姪の旅立ち、叔父の開店25
開店の準備は着々と進み、とうとうレセプションパーティーの前日になった。
招待状の返信は不要としていたのだが、料理人たちとツァネルさんはランガさん経由で丁寧に『参加』の返事をくれた。それを見た瞬間、心の底からほっとしたものだ。
料理人たちだが全員が来るわけではなく、参加する五人ほどを『くじ』で決めるらしい。皆に参加してほしかったが、それだと仕事に穴が空いてしまうもんな。
護衛たちふたり、アリリオ殿下と椛音、料理人たち五人、騎士のツァネルさん、そしてランガさん。
合計で十一人ほどか。なかなか賑やかになりそうだ。
以前店に来てくれた冒険者パーティ『紫紺の牙』の面々にもマジックメッセージを送るか悩んだのだが、アリリオ殿下や椛音が参加する可能性を考えてそれはやめておいた。
……一介の料理人が王族や勇者と繋がりがあるなんて知られるのを、ひとまず避けたいと思ったのだ。
悪い人たちには見えないが、気をつけておくに越したことはないだろう。
「うん、できた」
俺は手元の黒板をためつすがめつ眺めながら、満足げな息を吐いた。これは店のメニュー表である。黒板にオイルパステルでメニューと価格、そして簡単なイラストが描いてある……飲食店の店内や軒先などによく飾られているあれである。
……絵心がないのでイラストが子どもの落書きのようだが、これはこれで味ということにしておきたい。
メニュー表に描いたのは定番メニュー二種と、日替わりメニュー。そして『仕入れ』次第の特別メニューの四種類だ。ホールはパルメダさんとルティーナさんが手伝ってくれるがキッチンは俺ひとりで回すので、これくらいのメニュー数じゃないと手が回らない。
定番メニューはメイン二種──ハンバーグか魚のフライかである──からどちらかを選んでもらう形式で、ポトフと焼き立てパンがついてくる。
日替わりメニューは卵料理、唐揚げ、サンドイッチ、パスタなどを日替わりで提供する予定だ。特別メニューは、パルメダさんやルティーナさんがオボロアナグマのような『とんでもないもの』を狩ってきた時のみの提供になる。
ほかには食材の在庫状況と相談で、一品料理なども出すつもりだ。
……酒類の提供に関しては、開店してからの客層を見つつ考えよう。
パルメダさんとルティーナさんがいるから、狼藉を働く輩はすぐに出禁になるとは思うが。
「素敵なメニュー表ですね」
「ありがとうございます、ルティーナさん」
ルティーナさんに褒められて、俺は内心安堵する。人から見ても粗末なものではないらしい。……お世辞という可能性もあるが、考えないことにしよう。
店内のどこにメニュー表を置くかの思案をしていた時……。
「おっじさーん!」
そんな声がその場に響いて、俺は目を丸くした。この声は──どう聞いても椛音だ。
周囲を見回すと、すぐ近くの空間の一部が『裂けて』いた。
その穴から椛音の顔がにゅっと現れる。その非現実的な光景に俺は驚愕し固まってしまった。
「あれは殿下の転移魔法です」
パルメダさんに耳打ちをされ、俺は『なるほど』と納得した。
転移魔法ってこんなシュールな感じなんだな。もっと『シュンッ!』という感じでかっこよく移動できるものなのかと思ってたぞ。
椛音がにゅぽん! 奇妙な音を立てつつ全身を出すと、続けてアリリオ殿下の顔が現れた。パルメダさんが殿下のもとへと向かい、そっと手を差し出す。アリリオ殿下はその手を取ると、上品な所作で穴から体を出した。……椛音とのこの差はなんなのだろうな。
「久しぶり、叔父さん!」
大きく手を振りながら、椛音が笑顔で駆け寄ってくる。
……久方ぶりの可愛い姪だな。
そう思うと、俺の表情も自然に緩む。
「ああ、久しぶ──」
「叔父さん! ご飯食べさせて! おやつもほしい!」
勢いよく俺に抱きつきながら、椛音は矢継ぎ早に言う。……相変わらず、欲望に忠実すぎる姪である。
「まったく、カノンは。まずはちゃんと挨拶をしろ」
「アリリオは石頭すぎ。私と叔父さんの仲だし挨拶なんていらないの!」
アリリオ殿下に呆れたように言われ、椛音は頬を膨らませつつ言い返す。
「いや、挨拶くらいしてほしいぞ。人として」
「叔父さんも石頭だった……!」
ぽつりと漏らした俺の言葉を聞いて、椛音はショックだという顔をする。いや、挨拶は大事だと幼い頃から言い含めていたはずなんだがなぁ。
「俺はともかく、パルメダさんとルティーナさんには挨拶はしないとダメだ」
「それはたしかに!」
俺の言葉を聞いた椛音は、慌てた様子でパルメダさんとルティーナさんに向き直る。
「パルメダさん、ルティーナさん。お久しぶりです!」
そして、片手をしゅたっと上げつつキンと耳に響くほどの元気な声での挨拶をした。
「はい、お久しぶりです」
「ふふ、相変わらずお元気ですね」
パルメダさんとルティーナさんはおっとりと笑いながら椛音に返す。
ふたりとも、優しい親戚のお兄さんお姉さんという風情だな。
「皆、元気にしていたか? カノンが我慢ができないと駄々を捏ねるので、パーティーの前日だとはわかっているが来てしまった。忙しいのにすまないな」
アリリオ殿下はこちらに視線を向けつつ言うと、申し訳なさそうに眉尻を下げる。相変わらず律儀で折り目正しい少年だ。世界を救う旅の最中、殿下が椛音の保護者のようになっている様がありありと想像できて本当に申し訳ない心地になる。
「アリリオ殿下は相変わらず常識的じゃないか。ほら、椛音も見習え」
「ええー」
椛音は不服だという様子で、先ほどよりもさらに大きく頬を膨らませる。その頬を指で突くと、姪の唇からはぷすんと妙な音を立てて空気が漏れた。
ふと、椛音が俺の肩のあたりで目を留めた。肩の上にはすっかりそこが定位置となってしまったピートが鎮座している。
「叔父さん。肩に乗ってるそれは?」
「ああ、ツァネルさんにもらった赤竜の卵が孵ったんだ。それで懐いてしまったから、飼うことにした。ピート、椛音に挨拶を」
『ピーッ! ピッピッ!』
俺の言葉を聞いたピートは、甘えるような高い声を上げる。そんなピートを目にして、椛音は目を輝かせた。
「わぁ、可愛い! 私もペットがほしいなぁ」
「旅をしている間は我慢しなさい」
「……むう。叔父さんのケチ」
ケチとはなんだ、ケチとは。旅をしている間は、ペットを飼う余裕なんてないだろうに。
飼ったとしても、言い出しっぺのくせに最終的にはアリリオ殿下に世話を丸投げにするのが見て取れるしな。殿下にこれ以上の気苦労をかけないためにも、ペット断固反対だ。
「妙なものを飼いはじめたのだなぁ……」
アリリオ殿下はピートを見ながらしみじみと言う。赤竜を飼うのは一般的なことではないようだ。
「そうだ、ショウ。今日は手土産があるんだ」
アリリオ殿下の言葉に俺は目を瞠る。椛音の世話を焼いてくれる上に手土産までくれるなんて、殿下は本当に好人物だな。
「これは……バッグですか?」
殿下に手渡されたポシェット程度のサイズのバッグを手にして、俺は首を傾げる。
革で作られたシンプルなバッグは見るからに品質がよさそうなものだが、俺への『手土産』である理由がわからない。
このバッグが気に入らないとかそういうことではなく、アリリオ殿下は性格的に『理由』があるものを贈りそうな気がしたのだ。
「ただのバッグではない。マジックバッグと言って、大量のものを収納できるバッグだ。倉庫や馬車レベルの収納は無理だが、そこそこの量は入る。狩りの際や貴重な食材を収納する時などに活用するといい」
「これね、すごいんだよ。中に入れたものの時間は停まっちゃうの」
アリリオ殿下が説明をし、椛音がさらに言い添える。
なるほど、ただのバッグではなかったんだな。
「へぇ! それはすごいな。アリリオ殿下、ありがとうございます」
これは本当にありがたい。量に限りがあるとはいえ、食材を新鮮な状態で保管できるとは。調理の幅が広がるというものだ。
「私からのお土産はその中に入ってるから。ちょっと出してみてよ」
「ああ、わかった。……ってどうやって中身を出すんだ?」
椛音にいたずらっぽく言われたものの、マジックバッグの取り扱いがわからない。
下手に扱って壊してしまうのも嫌だしな。
「とりあえず、逆さにして振ってみたら? 手を突っ込むとちょっと危ないかも」
「危ないって……。お前、なにを持ってきたんだ!?」
「いいからいいから!」
テーブルの上で逆さにしてバッグを振ると、『とあるもの』がゴロゴロと雪崩落ちて天板に小山……どころではない大きな山を作った。
──これは、蟹!?
灰褐色の蟹は動かないよう紐でしっかりと縛られているが、生きているようだ。その大きさは大人の手のひら四つ分ほどはあるように見える。縛られて縮こめられている立派なハサミが自由になればもっと大きく感じるだろう。そんな立派な蟹がざっと二十匹は転がり出てきたので、俺はバッグの収納力に感心してしまった。
「これって、ノコギリガザミか? ……サイズはぜんぜん違うけど」
ノコギリガザミは一杯一万円前後する高級蟹だ。温帯に生息している蟹で、日本だと沖縄などの南日本にいたりするな。
大きなハサミを持つノコギリガザミはとんでもない握力を持っていて、下手に触れれば人間の指なんてちょん切られてしまう。目の前で蠢いている蟹たちも凶悪なハサミを持っていて……いや。あちらの世界のノコギリガザミとはサイズが違うので、凶悪どころではないな。俺の首くらいちょんと簡単に切られてしまうだろう。
「こっちでは大斧ガザミと呼ばれてるみたい。美味しそうだけど一応魔物だよ」
「たしかにこのハサミは、ノコギリどころじゃなくて大斧だな……」
椛音の言葉に俺は納得する。これは『ノコギリ』じゃ済まないもんな……。
「ショウさん。大斧ガザミは、とても美味しいのです。身がぷりっとしていて……! それがこんなにたくさん!」
「オススメはシンプルに塩ゆでですかね。ああ、想像しただけでヨダレが……!」
ルティーナさんとパルメダさんが嬉しそうにふたりではしゃぐ。
ノコギリガザミもとても美味しいもんな。それが数倍のサイズになっているのだから、食べ応えがありそうだ。
「じゃあ、この蟹でなにか作ろうか。明日のパーティー用に半分は残しておくつもりだけど」
「やったー!」
両手を上げて喜ぶ椛音を見ていると、元の世界にいるようでなんだか懐かしい気持ちになる。
魔王の討伐がおわったら、椛音はアリリオ殿下と暮らすのだろうか。そうなるともう一緒に住む機会はないだろうなぁ。
……想像すると寂しくてちょっと泣きそうになるな。
「シンプルに蒸して食べようか。ランガさんからちょっといいものを買ったしな」
「いいもの?」
俺の言葉に椛音が首を傾げる。
「ああ、これだ」
冷凍庫を開け、俺はとあるものを取り出す。それは瓶にたっぷりと入った、柚子胡椒だった。
……この柑橘類が『柚子』なのかは置いておいて、柚子胡椒の味はする。
酢醤油もチリソースも材料不足で作るのが難しいが、これがあるなら安心だ。
時刻は昼に差し掛かるところだ。ちょっと贅沢な昼飯になるな。




