第28話 陽だまりと、揺れる想い
午後の陽射しが庭に降りそそぎ、初夏のぬるい風が草の匂いを運んでくる。
セレナはデッキチェアに半身を預け、銀白の髪を風に遊ばせながら、炭酸の缶を指先でくるくると回していた。
ふと、視線の先に映るのは――
ノックス。
彼は花壇の縁にしゃがみ、無言で雑草を抜いている。
指先に力を込め、頑固な根を一気に引き抜き、額に浮いた汗を手の甲でぬぐう。その拍子に、前髪がしっとりと頬に張り付いた。
陽光は彼の横顔を際立たせ、翡翠の瞳には一片の揺らぎもない。
(……何その集中力。草むしりに命かけてんの?)
セレナは内心で舌打ちしつつ、ストローを噛んで声をかける。
「ねぇ、最近ヒマそうね。なんで学院、もう行かないの?」
ノックスの手が、一瞬だけ止まった。
だが、間を置かず再び草を引き抜きながら、淡々と答える。
「……あそこに通ってたのは、親の意向だ。もう、その必要はない。」
その声音は、風に溶けるほど静かで感情がない。
セレナは眉をひそめ、缶をくいっと傾けた。
「必要ないって……どういう意味?」
ノックスは軽く振り返り、その視線をよこす。
「前にも言ったろ。あれはアイデンの策だ。俺を囮にして、イアンを引きずり出すためのな。」
再び俯き、手は止まらない。
無関心を装った仕草が、逆に胸をざわつかせる。
「それはわかってる。でも――あんた自身は?
学園祭のとき、楽しそうだったじゃない。友達もできて……それも全部、どうでもいいわけ?」
その問いに、ノックスはすっと立ち上がった。
陽光を浴びたシルエットが芝に長い影を落とし、足元の草を見つめながら、低く呟く。
「……特に気にしてない。終わったことだ。戻る理由もない。」
視線が上がり、真っ直ぐな眼差しがセレナを射抜く。
冷ややかで――なのに、その奥に微かな光が揺れた。
「それより――おまえは? 学院もハンターも放り出して、毎日ゲーム漬け。退屈じゃないのか。」
セレナは片肘をつき、唇に笑みを浮かべる。
「私はいいの。最初から“行きたいから行った”わけじゃないし、ハンターやってたのも流れよ。
今は家でゲームしてる方が千倍マシ。」
その言葉に、ノックスの口角がわずかに上がる。
「――なら、同類だな。」
彼は草をまとめながら、何でもない風に言い捨て、陽に透ける赤髪を揺らして歩き出した。
セレナはストローを噛みしめ、胸の奥で小さな棘が疼く。
(……ほんと、何も気にしてないフリが上手い)
ふと、別の言葉が零れた。
「ねぇ、あんたの親って普段何してんの?」
ノックスの手が、ぴたりと止まる。
泥を払いつつ、視線を落としたまま答えた。
「母さん? ……家で騒いで、料理して、俺と父さんの世話して……そんな感じだ。」
一拍おいて、さらに低い声が続く。
「父さんは……昔はただの符紋オタクだと思ってた。けど今は――違う。学院も、公會も、全部あの人が回してる。ずっと、忙しかったんだろうな。」
最後の一言は、風に溶けるほど小さい。
セレナはその横顔を見つめ、胸がちくりと締めつけられる。
(やっぱり……全部わかってるくせに、自分のことは一番後回し)
――どうしてそんな顔で笑えるのよ。
その問いを呑み込み、代わりに吐き出したのは――
「……今でも、家族が一番?」
ノックスは草束を抱えたまま、こちらに歩み寄る。
そのまなざしが一瞬だけ光を帯び、低く問い返した。
「どうした。今さら親トークか。」
「ち、違っ……!」
セレナが立ち上がった――その瞬間。
――ぐらり。
デッキチェアの脚が芝に沈み、身体が傾ぐ。
「わっ――」
伸びた腕が、彼女の手首をつかむ。
もう一方の手が背を支え、強く、しかし乱暴でない力で引き寄せた。
重なった影の中、セレナの鼓動が爆音を打つ。
「……立て。」
低く、平坦な声。
けれど、その瞳は至近距離で――
(ちょっ……なんで……たったこれだけで、心臓バクバクなんだけど……!)
ノックスは何事もなかったかのように手を放ち、泥を払って歩き出した。
「――中に入れ。日射しが強い。」
セレナが追いかけようとしたとき――
風に乗って、かすかな呟きが耳を掠めた。
「……帰ってきて、よかった。」
「……え?」
聞き返す頃には、ノックスはもう振り向かない。
片手をひらりと上げ、淡々と告げただけ。
「何でもない。行くぞ。」
胸の奥に広がった熱を押さえきれず、セレナは強引に笑みを作った。
「決めた!」
ノックスが怪訝そうに眉を寄せる。
「……何をだ。」
「明日から――あんた、私のスパーリング相手!」
「は?」
「体なまってるでしょ? ちょっとは動きなさいよ!」
ノックスは無言で数秒見下ろし、静かに吐き捨てる。
「……俺は走ってる。なまってんのはおまえだ。」
「ぐっ……」
言葉が詰まった次の瞬間、セレナは唇を吊り上げた。
「だからこそ! あんたが付き合えば解決じゃん?」
視線がぶつかり、短い沈黙。
やがて、ノックスは肩を落とし、諦めたように呟いた。
「……わかった。」
セレナの口元が、わずかに綻ぶ。
(ほんと、あんたって……誰より頑固で、誰より優しい)




