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「ロッサ、私、戦争に行くことに決めたの」
それは、突然のことだった。
二人での生活をはじめて、5年が過ぎていた。
「何、それ。行かないって言ってたじゃん」
ミサは魔力が少ないから、そういった事とは無縁の研究室で室長をやっている。
魔力を使用しない薬開発の研究室だって言っていた。
「今度の戦争はとても大規模なものでね、私の研究室にも何名か選出するよう召集がかかったのよ」
ミサは悲しそうな顔でロッサに微笑んだ。
「でもミサは室長なんだろ?ならミサが行かなくてもいいだろっ!?」
俺は必死だった。
戦争?
何でそんなところにミサが行かないといけないんだよっ?
「私の研究室にロッサと同じ歳の子がいるって知ってるでしょ?」
その言葉に俺は苛立った。
「レイチェル・セターだろ?ミサがいっつも話してるやつ」
ミサの仕事の話になると必ずこの名前が出てきていた。
俺と同じ歳で、まだ学生なのに国のトップと同じ、もしくはそれ以上に優れた術師だって。
いつも、自分の事のようにレイチェル・セターの事を嬉しそうに話すのだ。
いつも適当に聞き流してはいるが、その話は好きではなかった。
それでなくても、レイチェル・セターは、城や術師関係者、更には俺が通う学院ですら、その名前は知らない人はいないぐらい有名だった。
「術師の能力ランクがあるでしょ。レベル1からレベル10まで。うちの研究室から、レベル8の力を出さないといけないの。うちはレイ以外はみんなレベル1の術師ばっかり。だから、研究室の10人の中から少なくても8人は出さないといけないのよ」
レベル1、2の術師は、魔力があっても、見えるだけで、掛け合わせて力を発動させることはできない。知識があるだけだ。レベル3、4の術師になると、決められた手順に則れば、魔石にすることができるという。それ以上のレベルになると、自分の意思で魔力を自由に扱え、装置を開発したりできるようになるらしい。
レベルの低い術師は、魔力を感じることの出来ない一般の人と大差はない。そんな術師たちは戦争になんか行きたくないだろう。
それでも、8人は戦争に行かないといけないなんて。
ロッサは言葉を失くしてしまった。
ミサの性格からして、自分以外の人が行くぐらいなら自分が行った方がましだと思ったのだろう。
「レイはね、レベル8なの」
「ならっ、レイチェル・セター1人が行けば済むじゃないかっ」
ミサの言葉にロッサは勢いよく言った。
「そうね、レイが自分が行くって言ったわ」
「それでいいじゃないかっ」
「私は嫌よ。レイだけ戦争に行かせるなんて…、考えられない」
「なんでだよっ、あいつが行けば十分だろっ?」
「ロッサ、もし自分が戦争に行くことになったらどう思う?」
もし、自分が行けと言われたら?
怖い、行きたくない。
すっと、頭に浮かんでしまう。
本能が拒否するんだ。
自分が行くことを考えただけで、恐怖に支配された。
「誰も知らない、どんなことが起こるかも分からない。
けど、死ぬか、生きるか。その、二つしかない場所に行くの。誰だって、怖いわ」
俺は顔をしかめて俯いてしまった。
あいつは、どんな気持ちで行くって言ったんだろうか?
「でも、そんな場所で、誰か一人でも守りたい人がいたらどう思う?」
俺の守りたい人。
それはミサしかいない。
どんな場所でだって、ミサがいるなら俺は頑張る。
「…、強くなろうと頑張る」
「私もそう思うわ。どんな場所でも、ロッサがいれば必死に守るわ。
ロッサと、自分と、重ねているのかしらね。あの子の孤独を見ると、どうしても一人に出来ないの」
自分にミサがいたように。
ミサに自分がいたように。
それはとても幸運なことだった。
それを幸運なことだと思っているから、それが無いあいつの事を考えると心がざわつく。
でも、
「俺は?もしミサに何かあったら俺はどうなるの?」
もし、ミサが死んだら?
絶対嫌だっ!
「大丈夫よ、私は死なない」
「そんなの分からないじゃないかっ」
何でそんなに笑顔なんだよっ。何でそんなにきっぱり言い切れるんだよっ。
「大丈夫、死なないから」
「嫌だっ」
「死なないの」
「嫌だっ、絶対嫌だよっ」
「死なないから」
俺は嫌だと言い続けた。
ミサは死なないと言い続けた。
俺は、泣きそうなのを堪えながら、怒鳴り続け。
ミサは、ずっと微笑みながら、優しく諭し続け。
「ミサ…、嫌だ、俺を置いていかないでよ…。一人は、嫌だよ…」
とうとう泣き出した俺。
「大丈夫。絶対死なない。ロッサがいる、ここで待っている限り、私はここに戻ってくるから。
ねっ、安心して。何も怖いことはないわ。ただちょっと、離れてしまうだけよ」
そんな俺を優しく抱きしめるミサ。
じじとばばが死んだ時も、ミサは俺を抱きしめてくれた。
時は俺が小さくて、跪いたミサに包まれて、全てのものから守られていると思った。
でも今は、俺の方が大きくて、ミサが俺の身体に寄りかかってくれると、俺はすっぽりとミサを包んでしまう。
それでもやっぱり、守られていると思ってしまう。
俺が守りたいのに。
いつも守られている。
呪文のように、何度も何度も。
ミサは、ただ“死なない”と、繰り返していた。