第22話 嫌な波乱
男は気絶してしまったようだ。
「せっかくの情報源が……起こすか。いや、別にこいつらがノアについて知っているとも思えないな」
俺は興味を失った。
「レイジ様、なぜ自ら危険を……」
イズが俺の元へ駆け寄ってくる。
「こいつに逃げられたら厄介だと思ったが、ハズレだ」
淡々と答える。
戦闘中の判断は一瞬だ。
たとえイズが全員を制圧できたとしても、この男だけは取り逃がしていたかもしれない。
直感で動いた。
結果は、無駄足だったが。
「まあ、イズを信頼していたからでもある。落ち込むな。執事の仕事は完璧だ」
頭を下げるイズを見て、思わず頭を撫でる。
昔、誰かによくしていた動き──
……思い出せない。
いつもの『なりません』は来なかった。
「レイジは強い」
シオンが言う。
なぜか少し嬉しそうだ。
「レイジ、お、おめえ……なかなかクールじゃねーか」
みつめは顔を赤くし、視線を逸らした。
その時、気絶していた男が目を覚ます。
「こ、殺さないでくれ……」
怯えきった声だった。
「大丈夫だ。俺はお前らがここで何をしていたかなんて興味がない」
島の北側について、話を聞きたいだけだ。
「う、うそだ……だって、さっき俺を撃ったじゃないか……」
「こっちを狙っていたからだろ」
「違う……お前の目は、あの時の――うわあああああっ!」
男が突然、頭を抱えて絶叫する。
次の瞬間、身体が歪んだ。
骨が軋む音。
皮膚の下で何かがうねる。
筋肉が盛り上がるのではない。
内側から押し上げられ、形を変えていく。
肩幅が広がり、腕が太くなる。
服が悲鳴を上げるように裂け、体格が一回り、さらに一回りと膨れ上がった。
まるで別の生き物が、内側から現れてくるようだった。
もはや同一人物には見えない。
「レイジ様、ここは……」
「ああ、頼んだぞ、イズ」
俺はシオンを抱え、静かに距離を取る。
一瞬で理解した。
――俺では勝てない。
能力は身体強化系。
それも筋力特化の最上級。
いくら震わせても、意味はない。
そう結論が出た瞬間だった。
空気が揺れた。
筋肉の塊が地面を踏み抜いた。
速い。
重い、ではない。速い。
巨体の踏み込みとは思えない速度で、一直線にイズへ迫る。
――殴る。
そう分かるより先に、拳は振り下ろされていた。
だが、当たらない。
イズは半歩だけ下がっていた。
逃げたようには見えない。ただ、そこに立っていなかっただけだ。
遅れて、風圧が木々を揺らす。
地面が割れた。
「……効いてないな」
男は止まらない。
間を置かず二撃、三撃と続く。速さに迷いがない。考えていない動きだ。
イズは受けない。避けもしない。
結果として、すべて外れる。
奇妙だった。
防御をしていないのに、攻撃が届かない。
男の腕が、振り抜くたびに僅かにぶれる。
狙いが甘いわけじゃない。直前で軌道が崩れる。
「手順が……」
イズが口を開く。
だが、言葉は途中で止まった。
男の膝が、地面を抉りながら跳ね上がる。
反射の蹴り。狙いも理屈もない。
その瞬間だけ、イズの身体が大きく退いた。
初めての回避だった。
「なるほど」
静かな声。
次の瞬間、イズの手にナイフがあった。
拾ったのではない。
落ちていたものを、気づけば持っていた。
踏み込み。
突きは浅い。皮膚を裂いただけだ。
だが男が止まる。
筋肉が一瞬だけ硬直する。
そこへ肘。
同時に足払い。
倒れない。
ならばと言うように、イズは銃を拾う。
撃たない。
男の腕へ銃口を押し当て、そのまま体を回す。
関節が逆に折れかけ、巨体が揺れる。
力ではない。流れだ。
男は吠え、力任せに振り払う。
空気が裂け、木の幹が砕けた。
イズは一歩だけ横にいた。
同時に銃のグリップで顎を打つ。
鈍い音が響くが、男の頭は揺れない。
イズは後方に飛び退き、同時にナイフを投げる。
刃は腕ではなく、足元――つま先の地面に刺さる。
男の踏み込みが、ほんのわずかにずれる。
その一瞬。
イズの動きが止まったように見えた。
しかし、気づいたときには間合いに入っていた。
踏み込みも、大きな振りもない。
ただ、掌が男の胸に触れただけだった。
鈍い音が、遅れて響く。
銃弾を弾いていた筋肉が揺れる。
外側ではなく、内側から波打つように震えた。
男の表情が固まる。
次の瞬間、力が抜けた。
倒されたのではない。
崩れたのでもない。
立った姿勢のまま支えを失い、遅れて巨体が沈む。
地面が揺れ、土が跳ねた。
「……功夫まで使えるのか」
思わず口から漏れた。
打撃の跡はない。
だが、立てないのは明らかだった。
イズは服の裾を整え、軽く一礼する。
「無意識の動作には、順序の矯正が効きませんね。ですが――」
言葉を切る。
「型は、嘘をつきません」
イズは倒れた男を一瞥し、静かにこちらへ歩いてきた。
戦闘直後とは思えない、いつも通りの足取りだ。
「お怪我はございませんか、レイジ様」
「見ての通りだ。むしろお前の方が心配になる戦い方だったがな」
「恐れ入ります」
軽く一礼する。
……やっぱりクールすぎるだろ、こいつ。
俺はイズの動作すべてが完璧で、思わず目を奪われてしまった。
だが──
イズの戦闘中でも、隣にいたみつめは俺の顔を横目で見ていた。
能力がなくとも感じてしまうほどに。
「みつめ、さっきからどうした」
「な、なんでもねーよ」
視線が合うと、慌てて逸らした。
分かりやすく動揺している。
沈黙。
その空気を破ったのはイズだった。
「レイジ様」
「なんだ」
「わたくしというものがありながら」
「何の話だ」
「いえ、どうやら新たな火種が生まれたようですので」
「火種?」
みつめが真っ赤になる。
「ち、違う! 誤解すんな! 俺はただ、その……」
「心拍数が上昇しております」
「言うな!」
俺はため息をついた。
そのやり取りを、一歩離れた所でシオンが眺めている。
「これは、波乱の予感」
「何のだ」
シオンは少し考えてから言った。
「修羅場」
「誰の」
「レイジの」
「なんでだよ」
シオンはさらに続ける。
「あと、もう一人増える」
「増える?」
「面倒な人」
嫌な予感しかしない。
俺は空を見上げる。
さっきまでの静けさが戻っているのに、なぜか落ち着かない。
「……気のせいだといいがな」
シオンは小さく笑った。
「たぶん、当たり」




