第15話 アイスと恋愛ドラマと、危険すぎる距離
二人はごく自然にアリアンの隣に腰を下ろした。
セレナはアイスバーをくわえたまま、脚をソファに投げ出す。
テレビの画面には、恋愛ドラマの主人公たちがゆっくり距離を縮めていく。
甘すぎるBGMが流れ、空気までピンク色に染まりそうだ。
アリアンの心臓は、どんどん速くなる。
抱き枕をぎゅっと抱きしめながら、頭の中はパニック寸前。
(ちょ、ちょっと待って……!
セレナは左、ノックスは右、私……私、真ん中!?
これって、何の修羅場!?)
そして――画面が決定的な場面を迎えた瞬間。
男女の唇が、ゆっくりと……
「っ!!」
アリアンは全身が真っ赤になり、慌ててチャンネルを変えようと手を伸ばす。
「こ、広告タイムにしよう! ほら――」
「はいストップ。」
セレナがその手を軽く押さえ、悪戯っぽく笑う。
「ここが一番の見どころでしょ?飛ばしたらもったいないわよ?」
「み、見どころって……これ、殺しにかかってるじゃない!」
アリアンの脳内は爆発寸前。
――そして画面の二人は、甘いキスを交わした。
セレナはアイスバーを軽く揺らし、にやりと笑う。
「うん、悪くないじゃない。この雰囲気、甘くていい感じ」
「……どこが甘い?」
ノックスの低い声が落ちた瞬間、室温が一気に零度近くまで下がった気がした。
セレナの口元が、にやりと弧を描く。
「――じゃあさ、本当に甘いか、試してみる?」
「!!!!?」
アリアンは抱き枕を握りしめ、肺から空気が抜ける音さえ聞こえそうだった。
頭の中は【世界終焉】の警報が鳴り響く。
ノックスはというと、相変わらず淡々と画面を見ていた――
……そのはずだった。
だが次の瞬間。
セレナの手が、ふわりとアリアンの視界に入り込む。
白い指先が持つアイスバーが、彼女の鼻先を横切り――
そのまま、ノックスの唇の高さでぴたりと止まった。
「ほら、この味、けっこう甘いよ? 一口どう?」
挑発のような声が落ちる。
――時が止まった。
アリアンの心臓が、耳の奥で爆音を立てる。
(な、なにしてるの……? や、やめ……! でも目が離せないっ!?)
ノックスのまつ毛が、わずかに影を落とす。
翠色の瞳がちらりとセレナを見やり――
そのあと、迷いの欠片もなく、彼は前へ身を傾けた。
アリアンの真正面で、その唇が――
ゆっくりと、アイスを咥え込む。
「……っ!!!」
カリ、と氷を噛む小さな音。
唇の輪郭に、微かに光る水滴。
(――――っっっ!!!)
アリアンの脳内で何かが破裂した。
(ちょ、ちょっと待って……これって……間接キスどころじゃないレベルなんだけど!?!?)
セレナは、面白そうに笑った。
「どう?甘いでしょ?」
ノックスは、まるで何事もなかったかのようにアイスを噛み切り、
淡々と吐き出す一言。
「……まあ、悪くない」
その声音が低く、やけに耳に残って――
アリアンは抱き枕をぎゅうっと握り潰し、顔から湯気が出そうになっていた。
――アリアンの心臓、爆発五秒前。
(“まあ”ってなに!?あんなことしておいて、なんでそんな平然としてるの!?)
空気が一瞬、凍りついたかと思えば――
セレナの唇が、またも危険なカーブを描く。
「足りないなら――今度は私が口で食べさせてあげようか?」
「!!??!!」
アリアンの理性が完全崩壊寸前。
ノックスはようやくセレナを見やり、淡々と一言。
「……必要ない。もう十分甘い」
その声は、低く、静かに。
だが――なぜか、胸の奥を撃ち抜く威力を持っていた。
アリアンの顔は真っ赤に燃え上がり、ソファから飛び上がった。
「わ、わたし、水……飲んでくる!」
言うが早いか、炎に追われる小動物のようにキッチンへ駆け出していった。
背中からは必死さが滲み出ている。
両手で顔を覆い、胸の鼓動は今にも破裂しそうだった。
(む、無理……あの二人、何なの!? 人間じゃないでしょ!?)
(それにセレナ――前はもっとクールなタイプじゃなかったっけ!? なんで急にあんな悪魔モードに!?)
頬の熱は一向に冷めず、脳内は花火大会の大爆発。
(ダメ……落ち着け、落ち着け……!)
しかし次の瞬間、脳裏にリピートされたのは――
『もう十分甘い』というノックスの低い声と、あの翠色の瞳。
「――あああああっ!!」
アリアンは顔を覆ったまま、今にも蒸発しそうな声をあげた。
セレナはアイスバーを食べ終え、スティックをひらひらとノックスに渡す。
「これ、捨てといて」
ノックスは一瞬だけ彼女を見て、無表情のまま言う。
「自分で捨てろ」
冷たい声色――だが手は自然にそれを受け取り、立ち上がってキッチンへ向かう。
セレナはソファに深く沈み、唇に意味深な笑みを浮かべた。
(……ほんと、無防備すぎるわね、この男)
視線はノックスの背中を追う。
――そしてふと、先ほど彼がアイスに口を寄せた瞬間を思い出してしまう。
その一瞬、心臓が微かに跳ねた感覚が、まだ指先に残っていた。
(……何考えてんの、私。アイス一本で何動揺してんのよ)
セレナはぱちんと瞬きをして、ニヤリと笑みを深くする。
そしてわざとらしく軽い調子で呟いた。
「はぁ……ドラマよりよっぽど刺激的じゃない」
──キッチン。
アリアンはシンク前に立ち、両手で顔を覆っていた。
耳まで真っ赤に染まり、熱が引く気配はない。
(落ち着け……落ち着けってば……でも、頭の中でまだあのシーンが……アイス……口……きゃあああ!!)
その時、背後から足音。
彼女が慌てて顔を上げると――翡翠の瞳と目が合った。
ノックスは無言でスティックをゴミ箱に捨て、水差しを取り、さらりとコップに水を注ぐ。
そして何事もなかったかのように差し出した。
「……ほら」
「あ、あ、ありがとう……」
震える手で受け取った瞬間、コップがぐらりと揺れる――
「っ!」
次の瞬間、しなやかな指が彼女の手を覆い、コップをしっかりと支えた。
その指先が、かすかにアリアンの手の甲をかすめる。
「……気をつけろ」
低い声と、近すぎる距離。
アリアンの鼓動は爆音となり、胸を打ち破りそうだった。
「……あ、ありがとう……」
蚊の鳴くような声で呟き、彼女は唇を噛みしめると、逃げるようにリビングを後にした。
ノックスはその背を無言で見送り、ふっと眉をわずかに上げる。
だが何も言わず、静かにコップをカウンターへ戻した。
キッチンに落ちる光は柔らかい。
けれど空気には――微かな熱が、まだ消えずに残っていた。




