わんわんわんわん
アキは眠りから覚めると緩慢に瞬きする。知らない天井だ。天井?
ああ、知った臭いといびきが聞こえる。
「おはよう」
「んー……」
アキが目を覚ましたのは空が夕焼けに染まった頃だった。室内で寝たっけ? と言う疑問が浮かび、けれどすぐに霧散した。
「はい、お水」
「ん」
「ご飯を持ってきたけど食べる?」
「んぅ」
アキは昼寝の寝起きが悪い。と言っても機嫌が悪くなるとか、頭が痛いとか、起きられないだとかではない。単純にぼんやりしているだけだ。体を動かせれるけれど頭が働いてない状態。つまり、素直で従順でとても可愛い。熱に魘されている時は気怠くて他人に従うだろう、それと似たような状態だ。決して病気ではない。アキは今まで風邪を引いたことはない。バカだから気づいてないだけとかではなく健康体。
ちなみにアキは睡眠の質がいい。会社員になってからも基本的には毎日八時間以上は寝ている。何事もなければ夜更かしはしないし、入眠は秒で途中覚醒はしない朝の目覚めもいい。船を漕いだり居眠りもしない。そういうわけで昼寝をするのは珍しいことで、そのうえ寝起きのアキを見れるのは滅多にない。
アキは甲斐甲斐しく世話されていることに疑問を持たない。だって世話されているという認識すらしていないから。水を渡されたから飲んだ。ご飯という単語を聞いて頷き、手を引かれたから体を動かす。
あれ子供かなと言うことなかれ。自己中心的で感情のコントロールが出来ない素のアキと適応性あって純粋な心な寝惚けアキ。どっちであろうと子供っぽいことには変わりない。
そんなアキを目の前に『襟巻小僧』は小躍りしたい気持ちを抑えて介護に徹する。小躍りはしてないが顔が緩みきっている。「可愛いー!」との声が口から漏れている。『右腕』がほっぺをつまんでも変わらない。制御不能。
「はいあーん」
「あーん……っ! うまっ!!」
語尾に♡がつきそうなほど甘ったるい声だ。それでもアキは気づかず正直に口を開ける。一口食べるとカッと目をかっぴらく。堪らず声が出た。あまりの美味さにアキは微睡みから覚醒した。夢中になってそれをかき込む。
「っはぁ〜美味かった」
最後の一口を食べて、お腹が膨れて、満足気に余韻に浸る。めちゃくちゃ美味しかった。
「お粗末様。口にあって良かったよ。量は足りた? 今更だけど好き嫌いはある?」
この頃には『襟巻小僧』の顔は戻っていた。いや正確には食べ終わるまではだらしがない顔だったがアキが顔を上げた瞬間に表情を戻した。大変器用である。それはもう『右腕』が引いて呆れるぐらいには。
「ぅんにゃ、ちょうどいい。好き嫌いもない」
好き嫌いというよりそもそも食事に対してあまり関心を持っていない。腹が減ったら食べるかぐらいで単なる生命維持でしかなく味は二の次。要は食えればなんでもいいのだ。もちろん激辛とかは論外だ。自分の許容範囲内であればという注釈がつく。
食事は不定期なためか一回の食事量が多い。例えばラーメン店に行った時はラーメン大盛りの炒飯セットにサイドメニューと替え玉と白米。とまあ、一日の食事摂取量を一回の食事で摂ると思えばいいだろう。
体を動かしていた時期は腹も減るのでよく食べていたが会社員になってからは酷かった。一応一日三食を意識してはいたが一食二食平気で抜く。精神的疲労だとお腹は空かないので仕事の日は一日通して超小食。休みの日はぶさに付き合って体を動かしたのでよく食べてはいた。それで一週間でみて基準値通りになるかは不明だ。体調を崩してないので大丈夫だったみたいだが。
「あなたの服も持ってきたからこれに着替えてほしい。サイズとか確認したいし、大丈夫そうならもっと作ってくるね。こだわりや希望があるなら……っ、きゃああああ」
ニコッと笑った『襟巻小僧』は、しかし次に目を開けた瞬間悲鳴を上げた。顔を赤く染めて両手で顔を覆う。けれども指と指の間は隙間が開いており覗き見している。
服をもらったアキはその場で着替え始めた。躊躇いもなく着ている服を脱いだのだ。そこへ『襟巻小僧』の悲鳴である。何事かとアキは下着姿のまま声の方に振り向いた。
「へ、いやあの……ひゃあああ。服! 服を、着てっ……!!」
アキに羞恥心はなかった。いやあるにはあるのだが、肉体に対する恥はない。いかんせん感覚が男なのだ。大事なところが隠れていればいいだろうの精神だ。所詮、肉の塊だろ?
自分の体にコンプレックスも関心もなかった。え、下着と水着って同じじゃないの? と首を傾げる女の子デス。
いや常識はある。暑いから外で脱いで下着姿になるとかはしてない。公然わいせつだからそれ。場所家の中、目の前少年、判定まあいいか。教室で女子がいても男子は着替え出すあれである。
さて、着替え終わったアキは『襟巻小僧』に言われて着心地を確かめるために体を動かす。肩を回し、足を上げ、上半身を捻る。ストレッチもラジオ体操も知らないアキ。ベースは喧嘩の動きだ。
「うん、動きやすい」
アキは外見より機能性重視だった。好みはない。動きやすければどんな格好でも構わない。ド派手な蛍光色でも目立つ原色でも気にしない。注目を浴びたってアキは気にならない。他人にも世間体にも興味無い我が道を行くぜなメンタル化け物だ。
アキが動き回っている間にぶさが起きてきた。『襟巻小僧』はぶさ用の犬の食事も持ってきていたのだ。用意周到。ぶさは美味しそうに食べている。
「それね、実はお揃いなの」
人差し指同士を合わせながら『襟巻小僧』は言う。頬に朱が差している。恥ずかしそうにモジモジしながらもアキに視線を投げかける。
「はわぁぁ……いい。もう、良い。お揃いにして良かったぁ」
手を合わせて拝む彼にアキは微妙な顔をする。『襟巻小僧』はアキとぶさの服を持ってきた。それぞれ色や模様が似ていてお揃いだと言われれば確かにそうだなと思う。
「平気……そうだな」
アキはぶさに服を着せたことはない。なのでぶさの装備は首輪だけだった。初の服だがぶさは特に気にした様子はない。というか服を着ていることすら気づいてないかのように見える。
「寸法は大丈夫そうだから追加で服を縫ってくるね。お風呂の用意は済ませてるから今から入る? その間に寝間着は作っておくから安心して」
「いやいやちょっと待て」
「ん?」
家から出ていこうとする彼に待ったをかける。思わず聞き逃しそうになった。それぐらい普通になんて事ないように言う。しかし聞き流すには衝撃が強かった。
「服を縫うって……」
「ボクが作ったよ? ……ああ、嫌だった? ごめんね。人用のは初めてだったから、不出来だったかな? 気に入らないなら、諦め……うぅ、服飾担当に頼むけど……」
「これが、手製? えぇ……すっご。ってことはぶさのも……?」
「うん。ボクが作ったよ」
開いた口が塞がらないとはこのことか。手製の服というには高すぎる出来に驚き、服ってこんなに早く作れるものなのかと疑問が頭を過ぎる。言うなればオーダーメイドだ。しかも採寸した覚えはないのにピッタリだった。え、怖っ。
思わず『襟巻小僧』を凝視すれば照れ笑いされる。いや褒めてな……褒めてるけど違う。
アキは知らない。さっき食べたご飯も彼が作ったということを。愛の巣だって一から十、とまでは言わないけれど十分結構大部分は関わっている。外観内装設備エトセトラ。
家に関して補足すると外装までは作ってあった。家としての形ができているだけで中は空っぽのハリボテだったと言えばいいだろうか。内装諸々細かい部分はアキが魔王城に突入してから指示をだした。門前での様子を観察して、性格や好みを予想して構想を組み立て、部下を愛の巣に強制転移してよろしく投げた。だから彼の登場が遅かったし、門を破壊しても誰一人として現場に現れなかったのだ。
その時点ではアキが旅人だとは思ってなかった。愛の巣は正しくは魔王の囲い。好きな人と一緒に住む家だ。ただの一目惚れで結婚したいという欲望からの先急ぎすぎた行動だった。当初は旅人にはワンダ=ランドの王として存在することだけを望んでいた。偶像崇拝的なあれだ。それがまさかの一目惚れした相手が旅人だったのだ。そりゃ喜びのあまり叫びもするさ。まさに運命の人だったのだから。
閑話休題。
「あっそうだ。なあボール……えーっとマモノって言うの? あれ、無い? 丸くて丸いヤツ」
「? …………ああ、スライム? んしょ、はい。これで合ってる?」
「そーこれこれ!」
「わんわん!(玩具だ!)」
察しがいい魔王はアキの雑な説明でも難なく正解を導き出した。お馴染みぷるんと震えるスライムです。それをポケット――質量保存の法則とかどうなってんのとは思うな。いやどう見ても腰周りと同じ大きさだぞ――から取り出した。
アキはスライムを受け取ってすぐに庭に出た。その後をぶさも続く。第二ラウンド開始。一回寝たから体力が回復したのだ。
え、もう夜じゃないのかって? 照明完備ですよ当たり前じゃないですか。設計者はあの魔王様ですよ?
庭にはニワトリの形をしたライトがある。発光しているし動いている。コウノトリという魔物だ。動いていると言うより浮いている。飛ぶではなく浮いている、だ。昼間はなかった。
『襟巻小僧』はスライムで遊んでるアキとぶさの様子を少し眺めてから食器を持って家を出た。次に訪れた時には寝間着と替えの服を数着と夜食を持ってきた。
アキは遊んで疲れて寝たぶさを寝室に置いて、風呂と夜食を済ませると今度は自分でベッドに入った。ぶさを撫でてアキも眠った。