第16話 ヘアゴム一つで修羅場
リビングの大画面には、戦場と化したゲーム画面が映し出されていた。
セレナはラグの上にあぐらをかき、コントローラーを握りしめている。
銀色の長い髪が肩から滑り落ち、視界を何度も遮るたび、彼女は舌打ちした。
「……チッ、髪が邪魔」
ソファに座るノックスが、ちらりと視線を投げる。
手元のタブレットには《学院再建計画》の資料が開かれたまま。
その低い声が、空気を切った。
「――こっち来い」
「は?」
セレナは一瞬きょとんとする。
(何?コントローラー奪う気?装備目当てなら絶対渡さないからね!)
警戒しながら振り向いた、その瞬間――
ノックスはテーブルからヘアゴムを取り上げ、呼吸をするように自然な動きで彼女の背後へ。
すっと指先が銀の髪をすくい上げる。
「っ……!?」
首筋をかすめた指先に、電流のような感覚が走った。
セレナの背筋が反射的に跳ねる。
――画面の中でキャラが断末魔を上げて散った。
(ちょ、ちょちょちょ……今、触ったよね!?首!!なにこの変な熱っ……耳まで燃えてんだけど!?)
「動くな」
声は驚くほど淡々としていた。
器用な指先が、後頭部でカチリと結び目を作る。
セレナは必死に平静を装い、口角を上げる。
「……ふぅん、手つき、やけに慣れてるじゃん?彼女にでも結んであげてた?」
「母さんに習った」
「…………」
笑みが固まった。耳の先まで、さらに真っ赤になったのは気のせいじゃない。
(カルマ……あんた、どんだけ息子に“変なスキル”叩き込んでんのよ!?)
その時。
――カタン、と階段の方から小さな音。
二人同時にそちらを向くと、ノートを抱えたアリアンが、呆然と立ち尽くしていた。
頬は真っ赤、目はゆで卵が入りそうなほど見開かれて。
(な、なにこの光景……髪を結んであげてる……距離、近っ……!?)
「……あ、あのっ」
アリアンは泣きそうな声で言った。
「ノックス、その……宿題、見てもらえませんか……?」
「ダメ!」
セレナの声が雷のように飛ぶ。
「今、ボス戦だから!自力でやりなさい!」
「で、でも明日提出で……」
「じゃ、髪伸ばしてから来な?次は特別に優先してやるよ」
(髪、伸ばすって一年後じゃん!!)
アリアンの頭の中で突っ込みが炸裂した、その時――
「ノート、そこに置いとけ」
低く、揺るがぬ声が降りる。
「五分で終わらせる」
「ちょ、ちょっと!」セレナが振り返る。「約束は!?」
「ゲームは逃げない」
ノックスの返答は、氷のように冷静で、反論の余地を与えなかった。
(……クソ、なんで負けた気分になるわけ!?)
セレナは奥歯を噛みしめる。
一方アリアンは――
(あ、あああ、優しい……でも……セレナの目が……殺気立ってる……!)
心臓の鼓動が、暴走列車みたいにうるさい。
ノックスは最後のゴムを締め、耳にかかった髪をそっと払う。
「これで、画面は見える」
低く落とされた声が、耳元をくすぐった。
「……っ」
セレナは心臓が破裂しそうになりながらも、必死に口角を吊り上げる。
「……まあ、悪くないね」
アリアンは――
(私、本気で図書館に引っ越そうかな……!?)
内心、机に頭を打ちつけたい衝動に駆られていた。
リビングには、ほんのり熱気がこもっていた。
セレナはポニーテールを揺らしながらソファに深くもたれ、ゲームコントローラーを手放さず、挑発的な笑みを浮かべる。
「五分?言ったな?レイドで足引っ張る奴、マジで許さないからね?」
「……ああ。」
ノックスは淡々と返事し、アリアンのノートを手に取ると、そのまま膝に広げた。
アリアンはびくりと肩を震わせ、恐る恐る彼の隣に腰を下ろす。
胸の奥で、「ドク、ドク」と心臓が暴れているのが自分でも分かる。
(ち、近い……近すぎる……!)
ノックスは視線を落とし、ノートを流し読むと、無造作に告げた。
「ここ、間違ってる。ルーンの順番が逆。」
「えっ!?」アリアンの目が丸くなる。
「手、貸せ。」
低い声と同時に、すっと伸ばされた大きな手。
淡々とした響きなのに、それは抗えない命令に聞こえた。
「え、あ……」
耳まで真っ赤に染めながら、彼女はおそるおそる手を差し出す。
その瞬間――
ノックスの指先が、彼女の手に重なる。
わずかな体温が、鋭い熱となって神経を駆け抜けた。
(っ……これ、完全に……手取り足取りじゃん!?)
「ここだ。この符号から繋げ。」
声は低く、吐息が耳をかすめるほど近い。
「ひゃ……!」
アリアンの手が小刻みに震え、ペン先が紙を引っ掻いた。
(ちょっ、ちょっと待って……この距離……合法じゃないよね!?)
ソファの反対側で、セレナはその様子をガン見しながら、口角をゆっくりと吊り上げた。
「……へぇ、意外とスムーズに進んでるじゃん?」
そして、酸味たっぷりの声でさらに一言。
「ノックス、髪結んでた時より、ずっと優しそうじゃん?」
「……一緒に勉強するか?」
視線を上げずに、氷のような声が落ちる。
「遠慮しとくわ~」セレナはコントローラーをくるくる回しながら笑った。
「でもさ、あんた戻らないと、パーティーから蹴っ飛ばすよ?」
「やってみろ。」
ノックスは視線を上げる。その一瞬、翠の瞳が冷たく光る。
淡々とした声なのに、底知れない圧があった。
「……っ」
セレナは肩をすくめる。
(なにその声……ちょっとカッコよすぎない!?)
一方でアリアンは――
(お願いだから、セレナ、これ以上煽らないで!!空気が死ぬほど危険!!)
ノックスは何事もなかったように、再び視線をアリアンへ戻す。
「ここ、やり直し。俺が見てる。」
「え、えええ!?わ、私が!?」
「他に誰がいる?」
淡々と、だが微かに笑みを含んだ響きが耳に落ちた。
(え、なにその言い方……反則じゃない!?)
アリアンの心臓は完全にキャパオーバー。
「ほら、次始まるって!」セレナの声が飛ぶ。
ノックスは一拍だけ間を置き、視線をアリアンから外した。
「書け。終わったら見る。」
「は、はい……」
彼女は震える手でペンを握り、必死にノートに向かう――けれど、文字がまったく頭に入らない。
ソファの端。
「行くぞ、タンク合わせろ。」
「分かってる。……はい、決まった。」
ノックスとセレナの声が重なる。
リビングに響くのは、ゲームの効果音と、二人の淡々とした掛け声。
アリアンはこっそり顔を上げた。
画面を見つめる二人は、信じられないほど自然な呼吸で連携していて――
(……いつから、こんなに息ぴったりになったの?)
胸の奥が、ちくりと痛む。
ペン先が止まり、ノートに落ちる影が揺れた。
(ノックス……昔は「ゲームとかくだらない」って言ってたのに……)
彼女は小さく息を吸い込み、震える指でページをめくった。
――ただ、その震えはもう、勉強のせいじゃなかった。
「(……彼、変わったのかな。それとも――私だけが置いていかれてる?)」




