二十片:壁の崩壊
ボトリと落ちた物体は、ムカデの一部だ。
たぶん花梨が刀身を振り回したことで、飛び散った花弁があたり落ちたのだろう。だが、浄化される気配がない。どうやらダメージを与えるに至らなかったようだ。赤い瞳をぎょろぎょろと動かし、ぴちゃぴちゃと音をたてながら、さかさまになった体勢を戻そうと体をひねっている。
(まるで黒い芋虫ね)
しかも大きい。両手でなければ持てないぐらいはある。どうやらこのムカデ、芋虫型の黒獣が凝集した化け物のようだ。
(うう……気持ち悪っ。なんかネバネバしてるし)
虫が苦手な花梨は息を呑んだ。だが粘液だらけの足では素早く動けないだろう。接近してきたら切ればいい。残された体力を考えれば、芋虫よりも目の前のムカデに集中すべきと、花梨は気持ちを切り替えた。
(なんとか隙を作らなきゃ。でもどうす……)
「───!!!!!」
足に感じるものを見て、花梨は悲鳴すら上げれず凍り付いた。大腿に芋虫が這っていたのだ。
花梨は反射的に蛍光刀で薙ぎ払うと、芋虫は花弁となって消えた。だが足を這う感覚は残ったまま消えず、花梨は震えが止まらなかった。
(むりっ!! 芋虫であのスピードならムカデはもっと速いんじゃ? そんなの勝てっこない)
絶望の目で花梨はムカデを見上げた。いくつもの赤い瞳が花梨をとらえ、低い声で「「「愛している」」」と呟いてくる。重奏のように響くそれは、花梨の思考を、精神を鈍らせた。
(吐きそう。この状態で攻撃されたら……って、あれ?)
花梨は不思議に思った。
今の花梨は怪我をし神力も落ちている。ムカデがその気になれば容易に殺せるだろう。芋虫だってそうだ。花梨を殺す気なら足を這わず、噛みつけばよかったはず。
(なぜ攻撃してこないの? 様子でもみてるとか? それとも嬲る事が趣味?)
花梨は考えたが、理由はわからない。
(あ~やめやめ。考えてもわからない事は考えない!! まずはおじさんを助ける事が先。なんとかして青白についた黒獣をはぎ取るのよ。青白が正気を取り戻せば、なんとかなるかも)
でもどうすればいいのか?
難題にぶち当たり花梨は困った。怪我で動きが鈍り立つだけでも精一杯だ。おまけに利き手は使えず、慣れない左手で戦わねばならない。極めつけはあの声だ。脳に響き集中力を削いでくる。無視したいのに心が縛られるようで苦しい。
「だぁーーー!!! 愛愛うるさい! 愛してるなら……!!」
言う途中で花梨は、はっとした。何かを思いついたようだが、ムカデを見ては嫌そうな顔をし、視線を逸らした。
(視界に入れるも嫌だけど……やるしかない)
花梨は深く息を吐くと、歯を食いしばって立ち上がった。
「ねぇ、ちょっといい? どうしてあたしを愛しているの?」
<<!!!>>
呼応するかのように黒い物体が波打った。赤い瞳がぱちぱちと何度も瞬きをする。それだけで花梨の全身がびりびりと痺れ、鼓動が警鐘のように速く鳴った。
「どうやら言葉はわかるみたいね。なら、少し話をしない?」
<<……ダマサレナイ。オマエは、ジンキをモッテル>>
「……わかった。神器を手放せばいいのね?」
花梨は、ぽいっと蛍光刀をムカデに目掛けて投げつけた。ムカデはブルリと震えたが、蛍光刀は当たることなく、ムカデの手前にポトリと落ちた。花梨の手から離れたからか蛍光刀の光が消え、闇が深くなっていく。とうとう見えるものは、複数の赤い瞳だけになった。
「これでいい? じゃ、教えて。なぜあたしを愛してるの?」
<<<ナゼ……?>>
赤い瞳が揺らめいた。どうやら動揺しているらしい。だが花梨の質問に興味は持ったようだ。
「一目惚れ?」
(これ一択よね。会って間もないし。美少女って罪だわ。敵まで魅了させるとはっ)
<<チガウ。ミタメ、ゼンゼン、関係ナイ>>
ピーンと花梨の中で張り詰めたものが、プツリとキレた。
「はぁぁ!! それで足に這ってくるとか、変態かっ!!」
<<オマエだって、会っテ、スグ ケッコンしようといってキタ。ヘンタイだ>>
「言ってない! 妄言はやめて!!」
<<<<<モウゲン? チガウ……チガウ>>>>>>
ムカデの呟く声が怨念のように低く重なっていく。
(しまった!! 今、興奮されたら困る)
「わかったから落ち着いて。でも結婚してと言われたら、好きになるものなの?」
<<……胡蝶、オボエテないのか?>>
(こちょう?)
<<イッショに旅したコト、愛し合ったコトも……お前にとって私はソノテイドだったのか。ダカラカ? お前は私デハナク、あいつを……あいつをぉぉぉぉぉっ!!>>
ムカデは叫ぶと、足をピンと逆立てた。
(やばい、すごく怒ってる。てか胡蝶って誰? 完全に人違いじゃないっ!! それなのに言わなきゃダメかな? って言うって決めたでしょ、あたし!!)
決意を固め花梨はまっすぐムカデを見た。心臓の音がバクバクとなり指先が恐怖で震える。それでも花梨は「逃げるな」と心に唱え続けた。
「そんなに好きなら、他人に纏りついてんじゃないわよ。あたしを愛しているんでしょ?」
花梨は受け止めるかのように腕を広げた──といっても右腕は痛みで動かせない。だが意図は通じたようだ。ムカデは眼球が飛び出るほど目を開けたかと思うと、ぐるぐると黒いものが固まりとなり、勢いよく花梨の体に巻き付いてきた。
(ぐわっ……苦しい)
ムカデに巻きつかれ、花梨の視界は、みるみる暗くなった。おまけに匂いも酷い。腐臭がする。
(吐きそう。怖い。逃げたい……でも)
花梨は希望を捨てたくなかった。だからムカデが『元々覆っていたもの』を見るまでは決して目を閉じまいと、心に決めていた。けれど視界の端に光る白い物が見えた時、花梨の瞳が涙で潤んだ。白く光る物は蛇の骨だ。あれほど巨大な骨は青白以外に考えられない。
(あぁ、また……)
守れなかった。
花梨の心が深く沈んだ。とどめのように黒獣が耳元で『ツカマエタ』と囁き、心を折ってくる。
<<<お前はもう……俺の私の……もの。手にイレタ……やっと>>
(いいえ……あたしはあなたのものにはならないわ!!)
ごぅっと花梨の鼓膜に響くような風の音が鳴った。花梨に纏わりついた黒いものが、一瞬にして砂のように消える。ふらつく花梨の腰に、泡く光る鞘を携えた、たくましい腕がまわった。
「遅いわよ……」
「この馬鹿者がっ。なぜ逃げなかった」
怒る三白眼を見て花梨は泣きそうになった。物語でいえばヒロインを助けにきたヒーロだろう。けれど外見も顔も邪神のようだ。服はボロボロで上半身はほぼ半裸状態、結い上げた黒髪は乱れ、ぼさぼさだ。お姫様抱っこをされても、ロマン性はまったくない。
「怒んないでよ。おじさんだって約束を破ったくせに」
「約束?」
「やばくなったら、真っ先に逃げてって言ったはずよ」
「……うぐ」
夏行が気まずそうに黙り込む。
「違う。本当はそんな事を言いたいんじゃなくて」
泣き顔を見られたくなくて、花梨は隠すように夏行の胸に顔を埋めた。ドクドクとけたたましくなる心音に、彼の命を感じ花梨は心が温かくなった。
「守ってくれてありがとう。そして、ごめんなさい……って、ちょっとドキドキしすぎじゃない?」
「……違う。お前の無謀さに驚いただけだ」
「え~~そっち? たしかに無謀だったと思うけど」
夏行の言うとおり、この作戦は無謀だった。博打と言ってもいい。『夏行の回復』と『青白の救助』の為に、危険をかえりみず『あがくための時間』を作ろうとしたのだから。
なぜならヒールを使えない花梨が夏行を回復させる方法は一つ。繋げた魂の糸から自身の神力を注ぐ方法だ。
だが神器なしで行うにはリスクがあり、時間もかかる。だから蛍光刀に魂の糸を巻き付け、ムカデの近くまで投げた後、ばれないよう対話で注意をひきつけた。その間、ムカデの中にいた夏行に、なけなしの神力を、少しずつ注ぎ続けたのだ。
その後、青白を自由にするため、身を呈して黒獣を自身に引き寄せた。ただし、それは失敗に終わったが。
もし黒獣が対話に応じなかったら、花梨の神気に気づかれたら、蛍光刀が糸を介して使えなかったら───花梨は喰われ夏行も死んでいたかもしれない。これしか方法が思いつかなかったとはいえ、思い返しただけで花梨は背筋が冷えた。
「おい、ぼうっとするな。奴はまだ倒せていない、蛍光刀を持て!」
夏行は花梨をそっと降ろすと蛍光刀を差し出した。
「うん」
花梨の神力はわずかしか残ってないが、夏行の補佐があれば、浄化は可能だ。だが握ろうとした花梨の左手から、流れるように蛍光刀が滑り落ちた。慌てて夏行が拾ったが花梨は茫然としたまま動けない。
「なにをし……!!」
花梨を見た夏行がはっとした声をあげる。
「おかしいの。なんか感覚が……」
自分に何が起きているのか、わからなくて花梨は焦った。右手だけでなく左手まで思ったように動かせない。
「呪いか……」
「呪い? でも巫女姫は」
(呪われないんじゃ?)
「神力が少ない状態で、黒獣に接触した場合は別だ。麻痺毒のようだが動けるか?」
花梨はもう一度左手を意識してみたが、指の一つも動かせなかった。
「だめだ……握れない」
(すぐに自身を浄化すべき? でもそれだとムカデに残しておいた神力まで尽きてしまう。せっかく好転してきたと思ったのに……どうしてこうなるの?)
花梨は絶望した。頑張っても頑張っても上手く事が進まない。その間にもムカデはどんどんと形を取り戻していく。ムカデは夏行に攻撃されたからか、愛の言葉など忘れたかのように、殺意と怒りの声をまき散らしていた。形を取り戻せば、確実に殺しにくるだろう。話し合いなど、もはや通じる状態ではない。
(もうだめだ……)
「諦めるな! 花梨」
すべてを諦めた花梨の左手に、夏行は蛍光刀の柄を乗せると、包み込むように両手で握りしめた。
「立てぬのなら某が支える。柄を握れぬのなら共に握ろう。太刀が振れぬのなら、某がお前の腕を動かせばよい。なぜ全部一人で背負い込もうとする?」
「だって……あたしが頑張らないと」
(それが主人公の役目で……)
「お前はもう一人ではない。いいかげんにわかれ!!」
(一人……じゃない?)
花梨は無意識に自分以外の者に壁を作っていた。自分はレベル99で、この世界では超越者だ。だから大変な時こそ、一人で考え、頑張らなくてはいけない。そうする他ないのだと思いこんでいた。
「おじさん……そうだ。あたしにはおじさんがいる」
「おじさんではない、夏行だ」
夏行が三白眼をとがらせる。こんな時でもそれかと花梨は思ったが、おかげで気持ちが楽になった。
「花梨、共に奴の死穴を突くぞ!」
夏行に言われ、花梨はふぅっと息を吐いた。手に力は入らず、体は思うように動かない。残った神力もごくわずかだ。絶体絶命と言える時なのかもしれない。でも今は傍にいて支えてくれる仲間がいる。それだけで心に力が灯った。
「蛍光刀!!!」
花梨は大きく声を上げると、わずかに残ったすべての神力を柄に込めた。けれど、その灯は不安定で小さい。数秒もつかも怪しい。それでも共に握る逞しい左手を見て、花梨は勇気が湧いた。
(おじさんとなら絶対に大丈夫!!)
花梨は神力のみに集中し、心と体のすべてを夏行に委ねた。花梨の意図をくむかのように、夏行は右手で花梨を抱えると、信じられないスピードでまっすぐムカデへと走り出した。
「「はああああああ!!」」
二人は互いの心を高め合うかのように声を上げ、ムカデもどきの死穴を突き刺した。姿を完全に戻せてないムカデは、避ける事も出来ず、ぎゃあああと叫び声を上げる。靄のような黒い瘴気が腐臭と共に飛び散り、花びらへと変化した。
だけ勝機が見えたのは一瞬だ。刀身はムカデを突いた瞬間、桃色の花弁すら消え、光を失ってしまった。浄化の力が弱かったのだろう。空いたムカデの腹がみるみると修復していく。
「そんな……」
「いいや、終わっている」
夏行が言い終わると同時に、ピシっときしむ音がした。ムカデの体にヒビが入っている。そこから桃色の光がにじみ出たかと思うと、パリンっとガラスが割れるような音がなった。
(倒せたの?)
突き刺した勢いのまま、地面にころがった二人の頭上を、大輪の花びらが嵐のように舞った。淡い桃色の光が、闇夜を薄く染め変え始めた。




