ざわつく心、の形
この学校の食堂は、本校舎から離れた第一体育館と情報処理棟の向こう。いつも中庭までしか行くことのない俺にとっては結構な旅だ。
とりあえず胃に優しそうな蕎麦の食券を購入し、おばちゃんに渡してしばらく待つ。結構な込み具合だったので、立ったまま待つより先に席を確保しておいた方がいいだろう。
席を探そうとあたりを見回す。
と、
「あら、お久しぶりです九十九さん。食堂でお会いしたのは初めてですね」
言って話しかけて来たのは何かと縁のある生徒会書記、瀬上先輩。
「お久しぶりです、先輩。先輩も食堂ですか?」
「ええ、まあ。いつもはお弁当を持参しているのですが、今朝は少し忙しくて」
「先輩もですか? 実は俺もなんですよ」
俺の場合昨夜の後遺症だけどなと思いつつ、先輩の手元に目をやる。そういえば先輩は料理の載ったおぼんを持ったままだったな。おぼんの上に特盛蕎麦を持って佇む先輩。
あんまり長話するのも悪いな。
『30番 並盛蕎麦のかたあ』
そろそろ話を切り上げようとした時、ふと先ほど食券を渡したおばちゃんの声がした。さっきおばちゃんから渡された手元のレシートには、『30番 並盛蕎麦』の文字が。
思った以上に早かったな。流石はプロだ。
「あ、今の俺ですね。それじゃ先輩、また」
「はい、ではまた」
言って俺は先輩と分かれておばちゃんの下へと向かう。
「あら、あんたなかなかハンサムね~。ほらこれ、おまけだよ」
「はは、いや~、モテちゃって辛いな~~」
そんな会話をしつつおばちゃんから蕎麦を受け取る。なんか結構でかめの天ぷらが載せられていた。おまけにしては多すぎるな。というか今の俺の胃には荷が重すぎる。
そんなことを考えつつ席を探す。さっきは見つからなかったが、今度は見つけなければ。
と、見つけた。一席だけ、カウンター席が空いている。
気持ち速めに歩みを進めつつその席に向かおうとして――
「ねえ君、もしかして九十九万才クン?」
またしても呼び止められた。しかし俺はその声に聞き覚えなどない。ただなぜか無性に懐かしく感じる。妖艶な、それこそ鳥のさえずりのようにすとんと不快感なく俺の耳に届いたそれは、しかしこれが初めてではない。
「はい? どちら様でしょう……え?」
振り返ってその先にいたのは――……
「あら、知らない? 私、これでもこの学校じゃ結構有名人なんだけどな~」
顔が合った瞬間、一瞬俺の思考が停止した。
信じられないくらいの美人だった。腰まで届く真っ黒で艶やかな髪。怖いくらいに整った顔はすべて黄金比に当てはまり、さらに整っているのは顔だけではない。指先まで計算されつくしたような美の化身はそのおっぱい……その乳房までも完璧だった。
だが、俺が驚いたのはそこではない。
「あやっ……さん?」
怪しく微笑む彼女の笑みは、記憶の中の恩人の姿に重なった。
「あはは、違うよ~。……でもそっか。やっぱり君が九十九君だったか~。飛鳥ちゃんがさっき会ったって言ってたからもしかしたらって思ってたけど、……ふふ、やっと会えたね♪」
「…………」
良く分からないが、嬉しそうにニコニコと笑うお姉さん。そんな彼女の感情の読み取れない、見透かすような瞳は心底綾さんにそっくりで、俺は何が何だか分からなかった。
「立ち話もなんだし、まずは席に座ろっか♪」
未だ名前すら教えてもらっていない彼女はそう言って、俺の手を取って四人がけの座席へと向かう。突然手を引かれたので危うくおぼんから蕎麦を落としそうになった。
*
「……はあ、やはり捕まってしまいましたか」
謎のお姉さんに手を引かれて向かった席にいたのは、つい数分前に分かれた瀬上先輩。目が合った瞬間、申し訳なさそうに苦笑いを向けてくる先輩。いろいろと苦労してるんだな。
とりあえず促されるままに四人掛けの席の、瀬上先輩とお姉さんの前の席に腰を下ろす。
蕎麦にたっぷりと七味をかけ、よく混ぜて汁を真っ赤にする。
もぐもぐもぐ、ずるずる。
と、ある程度頬張った後、そういえばとあることに気づいた。
「ん? 先輩がいる? ってことはえっと、このお姉さんは」
「うふふ、私はお姉さんではなく綺麗なお姉さんです! な~んてね♪」
「っ……」
瀬上先輩に尋ねようと目を向けた俺に、隣からお姉さんの声が返ってきた。
「あはは、やっぱりね~。お母さんが言ってた『少年』って、君でしょ?」
戸惑う俺を楽しむようにそう言って、ニコニコと笑うお姉さん。
「その前に、そろそろ教えてもらえませんか? あなたは一体どちらさまですか?」
何となく察しはついているが、いい加減確認しておきたい。
「んふふ~、気になる? 気になっちゃう?」
鬱陶しく絡んでくるな、この人。だが上機嫌にニヤニヤと口元をゆがめる彼女はとても綺麗で、そこまで嫌な気分はしなかった。
やはり似ている。このめんどくささ、思考のつかめなさ、底の知れない瞳。そのすべてがいつかの彼女を彷彿とさせた。
「……もしかして、一ノ瀬のお姉さんですか?」
面倒なので早速切り出す。昼休みもあと少し、未だ三分の一ほどしか食べ終わっていない蕎麦を急いでかきこまなければならないのだ。というかこれめちゃくちゃ辛いんだが⁉ 誰だよ七味をこんなにぶっかけたバカは⁉
「んー、つまんないな~。……まいいや。それじゃ、そろそろちゃんと自己紹介しようかな」
「っ……」
言って彼女はすっと先ほどまでの笑顔を消した。それを合図に、先ほどから黙って俺より多い特盛蕎麦を一心不乱にかきこんでいた瀬上先輩も箸を置く。というか既に食べ終わって汁まで飲んだ後だった。一応俺より二回り大きいサイズなんだが……。
「気づいてるとは思うけど、では改めて! 私の名前は一ノ瀬華。生徒会副会長兼、雅ちゃんのお姉ちゃんを務めてるよ♪」
言って形のいい胸に手を当て、胸を張ってどや顔を決めるお姉さん。
お姉ちゃんを務めるってなんだ?
……まあ、でもそれを聞いて納得した。やっぱりか、という感想の方がでかいな。
「君のことは飛鳥ちゃんや麗華ちゃんから聞いてるよ。九十九万才クン♪」
言って俺の目をのぞき込む華さん。
その探るような瞳を見つめ返しながら、俺は先ほどから気になっていた疑問を尋ねる。
「あの、姉のことを知っているのを聞けば俺のことを知っていることは分かるんですが、でもどうして俺が綾さんと知り合いだってことまで知っているんですか?」
「さあ、どうしてかな~?」
濁されてしまった。
その真意を探ろうと、俺もまた華さんの目をのぞき込む。大抵の人間はこれぐらいでもすぐに反応を示すのだが、華さんはそんな俺の視線を悠々と見つめ返してきた。
『…………』
黙ったまま見つめあう俺達。喧騒に包まれた食堂で、この場所だけ取り残されているような感覚に陥る。
「……あの、先ほどから気になっていたのですが、綾さんとはいったいどちらさまでしょうか?」
沈黙の後、ふと口を開いたのは瀬上先輩。
先ほどから俺たちに気を遣ってかずっと黙っていたが、沈黙が続いたので話を振ってくれたのだろう。
「ああ、えっと、……まあ、昔の知り合いですよ」
これは無理だと諦めた俺は、降参ですと華さんから目を離し、瀬上先輩に答える。そしてそのまま俺は先輩との世間話で茶を濁す。
その間、先ほどまで饒舌に話しかけて来た華さんは黙ったまま手元のパスタに舌鼓を打っていた。野菜の沢山のったカラフルなやつだ。ほんと、食うもんまで洒落てんな。
しかし、時折こちらに向けられる鋭い視線は一体何を意味しているのか。
先輩との会話に意識を向けつつそれについて考えてみても、結局結論が出ることはなかった。
*
キ~ンコ~ン、カ~ンコ~ン
俺たちがちょうど料理を食べ終わった頃、気の抜けるようなお昼休み終了五分前を知らせるチャイムが鳴った。
「おや、もうこんな時間ですか。それでは九十九さん、またの機会に」
言って特盛蕎麦のどんぶりが載ったおぼんを手に取り立ち上がる。流石先輩。真面目だな。
「ええ~、もっとお話ししたいよ~……」
そんな先輩に不満げなことをつぶやきつつ、仕方ないなと席を立つ華さん。お話ししたいとか言っているが、結局この人、あれからずっと黙ってパスタ食ってただけなんだが。
「それじゃまたね、九十九君。ほんとは麗華ちゃんから弟に会いに行くのはダメだって言われてるから、今日はほんとラッキーだったよ。あ、今日私と会ったことは麗華ちゃんには秘密だよ? もっといろいろ話したいけど、それはまた今度。雅ちゃんによろしくね♪」
華さんは最後にそう言って瀬上先輩と共に食器返却口へと向かった。
「……はあ」
先輩たちが去った後、俺もそろそろ教室に向かわなければと席を立つ。
嵐のような人だったな。
結局ほとんど何も分からなかったし。
『私はお姉さんではなく、綺麗なお姉さんです!』
先ほどから俺の頭をこだまするその声も仕草も、そのどれもが昔の綾さんと重なって、昨晩とは違った意味で酷く疲れる昼食だった。
食事はゆっくり落ち着いて食べるに限るな。




