28. 別れとはじまり
黒マント姿の宰相様は、呆然と立ち尽くす私の前に進み出ると、クスリと笑った。
「驚かせてしまいましたか」
驚いたのは、黒マントの正体もだけど、まさか宰相様が剣を扱えることについても意外すぎた。宰相という役職柄、王宮の奥で政務をこなしているイメージが強いし、会う場所はいつも執務室だったし、着ている服はいつも動きにくそうな長衣だったし、こんな場所で会うには最も思いつかない人だから……と、そこで私はふと眉を寄せた。
「まさか、宰相様は……実は宰相様では、ない?」
「ええ、そうですね」
あっさりと認められ、そこは驚くよりも深く納得する。
そもそも私が城にやってきてからというもの、こういう事が起こってばかりで、いい加減慣れてしまった。今さら、だまされたとか思わないけど……いったい何を信じたらいいのか心配だ。
(でも、心配しても仕方ないか)
目の前にいる人々が、本当はどういう立場で、何をしている人か分かったところで、それがなんだというのか。私は私なりに、彼らがどういう人か知っている。それでいいじゃないか。
「私にとって、宰相様は宰相様です」
そう笑ってみせると、宰相様が首を横に振った。こういう生真面目さも、宰相様らしい。
「私の本当の名はカイル・シェルベルン。レードル卿の名を語る、偽の宰相です」
「馬鹿、何を言っている。お前は……」
「いいのです、ルイーズ様」
宰相様は私の目の前にひざまずくと、そっと手を取って意地悪そうに微笑んだ。
「よくもまあ、ノコノコとこんなところまで……と言いたいところですが、あなたのお陰でルイーズ様と合流できました。礼を言わせてください」
それは、私の良く知っている宰相様だった。
「何年前になるでしょうかね……昔あなたのお店に、訪れたことがあるのですよ」
「えっ!?」
宰相様は、マントの内側から小さく、古ぼけた携帯用の提灯を取り出してみせた。
「この魔除けの提灯に、何度も助けてもらいました」
「……」
まだ実家で暮らしていた頃、店にはよく旅人が訪れたことを思い出す。彼らの中には、これから危険な森や山へ向かうんだと、魔除けの提灯を買い求めた。商品を渡す時は、いつも心の中で無事を祈った。
「せっかく本当の姿でお会いできたのに、残念ながらここでお別れです」
「お別れ?」
宰相様は立ち上がると、マントを翻した。
「ええ。本来の仕事に戻らせていただきます……ルイーズ様」
ルイーズ様は、宰相様の合図とともに何かを放った。それは弧を描いてクルクルと回転し、宙に延ばした宰相様の手にスッと収まった。
「この剣は返していただきます。レードル卿は、すでに城に戻っているはず」
「ああ……」
剣を持って旅立とうとする宰相様に、私は言葉を失ったままだ。
(この人が、本物の勇者……?)
そしてシェルベルン王家の名を語るその意味は、ルイーズ様と同等の立場であることを意味してる。よく見ると、ルイーズ様と面立ちが少し似ている気がした。
「では、私はこれで」
「え、待って!」
背を向ける黒いマントに、私は思わず引き留めてしまう。だって、別れがこんなに急に来るなんて思わなかった。
たくさんお世話になったし、仕事上でも一番近くにいた人だし、いつも頼りにしてた。
「また会えますよね?」
「……さあ、どうでしょうね」
今度こそ、宰相様は去ってしまった。あっという間に遠くなる後ろ姿を、ぼんやり見つめる。
(結局のところ、勇者って何者なんだろう……)
皆それぞれが精一杯、自分の勤めを果たそうとした。誰もが少しずつ、勇者の仕事をしていたとしたら……。
「もしかして、勇者って……たくさんいるの?」
ルイーズ様はそっと私の肩を抱き寄せた。その横顔は、宰相様が消えた森の奥に向けられたまま、どこか達観した表情を浮かべてる。
「まあ、そういうことになるかな。僕にとっては、みんな勇者だよ。もちろん、君もね」
「えっ……」
誰が勇者というより、いろんな人達が少しずつ勇者の役割を担っているのだろう。そうやって皆で『勇者』作りあげ、この国を守っているのかもしれない。
「そういう意味じゃ、私も現職の勇者ですね」
「だから、最初からそう言ってるだろう。代理なんていない、僕が現職の勇者であり、君も勇者の仕事をするのだから、つまりそういうこと」
城に戻って数日が経った。
私はメイドの仕事を辞めることになり、代わりにルイーズ様の婚約者として、お妃教育を受けることになった。
学ばなくてはいけないことは山ほどある。お妃様とは決して、綺麗なドレスを着て微笑んでいるだけではないと、今なら痛いほど良く分かる。
「痛っ……も、もっとやさしくしてくださいっ……」
「最大限にやさしくしているけど?」
久しぶりに訪れた執務室で、私はソファーに座って靴下を脱いだばかりの足を、ルイーズ様に差し出していた。
「ヒールのある靴を履くのははじめて?」
「うっ……はい」
「ならこの踵の高さは、やめといた方がいいね。最初は低いものから、徐々に慣らさないと」
「でも、次のパーティーまで時間がないんです。ドレス着るなら、この踵の高さがベストって聞いて、どうせダンスするなら最初から本番と同じ高さで練習しなくちゃって思って……」
その結果、私の足には数箇所マメができて、つぶれてしまった。そこにルイーズ様は、容赦なく薬を塗り込んでいく。
(この薬、ものすごくしみるけど、よく効くんだよね……)
我慢しなきゃと思うけど、予想外にルイーズ様の手つきが不器用で、手当てがとんでもない苦行になりつつあった。
「ダンスの稽古時間、もう少し増やしてもらえませんか……」
「それは駄目。次の舞踏会まで何日あると思ってるの。婚約者として最初の二曲は必ず踊らなくてはならないから、皆の前で恥をかきたくないって泣きついたのは、他でもない君だよ? それなのに練習し過ぎて、本番で踊れなくなったらどうするの……本末転倒だろう」
たしかに自分から言い出したことだが、まさかこんなにキツイとは思わなかった。靴が合ってないのだろうかと、真剣に疑いはじめている。
「まったく、今日くらいは練習休んだら? 明日から、もっと柔らかくて踵の低い靴を履いて練習すればいいよ」
「……そうですね」
執務室のソファーで、ルイーズ様と向き合った状態で、素足の踵を手に取られたこの状況は、二重の意味で恥ずかしすぎて、決して誰にも見られたくない。
(以前なら、宰相様が来たらどうしようって気になっただろうな……)
宰相様がいない執務室は、なんだか寂しく感じてしまう。本当の宰相様……レードル卿とはすでに面会したけど、私の知っている宰相様とは似ても似つかない、恰幅のいい優し気な風貌のおじさんだった。
レードル卿とルイーズ様は、たまに執務室で会議をすることもあるようだけど、私はもうあまりこの部屋に通うこともなくなったせいか、二人がここで話している姿は見かけたことない。
「……なんか物足りないって顔してるね」
「え、いえっ、薬はもうじゅうぶんです!」
「薬の話じゃないよ……カイルがいなくなって、寂しいのだろう?」
少し拗ねたような口ぶりのルイーズ様に、私は苦笑を漏らした。
「宰相様……今頃どこを旅しているでしょうね」
「ツァークが同行しているから、大事無いはずだ。父王のお気に入りの第一王子だから、ツァークの長も彼の身に危険が及ばないよう、最大限に気をつけているはずだ」
もともとレードル卿が病で倒れた事を他国に知られないよう、第一王子はここ数年、密かに宰相の振りをして政務を行っていたらしい。
なんでも決して公の場に姿を見せず、執務室にこもり、寝食はルイーズ様の私室を共有していたそうだ。ルイーズ様の部屋がいわゆる『汚部屋』だったのも、宰相様の痕跡を分からなくするためのカモフラージュだったという。
(たしかに、この神経質そうなルイーズ様が、汚部屋に甘んじているなんてイメージ狂うもんなあ)
本物のレードル卿はすでに体調が回復し、復帰のタイミングを見計らっていたそうだ。だから宰相様……カイル王子殿下は、今回の件が片付いたのを機に、再び王宮を出ることになった。
(宰相様は……ずっと旅を続けるのかな)
旅の目的は、魔物を生み出す原因となる瘴気スポットについての調査らしい。それを封じる方法が見つかれば、ツァークの人たちも魔物管理という使命から解放され、ギルドメンバーの人員不足も解消され、きっと宰相様も旅をする必要はなくなる……かもしれない。
「宰相様は、いつ王宮に戻ってこれるんでしょうか……」
「……どうかな。でも式にはちゃんと顔を出せと伝えておいた」
「式?」
するとルイーズ様はムッとして、私のおでこを指で弾いた。
「痛っ……なにするんですかっ……」
「本当に分かってるのかな。君は近い将来、僕のお嫁さんになるんだよ?」
正直、まだ実感が沸かない。でも素直に口にすれば、またおでこを弾かれそうだから、黙ってることにする。
(お嫁さん、かあ……)
手当された足をさすりながら、ルイーズ様の赤くなった耳に、こちらも赤面する思いで目をそらした。
もうじき、私のお披露目をかねたパーティーが開催される予定だ。それが済めば、私は本当に後戻りできなくなる……心は決まってるけど、まだまだ不安が多くて覚悟が決められないでいる。そんな自分を叱咤するつもりで、このスパルタじみたダンスの特訓にはげんでいた。




