第23話 抑えきれない熱と、乱れた距離感
二人が左右からノックスを支え、ほとんど半ば抱きかかえるようにして寝室へ運び込んだ。
翼はまだ大きく広がったままで、部屋の空間を不自然に圧迫している。
アリアンの頬を紅黒の翼がかすめ、その一瞬で火に触れたみたいに熱が走り、顔が一気に耳まで真っ赤になった。
(ち、近すぎる……息づかいまで聞こえる……それに、この体温……っ!)
ベッドにノックスを横たえると、セレナは即座にその巨大な翼をバシッと叩き、苛立ちを隠さず吐き捨てる。
「デカすぎ! 邪魔にもほどがあるでしょ、さっさと仕舞いなさい!」
「……仕舞えない」
短い声が喉から絞り出される。かすれたその響きは、微かに震えていた。
セレナは舌打ちし、無駄口を叩かずにノックスの腰へ掌を当てる。
指先に淡い光が灯り、符紋が水面のように肌の下を走った。
「いい? 私が魔力を流し込む、その時、翼を収納しなさい」
魔力が送り込まれ、翼はしばらく痙攣したあと、ようやくゆっくりと縮んでいく。
露わになった上半身には、くっきりとした筋肉の起伏。鎖骨を伝う水滴が腹筋をなぞり、布団へと消えていった。
空気が一気に熱を帯び、危ういほどの色気を孕む。
「……よし、終わり。マジで面倒くさいわね」
セレナは肩で息をつきながらブランケットを引き寄せ、腰から下をざっくり覆い、つい悪態をつく。
「まったく、無駄にデカいんだから……あ、翼のことよ!」
ノックスは半ば閉じた瞳でこちらを見上げ、翠の光に淡い水霧を宿しながら、かすれ声で笑みを滲ませた。
「……聞いてない」
「……っ」
セレナの胸が一瞬で跳ね、指先が危うく震えそうになる。(なにその顔……今、笑った?)
「アリアン!」セレナは慌てて声を張る。「氷嚢! 早く!」
「は、はいっ!」アリアンは小動物みたいに飛び上がり、顔を真っ赤にして部屋を飛び出した。
(やばいやばいやばい……近い、あれ以上見たら死ぬ!!)
部屋にはまだ蒸気が籠り、湿熱が理性をじわじわと焼く。
セレナが手を離そうとした、その瞬間――
滾るような熱を宿した大きな手が、いきなり彼女の手首を掴んだ。力強く、逃げ場を与えない。
「ノックス……?」
翠の瞳は赤みを帯び、猛獣のごとき光を孕んでいる。喉の奥で絞られた声が、危うい吐息とともに落ちる。
「……行くな」
その声音は低く、哀願めいて胸を抉る重みを持っていた。
「なっ――」
言葉を発するより早く、身体が引き寄せられる。セレナはあっけなくベッドに倒れ込み、両腕を絡め取られた。
額が肩に押し当てられ、濡れた吐息が皮膚を焼く。
「……離せ」
セレナは奥歯を噛みしめ、声を低く絞る。だが心臓はどうしようもなく乱れた。
「……嫌だ」
熱に揺らぐ声は、かすかな嗚咽を孕んだ獣の唸りのよう。
「……うるさい……少し、静かにしてくれ」
「……っ」
胸の奥が震える。頭の中で何度も反芻する――(この台詞、自覚あって言ってるの……!?)
――その時、ドアが「カチャリ」と開いた。
「氷持ってきたよ――」
アリアンが一歩踏み込み、次の瞬間。
氷嚢が床に落ちる音が、やけに鮮明に響いた。
ノックスは上半身裸でセレナを抱き込み、二人の距離はゼロに近い。
「……」
沈黙の三秒。
「な、ななな、なにしてるのよあんたたちぃぃぃっ!!!」
アリアンは顔を真っ赤にして飛び込み、セレナを引き剥がそうとした。
だがノックスの身体がびくりと震え、反射的にアリアンの腕を掴む。その瞬間――
「きゃっ!?」「ちょ、ちょっと!?」
三人の身体が絡まり、「ドサリ」と布団に沈む。
アリアンの視界いっぱいに広がるのは、ノックスの胸。呼吸が止まり、頭が真っ白になる。
(こ、これ……どう見ても修羅場でしょ!?)
セレナは反対側で顔を引きつらせた。「……はあ!? なんでこうなるのよ!」
だがノックスは二人を抱き込んだまま、微かに震える声を零した。
「……行くな……」
その一言に、空気が一変した。
脆さと危うさを孕んだ低音が、二人の心臓を容赦なく打ち抜く。
「ノックス!」セレナは眉をひそめ、腕を引こうとする。
だが――
「……大丈夫、私、動かないから……」
アリアンの唇から漏れたのは、震えながらも決意を含んだ声だった。
彼女の細い手が、そっとノックスの背に触れる。
――その瞬間、ノックスの荒れ狂う呼吸が、嘘みたいに緩やかになっていった。
熱が、ゆっくりと静まっていく。
セレナは目を瞬かせ、アリアンを睨む。(……今の、なに?)
けれど当の本人は真っ赤な顔で、何もわかっていない様子だった。
「……ふぅ」
ノックスは深く息を吐き、そのまま力を失ったように項垂れる。
アリアンは硬直し、微動だにできず――ただ、胸の鼓動が痛いほど響いていた。
(ノックス……わたしの腕の中で、眠ったの……?)
セレナは唇の端を吊り上げ、毒を含んだ甘い声で囁いた。
「ま、いいんじゃない? 楽になるなら……ねぇ、アリアン。お疲れさま」
「え、えええっ!?」
アリアンは耳まで真っ赤になり、まともに顔も上げられない。
ノックスの吐息が、まだ肌に熱を残している――
その事実だけで、理性が吹き飛びそうだった。




