くぅーんくぅーん
「長らくお待たせ致しました。犬百匹の服をそれぞれ三着ずつ、合わせて三百着揃えてお持ち致しました。どうぞご確認くださいませ」
大袋を抱えてハウスに入ってきた『はね女』はその場に魔王様がいるのを認めるとすぐに彼の元に向かい、目の前で膝を曲げ床に手をつけ額を地べたに擦りつけるように頭を下げた。所謂土下座だ。何の躊躇いもなく自発的に堂々と土下座した。それはそれは大変潔い姿だった。
ちなみに抱えてきた大袋は人一人ぐらいは入りそうなほどに大きく、なんと二袋もあった。犬の服と言うからには人間用よりかは面積も多くはないがそれでも三百着だ。一つ一つが軽くても数が多くなれば重量は途轍もない重さになる。衣装部屋とハウスの階層は別でしかもまあまあ距離がある。自分の身長とさほど変わりない大きさの大袋を二つも抱えて一回で運びきった握力体力はいったい……
「お疲れ様。それじゃあ今から確認するね」
労いの言葉もそこそこに『襟巻小僧』は早速袋の中身を検品する。その間も『はね女』は土下座したままだ。微動だにしない。
「えー何々ぃ、何やってんのー? ……あーぁあの時の! ひゃーすっごい量。オレも見る~♪」
仕事中であるにも関わらず好奇心が抑えきれない様子の『首輪野郎』が寄って来ては『襟巻小僧』の隣に座り込む。一枚一枚取り出しては職人の眼で隅々まで観察する上司。それをゆらゆら揺れながら茶々を入れている暇人。
「お前は仕事しろ」
堪らず『三下野郎』がサボりを引き取りに来た。今は『犬人間』が居ないのだ。前々から予定があることを聞いていたし、その内容も知っている。だからこそこうして魔王様が助けに来てくれているのだ。さすがに一人で百匹の犬を相手にするのは無理だ。
「えー」
「えーじゃない。忙しいの分かるでしょ。あの子にも仕事してって言われたろ。先輩って呼んで欲しいんならちゃんと仕事しろよ」
「だって今いないじゃん」
「居る時だけ真面目に働こうとするなよ。つか居ても居なくても働かないくせに一丁前に何言ってんだよ」
首輪を掴んで強引に連行する。その姿は手慣れたように躊躇がなかった。これが何回目の事かは忘れた。連日と言わず一日の内に何度も同じやり取りをしているので数を数えるのは早々にやめている。
これは『犬人間』が喋るようになってからの話だ。彼女が『三下野郎』のことを先輩と呼んでいるのを聞いた『首輪野郎』は自分も自分もと強請ったのだ。
「ねね、オレにも先輩って呼んで」
「どうしてですか?」
キョトンとした顔で『犬人間』は首を傾げる。
「オレも先輩って呼んで欲しい」
「あっいえ、その理由ではなくて。どうしてあなたの事を先輩と呼ばなければならないのかなと……」
「えっ……?」
それは本当に不思議で堪らないと言っているような顔だった。予想外の反応に珍しく『首輪野郎』が固まっている。
「わたしはあなたに何かを教えられたことが一つもありません。それなのにどうして先輩と呼ばなければならないのですか? 尊敬していませんし、慕ってもいませんし、感謝したこともありません。記憶を遡ってもあなたが先輩らしい行動をしている姿が一瞬たりとも思い浮かびませんのに、そんな相手を先輩と呼ぶのは言葉の意味としても相応しくありません」
淡々と言葉を並べ立てる『犬人間』。その顔は真剣そのもので、批判していることにも厳しい言葉を吐いていることにも気づいていない。ただ自分の率直な気持ちをそのまま伝えているだけだった。そうと分かるからこそ言葉の威力が高く、より重く圧し掛かるのだ。
グサグサと言葉が胸に突き刺さる。『首輪野郎』は自分の胸を押さえながら呻き声を上げた。その姿に怪訝な顔をする『犬人間』。自分の言葉で傷つけているなんて微塵も思っていない表情だ。それもこれもすべて『首輪野郎』の自業自得であるのだが。
「せんぱぁい」
耐えられなくなった『首輪野郎』は『三下野郎』に泣きつく。その際に甘くねっとりとした呼び方に『三下野郎』は嫌悪の表情を浮かべる。悪ふざけ全開の言い方だと分かっているからだ。
「うわーぁ、やめろ気持ち悪い! 普段からサボっているお前が悪いだろ。だから何回も仕事しろって言ってんのによ。その下手な泣き真似もやめろ。鳥肌と吐き気が……ぎゃー近づくな抱き着くななすりつけるなぁ!!」
「いやーん先輩ひどぉーい。可哀想な後輩を優しく慰めてぇ~ん」
語尾にハートでも付きそうなほど甘ったるい声で言う。けれど顔はニヤニヤとニヤついているし、言葉の割にはがっしりと体に巻き付いている。思いっ切り頭を押し退けようとされてもしっかりと抱き着いて離さない。
「ねー気持ち悪いー! ほらぁ、変な目で見られてんじゃん。マジで俺を巻き添えにすんのやめろよぉおお」
というやり取りを経て『首輪野郎』は可愛い新人から先輩と呼ばれるべく真面目に仕事をし……なかった。全然全く微塵も変わらなかった。「気持ちで変われるならとっくに変わってるよ」と半笑い気味に答えたのだった。イラっとした『三下野郎』が手を上げたのは言うまでもない。
閑話休題。
もう一度犬の好きな匂いの魔法をかけてもらおうかなと考えながらとても元気のある犬たちの中心に向かって『首輪野郎』を投げ捨てる。もちろん当たらないように力は計算している。
「――うん合格。それじゃあ今後はくれぐれも、気を付けてね」
世話担当の二人がごちゃごちゃと言い合っている間に三百着すべての検品を終えた『襟巻小僧』が今なお土下座している『はね女』に向かって「くれぐれも」の部分を強調して言う。普段と変わらない優しい声の柔らかい言い方が余計に仄暗い怒りを感じさせる。説教を思い出したのか恐怖にぶるっと身を震わせる。
「挽回の機会を与えてくださりありがとうございました。重ねて今一度お叱りの意を胸に刻みます」
深く頭を下げ続けていた『はね女』がゆっくりと頭を上げる。そして、飛び跳ねるように立ち上がり両手を天に向かって突き上げた。
「やったー終わっったぁ~!!」
長かった。本当に長かった。疲弊と脱力を感じながらもそれよりも大きな歓喜の気持ちを全身で表現する。もちろん声は抑えている。さすがにここで思いっ切り叫ぶような命知らずではない。
「これでやっとりゅうくの作成に……待って。先にあの子の服を作ろうかしら。だって妄想が溢れて止まんないもん。ああん、やりたい事がいっぱいだわ」
頬に手を当ててくねくね体を捩る。ハッと我に返って辺りを見渡す。恥ずかしくなったとかではない。件の『犬人間』の姿を探しているのだ。
「あら? 担当はここだったよね? 彼女の姿がないけど、どこにいるの?」
「あれ聞いてませんか? 今日は王様に水泳を習いにみんなでイチノメに行っていますよ」
「イチノメ?」
『はね女』は知らない。だってプールを作る少し前に罰を受けて衣装部屋に閉じこもっていたのだから。誰も教えてくれなかった。いや教えれなかった。なぜなら彼女は部屋から出てこなかったのだから。親切な料理担当がつまみやすい食事を持って行っては前回の分を回収するを繰り返していた。話しかけても集中している。だから教えるも何も出来なかった。
「かくかくしかじかでー」
犬を引き連れた『首輪野郎』が口を挟む。正確には噛まれているのだが。誤差だ誤差。もちろん誰もツッコミしないし心配もしない。
「ちゃんと教えなさい」
首輪を掴んで顔を近づける。ちゃんと教えなさいよ聞くまで離さないからと言っているような迫力があった。
「ウソ……だろ。これで伝わらないなんて……」
「なんで伝わると思ったんだよ」
「だってこう言えばなんでも「早く教えて」……はーい」
真面目に話をしている二人を遮って『はね女』が催促する。ガックガックと掴んだ首輪を揺すっている。容赦は無い。いやその行動は話させる気のないやり方だぞ。
「いやー話してって言われても、俺たちもよく知らないんですよ。魔王様に近づいちゃダメって言われてるので」
「それは誤解だよ。ボクは使用中男性は近づかないでって言っただけで立ち入りを禁止しているわけじゃない」
そこに犬の服を仕舞うために席を外していた『襟巻小僧』がちょうどタイミング良く戻ってきた。そして聞こえた内容に語弊があったのでしっかり訂正した。
これはアキの格好のせいだ。泳ぐ時の格好が下着だから性別男の四人にお願いして触れ回ったのだ。当人が良くても『襟巻小僧』がよろしくない。誰が好き好んで愛する人のみだらな姿を他人に見せるというのだ。同性は爪の長さ譲って良いとしても異性はダメだ。絶対にダメ。だからこその対策がお願いだ。ちなみに四人の中に下衆な思考の持ち主はいないので今日までで違反した者はいない。
「魔王様っ! イチノメってなんですか!?」
首輪を掴んで揺すっていた『首輪野郎』を突き飛ばして今度は『襟巻小僧』に詰め寄る。鼻息荒く目はガン開きでちょっと怒り気味だ。自分だけ知らずにいるのが嫌だったらしい。しかもどうやら今自分だけが仲間はずれにされているっぽいのもまた癪に触っているのだ。
「イチノメは外の水遊び場の名称だよ。王様の世界には水泳って言って水の中を泳ぐ遊びがあるんだって。水泳をするために設えた場所で外が人用、中がイッヌ用だよ」
「水……」
考え込む『はね女』の頭の中には水に濡れた面々の姿が想像されて――
「滾る」
強く拳を握る。
「うわー涎出てんぞ」
「エサを前にした犬と同じ……」
「イッヌはあんな表情じゃない! もっと純粋で可愛い」
妄想に耽る『はね女』に対して男三人がなかなか酷いことを言う。幸か不幸か彼女の耳には入っていないようだ。
「あたし見たい! 魔王様、イチノメに案内してください!!」
「ダーメ。今からイッヌたちを着せ替えるんだから」
「それはいつでもできるでしょお。楽園は今しかないの! 今日を逃したら次があるかも分からないじゃない。そうなったら恨むわ。もうぬいぐるみは作らないから!」
脅し文句がぬいぐるみ作製。恨むと言いつつやることは大変可愛らしいストライキだった。
「うぐぐ……脅迫するなんて酷い」
しかし効果は抜群のようだ。本当に悔しそうに顔を顰めている。
「ぬいぐるみ?」
「ほら、執務室にあるアレ」
「あぁーアレねー。…………魔王様が作ってるんじゃないの!?」
「魔王様が作ったら魔物になって大変になったでしょ」
衣服ではその限りではないがぬいぐるみのような立体の物だとつい気持ちがこもってしまうのだ。最初はもちろん自分で作ろうとした。しかしその最初の一体目が完成したと同時に脱走し、今まで行方知れずとなっている。合間を見て探しに行っているらしいがまだ見つかっていない模様。魔王城の全ての出入口の横には絵付きで探してますの張り紙が貼ってある。
「……分かった。イチノメに案内するよ。着せ替えはあの子と一緒に楽しみたいし。そういうわけだからボクは出るね。二人で大変だろうけど頑張ってね」
やれやれと肩を下げて了承する。言い訳のように呟いているが内心アキへの下心がないわけじゃない。男性陣にお願いした手前、自分が破ったら目も当てられない。だから遠くから眺めるだけで近づいてはいないのだ。それを今、大義名分を得た。またとない機会だ。それを棒に振る真似はしない。
……魔王城で一番下衆なのは『襟巻小僧』かもしれない。見た目が子供の魔王様は多感なお年頃だった。
「あっ魔王様、行く前に一つお願いが。コイツに犬に好かれる匂いの魔法を掛けてから行ってください」
「えーなんでー?!」
「いいよ、はいっと。それじゃあ行ってくるね」
「のわ〜ぁ。おーそーわーれーる〜」
「行ってらっしゃーい」
二人を見送った『三下野郎』はふぅっと息を吐く。
「さて、あの子が来るまで頑張るか」
グッと拳を握って歩みを進める。横で転がり襲われている『首輪野郎』はもう無視だった。最初から頭数には入れていない。どうせ居るだけで仕事しないならと少しでも有効活用する手段を取った。
『首輪野郎』は名ばかりの世話担当だ。忙しい時分でも真面目に仕事もしない野次馬根性魂しかない男だ。だからもう仕事してもらうのは半ば諦めの境地に至っている。彼の唯一の長所は体が丈夫だということだけだ。だから玩具になってもらうのが最善手という結論に『三下野郎』は至った。




