第27話 朝の食卓と残響
リビングには、柔らかな朝日が差し込み、窓辺のテーブルに簡単な朝食が並んでいた。
香ばしいトーストの匂いが、昨夜の緊張をわずかに薄める。
ノックスは黒いゆったりとしたTシャツを着て、無言でトーストをかじっていた。
その端正な顔立ちは、いつも通り冷ややか――だが、セレナの含み笑いに、さすがに眉がわずかに動く。
「……何だ。」
水のように淡々とした声。
セレナはフォークで卵をつつき、唇の端を上げた。
「何だ、じゃないでしょ? 昨夜の“名場面”、もう記憶から消えた?」
眉をひょいと上げ、さらに追撃。
「誰だったっけ? バスルームで、素っ裸で救援待ってた人――……もう一回、アリアンに見せてあげよっか?」
「っ!!!」
アリアンは牛乳を盛大に噴きそうになり、顔を真っ赤にしてバタバタ手を振る。
「い、いらない!! ぜっっったいにリピートしないで!!」
(や、やめて……脳内で再生されるぅぅぅ!!)
ノックスは目を伏せ、冷気を孕んだ声で吐き捨てた。
「……お前、ゲームの腕前より口の回転の方がマシだな。」
「はぁっ?!」
火花がバチッと散った瞬間――
「みゃっ!」
アルがどこからともなく走ってきて、くしゃくしゃになった紙をノックスの膝にぽとりと落とした。
ノックスは一瞬眉を上げ、それを拾い上げる。
色とりどりの街並みが描かれた――絵葉書。
裏返すと、見慣れた筆跡が飛び込んでくる。
【
パパとまだ“美食の旅”満喫中。
ママはその横で爆笑しながら写真撮ってる。
ついでに、ヨルちゃんのためにネタも仕入れておくわね。
P.S. ちゃんと《《ヒルちゃん》》と、《《奥さん》》のことも面倒みるのよ?
――ヨルちゃんの一番のママより
】
翠の瞳が一瞬だけピクリと動き――
(……誰がヒルちゃんだ。あと、奥さんって何だよ)
「……ちっ。」
ノックスはカードをテーブルの端に放った。
「ほら、まだ好き勝手やってる。」
セレナは横目で覗き、鼻で笑う。
「相変わらず、自由すぎるママだこと。」
アリアンはそっと微笑んだ。
その目の奥に、ほんの少し羨望――
(……これが“家族”ってやつ、なんだろうな。)
ノックスは牛乳を一口含み、視線をテーブルに落としたまま、低く呟いた。
「――昨夜のことは、あまり気にするな。」
声は淡々としている。けれど、言葉が一拍遅れ、翡翠の瞳がわずかに揺れる。
「母さんが言ってた。魔族は寒さに強いらしい。……でも、俺は逆だ。
混血のせいで、極端に冷えに弱い。体温が下がると、魔力のバランスが崩れる。
発熱、意識の混濁……最悪、制御を失う。」
アリアンの指が、ぎゅっとフォークを握りしめる。
昨夜の記憶が一気にフラッシュバックし、耳まで熱がのぼった。
(気にするな、なんて……無理……!)
ノックスは続ける。
「昔から、たまにあった。――そのたび、母さんが魔力を整えてくれてた。」
さらりと言い放ち、そして――
「どうやって?」
セレナの口角が、意地悪く吊り上がる。
「ママに抱きついて、甘えてた、とか?」
ノックスは無言で視線を上げ、無言の圧を宿す。
けれど、吐き出した声は、かすかに震えていた。
「……そういう時は、魔力を安定させるために――どうしても、身体の接触が必要になる。」
「ほぉ~ん? 魔族の“お約束”ってわけ?」
セレナはフォークをくるりと回し、紅瞳にいたずらな光を宿す。
「じゃあ昨日のは、治療ってことでいいの?」
ノックスは短く息を吐き、指先が一瞬、グラスを握る手に力を込める。
「……悪かった。昨夜は、本当に……余裕がなかった。」
その一言に、アリアンの心臓が跳ねる。
――余裕がなかった。
言葉が頭の奥で反響し、喉の奥で何かが詰まる。
(……ノックス、ほんとにそれだけだったの?)
声が震え、フォークを握る指先が白くなる。
(じゃあ、私が期待したのって……何だったんだろう。)
「――でも、不思議だな。」
ノックスは指先でテーブルを軽く叩き、視線を落としたまま続けた。
「本来なら、もっと時間がかかるはずだった。なのに――すぐ、安定した。」
「さぁね?」
セレナはフォークをくるりと回し、唇に悪戯な笑みを浮かべる。
「無意識で誰かにしがみついてたら――便利な言い訳だよね?
次からは誰に抱きついても、“治療中でした”で済むんじゃない?」
ノックスの瞳が鋭く光り、朝の光に揺れる。
「……黙れ。食器を片づけろ。」
「ちぇっ、話題そらし上手め。」
セレナは鼻を鳴らし、視線を窓の外に投げる。
(……ったく、こんな気分、慣れないね。)
アリアンは俯いたまま、動けなかった。
テーブルの隅で、絵葉書が朝風にそよぎ、
淡い陽射しが、静かな空気に微かな影を落とす。




