(32)告白①
(32)
ウミがハヤテの所に行っている間にシュカはずいぶんと落ち着き、ほほの色も桃色に戻ってきていた。
ハネが大巫女との目通りを取り付け帰ってくると、アサギとシュカも大巫女の部屋へと向かった。
大巫女の部屋はいつもと全く変わらず、こぢんまりとしていて暖かだった。
思えば、ここでクニについての話を聞いたのは今日のことだった。ほんの何刻か前にはここに座っていたのが信じられないくらい時間がたったような感覚だった。
シュカとアサギは大巫女に対面すると、頭を下げた。
部屋には大巫女のほかにハヤテとハネもそろっていた。ハヤテはシュカのよく知っている穏やかで優しいハヤテのそれではなく、領主としての厳しい表情をたたえていた。
シュカは自分が視たことを出来るだけ細かく事実を忠実に伝えようと思っていた。
自分の感情に偏った見方にならないよう、気をつけながら一生懸命話すように努力した
館の様子やそこにいた人のこと。状況やどんな話をしていたのか・・・。事細かに思い出しながら懸命に伝えようとするシュカの必死な様子に周りの大人たちも静かに耳を傾けていた。
自分が視たということは本当であるがそれが現実のものだということを証明するすべはない。自分の話していることをみんなが信じてくれるのか、いや、もしも少しでも宮に危険が迫っているのならばなんとしても信じてもらえるようにシュカにできるのは一生懸命話すしかないのだとシュカは思っていた。
シュカの話を真剣なまなざしで聞いてくれるみんなにシュカは感謝しつつ不安な心を押さえながら話した。
しかし、『ヒナタ』と呼ばれた青年が自分のよく知っている少年に瓜二つだったということはどうしても、どうしてもいえなかった。
一方アサギは、シュカの横に座ってシュカの話に耳を傾けながらも、じっとハヤテや大巫女の表情をうかがっていた。アサギが事前に手に入れていた情報とシュカが今しゃべっている内容を合わせればサンカデが宮や村を探しねらっていることは明らかだった。
アサギには大巫女や父がどのように考えをもっているのか分からなかった。自分が持っている情報を知らないとは考えにくいが、それ以上のどんな事を知りどんな判断を下すのかアサギは注意深く二人の様子を見ていた。
シュカの話に表情豊かに反応を見せる母とは対照的に、父も大巫女も表情一つ変えず、ただ黙々とシュカの話に耳を傾けていた。しかし、シュカが館の中にいた青年の容姿を事細かに説明したときごくわずかだったが父の表情が変わったのをアサギは見逃さなかった。
その一瞬の表情を見てアサギは、父が『ヒナタ』と呼ばれるサンカデの首長についての詳しい容姿などについても知りえていたことを悟った。そしてシュカの視たものが現実に存在し、宮に本物の危険が迫っているのだという子を知らしめていたのだった。
「あの人は私が視ていたことを知っているような口ぶりでした。もしかしたら、私にわざと聞かせていたのではないかとも思いました。でも・・・・私が視たことが本当ならば宮に攻めてくるのでしょう。ヒナタの言葉には確固たる自信がにじみ出ているように感じました。」
シュカは自分が視たものをすべて話し終わると、ゆっくりと息を吐き出した。
無意識にとなりのアサギに目をやると、アサギと目が合う。アサギは真剣な表情のままシュカに小さく頷いた。そんな小さなしぐさでもシュカにとってはとても心強く、すっかり緊張し冷え切っていた胸の中が少し暖かくなるのを感じた。
二人は、大巫女やハヤテの反応を待った。
二人の表情からは考えが見えそうにない。黙り込んだまま、時間が過ぎていく。どれくらい経ったのか、シュカには判断もつかないくらい長くも短くも感じる時間が過ぎて行った。
「・・・・ハヤテ。」
大巫女が唐突にハヤテを呼んだ。ハヤテが大巫女に近付くと耳元に何かを言っている。
狭い部屋にもかかわらず大巫女の声は何故か二人まで届かなかった。
アサギはじっとその様子を見ていたが、ハヤテはハネを伴うと結局何も言わないまま大巫女の部屋を出て行ってしまった。
シュカの心の中に自分の話が伝わらなかったのかという不安が頭をもたげた。
残された二人はことばも出ず、かといってここを立ち去った方がよいのかも分からずじっと黙って座っているしかできなかった。
どうなってしまうのだろう。シュカの心の不安はだんだんと広がっていった。
シュカがアサギを見やると、アサギは物言いたげな怒りのこもった目をして大巫女の後ろの壁を睨みつけていた。
「シュカ・・・。」
どれくらいたったのだろうか大巫女が声を発した。
「・・・はい。」
「お前たちに話しておきたいことがある。」
大巫女の静粛とした声に二人はハッとし、姿勢を正した。じっと二人の視線が大巫女に向かう。
「シュカ、おぬしがここを出て育てられた話はしたと思うが、おぬしがどうしてここで生まれたのかは知らぬままだったな。」
シュカは無意識に唾を飲み込んだ。ずっとずっと知りたかったことが今大巫女から明かされるかもしれないと思うと胸が震えるのを感じた。
自分の視たものを話しに来たはずだったのに、どうしてこんなことになっているのだろうか。はぐらかされているのか・・・、それとも何か自分の道物と関係があるのか・・・。
どちらにしても、大巫女からこうして自分の出生のことを聞ける機会はない。
シュカは深呼吸をすると大巫女が話し始めるのを待った。
「あれは、15年前のことだった。もうすぐ春がやってくるという暖かくなりかけた日の朝、その娘はこの宮の下、ちょうど船着き場になっている桟橋に着いた小さな船の中で見つかった。まだ少女らしさを残したような娘はまだ19だったよ。黒髪が艶やかでね、色の白い美しい娘だった。娘は見つかったとき、意識を失っていたんだ。まだ寒い中一人で夜通し船を漕いできたんだろう、えらく衰弱していたよ。最初はみんな巫女になるためにやってきたと思った。しかしね、娘一人でこの宮に来るというのはなかなか珍しいことなのだ。この宮のことは公にされてないからね。大概は村などの長の手でここに連れてこられるのが普通だ。噂を知っていてもここまで19の娘が一人でここまでやってくるのは至難の業だ。皆がこの娘がどこから来たのかどうやってきたのか不思議に思った。娘は、一応宮へ連れ帰られ介抱された。なかなか目を覚まさず皆は心配したものだ。なにせ、ここにはすぐに呼べる医者もいないからね。しかしね、娘の世話をしていた巫女が気付いたのだ。・・・・・その娘が子を宿しているということを。」
大巫女はその時のことをその見えぬ目の瞼の裏に思い出していた。
あの娘の面影が、シュカの顔に重なる。シュカは、あの時の娘によく似てきた。
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子を宿した娘を巫女にすることはできない。
大巫女は、娘が子を宿していると聞き娘の寝かされている部屋まで足を運んだ。ある予感があったからだった。
まだ、目を覚まさぬ娘の元へ近寄るとそのはらかに力強い光がこぼれているのを感じた。大巫女は手を伸ばし、娘の腹に当てた。あてた手には暖かく、力強い鼓動が伝わってきた。
『生きたい』という子の感情が直接流れ込んでくるのを感じた。
大巫女は予感が当たったことを確信した。この子は、私が待ち望んでいた子だと。
娘は巫女たちの献身的な看病によって、それから三日ののち目を覚ました。
娘の名はシュロという、この宮の西にある村の娘だった。娘はこの宮に助けを求めてやってきたと云った。
「実は、私がこの子を宿した頃から夢で不思議なものを視るようになりました。」
回復した娘は、大巫女の部屋に招かれ対面していた。目を覚ました娘は、だいぶん血色良くなったものの全体的に線が細く、白い肌と憂いを帯びた表情が印象的な娘だった。
「不思議なとは、どのようなものなのだ。」
「それは、時に草原だったり、滝だったり、広い座敷だったりしました。私の見たことのない風景や人ばかりでしたが、いつも同じ人の目を通しているのだと思いました。・・・・来てみて、分かりましたがこの宮の風景や大巫女様の姿もありました。」
「なぜ同じ人の目を通しているとわかるのだ。」
「目線が同じなのです。それにたまに視界にその人物のものと思われる手や足が視えました。ちょうど自分の手や足を見下ろすように。それでこれはだれかの目を通して見ているのだと感じたのです。はじめはただの夢だと思いました。しかし、日がたつにつれだんだんとその映像は鮮明になってきました。自分がおかしくなったのかとも思いましたが、余りにも視えるものに現実感があるので誰かが視ている風景を視ているのではないかと考えるようになったのです。」
シュロからは、確信とわずかな怯えを感じ取った。この現実を目の当たりにしながらも受け入れきれない感情があるのだということが伝わってくる。
「子を身ごもってからと云ったが・・・。ぶしつけだが、その子の父親は。」
大巫女の質問に、そう聞かれることを予想していたのか少し目を伏せるとシュロは云った。
「この子の父親は、旅のものでした。去年の秋祭りにやってきた旅の楽師です。私の村では毎年秋祭りに西方から楽師を招いて、宵の宴を開いていました。私は、もともと早くに身寄りを亡くし一人で村に暮らしていました。私の後ろ盾となってくれたのが村長だった叔父でした。私は叔父の家の手伝いなどをしながら、生活していました。秋祭りの時、招いた楽師のお世話を私がすることになりました。今年の楽師は5人の楽団でした。その中で横笛を吹いていたのが、この子の父親です。私たちは何故か大変惹かれあいました。彼がこのひとときで帰ってしまうことを私は分かっていました。もちろん、彼も。でも私たちは思いを止めることができませんでした。たった一晩の逢瀬でした。彼は秋祭りが終ると村を出発しました。それから三月、私は自分の体の中に命が芽生えていることに気付きました。この子がおなかにいると分かったとき、私は悩みました。叔父は可愛がっていた姪が、旅の楽師にもてあそばれたと怒りをあらわにしました。私は彼の子を宿したことに後悔はありませんでした。でも、今までお世話になった叔父に迷惑をかけてしまうことはとてもつらい現実でした。」
シュロはうっすらと目に涙をたたえていた。それでも、言葉を止めずに語り続けた。
「その頃からです。私が不思議な夢を見始めたのは。叔父は私を気遣い、子どもも一緒に娶ってくれる者を探し始めました。叔父の気持ちをありがたいと思いつつも、私はまだ彼のことを忘れられずにいました。しかし、この成長は待ってくれません。少しずつ私のおなかも大きくなっていきました。この子がおなかの中で動いているのが分かるようになると、頭の中に声がするようになりました。」
シュロは少し目立ち始めてはいるがまだまだ小さな腹をいとおしげに撫でた。