おふくろの味、の形
「おにいちゃ~~~ん‼ 助けて~~‼ もう無理~! 死んじゃうよ~!」
「大丈夫よ、死にそうになったら救急車でも霊柩車でも呼んであげるから。ほら、あと少しで十枚目が終わるわ。ようやく半分ね。さあ、あと十枚。今日は少なめだから四時間は睡眠時間が確保できるわよ」
「鬼~~‼ お姉ちゃんはおにい~~~! このままじゃほんとに霊柩車呼ばれちゃうよ~~! 助けておにいちゃ~~ん‼」
一ノ瀬たちとの勉強会はいつも通り六時には解散となり、帰宅した俺の鼓膜を叩いたのはそんな妹の悲痛な叫び声と、姉の容赦のない落ち着いた声だった。……どこの姉妹も変わらんな。
「……ただいま」
「あらお帰りなさい。うふふ、仲が良くて何よりね」
玄関を入ってすぐ、……どうして俺が帰宅したことが分かったのか不思議だが、全力で俺の腰に飛びつき、「フーッ、フーッ」と鼻息荒くしがみついている妹と、そんなまなみを追いかけてきた姉さんを見て深いため息を吐いた俺に、リビングから顔をのぞかせた母さんがそんなのんきなことを言ってくる。
「うう、おにいちゃ~~ん。お姉ちゃんが酷いんだよ⁉ 帰ってきて夕飯の支度しようとしたら、そのまま捕まってずっと勉強勉強……。明日までにプリント二十枚なんて絶対終わんないよ⁉」
俺の腰から離れ、そのまま俺の後ろに隠れるようにして姉さんから距離を取るまなみ。相当ひどい目にあったのだろう。まるで蛇に睨まれた蛙のようにびくびくと震えるその様子はいつもの元気な彼女からは程遠く、俺はつい老婆心的なものが働いて口を挟んでしまった。
「ああ……、それなら俺が教えてやろうか?」
「ほんとっ⁉」
俺が遠慮がちにそう言うと、パッと俺の後ろから出てきて目を輝かせるまなみ。
だがそんな俺たちの会話を冷たく棘のある、拒絶心を隠そうともしない鋭い声がピシャリと遮った。
「必要ないわ! まなみには私が教えるから、あんたは必要ないわ」
わざわざ二回言う辺り、拒絶レベルがすごいな。
「……お姉ちゃん」
『…………』
居心地の悪い空気が場に漂う。
このままではまなみの勉強意欲まで(今あるとは言っていない)無くなってしまいかねない。仕事で疲れて帰ってきた母さんにも悪い。
「そうか。……ならま、頑張れよ、まなみ」
俺はそれだけ言ってまなみの頭をポンポンと撫でると、そのまま自室へと向かうため階段を上った。
「……フンッ」とリビングへ引っ込む姉さんと、そんな俺たちを複雑な表情で眺めるまなみ。上機嫌だった母さんは、なんともいえない表情で目を伏せていた。
*
「テスト勉強、か」
まなみたちと話した後、自室に引っ込んだ俺は制服姿のまま、ベッドに仰向けに倒れ込む。
テスト勉強。
今日、一ノ瀬や先生に言われた言葉について頭の中で考える。
自慢ではないが、俺はこれまでテスト勉強などしたことがない。というか勉強というもの自体よく分からない。
ここらでもう一度言っておこうと思うが、俺の記憶力は正直尋常ではない。昔からそれだけが取り柄だ。
覚えようと思ったことを覚えておくことはもちろん、これまで見たもの、聞いたものは大抵覚えている。イメージとしては目を閉じれば門がある。パソコンでいうログイン画面だ。そしてその扉の先には無数の情報が転がっている。本棚のようなものだ。
オリバー・セルフリッジが考案した悪魔が住む宮殿によると、人間の記憶というのは関連する情報が繋がっていて、段階的にものを記憶しているそうだ。そして俺は常人が無意識に行っているこれを、さらに深い段階で、意識して行うことで、効率的かつ正確にものを記憶することができる。要はイメージで記憶するということなのだが、ものを映像で覚え、それをパソコンの保存機能よろしくイメージの中の本棚に記憶する。そうすることで目を閉じて関連情報を頭の中で意識すれば、検索機能の様に俺の中にあるこれまで蓄積してきた情報から映像、音声、その他、香りや触感に至るまで様々な情報を思い出すことができるのだ。
つまり、記憶がどうこうと面倒なことを語ったが、要は俺は記憶力がメチャクチャいい。そして勉強の八割は覚えることで、理解していようがしていなかろうが、高校程度の内容であれば全暗記しておけば何とかなる。加えて昔、ほとんどがむしゃらに様々な知識を頭に叩き込んできたので、ある程度のことは頭に入っている。
つまりだ。結局何が言いたいかというと、
「ぶっちゃけ、テスト勉強って何すればいいんだ?」
ベッドに横たわり、久しぶりに真剣に考えてみても一向にその答えは見つからない。
コンコンコン
「さ~いちゃん、晩御飯ができたわよ~♪」
俺が思考を巡らせていると、そう言って母さんが俺の部屋の扉から顔をのぞかせた。片手にお玉をもってうろうろする人間を現実で初めてみたが、その姿は家庭的な女子高生に見えなくもない。こんな女子高生と同棲できる世界線に転生できないか、本格的に異世界転生を考える今日この頃だ。まあ、あと十ね……ごめん、それとあともう少し俺が早く生まれていれば、叶ったかもしれないな。
「え? もしかして今日は母さんが晩御飯作ったの?」
「ええ、まみちゃんはれいちゃんに付きっきりで勉強みてもらってるから、今日は私が代わりにやるって言ったのよ♪」
言って「ふふ」と上機嫌に微笑む母さん。ちなみに母さんが言っているまみちゃんとは妹のまなみのことで、れいちゃんというのは姉の九十九麗華のことだ。
ただまなみは姉さんに監視されているというのが正しい日本語ではないかと思う……が、まあ、気にしたら負けだ。
「へえ、言ってくれたら俺が作ったのに。母さんだって仕事で疲れてるでしょ?」
久しぶりにみんなに手料理を振る舞うのも悪くない。まあ、もしそうならあいつらとの勉強会には参加できないが。
「ふふ、確かにさいちゃんのご飯も久しぶりに食べてみたいと思ったけど、……でもほら、さいちゃん最近楽しそうだから。学校でも友達出来たみたいだし、できればそっちの子達との時間をたくさん取ってもらいたかったの。だからさいちゃんのご飯は、また今度作ってね♪」
そう言って茶目っ気たっぷりにぱちりとウインクして扉を閉めて去っていく母さん。「それじゃあ、早く降りてきてね~」と階段の方から聞こえてくる。そんな声を聞き流しつつ俺は、
「はは……楽しそうか?」
自然と緩む頬に力を込めつつ、これから起こる惨劇へと覚悟を決めるのだった。
*
メシマズ属性というものがある。
漫画やアニメで誰もが一度は見たことがあるだろう。尋常ではないほど料理が下手なヒロインによる無意識な味の大虐殺。ダークマター生成や一口一殺など、これをあらわす表現は数多く、大抵の場合、およそそれを料理と呼んでもいいものだろうかと心配になるほどまずそうに描写される。
「ヒッヒッフ、ヒッヒッフ」
聡明な皆様なら既にお分かりだろうが、そう、以前にも言った通り、うちの家事はほぼまなみと俺によって回されており、母さん、姉さんの家事スキルは………ね。
いや、だがしかし! 姉さんはもはや論外としても、母さんはまだ救いようがある。掃除洗濯は三回に一回程度は成功させるし、これまでに洗濯機等の家電製品を壊したことも、姉さんの十数回(もはや数えるのすらやめた)に比べれば四回と少なめだ。故に我が家において家事スキルのアヴェレージをとるときっちり半分となるのだ。
と、話が脱線してしまったが、つまり母さんは家事が不得意ではあるものの、決してまったくできないというわけではない。……わけではないのだ。
さて、お察しの通り先ほどから俺はカジカジといいつつ掃除洗濯など、現状抱えている不安の正体から目を逸らしている。だが、そろそろ認めなければならないな。
「はあ~、俺の胃、大丈……もつかなあ」(大丈夫で済むレベルは諦めた)
俺は机の引き出しから常時買いだめしている胃薬、解熱剤、念のため催吐剤を取り出しポケット一杯に詰め込む。コインとロマンの前に生き延びるための(本当の意味での)サバイバル道具を選ぶのが俺だ。一切れのパンに交換してくれてもいい。
一歩一歩と階段を下りつつ重くなる足と気のせいかどんどんと暗くなる視界に俺の将来を重ねつつ、繰り返した深呼吸が俺の人生最後の生を実感できる機会でないことを祈った。
『いただきます』
食卓にそろった俺たちは合唱とともに食事に手を付け――ようとして一旦箸を置いた。
「うぐ………えぐ……」
「(ブンブンブンブン)」
嗚咽を漏らして目に涙を浮かべるまなみと、目を閉じて深呼吸を繰り返し、料理を見てたまらずいやいやと無言で首を振る姉さん。そんな彼女たちを、どうしてか母さんは、
「あらあら、なにも泣かなくてもいいのよ? うふふ、そんなに私の手料理が嬉しいのなら、今度また作ってあげるからね」
といって慈愛溢れる微笑とともに眺めている。
目の前に並べられたのは、あの美食ハンターでさえきっと見たこともないような珍味。描写するのも恐ろしいが、その料理は泣いていた。宛らこの世の悲しみをすべて一皿にのせたようなそれは、真っ黒であり、そしてどうしてか所々に濃い紅色が混じっていた。
闇の料理とでもいうのだろうか。よくある野菜が切らずに生でそのまま入っているとか、そういうことではなく、むしろ野菜や肉(のような物体)はしっかりと切り刻まれていた。というかぐしゃぐしゃで、どれがどれだかまるで分からない。もはや原型が保たれてはいなかった。どうやらミキサーでまとめてぐしゃりとやってしまったようだ。姉さんもよくやる調理法で、きっと九十九家裏メニューレシピにはあるのだろう。一子相伝であるため、俺には伝えられてはいないが。
あとどうしてこの料理(?)からは生々しい、そしてどこか懐かしい匂いがするのだろう? 母の味といえばその通りなのだが、そういうのではない気がする。
「か、母さん……その、今目の前にあるこの真っ黒な何かが今日の晩御飯ってことであってる?」
姉と妹が今にも泣きだしそうなほど表情を暗くするのを見て、黙っていられる俺ではない。というかまなみは既に泣いていた。
万が一、万が一これが母さんが間違えてそこらのペンキや何やらを皿に盛ってしまったという可能性もある。
万が一というか億、兆まで行ってもそんな可能性はゼロに近そうだが、人間可能性を追求することは未来を描くことだ。決してあきらめてはならない。
「? どうしたの、さいちゃん。シチュー好きじゃなかった? イカ墨シチューにしようと思ったんだけど、お野菜切ってるときに指を切っちゃって。でもシチューって液体だから大丈夫かなってミキサーで全部かき混ぜたの。どれくらい小さくしたらいいか分からなかったからニ十分くらい回し続けてたら、ほとんど液体になっちゃったわ。ちょっと見かけは悪いかもだけど、多分、味はいいはずよ」
言って「うふふ」と嬉しそうに頬を緩める母さん。「ちょっと失敗しちゃったわ」と照れて髪をいじっているのが可愛らしい。ふと口元を隠そうと前に出した左手の指には絆創膏が数枚貼られていた。
これはシチューだったのか。そしてなぜただのシチューではなくイカ墨シチューなのか。というかシチューが液体ってどんな認識なんだ。多分多分ってどこにも確証がないあたり、あんた絶対味見してないだろ。この禍々しい紅色と生々しい匂いはあんたの血だったのか。道理で懐かしいわけだよ。
……もはやどこからツッコめばいいのか分からないが、それでもこれだけは分かった。
「うふふ、家族に手料理をふるまうのってなんだかちょっと緊張するけど、とっても楽しいわね♪」
『っ……』
そんな母さんのつぶやきにピタリと手を止める俺達兄妹。先ほどから何とかこのおぞましい物体を食べずに回避することは出来ないかと視線で会議を繰り広げていた俺達だが、この瞬間、みんな一斉に腹をくくった。
母子家庭である我が家において、母さんは絶対であり、たとえどんな理由があろうと母さんの笑顔を崩すようなことは許されない。これが姉さんやまなみであっても俺は同じくそうしただろうが、それでも母さんが俺たちに手料理をふるまうことを喜んでいる以上、命を落とそうがどうしようが全力で誤魔化す、それが今、俺たちに課されたミッションだ。インポッシブルだな。
「(……あんたたち、分かってるわね?)」
「(……ああ、覚悟はできてる)」
「(うん、未練はあるけど、でも今まで楽しかったよ)」
視線での会話。
そして俺たちは、
「「「(絶対に母さん(お母さん)に気づかれないように完食して、生きて笑って明日を迎える‼)」」」
その後、なんとかすべて完食し、引き攣った笑顔を顔に張り付けて自室へと駆け込んだ俺たちは、そのまま眠るように倒れ込んだそうだ。




