部活動の形(2)
「先生、この部屋ですか?」
「ああ。歩いてみるとなかなか職員室から遠いな」
「まあ初めての道、ですからね」
「おや、初めての相手が私では不服かね?」
俺の返答に先生はからかうように言って、余裕ありげに唇の端を吊り上げる。そんな言葉も何故か先生が言うと絵になるのだからやっぱり美人ってずるいと思う。
「いえ、むしろバッチ来い! ですけど」
「っ⁉ そ、そうか……。じょ、冗談なのだが」
「は、はい、分かってますから。だからそんなに恥ずかしがらないでください。こっちまで、照れちゃいますから」
適当に返す俺と照れる先生。もはや俺たち付き合ってましたっけ?って思ってしまうくらいこのやり取りにも慣れてきた。……先生の可愛さにはいつまでも慣れることはないけれど。
「じゃ、じゃあ先生、行きますよ」
「あ、ああ」
若干照れくささが後を引くが、この扉を開けないことには今日は帰ることができない。俺はとっとと帰って妹のご機嫌をとらなければならないのだ。
俺は『育才部』と書かれた張り紙のある扉を五回軽くノックした。
ちなみに、扉をノックするときのノックは三回が基本だ。トイレをノックするときは二回であるため、それ以外と区別しているらしい。昔、高校の面接の練習で指摘されてから俺はずっとノックはいつでも五回している。なぜかと言うと特に意味はない。ただ少しそのときの教員の鬼の首でも取ったかのような言い方にむかついただけだ。いや~、カリギュラ効果ってホントなんだね。
「…………」
中からは誰の声も返ってこない。
「先生、今日って本当に部活あるんですか? もしかしたら休みだったってことも」
「いや、平日は毎日活動していると聞いている」
「ならまだ始まってないってことですかね?」
「それもないだろう。活動時間は四時半から六時までと聞いた。そして今の時間は五時ジャストだ」
そう言って、先生は俺に短針がちょうど五の位置を指す腕時計を見せてくる。ちなみにその腕時計はごついメンズのアウトドア向けのものだった。キャンプなんかのアウトドアが趣味だと前に言っていたので、そのためだろう。もはや先生と一緒だと俺のほうが女子の気分だ。先生が宝塚とか目指していたら百パー色紙持って握手してもらいに行ってたな、俺。
「でもノックしても返事ありませんし」
「ああ、なぜだろう? ……トイレに行っているとかだろうか?」
「先生、女性がいきなり最初の理由にトイレを言うのは少し慎みにかけるのでは?」
「っ……う、うるさい! 今は男女平等社会だ。そんなことは気にするな」
「はあ……?」
とは言っても、男も女も上品であることに越したことはないのではないだろうか?
「まあいい。それで、どうする?」
「俺としてはこのまま帰ってもいいんですけど、こういった面倒ごとはなるべく早く終わらせておきたいですね」
「そうだな。私もあまり暇じゃない。出来れば今日中に見ておきたいところだ」
「じゃあ、とりあえず中に入ってますか? どうせトイレだろうが何だろうが今日も部活があって部員が来ているならいつかはここに来るでしょうし」
「それは別に構わないが、鍵は開いているのか?」
「さあ、どうでしょう?」
扉に手をかけ軽く横に引くと、扉は何の抵抗もなく開いた。
「開いてましたね」
「ああ、だがなぜ中に人がいないのに扉が開いているんだ? やはりトイレにでも行っているのだろうか?」
なんでそんなにトイレを推してくるんだ、この人。我慢してんのか?
「まあそれはいいでしょ。開いてるってことは今日も部活は――」
「誰かしら? 部屋を訪ねるときはノックをするという最低限の常識さえ知らない人間に、この部屋に入る資格はないのだけれど」
俺が先生に適当に返事していると突如、割って入ってくる声があった。その声は透き通るように綺麗なものの、何故か険悪さを感じる。というかよく聞いたら結構酷い事言われていた。
「ノックなら入る前にちゃんとしたぞ。そっちが気づかなかったんじゃないのか?」
俺はその声の主に部屋への入室許可をもらうため、俺たちが最低限常識ある人間であることを証明しようと言う。随分とハードルの低い最低限だなという感想については否定できない。
「ええ、けれど伝わらなければ意味がないという言葉があるわ。つまり、あなたたちが本当にノックをしていたとしても、私がそれを知らないと言ったらそれはしていないことと同じなのよ」
「ぼ、暴論だ……」
「まあいいわ。それで、この部屋に何か用かしら? ここはあなたのようなヘラヘラした蝙蝠君が来るような場所ではないわ。遊びに来たのなら今すぐ、即刻、下級的速やかに帰宅願えるかしら」
流れるような罵倒、取り付く島もないな。
というか何 ヘラヘラした蝙蝠? え、何、それって俺のこと? 俺のことだよな? だってこの部屋、俺と先生とこいつしかいないし。まあ確かに俺、昔からハロウィンでは吸血鬼しかやったことないけど。
「まあ待て。とりあえず、私たちの話を聞いてもらえるか? ここは『育才部』の部室であると聞いたのだがまずそれは合っているだろうか?」
「あなたは……。ええ、そうです。ここは『育才部』であっています。あなたは、一年四組担任の甘地先生ですね?」
「ああ、そうだ。君は一年一組の一ノ瀬雅さんだね?」
「はい。それで、なぜ甘地先生がここに?」
「実はね、今日は彼の付き添いでここを見学に来たんだ」
「付き添い? そこの獣のような目をした男のですか?」
彼女は俺の方を向くこともなくそう言ってのける。
いや、獣のような目って……。ん? 一ノ瀬?
「え? じゃあ、こいつが理事長の娘で今年の入学テストで満点を取ったあの一ノ瀬雅ですか?」
「なんだ九十九、知っていたんじゃなかったのか?」
「いえ、名前くらいは聞いたことあったんですが、流石に会ったこともないのに顔までは分かりませんよ」
そもそも一ノ瀬のことを知ったのだって、誰かが話しているのが偶然聞こえただけだ。生憎と俺には、この学校に敵はいても味方はいない。まあ甘地先生は味方と呼べるかもしれないが、それでもあの噂を知りはしないだろう。
だから俺は一ノ瀬雅の噂は聞いたことがあっても、顔も性格も知りはしないのだ。
改めて、俺は彼女を観察する。
特に印象的なのは腰に届きそうなほど長く艶やかな黒髪。百六十センチはあるだろうか。女子では高い身長に、すらりと長く伸びる脚。顔の造形は言わずもがな、その鋭くも美しい瞳は彼女の才女たる知性を感じさせ、その華奢ながらもしっかりと地を踏みしめて立つ姿は満開の桜の下でも目を引くことだろう。およそ一ミリでもずれてしまえばすべてが台無しになるのではと思えるその計算されつくした彼女の容姿は、これぞ『美』の一つの完成形と言っていいほどに美しい。
「あまりジロジロ見ないでもらえるかしら。そのガラス玉のような空っぽの目に映されるのはとても不愉快だわ。というか、あなたは何? さっきからここにいるし、先生が来たのもあなたの付き添いだそうだけれど、あなた、一体ここへ何をしに来たの? 相談なら手短にお願いできるかしら」
……良かった。これでこいつが性格も良かったら、世の女性たちは神を狩りに行くかもしれないからな。神殺しは祟りを受けちゃうからやめましょう。山犬に腕食べられちゃう。
「相談? 何言ってんだ、お前? ていうか聞いてないのか? 俺はてっきりお前は知っているものだと思っていたんだが」
「あなたこそ何を言っているの? 新手のナンパ? それとも詐欺かしら? どちらでもいいけれど掛ける番号は110でいいわね?」
「いや違うから! そっちこそ何言ってんの? というか……、え? ホントに知らないのか?」
「だから何のことを言っているのか分からないって言っているでしょう。ナンパでも詐欺でも110番でも何でも構わないけれど、それは私のいないところでやってもらえるかしら」
「いや、やらねえし……。えっと、どうしましょう先生?」
俺はあまりにも成立しない話に面倒くさくなり、先生に丸投げする。
「まあ、まずはお互い落ち着きたまえ。コーヒーでも飲んで頭を冷やせ」
先生はそう言うと、手に持った二本のコーヒーを俺たちに手渡してくる。さりげなく奢ってくれるあたりが流石のカッコよさだ。さっきから妙に口出ししてこないと思っていたが、どうやら屋上に買いに行っていたらしい。ちなみに頭を冷やせと言って渡された缶コーヒーはホットでした。しかも俺のだけ。……もしかしたら先生は俺のことが嫌いなのかもしれない。
「それで、一ノ瀬。君は本当に何も知らないのかね?」
「ええ、さっきから言っていますが、今日あなた方が来るなどといった話は全く聞き覚えがありません。そもそも彼に至っては名前も組も生物名も知りません。興味もないので別にいいですが」
「そ、そうか。まあ、知らないって言うなら仕方ないな。先生が言うってことはその指示があったのは事実だろうし。細かいことはまた後でいいだろう。それじゃあ、あらためて。俺の名前は九十九万才。今日からこの部に強制入部させられることとなった愛と勇気だけが友達の心優しい高校生だ。よろしくな」
「「…………」」
「って、おい! 何で二人とも無視すんの⁉ 小さいころ習わなかった? 人の自己紹介はちゃんと聞いてあげましょうって。ちなみに俺は習わなかった」
俺が嘘偽りない自己紹介を終えると、先生と一ノ瀬は椅子に腰かけてコーヒーを飲んでいた。その目は机の上の『育才部』と書かれた紙に向けられており、一切こちらを向いてはいない。
ちなみにさっきのはギャグで言ったつもりだったが、あながち間違いではないな。特に愛と勇気しか友達がいないという部分は嘘偽りのない事実だと言えよう。まあ俺の場合、愛と勇気でさえ友達ではないのだが。
勘違いしてはいけないが、あの言葉は、ヒーローは常に孤独であり、決して戦いに友を巻き込んではいけないという考えからの言葉であり、そのことを履き違えて、若しくは知らないでネタとして使ってしまうのは失礼なのでやめた方がいい。というか恥ずかしい。……俺は恥ずかしい人間なのでセーフだ。(ごめんなさい)
「さっきから君は何をごちゃごちゃ言っているんだ? 早くこっちに来て座りたまえ」
「私は別にずっとそこでそうやって気持ち悪くしゃべり続けていてくれても一向にかまわないのだけれど、目障りだからできればやめてもらいたいわね」
「……そもそも俺が気持ち悪くごちゃごちゃしゃべってたのは、お前に名前を聞かれたからなんだが」
俺は渋々彼女らの下へ行くと、一ノ瀬の正面の席に座っていた先生の隣に、椅子一つ分空けて座る。
「あら、私は別にあなたに自己紹介を求めた覚えはないわ。私はただあなたの名前を知らないと言ったのよ」
「だから普通それって俺の名前を聞いてんのかな?って思うだろ」
「その後に別に興味はないと言ったじゃない。人の話は最後まで聞くものよ」
「こ、こいつ……」
「まあまあ、とりあえず現状を確認しよう。でなければ九十九はいつまでたっても帰れなくなるし、一ノ瀬はいつまでも九十九が視界に入り続けることになるぞ?」
「さあ、では始めましょうか」
「……二人とも、俺の扱い酷すぎでは」
俺は今日厄日なのかな? 二人のあんまりにもあんまりな扱いに、流石の俺もそろそろ心が折れそうだ。
「まずはそれぞれが何を認識しているかのかの確認だ。さっきも聞いたが、もう一度現状知りうる情報を洗いざらい話してくれ」
「私は先ほど言った通り、今日誰かがこの部屋を訪れるというようなことは何も聞いていません。そもそもあなた方はここに何をしに来たんですか? ここを訪れる理由は相談しに来るくらいしかないはずですが」
「まあ待て、とりあえずその疑問は彼が話せば分かる。九十九」
先生に促されたので、俺は一ノ瀬に今日ここに来た理由を簡潔に伝える。
「俺は、今日甘地先生に『育才部』に入部するように言われてここに来た」
「っ――え⁉ 入部?」
流石に予想外だったのか、一ノ瀬は少し声を上げて驚いた様子だ。
でもさっき自己紹介したときにちゃんと「今日からこの部に強制入部させられることになった」って言ったはずなんだけどな~。どうやら本当に一ノ瀬は俺の話を聞いていなかったようだ。……俺だって傷つくことはあるんだよ?
「そして私は、今日上から彼をここに入部させるように指示を受けて、どんな部活か気になったからついてきたというわけだ」
一通りの事実確認が終わると、俺たちはそろってコーヒーに口をつけた。一ノ瀬が俺たちの目的を知らないということ以外は問題無いが、むしろそこが一番大きな問題だ。
「分かりました。話をまとめると、先生が今日上司の方から彼を『育才部』に入部させるように指示を受け、それを彼に伝えてここに来た。けれど何故か私にはその情報が入って来ていない。ということですね」
「まあ、そういうことだ。特に複雑というわけでもないがこの場合部長である一ノ瀬にその説明が来ていないということが問題なわけだな」
バラバラの情報を自分で要約して理解し、その事実確認も忘れない。流石学年一位の才女だな。こんな簡単な話でもそれを忘れないのは、しっかりとそれが癖づいている証拠だろう。
「なるほどな。理解した」
「ん? 何がわかったんだ?」
俺のつぶやきに先生が問う。
斜め前の席では一ノ瀬も何事か考えているようだ。けれどすぐに顔を上げると俺を見た。どうやら話を聞いてくれるらしい。
「まあ、単純にあれでしょ。あくまでもこれは俺個人が自分の意志でこの部に入部したって形にするためです。そもそも考えてみてくださいよ。今回俺は先生に言われてなし崩し的にここにいますけど、普通に考えて一生徒の所属する部活動を強制的に指定するのは問題があります。部長である一ノ瀬がそのことを聞いていないのも、普通、部活動に入部する生徒のことをいちいち事前に知らされたりはしません。だからまあ、これが当たり前なんですよ。俺たちはてっきり一ノ瀬にもその情報が知らされていると思い込んでいたから混乱しただけです」
まあ、言ってしまえば当たり前のことである。というかなぜさっきまでこの程度のことに気づかなかったのか不思議なものだ。まあ、初めてのことだったから仕方ないか。
「……なるほどな。確かに、その可能性が一番高いだろう」
「ええ、確かに言われてみればあなたが何の抵抗もなくここにいることに違和感を覚えるものね」
「よし、この話はこれでまとまったな。何故先生の上司がそんなことを指示したのかは、この際どうでもいい。そもそも考えても分からないしな。それで、俺は別にこの部に入ることに抵抗はないが、それでいいか?」
これでやっと終わった。そう思った俺だったが、彼女はまだ終わらせる気はないらしい。
「いいえ、お断りします」
「はっ⁉ え? なんで?」
「あくまであなたの意志で入部するという形にするのなら、部長である私がそれを許可するのも拒否するのも勝手でしょう?」
「まあ、……そういうことになるな」
「ではお断りします。だいたい、なぜやる気のない人間を部室に入れなきゃいけないのかしら? それは本気でやっている者に失礼よ」
「いや、それはそうなんだが……。そもそも俺たちはこの部がどんな活動をしているのか知らない。だから今日はそれも聞きたかったんだよ」
まさか今の話の流れで断られるとは思わなかった。弱ったな。俺は、どうしましょうか?と先生を見る。
「とりあえず一ノ瀬、この部について説明してもらえないだろうか。話はそれを聞いてからでもいいだろう?」
「まあ、私はそれでもかまいませんが。けれど、やる気のない人間の入部を許可する気はありませんので」
「ああ、分かった。九十九もそれでいいな?」
「はあ……まあ。というか俺は別に入部できなくても一向にかまわないんですが。むしろその方がいいまである」
俺の正直な意見など当然二人の耳には届かない。というかホント俺さっきから理不尽な目にあってばっかりだな。悲憤慷慨とまではいかないまでも、そろそろ俺も傷ついてきた。
「では説明しますが、まあ、内容はこの紙に書かれていることが全てです」
そう言って一ノ瀬が指さしたのは先ほどまで二人が目を向けていた『育才部』と書かれた机の上のA4用紙だ。
「これは私もさっきまで見ていたが、正直書かれている内容だけではいまいちピンとこないのだが」
「え~っと、何々」
『育才部』
一、 活動目的
・他者との交流を経て才を磨き、己を知る。
二、 活動内容
・悩み相談?
・ボランティア活動?
・部活動の助っ人?
・生徒会(イベント時)の雑務?
・その他、依頼を受けた活動など?
「……なんだこれ?」
読み終えた俺は自然と声を漏らしていた。書いてある内容はとても少ないのだが、よく見ると活動内容がとても多い。生徒会の雑務? ボランティア? たったこれだけの文字数にこれほどの面倒くささを感じたのは初めてだ。
というか活動内容すべてに“?”がついているのはおかしい。絶対これ考えた本人も何するか分かってねえだろ!
「それが全てよ。この部を作ったのは私の父、つまりこの学園の理事長。この学園の校風は知っているでしょう? この部はそのために作られた部なの」
言われて入学式の日のおっさんの言葉を思い出す。
「……ああ、なるほど。要は人と関わりの薄い人間に他人と交流する機会を設けて、自らの成長に繋げる、という感じか?」
「まあ平たく言えばそういうことよ」
「それは、自分の成長のために他人を使う、ということか?」
「言い方を変えればそういう意味にもとれるでしょうね」
ふと俺の脳裏を過去の声達がよぎる。それは俺の罪。俺が俺自身のために人を使った結果。
「……ならお前は、自分のためなら他人を犠牲にしてもいいって言うのか?」
知らず、俺の発する声が数段低くなる。思わず責めるような言い方になってしまった。
「そうは言っていないでしょう。だいたいこの部の活動内容を見なさい。ボランティアや相談、雑務みたいなものばかりよ。むしろ私たちが利用されるの。それに別に強制しているわけじゃないのだから、犠牲も何もないでしょう?」
「っ、それはそうだが」
一ノ瀬に言われ、言葉に詰まる。彼女の言葉はまったくの正論だ。少し内容が似ていたからといって、昔の俺とは違う。これは言い換えれば人のために尽くす行為だ。人を助ける目的が他者との交流のためなのだから、むしろ素晴らしいことだろう。『人を利用する』という言葉にも解釈は沢山ある。ついその部分に過剰に反応してしまう自分を戒めた。
「九十九、君にどんな思いがあるのかは知らないが、一ノ瀬の言っていることは正しい。それは君も分かるだろう?」
「いや、まあ……はい……。すみません。少し熱くなってしまいました。その……、一ノ瀬も悪かったな」
「いえ、別に構わないわ。人を利用するという考えはあまり褒められたものではないというのも事実だもの。たとえそれがその人のための行動であっても、そこに打算があるのなら美しい行為とは言えないわ」
一ノ瀬は少し俯いていた。それは俺に向けられた言葉ではなく、どこか自分に言い聞かせているようにも見える。もしかしたら、彼女自身何か思うところがあるのかもしれない。そうだとしても、それを聞いたところで俺に分かることはないし、そもそも話してはくれないだろうが。
一ノ瀬の言葉の後に誰も口を開くことはなく、しばらくの沈黙が場に漂う。
……何度も言うが、俺はこんな気まずい空気が苦手だ。口を開いて失敗するわけにもいかないのに、何を言っても間違っているように感じる。しかも今回は自分のせいなのだから尚更だ。いや、マジでどうしたらいいんだ?
俺が何を言うべきか迷っていると、隣で『パンッ』と強めに手を叩く音がした。仕切り直しということだろう。見ると甘地先生が口を開く。
「よしっ、まあ考え方は人それぞれということだ。それで九十九、君はどうする? 今の説明を聞いてこの部に入部する気にはなったかい?」
いつもより数段明るい口調で先生は俺に問う。そこからは俺たちへの、俺への気遣いが見て取れ、やはり先生の優しさを感じた。
「そうですね。まあ、もともと入部する気でしたし。そもそも俺が入部しないと先生が困るんでしょう? だったら俺はそれに従いますよ」
「違う! そういうことを聞いているんじゃない。私のことを気遣ってくれるのは嬉しいが、今私が聞いているのは君がこの部に入りたいかどうかだ。別に入りたくないというのならそれで構わない。上には私から言っておく」
「…………」
今度はさっきとは違っていつもより厳しい口調だった。それでもやはりその言葉の節々からは俺への優しさを感じる。
けれども俺はすぐに言葉を返すことは出来なかった。
「だいたい、そんな理由では入部を認めないとさっき言わればかりだろう? そうだね、一ノ瀬」
「ええ、私はお遊びや仲良しごっこのために活動しているわけではありませんので。意欲のない人間はこの部には必要ありません。というより、むしろいられては迷惑です」
「…………」
大体なぜ俺がこんなことで迷わなければならないのだろう?
そもそも俺は入れと言われたからここに来ただけだ。断ると世話になっている甘地先生が困ると言うから素直に従った。
もしこれが他の先生だったなら、俺は速攻で断っていただろう。いくら暇だと言っても家に帰ればやろうと思っていることは沢山ある。とりためたアニメや、漫画、小説、娯楽の習得などなど、遊ぶだけだと言われればそうだと言わざるを得ないが、それでも俺にとっては大事な時間だ。だからそれらの時間を無駄にしてまでこの部活動に入りたいかと問われている今、俺の答えなんて決まっている。
もちろん入部なんてしない。
だいたいもうとっくに自分なんて捨てた俺が、今更人と関わったところでどうにかなることなどあり得ないのだ。
「俺はっ、……俺はっ?」
そこから先。さっさと「入部しない」と答えて帰ろうと思い口を開こうとして、出来なかった。
何故か? それはよく分からない。無理をしてでも「入部しない」と声を出すことは簡単だった。けれど――
きっと俺はこの時、期待してしまったのだ。この部でなら、もしかしたら欲しかった答えが見つけられるんじゃないかと。
犯した罪から目を背けて、前に進もうとしたのだ。
まあ、言い訳でしかないが贖罪と言えなくもない。罪には罰を、義務には権利を、が世の常識である。故に俺が罪を償うためにこの部に入部するというのも道理は通る。
そんな詭弁で取り繕う自分の愚かさを嘲るように、仮面越しに侮蔑した。
――まったく、嫌になるほど変わらないな、僕も。
「……俺は、入部したいと思っている」
「「っ⁉」」
「……正気? あなたさっきまで面倒そうにしていたじゃない。何? 適当に入りたいと言えばいいとでも思っているの? 心からの言葉でないのならどのみち認めるわけにはいかないわ」
「九十九、別に私のために無理をする必要はない。そもそもこんな話自体がおかしいんだ。始めは君のためになるかと思って強引に入部させるつもりでいたが、君が本当に嫌なんだったら断ってもいい」
一ノ瀬は急に態度が変わった俺に疑いの目を向け、先生はそもそもの原因である上の指示に怒りをにじませる。
まあ当然だな。さっきまで入部したくないと言っていた人間がいきなり入部したいと言い出したら疑われるのは当たり前だ。
「疑う気持ちはよくわかる。俺も正直今の今まで入部したいなんて思ってもいなかった」
「だったら」
「まあまて。とりあえず話を聞いてくれ」
俺は入部させてもらうために二人にその理由を話す。と言っても一から全てを話すのは無理だ。そもそも俺だって何で入部したいのか本当のところはまだよく分かっていない。だから適当にそれっぽい事を言って納得してもらおう。
「俺はさっきの話を聞いて感動したんだ。自分のために人を使うと言っても、それが双方にとってメリットたり得るのならそれは素晴らしい関係なのだと理解した。ならば俺も俺のために人を使いたい。親身になってくれていると勘違いしているやつらを見て優越感に浸りたいんだ。それに、打算のない関係は信じられないが、どうせ始めから利用する気でいるのなら安心できるからな(ドヤッ)」
「「………」」
あれ? 無言。無言である。
俺渾身のそれらしい理由とどや顔は二人の心に響いたのだろうか?
まあ、そうだろうな。むしろあんなに素晴らしいい理由を聞いたら、俺なら惚れてしまうね。
「どうしたんだ? 二人とも。まあ、そうなってしまうのも無理はないか。確かに俺の高論卓説極まりない理由を聞いたら、流石の俺でも感動しちゃうもんな」
「この男、何を言っているのかしら? というか本気で今のが理由なの? 前半はともかく後半はほとんど自分の欲望だったのだけれど」
「まったくだ。嘘だとしてももう少し何かなかったのだろうか? 今の話を聞いて感動するものなどいるわけないだろう」
どうやら俺の言葉は二人には届かなかったようだ。少し残念だがちゃんと理由は説明した。これで入部も認めてもらえるだろう。
「んんっ……、まあ、これで理由も話したし入部しても問題は無いな?」
「あなた、まさか本気で今のを信じろって言うの? 明らかに適当に思いついただけだったじゃない。そんな理由で入部許可なんて出すわけないでしょう」
「ああ、一ノ瀬の言うとおりだぞ、九十九。本気で入部したいのなら本心を言え。それともさっきのが本当の理由だったのならそれでもいいが、それじゃあ一ノ瀬は納得しないだろうな」
「……はあ」
まあ、分かっていたことである。流石の俺もさっきの理由を信じろと言われても信じられるわけがない。
仕方なく俺は嘘じゃない理由を話すことにした。
無意識に自分の声が低くなる。さっきとは違って今度は何の感情も含まない無機質な声。けれど何故か自分の声が酷く懐かしいものに感じた。
「この部なら、昔俺が犯した罪を償えると思ったからだ」
「「っ」」
「理由はそれだけだ。嘘だと思うならそれでもいい。一ノ瀬、お前が決めてくれ。それと先生、俺ちょっと外の空気吸ってきます。少ししたら戻るんで」
「え……あ、ああ。分かった」
「「「…………」」」
しばしの沈黙が場を包む。
俺は机の上の空になった三人分の缶を手に取って一旦席を立つと、教室を出て屋上へと向かった。この学校の屋上はどちらの廊下の端からでも出ることができるのだ。
俺の言ったことについて、二人は何を思っただろうか。
自販機で空の缶を捨ててまた新たなブラックコーヒーを購入した俺は、ベンチに腰掛け考える。
さっき二人に言ったことは俺の本心に近い言葉だったと思う。けれど、それは俺だから分かることだ。何の事情も知らない彼女たちにそれだけ言ったところで、何も分かりはしないだろう。もしかしたら、また冗談だと思われたかもしれない。まあ、それならそれでいいのだが。
もしこれで一ノ瀬に入部を拒否されても、それはそれで構わない。そもそもあいつからしたら俺は今日知り合ったばかりの他人で、名前も知らない男子生徒だ。そいつが入部理由に贖罪のためとか言っているわけだから、
「知るか、そんなこと。というか興味ねえよ。自惚れんなバカ!」
って話である。いやまあ、一ノ瀬がどう思うかなんて俺には分からないけどな。
「はあ。何でこうなるんだろうな」
本当にどうしてこうなったんだ?
今日は朝から遅刻したり、叱られたり、変な部に入部させられそうになったり、その変な部に入部させられるはずだったのに何故かこちらから頼み込むことになったり、ホントに濃い一日だった。
……最初の二つはどう考えても俺が悪いな。だが、後半はどちらかと言うと俺を『育才部』とかいう部に引き込もうとする上の人間が悪いと思う。だいたい、本当に誰なんだろうな? こんな面倒なことに巻き込んでくれた先生の上司ってのは。
「疲れた~」
そう嘆いてみても、返ってくる声はない。
スマホで時刻を確認すると、もうすぐ十八時。あの部の活動時間は十八時までだったはずだ。
あまり時間を過ぎては悪いので、俺は重い腰を持ち上げると飲んでいたコーヒーを一気飲みして手近なゴミ箱に放り込み、また教室へと戻った。




