔の身が危険だけど)
「それより体はどうだ? 婆様がえらく動揺し、慌てて治術を施してくれたが、大丈夫か?」
夏行があからさまに話題を変えた。花梨は大丈夫と、右腕を回してみる。かなりの深手だったのに、桔梗の治術は凄いようだ。
「おじさんはどう?」
「お前の神力が回復したからだろう。問題はない」
「本当? 無理してないよね?」
暗がりでわからず、花梨は夏行の顔を覗き込むように見た。夏行がとっさにのけ反ったが、花梨は気にせず距離を縮める。
「おい……」
「ほんとだ、前より元気になったみたいね」
夏行は傷だけでなく悪かった顔色や目の隈まで消え、出会った頃より健康的に見えた。十年は若返ったんじゃない? と冗談で花梨が言うと、夏行が複雑そうに三白眼を細めた。
「ところで、やけに立派な服を着てるけど、どうしたの?」
庭園を浄化したのだ、もしかして帝主催の盛大な祝賀会が!!──と思うも、いや、ないなと花梨は首を振った。帝や桔梗ならわかるが、その他大勢は理由をつけて欠席するだろう。
「これは、助六のやつが……」
夏行が舌打ちした。どうやら助六のせいで、この服を着るしかなかったらしい。
「嫌いなの? 似合ってるけど」
「いや……あまり着ぬ色ゆえ、どうも慣れぬ」
たしかに今まで夏行は暗めの色、どちらかというと地味な恰好をしていた。だが今着ている服は、明るめの紺の直垂に、黒の射籠手──しかも華やかに金糸で花の刺繍がされている。
その刺繍が花梨の花なもんだから、おやおや? と花梨がほくそ笑んだ。
「もしかして『チーム花梨!』って感じの意気込み?」
射籠手の柄を指さしつつ、花梨が聞く。
「ちいむ?」
「共通目的を持つ仲間? みたいな。 で? どうして?」
花梨がまじまじと見ると、夏行の目が泳いだ。
(ほれほれ~言いなさい。あたしの花仕になりたいと。この服はそういう意味よね)
「この射籠手は婆様が祝いにくれた」
「お祝い? 庭園を浄化したから?」
「いや、お前の花仕になったと勝手に」
花梨は目が点となり、時が止まったかのように数秒固まると
「えええ!! あんだけ花仕は嫌って言ってたくせに!! あたしが言う前になるとかずるい」
と叫んだ。あまりの大声に夏行が耳を塞ぐ。
「別に嫌というわけでは」
「わかった!! 桔梗様に無理矢理なれと言われたのね」
桔梗ならやりかねないと花梨は思う。
「違う。印を見られた」
「印?」
「確認するか?」
コクリと頷くと夏行は何を思ってか、射籠手の紐をとくと、立ち上がり上衣を脱ぎだした。引き締まった体を躊躇なく見せられ、花梨は焦る。
「な、ななんで脱ぐのよ!!」
「確認するのだろう? 腹を見ろ」
赤くなる花梨に対し、夏行が困った顔で言う。
(あ~うん。おじさんだもんね)
夏行の言うとおり、腹部に痣のようなものが浮かび上がっていた。それは淡い桃色の、花梨の花だ。
「花仕になると、この印がでるの?」
「そうとも言えるが、本来は……」
理由を言おうとして夏行が言葉を濁し咳込んだ。
「ほんらいは?」
「……お前と某の場合、魂で繋がったゆえ現れたようだ」
(なんかはぐらかされたような……)
もういいだろうと夏行が赤い顔で上衣を着始めた。脱ぐ時は普通だったのに、なぜ着る時になって恥ずかしがるのか? 意味が分からず花梨は眉根を寄せる。
「まあいっか。あたしの花仕になってくれたんだし」
「いや……」
(は???)
服や印の説明までして否定が入る理由が分からない。
「お前はそれでいいのか?」
「え? いいからお願いしてたんでしょ?」
「だが……お前には好いた男がおるだろう? そやつを差し置いて先に」
夏行の言葉がぐさりと花梨につき刺さる。
「……振られたけどね」
(しかも『幻想』って断り付きで)
「あれは振られていたのか?」
「え……(やり取りを見てたよね?? どこまで鈍感なのよ)」
これ以上、傷をえぐるなと花梨は睨んだが、夏行は納得できかねるようだ。花梨は説明すら虚しくなり、ため息をついた。
「とりあえずそっちは置いといて」
花梨は場の空気を仕切りなおす。
「今のあたしには花仕が必要なの。どうしても菖蒲さんの花仕でありたいなら強要はしないわ。菖蒲さんはおじさんが愛した女性だもの」
花梨の言葉に夏行は一瞬黙り込むと、軽く息を吐いた。その顔が寂し気で切なそうだ。色恋に無頓着な、おじさんでも相手が菖蒲なら、そんな顔をするんだなと、花梨は思った。
「花梨、花仕云々の前に確認したい」
突然、夏行が恭しく跪いた。なんだ? と花梨は驚いた顔で夏行を見下ろす。
「某は神無で、神力を使えない。権力もないゆえ後ろ盾にもなってやれぬ。迷惑をかける方が多いだろう。それでも互いに背を預ける仲でいてくれるか?」
「なんだ、急に改まるからびっくりした。背中ぐらい預かるわよ。その分、よっかかるから気にしないで」
ケラケラと笑う花梨を見て、「お前らしいな」と夏行が苦笑する。
「そうか。ならば大輔を助け、お前が元の世界に帰れるよう尽力しよう」
ここで「やったぁ!!」と素直に言えず、花梨は戸惑った。一度、ログアウトをほのめかしたら「職務を放棄する気か!」と怒られたのもある。だが夏行の顔があの時とは全然、違う。真面目一徹の仁王が優しい顔で花梨に言うのだ。
「お、おじさん、どうしちゃったの? なんかいつもと感じが……」
「どうしたもない。花仕として某の命と心のすべてを、花梨、お前に捧げる意だ」
花梨がぽかんと口を開ける。
「捧げるって……なんか愛の告白みたいね?」
「そうだな」
「え……ま、ままままま。あたしにとって花仕はそういう意味じゃ」
(待ってよ。大輔の事があって心の整理もできてないのにっ)
「落ち着け。花仕になる際、巫女に立てる誓いの言葉だ。某を仲間として花仕に迎えるのだろう?」
「……」
どうやら夏行は花仕が一般的に言う、誓いの言葉を形式的に言っただけのようだ。
「ややこしい!! さすがに年齢差が~とか色々考えちゃったわよ!!」
バクバクと鳴る胸を花梨は必死に抑える。
(初めて告白された時より、ドキドキするなんて!! 勘違いした自分が恥ずかしい!!)
「年齢差? 前から言おうと思っていたのだが、花梨……某をいくつだと思っている?」
「え? 二十六ぐらい?」
夏行の雷眉があからさまに引きつった。本音を言うと、初めて夏行を見た時、花梨は三十後半だと思っていた。だが今は健康的な顔になり、十年は若返って見える。よって推測より、さらに若く言ったのだが、はずれてしまったらしい。
「じゃあ二十五!!」
これなら? と花梨は思ったが、どうやら不正解らしい。仁王顔が復活している。
「十九だ」
「え? 二十九?」
「じゅうきゅうだ!!!。まったく……だからか、何度否定しても、おじさんおじさん言いおって」
水面にあげられた魚のように、花梨は口をパクパクとさせた。仁王は花梨と二つしか変わらなかったらしい。それでおじさんと呼ぶ度に、冬織が笑っていたのかと花梨は理解した。
「ごめん……おじさ、じゃなくて夏行さん」
「さんはいらん。某も花梨と呼んでいるしな」
そういえば、いつからだろう。夏行は花梨と名で呼ぶようになっていた。最初は「お前」だけだったのに。名前を呼ぶ気はないのか? と思っていたほどだ。そういう花梨も人の事をいえないが。
「じゃあ……」
花梨はすぅっと息を吐く。
「夏行」
男を下の名で呼ぶのは家族と大輔を除けは初めてで、花梨は妙に恥ずかしくなった。だが肝心の夏行は俯いたまま反応を返してこない。
「おじさん?」
「やはり、そのままでいい。おじさんでかまわん」
夏行は下を向いたまま言うと、座った状態のまま、くるりと背を向けた。
「なんでよ……」
呼ぶなと言ったり、呼べといったり。夏行がおかしい。
「ま、おじさんがいいなら、いいんだけど」
夏行とは背中合わせで花梨も座る。
(背を預け合う仲か……)
なんだか嬉しくて花梨はクスっと笑みがこぼれた。
「おじさん、花仕になってくれて、ありがとう」
「あぁ」
夏行が小さな声で返した。




