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バウバウ

「な、なんへほへは……なぐりゃえて」


 ぶどうのように膨れ上がった顔は赤や青紫に彩られている。顔面のみを集中的に殴り続けたので首から下は傷一つないきれいな体だ。だからお嫁には問題なく行けるぞ、良かったな『首輪野郎』。

 ワケも分からず殴られ続けた彼はアキの拳が落ち着いた頃、ようやく口を開くことができた。けれども変形した顔では腫れた肌が邪魔をして普通に喋れなくなっていた。


「泣かせたから」


 アキは端的に答えると顎で『犬人間』を指す。そこには大きな体を縮こませる『犬人間』の姿があった。まさかこんなことになるとは思っておらず、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。まっすぐ彼を見ることができない。

 それは『首輪野郎』も同じで、腫れた眼では碌に視界を確保することができず、僅かに開いても霞んで前が見えない。耳は問題なく聞こえるが、誰のことを言っているのか分かっていない。


「は、はえほ?」

「おやおや自覚がないようですよ王様。これはしっかり躾しないといけませんね」

「ひふへ!? ほへひふへしゃえひゃうほ!?」


 助長させるように『田舎婆』が口を挟む。状況が飲み込めずとも躾という単語に好ましく状況であることは容易に察しがつくだろう。


「あれ、喜んでね?」

「同感」


 ニコイチのような立ち位置に居座られている『三下野郎』と先代魔王の時からの同業者で(絡まれて)付き合いが長い『クズ男女』は表情が見えなくても彼が悪ノリしていても、大まかに何を考えているのか分かるようになってしまった。不可抗力で全然全く嬉しくない。

 その二人によると躾をすると言われた『首輪野郎』は喜んでいるとのことだ。刺激的な単語に胸がきゅんきゅんしちゃってると。マゾかよ。


 さて、躾と言っても何も暴力を加えるとかではない。いやそれなら先程もう既に実行済みではあるが、それは一旦置いておこう。

 躾とは家畜……動物の調教……訓練の意味がある。分かりやすく言えばやっていい事と悪い事の区別を付けさせることである。今回を例にすれば女の子を泣かせたことが悪い事に該当する。そして、今後二度と泣かせることのないように馬鹿みたいに軽い性根を叩き折ってやろうというのが本題である。社会的道徳観念とマナーをしっかり根強く植え込むのが目標だ。これで普段からまともな男になってくれれば御の字だ。寧ろこれが一番の理由かもしれないまである。


 それでは、『田舎婆』による躾が始まります。ご観客の皆々様は少し離れてご鑑賞ください。

 まず、対象の『首輪野郎』を四つん這いにします。

 次に、彼の背上に『肉弾野郎』を乗せます。この時、一番負荷が掛かるように足を床に付けずに全体重を掛けて苦しませましょう。

 最後に、ハウスでの注意事項(大声禁止)を再認識させます。

 これで前準備が整いました。これより次段階に移ります。


「はい質問」


 観衆の一人、『三下野郎』が挙手をする。『田舎婆』が質問を受け付けるよという旨を頷いて表明し、先を促す。


「大声はどこまでが許容範囲ですか?」

「そうですね……王様が煩いと思われたらカウントすることにしましょうか」


 急に振られたアキはギョッとする。『犬人間』は泣き止んだし、なんか茶番劇が始まるしでもう帰ろうとしたところだったのだ。これではずっと見ていないといけなくなってしまう。それは面倒(ダル)い。


「存在が煩い」

「すごいわ。早くも一点が加算されました」


 『クズ男女』がいつも思っていることを口にすると『田舎婆』も共感するように深く頷く。煩いから大声に結びつけてカウントする。


「王様じゃないじゃん!」

「うるさっ」

「二点目です」

「理不尽っ!!」


 話が違うと声を大にすれば今度は本命のアキが眉を顰める。衆目に晒される『首輪野郎』に味方なし。助けを求めるように『三下野郎』に視線を向けると彼もまた同意するように深く頷いていた。


「ていうか本当になんなの!? なんで俺こんなに詰められてるの?」


 未だに理由を知らない『首輪野郎』が声を荒らげる。それは観客陣はもちろん、準主犯格(トレーナー)である『田舎婆』も知らなかった。彼女は面白そうだからと便乗しているだけに過ぎない。

 そしてそれはアキも似たような状態だった。理由もなく……ではないが詳細までは知らない。『犬人間』が泣いていた。それだけで犯行に及んだのだ。なぜ泣いているのかの理由は知らないし、別になんでも良かった。重要なのは泣いたという事実だけだ。それだけで十分だった。

 だからアキに視線を向けられても答えれることは何一つない。だって自分のことではないのだから。彼女もまた、被害者である『犬人間』に視線を向ける。アキに視線を向けていた面々は誘導され、アキから『犬人間』に視線を移す。


「あぅ、えっと、あの……」


 全員の視線を一身に浴びた『犬人間』は混乱している。彼女自身、こんなに大事になるとは思っていなかった。それに、実際には泣いていない。ただ恥ずかしくて逃げてきただけだ。それがどうしてこんなになってしまっているのか理解が追いついていない。さらには理由を口にすることもできなかった。だってそれは逃げ出すほど恥ずかしいと思ったことを自分の口から言わなければならないのだ。それは一体どんな拷問なんだ。


 まごつく『犬人間』に六人の視線が突き刺さる。それによってさらに彼女の混乱が増幅されていく。


「妖精ちゃん、俺なにかした?」


 理由を促すように問い掛ける『首輪野郎』の言葉にピタリと体が固まる。そして、アキの背中に引っ付いて体を隠すように小さくなる。


 全員の頭の中に疑問符(はてな)が浮かぶ。そのためハウス内は静まり返った。


「あっ」


 分かったと言うように声を上げた『三下野郎』に今度は視線が集まる。けれども考え込むように眉間を寄せて黙り込む。


「思い付いたのなら教えなさい」


 もったいぶるような態度の彼に『田舎婆』はせっつく。気になって気になって仕方がないといった様子だ。


「いや、オレもどうしてかは分かってないですけど、原因は多分これかなって……」


 そう言って差し出したのは一通の手紙だった。受け取った『田舎婆』は手紙の内容を朗読し始めた。


「――だから、今すっごく大変なんだよ。出来れば帰ってきて欲しくて、何とか説得してくれないか。頼む、一生のお願いだ!」


 読み終わった『田舎婆』は『犬人間』に視線を向ける。けれど彼女はアキの背に隠れるように大きな体を縮こませている。アキも首だけで振り向くと耳を押さえて聞かないようにし、目まで閉じていた。けれど耳を塞いでも声は聞こえるし、内容も知ってるから無意味なことではある。そうと分かっていてもせずにはいられなかった。


 体を反転させたアキは家に来た時と同じ状態になっている『犬人間』を前から抱きしめる。ビクンと跳ねた体をことさら優しく撫でる。


 アキはどうして『犬人間』がこのような状態になっているのか分かった。それはアキにも理解できる(馴染みのある)心情だった。一言で言えば恥ずかしい。これに限る。

 『田舎婆』が読んだ手紙は国王城の動きについての方ではなく、『犬人間』に対する評価の方だった。そしてその文章には『犬人間』が使用人の間で「騎士の妖精様」と呼ばれていることが書かれているのだ。つまり彼女は知らずにつけられていた渾名に恥ずかしがっているのだ。加えて『首輪野郎』には「妖精ちゃん」と呼ばれる始末。それは逃げるのも無理はない。


 さて、ここで一つ問題があった。ハウス(ここ)にいるアキ以外の六人は誰も理解できなかった。『犬人間』がアキの背に隠れる理由も、アキが優しく宥める理由も分からない。魔王城で働いている人間は全員個性的(異常者)である。どこかしらの頭のネジが外れている、仕事ができる変人の集まりだ。つまるところ、羞恥心が欠落している。「騎士の妖精様」という渾名に対して恥る要素を一片たりとも感じ取れなかった。


「恥ずかしい? なんで?」


 アキが代わって説明しても皆揃って首を傾げる。その姿はまさに何も知らない子供のようだった。恥ずかしいという感情がないのかと思ってしまったほどだ。形勢が逆転してしまった。本当の意味で孤立していたのはアキと『犬人間』の方だった。


 アキはふと以前の事を思い出した。忘れもしな(ていた)い『襟巻小僧』に黒歴史、もといぶさの名前を教えた時の事である。


「なあ、ぶさの名前って知ってるか?」


 アキは『犬人間』にしか聞こえない小さな声で尋ねる。耳元で囁かれた彼女はさらに顔を赤くし、聞かれた内容の意味を理解して躊躇いながらも小さく頷いた。


「た、大変素敵なお名前です、けど……お呼びするにはその、て抵抗が……」

「いい。そこまでで分かった」


 ほんのり頬を赤らめたアキは待ったを掛ける。平常心を取り戻すべく静かに息を吐く。

 その体勢が『犬人間』をぴったり抱き締めて肩に頭を乗せている状態だった。そのため『犬人間』は気が気でなかった。全く心が休まらない。ただ、アキの行動によって羞恥の方向が変わったのは良かったと言えようか。まさかの荒療法である恥の上塗りだった。やられた本人は素直に喜べない……いや尊敬する相手(アキ)の抱擁はご褒美か? まあいい。


 素面に戻ったアキは『犬人間』を庇うように手を広げる。何だ何だと視線がアキに向かう。


「いいかお前ら、今後一切その呼び方でコイツを呼ぶな。返事ははいしか受け付けない。分かったか!」

「「はい」」「分かりました」


 アキは「分かりました」と言った『三下野郎』の頭を殴る。返事が違うからだ。了承の言葉が欲しいのではない。アキはお願いをしているのでは無い、命令しているのだ。それは決定事項であり、最初(はな)から異論を認める気はない。まさに恐慌政治の在り方と同じである。


「えーなんでよイイじゃん。ようs……」


 言い切る前にアキは足で『首輪野郎』の頭を踏み落とす。床と口付け(ちゅー)した彼の背に乗っていた『肉弾野郎』は斜面になって転がりそうになって慌てて降りる。間一髪間に合ったと安堵して胸を撫で下ろした。

 その後、『犬人間』に近づいた『肉弾野郎』はエプロンから小さい袋を取り出して手渡す。


「あ、ありがとうございます」


 渡された袋には可愛らしいクッキーがいっぱいに入っていた。彼がハウスに来た目的はコレだった。『田舎婆』と一緒に居た彼は『犬人間』の姿を見て、元気づけようとして作っていた甘味(クッキー)を持ってきたのだ。それがハウスに入った途端、『首輪野郎』の上に乗るように言われて今に至る。ようやく当初の目的が達成できた。『犬人間』は魔王城で数少ない甘い物を食べてくれる人だ。それだけで『肉弾野郎』の彼女に対する思い入れは強い。


「みんなして何してるの?」


 一段落ついたな〜と解散の流れ(ムード)になったところでタイミング良くも悪くもハウスに『襟巻小僧』がやってきた。魔王(上司)の登場に面々はギクリと体を強ばらせ視線を逸らす。何故かって? ここがハウスだからさ。

 この場には彼が愛して止まない犬がいる。そんな中で馬鹿騒ぎ(茶番劇)をしたのだ。バレたらどんな叱りを受けるか分かったものではない。全員『はね女』の失態とその罰を聞き知っている。


 そそくさと逃げるかどう弁明しようかと悩み焦る気持ちを知ってか知らずか……多分バレてるだろうけど『襟巻小僧』は状況を把握するべく近づきながらハウス内を注意深く観察する。

 そんな彼の足の先は一直線にアキの元に向かっている。当然、アキの足元には『首輪野郎』もいる。現在も踏み潰されている。


「彼が何か粗相をしたの?」


 一目で見て察せる(とても分かりやすい)状況だった。ちなみにこれまでも何度かアキの拳を食らっている前科がある。その大半は言動の軽さが原因だ。イラッとすればすぐに手が出るアキと言動が軽くて鬱陶しい性格の『首輪野郎』とでは相性が悪い。殴られると分かっているのに態度を変えない彼にも問題がある。だがこれはもう彼の(サガ)だから仕方ない。


「泣かせた」


 目で『犬人間』を指す。クッキーの袋を持った彼女の顔にはまだ赤みが残り、目は潤っていた。


「そう」


 その声は子供特有の高い音程であるにも関わらず、腹の底に響くような威圧感があった。細めた目を隠すように笑みを作る。その瞬間、アキと『犬人間』以外の全員の気持ちは一つになった。


 あっ、やべぇ。


 静かに怒る『襟巻小僧』はとてもとても厄介だ。以前の『はね女』の時を思い出せば分かるだろう。つまり、めちゃくちゃ大変な仕事を言い渡される可能性があるのだ。

 そうなったら堪ったものではない。標的が『首輪野郎』だとしても気は抜けない。なんせ開催(騒いだ)場所はハウスなのだ。注意事項には触れてない。そこは守ったが、飛び火してもおかしくない状況だ。それは絶対嫌だという気持ちが奮い立つ。


「魔王様、犬の健康状態に変わりない。定期検診は終わったからもう戻る」

「あらいけない。仕込みを忘れていたわ。すぐにキッチンに戻らないと、行きますよ」

「あっずりぃ!」


 ハウスが仕事場ではない医療担当と料理担当は言い訳のような文言を吐き捨てて退室を急ぐ。逃げ道のない『三下野郎』は羨ま(恨め)しそうに三人の背を見つめる。手を伸ばした彼の肩が叩かれる。心臓が飛び出しそうになった彼はバックンバックンと鳴る心音が頭の中に大きく響く。服の上から胸を押さえながらギギギっと錆び付いたビンの蓋を開けるように小刻みに震えながら超絶ゆっくり振り返る……前に強制的に(魔法で)グキッと後ろを向かされた。


「第三者の視点を知りたいんだけど、教えてくれるよね?」

「ひゃ、ひゃい……」


 『襟巻小僧』の拒否することを許さない無言(笑み)の圧力に涙ながらに了承するしかなかった。


「申し訳ないけど借りてくね。仕事は、一人じゃ大変だけど無理しなくていいからね。しっかり休んでから始めてね」

「い、いえっ! 大丈夫です」

「水を差すような真似をしてごめんなさい。あなたさえ良ければ彼は置いていく……」

「いや、もう帰る」


 怒ってるけれどまだ冷静さもある『襟巻小僧』はアキと『犬人間』へ気遣う余裕があった。一番の被害者もとい犠牲者である『首輪野郎』をストレス発散にと(サンドバッグとして)差し出そうとしてきた『襟巻小僧』のお節介をアキは即座に断った。アキの用はとっくに済んでいた。これ以上ここに居座るつもりは毛頭ない。

 アキはぶさを抱えてさっさとハウスから出ていった。無慈悲にバタンと閉じられたドアが救いのない地獄に押し留められたように感じたと後に『三下野郎』は語った。

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