現在 リル
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マサ君、いや政子ちゃんのお母さんの事情を聴き終えた俺達。
朝御飯を食べながら聞くには色々と衝撃が大きすぎる。話だ。今だって政子ちゃんは口をあんぐり開けたまま手に持っていたフレンチトーストを口元に運ぶ事が出来ない。
俺もある程度知っていたけど、それでも詳細については知らなかったから思わず飲んでいた味噌汁のお椀を口に押し付けたままピタリと止まってしまった。
こんな中でもぐもぐと食べ続けていたのは政子ちゃんのお兄さん。今おかわりしたばかりのカレーをもりもりと食べている。さっきまでパンを全種類食べていたのに、あんな細身な身体にどれだけ食べるのだろう。てか良くこんな空気の中食べられるな。
「私知らなかったけど?」
「中学卒業するまで黙っていようと決まっていたのよ。昔っからアンタは馬鹿みたいに妙な事の真似ばかりするからしっかりと自分の頭で判断するまで黙っていただけ」
「うっ」
図星なのか顔を少し歪めた政子ちゃん。それを隠す様にやっとフレンチトーストを口に運ぶ。美味しかったのか笑顔が零れ落ちた。
高級ホテルのフレンチトーストは相当美味しかったのか目尻が下がりっぱなしだ。
このホテルは今日の為に俺の祖父が用意してくれたホテルだ。
少し大きくなって知った事だが、俺を産んだ女親の実家は大金持ちの分類に入る富豪だ。
女親が狂う程愛した従兄弟は本家の息子と言う立ち位置で、現在は会社の一つを任されているそうだ。多分アレはそう言う所も狙った理由の一つだろう。
一応言っておくが、父さんも女親の実家と比べれば劣るかもしれないが、それでも同年代では稼いでいる方だし俺の為に在宅ワークをしてくれている。
昔の事は殆ど覚えていいないが、それでも俺から見ても優しい人だし優良物件の筈だ。今だって子持ちだと分かった上でアタックしてくる女性もいる。(だけど父さんは俺を一番に考えて断っている様だが)
本当にアレは父さんと結婚していたのに何であそこまで従兄弟に狂っていたのか。今になってもちっとも共感のきの字も分からなかった。
俺は女親と離婚する以前の六年間の記憶が綺麗さっぱり無くなっていた。
病気とかじゃなくてお世話になったカウンセラー曰く『人は時に辛すぎる記憶を忘れる事がある』だそうなので、変に思い出さない様にした方が良いと言われているので、周りは女親の話を一つも俺の前ではしない。
多分俺は女親が目の前に現れても思い出す事はないだろうと確信している。アレの写真を何枚か見ても映っている動画を見ても何の感情も湧かなかった。多分あの駆け落ち事件が切っ掛けに女親と関連する事はゴミ箱にゴミを捨てる様に何もかも捨てたんだ。
あの六年か以前の俺にとっては『ハハオヤ』が唯一で絶対神の様な存在を、彼が――いや、本当は彼女なのだが――ぶち壊してくれた。
女親の事は一つも覚えていないが、『マサ君』の事だけは覚えていた。
当時の俺は『マサ君』に憧れていた。
小学校入学して直ぐにマサ君は友達を沢山作っていた。外で毎日の様に友達と元気よくサッカーをして泥だらけになっていた。その姿を見て俺は本当に羨ましかった。
あの当時は外で遊ぶ事は禁止だったし、泥だらけになる事なんてもっての外。例え雨が降った後の水溜まりの水が跳ねてスカートの裾にちょっと汚れた程度でも烈火の如く怒り狂っていた。
ボッコボコに殴られて床に叩き付けられた俺は痛みで呻きながら泣いていた所を、物陰で隠れていたマサ君が現れたのだ。
『ゆりるちゃん大丈夫? 何処か怪我してない?』
『……マサ君? どうして此処に?』
『カメラマンさんごっこしてたら偶々此処に』
倒れている俺を起き上がらせて服に付いた誇りを叩き落として、口元から流れていた血をテッシュで拭った。
『ゆりるちゃんのママ何時もああなの?』
『……』
『ふーん。無理に言わなくても良いよ。何となく分かるし』
言いにくそうな俺を察してそれ以上何も聞かなかったマサ君はビデオカメラの内容を何か確認すると鞄の中にしまい込んだ。
『ゆりるちゃんのパパはゆりるちゃんのママがゆりるちゃんに必要以上に殴る事を知っているの?』
『パパは遠くでお仕事しているから会う事は殆どないの』
『……あのさ。お節介かもしれないけど、先生にゆりるちゃんのママの事話した方が……』
『それは絶対にダメ!! 先生に言ったらぼくがママに酷く怒られる!! 今以上に殴られるのはもう嫌だよぉ……』
アレが機嫌が悪い時とか必要以上に怒らせた時、熱湯を身体に浴びせられるから本当に怖かった。再三『先生やパパ達には言うな』と言われていたからその約束を破ったら今度は殺されるんじゃないかと思うと怖くて怖くて仕方がなかった。
『んー……しょうがないな~。先生には黙ってあげる。その代わりさ。ちょっとゆりるちゃんのじじょーを話してくれる?』
俺に目線を合わせマサ君は俺を見てくれた。
俺を安心させるために少し笑みを浮かべて俺の両の手を握った。握ってくれた手の暖かさが最後に会った父親以来だと気付いて俺は涙が零れ、我慢していた物が全て壊れてしまった。
『じつわね……』
アレから酷い虐待を受けていた事、俺の本当の性別の事、色んなことを我慢させられている事等何もかも話した。
『……ゆりるちゃん。それ先生に言ったら解決する奴だよ?』
『ダメ! あの人が今以上に怒ったら熱湯を浴びせるし、最悪殺されるちゃう……』
『……その様子だと先生達に守られる前に殺されるかもしれないね…………………だったら私と駆け落ちする?』
『かけおち?』
聞きなれない言葉に頭に?マークを浮かべた俺にマサ君は自信満々に腰に手を当てて誇らしげに胸を張った。
『昨日見たドラマで主人公達が意地悪な大人達から逃げる為に『駆け落ち』したんだぁ。その後二人は幸せになったんだよ? だからあんなオニババアから逃げた方が良いよ』
『でも捕まったら……』
『大丈夫。そんな時は私のママとパパが守ってくれるよ。特にママは怒ると怖いからゆりるちゃんのママ相手でも怒れるよ?』
そう言うとマサ君は俺に手を差し出した。
『一緒に駆け落ちしよう』
太陽の様な笑顔が俺に勇気を与えてくれた。
『駆け落ちも失敗に終わったけど、結果的に俺が抱えていた問題は全部解決出来たんだよな』
駆け落ちを決行した翌日に大人同士の話し合いを終えた父と祖父が俺を抱きしめて謝ってくれた。
女親が警察に捕まって此処にはいない事も話してくれた。
その後、俺は入院して身体と心の治療に専念した。その途中でお見舞いと謝罪に来てくれた母の従兄弟に当たる人とその奥さんが釈放されていた女親と再会して、病室の外で騒がしいなと思っていたが後々で父に教えて貰った。
『はっきりと言わせて貰う。誰がお前の様なイカれた女と結婚するか! あの時からキチンと拒絶しただろ! 誰のせいで俺が日本を離れたと思っているんだ!!??』
『しかもお前、自分の子の性別を偽っていたそうだな。本当にお前、頭狂ってるよ。気持ち悪い』
『俺が今日此処に来たのは間接的に俺も原因だからお前の旦那と息子君に謝罪に来ただけだ。そもそも俺と妻の子供以外の子に興味はない!!』
『お前の顔なんて見たくもない!!!!』
最後の拒絶が一番ダメージが効いたのか地べたに座り込んで魂を抜けて呆けていたそうだ。
それから女親は大人しく父との離婚に承諾。俺の親権は勿論父に渡り、母には莫大な額の慰謝料と養育費の支払いが残った。
とても一人では返し切れないと両親に泣きついたが、父親には足蹴りされ母親には泣きながら罵倒されて絶縁。他の親戚や友人知人にも頼ったが、皆が所業を知っている為誰も女親の話を聞く者はいなかった。
結局女親は朝は小さな会社で事務をして、夜はスナックでお金を稼いでいるが、大半を慰謝料と養育費で消えて残ったお金も生活費等で消え、手元に残るのは微々たる額。
顔が良かったから泡のお風呂屋さんで働けばまだ楽だっただろうに、それは女親のプライドが許さなかったのだろう。最近女親を見た親戚によると、げっそりと痩せて肌もボロボロ。目元には隈を作っていて、以前の姿とはかけ離れた姿で一瞬誰か分からなかったとか。
最近やっと慰謝料分だけは支払い終え、養育費も要らなくなったから其の地獄を抜け出す事が出来た。養育費が要らなくなった理由? 単純にアレの稼いだ金を貰いたくない事もあるが、父が再婚する事になったのが一番の要因だ。
相手は父の会社の先輩で相手もバツイチ(理由は義母の不妊と元旦那が一方的に捨てた)だ。とても良い人でこの人が母親なら俺も納得出来る相手で今は俺の腹違いの弟を妊娠していて義母の実家で静養している。(因みに義母の元旦那家族は妊娠したと聞いて突撃したそうだが父と義母の実父達に追い出された)
負担が減って喜んでいる筈だった女親は父が再婚したと聞いて何故か発狂した。また父と再婚出来る幻想を見ていたのだろうか? そんな訳ないのに。
現在は老婆の様な姿でひっそりと暮らしているとかいないとか。まぁ永遠に関わる事がないから良いけどな。
「あら! それじゃあ政子と同じ高校なの!?」
ぼぅと昔の事を思い出していたら何時の間にか親同士で話が弾んでいた。
「えっ? マサ君……じゃなかった政子ちゃんが通う学校俺と同じ学校なの? 俺は野球の外野手で推薦を貰えた」
「みたいだね。私はサッカーで頑張っていたら、高校の女子サッカーの監督にスカウトされて入学出来たのよねぇ~ちな、私ゴールキーパーね」
俺達が通う高校はスポーツに力を入れている所だから体育系の部活では有名な学校だ。確か女子サッカーが一番強かった筈。もしかしたら政子ちゃんって鉄壁のゴールキーパーなのかも。
「だけどあの学校で学力も最低ラインを保たなきゃ部活にいけないんだろ? 政子お前ちゃんと頑張らないと直ぐに部活停止になるぞ」
「え~それはヤダなぁ。私下から数えた方が早い方なのに」
「どうせなら百合瑠君に教えて貰え。百合瑠君は学年でどれ位の成績だった?」
「まぁ数学と国語は学年で一桁代を取ってますね」
あの女親の狂った教育のお陰か勉強は出来る方で、得意な数学と国語は最低で九位で殆ど一桁を保っていた。
「それなら百合瑠君が良ければウチの愚妹の勉強を見て貰えるかい? 同じ学校なら範囲も同じだし、最低ラインさえ保ってくれたら良いから」
「俺で良ければ。まだ政子ちゃんへの恩返しが終わっていませんし」
「別に恩返しなんてそんな仰々しい事を考えなくて良いよ。能天気だった頃の突発的な思い付きの行動だったんだから」
呆れた様に頬杖をつきながらレモンサイダーをストローで飲んでいる政子ちゃん。
「でも政子ちゃんのお陰で今の俺があるんだからせめてお礼をさせてよ」
「ん~其処まで言うならしょうがないね。だったらその『政子ちゃん』じゃなくて『マサ』て呼んでよ。ちゃんづけなんてこそばゆいから嫌なんだよね」
「そっか。……なら俺の事は『リル』て呼んでくれよ。……改めて言うけどこれからもよろしくなマサ」
「よろしくねリル」
こうして俺達は固く握手を交わした。
それから学校生活を三年間過ごす内に俺達の間で友情から恋愛に発展したのは少し先の未来の話。
カッコいい小学校のクラスメイトが可愛いお嫁さんになってくれる未来はそれよりももうちょっと遠い未来の話なのはこの時は誰も思い付く事もなかった。




