はじめてのお茶会
次の日、皇子の身支度に離宮は朝から大忙しであった。皇子をセージの香油を垂らした風呂に入れ隅々まで磨き上げ、細い金髪に丁寧にくしをとおし艶を出す。アラクナの礼装に袖を通し、ぴかぴかに磨いた黒革靴を履かせると、出来上がった姿に離宮の使用人たちは口ぐちに賞賛の声を上げた。
「アルテミスさま、かっけ〜!」
「流れ星みたいにキラキラしてる!」
「ありがとう、セルジュ、カーディ」
恥ずかしそうに頬を赤らめる皇子に、朝から張り切っていたアリスは嬉しそうに胸を張った。
「皇子の愛らしさと気品を最大限に引き出すことができました!」
「素晴らしい働きぶりです、アリス」
ユミルは仕上げに皇子のタイの結び目に、私が誕生日に贈った花真珠のブローチをつけた。
「派手すぎますかね、あまり目立ちすぎるのも……」
「つけていったほうがいいだろう。それには防魔の呪いがかけてある。もし皇子に呪いをかけようとした者がいれば、たちまちおぞましい沼蛙の姿となり醜い声で鳴き続けることになる」
「いいですね、皇子に呪いをかけようとする不届者は蛙になって蛇にでも食われればよいのです」
「えっ、沼蛙ってあの臭くてぶつぶつの気持ち悪いやつですよね……!?」
「えぐ……」
ドン引きするセルジュとカーディ、アリスたちをよそに、ユミルはてきぱきと支度を整えると、いつもより念入りに手入れした正装を着て立ち上がった。ちょうど窓の向こうに使者の乗った馬車がやってきたのが見える。
「来たようですね。アルテミス様、準備はよろしいですか?」
「うん!」
「皇子、気をつけて行ってらっしゃいませ」
「アルテミスさま、美味しいものがあったら教えてね」
手をふるアリスたちに見送られ、離宮を出る。私は魔法士らしい威厳のある白のローブを羽織り、ユミルたちのうしろをゆったりと歩いてついて行った。馬車に乗り込む皇子を手伝うと、ユミルはふりかえって押し殺した声で言った。
「バーティミアス様、くれぐれも面倒は起こさないでくださいよ」
「どうかな、ユミル。楽しい時間になりそうだ」
建国から紆余の栄枯を経た長い歴史のなかで、帝国とともに歩んできたが、茶会に出るのは初めてだ。初夏の美しい陽光のなかで、皇族たちの虚栄と貴族連中の打算うずまく滑稽な茶番を肴に、お茶と菓子を楽しむとしよう。
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本宮の庭園につくと、丁寧な物腰の使用人たちに出迎えられたが、案内された席は主賓席から最も遠く、日よけもない隅の寂しい場所であった。さっそくの露骨な扱いにユミルの顔が怒りで引き攣ったが、皇子は気にすることなく席へ腰を下ろした。
しばらくして、三人の皇子を引き連れたドロテアが来賓者たちに向けて挨拶を述べ、茶会が始まった。庭園中央では宮廷の楽団が演奏をはじめ、あちらこちらでお喋りの声が聞こえてくる。
「アルテミス様、冷たいお飲み物をお持ちしますね」
「ありがとう、ユミル」
私はユミルの背中が遠くなったことを確認すると、1粒の種を地面に落とした。土の上でたちまち根を張った若木は大きく成長し、伸びた枝葉がさらりと揺れて心地の良い木陰を作り出す。少し離れた場所でこちらを見ていた貴族たちが息を呑むのが聞こえる。目立つなとは言われたが、日も高くなってきているというのに初夏の日差しをまっこうに浴び続ける趣味はない。
貴族たちは相変わらず遠巻きにこちらを眺めてはこそこそと囁き合い、ドロテアの周囲に群がる貴族たちはこちらに目も向けようともしない。ドロテアと同じテーブルに座った三人の皇子は、アルテミスが気になるのか探るような視線でこちらを盗み見てくる。
しかし皇子たちの視線もあるが、先ほどから警備の騎士たちがやけにこっちを見てくるのが気になる。末席とはいえ皇子とその後見人の公爵家の貴族に話しかけてくることはないが、変に熱っぽい視線を向けられ背中がむず痒くなる。じろじろとみつめてくる騎士たちの様子に首をかしげていると、皇子がぽつりと言った。
「ディアウッドせんせいがきれいだから、見ているんだと思います」
「綺麗?まぁそうだな、私ほど美しく威厳のある魔法士はいない」
なるほど、羨望と賞賛の眼差しであったか。合点のいった私は周囲の庭園を眺めながらお茶に口をつけた。これは西方の山岳でとれる茶葉だな。悪くないが、菓子は微妙だ。ローゼマリーの料理のせいで舌が肥えてしまったようだ。皇子も同じことを考えたようで、微妙な顔で食器を持つ手が止まっている。
そういえば、ユミルがなかなか戻ってこない。視線で探すと、先日遭遇した騎士に話しかけられているようだった。
「もう一度お会いできると思わなかった、ユミル殿、どうか少しだけ時間をくれないか」
「僕は皇子のお供で来ているんです。離してください!」
どうやらしつこく言い寄られているようだ。人には散々目立つなと忠告しておいて困ったウサギだ。助けてやろうと立ち上がりかけたら、隣に座る皇子がすっと前に出た。
「彼はぼくの侍従です。なにかごようでも?」
「はっ、アルテミス皇子……なんでもありません!」
毅然とした皇子の態度に狼狽した騎士は顔を青くし、急いで持ち場へと戻って行った。ユミルはほっと息を吐き、乱れた襟元を直した。
「皇子、ありがとうございます」
「ううん、ぼく……ユミルが戻ってこなくて心配だったから……」
「ご不安にさせてしまいましたね、申し訳ございません。皇子がお好きな苺のタルトをとってまいりましたので食べましょう」
「うん!」
「アルテミス、よく来てくれたわね」
手をとり、席に戻ろうとする二人を止める者がいた。振り返ると黒髪を結い上げ、大胆に胸元の開いた紫のドレスを着た第2側妃ドロテアがにっこりと笑みを浮かべていた。ユミルはすぐさまあたまを下げると、恭しく礼をとった。
「ドロテア妃殿下、ご機嫌麗しゅうございます。ブランドナー男爵家長男、ユミル・ブランドナーです。この度はご招待いただきありがとうございます」
「アルテミス・アストラニアです」
「わたくし、生まれたばかりのあなたにお会いしたことがあるのよ。まだアナスタシアが元気だった頃……ずいぶん大きくなったわね」
何度もアルテミスを暗殺しようとしていたくせに、面の皮の厚い女だ。ドロテアは紅をひいた唇に薄い笑みを浮かべながら三人の皇子を呼び寄せた。
「長男のレオナルド、次男のデュートよ。ユリウスにはもう会ったわね?ユリウスがぜひあなたを招待したいと言い出したのよ」
「ありがとうございます、ユリウスお兄様」
「先日はちょっとした誤解で手荒な真似をしてしまったからな。今日はこないだよりまともな服を着ているから、皇族に見えなくもないな」
「ユリウスったら。……でもとても素敵な刺繍ね。どこの仕立て屋に頼んだのかしら。ぜひ、レオナルドの成人の儀式用の礼服もお願いしたいわ」
「えっと……」
言葉に詰まるアルテミスの肩をそっと触れ、ユミルが代わりに答えた。
「アルテミス様の魔法の師匠であるディアウッド先生にご紹介いただきました。隣国フェルミアの職人です。気難しい職人ですので妃殿下のご期待には添えないかと、申し訳ございません」
「まぁそうなの、残念だわ」
すると黙ったままだったドロテアそっくりの黒髪に紫の瞳を持つ長男のレオナルドが口を開いた。
「あの者は魔法士なのか?」
「ディアウッド先生はアナスタシア妃殿下のご縁のもと、帝都にお越しいただいたフェルミア王立魔法学校の教師でございます」
「嘘だ!このチビ、まだ魔力発現もしていないだろう。正妃の差し金で送り込まれたフェルミアの間者じゃないか!?」
「デュート、おやめなさい」
「だって母様!」
ユリウスより少し背の高いデュートが口を尖らせる。それをレオナルドが片手で制した。
「すまないな、アルテミス。だがデュートの言うとおり、まだ魔法を習う年頃ではないだろう」
「えっと、ぼく……」
「それについては、実際に見せた方が早いだろうな」
「ディアウッドせんせい!」
なにやら面白い展開になってきた。物言いたげなユミルを下がらせ、古代樹の杖を手に持ちゆっくりと歩み出た私に、ドロテアと三人の皇子たちは驚いたように目を見開いた。
「ディアウッド伯爵家長男、バーティミアス・ディアウッドだ。アナスタシア妃の生家に依頼され、アルテミス皇子の魔法の教師をしている」
「お会いできて光栄ですわディアウッド様……魔法学校のご教員なのでしょう?最近は皇都に住む魔法士の数も少なくて、レオナルドとデュートには魔法塔の魔法士の先生方をお呼びしたのよ。フェルミアはあまり教育のレベルは高くないと噂に聞きましたけれど、アルテミスには一体どんなことを教えていらっしゃるのかしら?」
「ふむ、春より基礎魔術理論からはじめて、初級の大地魔法、水魔法の実践訓練を始めたところだ」
「大地魔法……!?」
「あ、あらそうなの、素晴らしいわアルテミス、優秀なのね」
取り繕った笑みが崩れたところを見ると、兄弟たちの魔法の進度はそこまでいっていないのだろう。ユリウスが悔しそうに唇を噛んでいる。私は彼の足元に生えた小さな蕾をつける白蓮草を指さして言った。
「ちょうど良い、アルテミス皇子。芽吹の魔法を使ってみなさい」
「はい、せんせい」
アルテミスはこくりと頷くと、少し緊張した顔で両手をかざしたが、ユミルがそばで小さく頷くのを見て表情を和らげた。
「……《ネルヴィア》」
「うわぁっ!?」
ユリウスの足元の花の蕾が一斉にひらき、真っ白な花弁が波のように広がっていく。驚いたユリウスがうしろによろけようとして尻もちをつき、慌てた顔の使用人がいっせいに駆け寄ってきた。
「ご、ごめんなさい、ユリウスお兄様」
伸ばした手のひらは無視され、ユリウスは悔しげにそっぽを向いていたが、ドロテアは作り笑いのまま手を叩いた。
「すごいわ、ディアウッド先生はとても優秀な指導者なのね」
「私ほどの知識と技量をもつ者は帝国にはいないだろうな」
「全くその通りですわ、ぜひ我が家の先生になっていただきたいくらい。ユースティア家からどれほどの謝礼金をいただいたのかしら?」
値踏みするような視線に思わず舌を巻く。アルテミスの目の前で引き抜きの相談とは、まったく侮られたものだ。
「私が求める対価は金子ではなく、魂の資質である」
「は……?」
怪訝な顔をするドロテアに、私は続けた。後ろでユミルが「バーティミアス様!!」と押し殺した声で必死に止めようとしたが、構うことはない。
「お前の子供たちの魂は濁っていて、小さく、王の器ではない。これでは話にならないな」
「フェルミアの公爵家ごときがなんてことを……!」
「貴様、皇族に向かって不敬だぞ!!」
怒りを露わにするデュートとユリウスに護衛の騎士たちが何事かと近づいて来る。そろそろ頃合いか、ユミルの希望通り『挨拶』は済ませたことだし帰るとしよう。
「話は終わりか?我々はこれで失礼する。菓子は微妙だが、茶葉のセンスは良かったぞ。また機会があればぜひ招いてくれ」
「行きましょう、アルテミス様」
「えっ? し、しつれいします。ドロテアさま、お兄様」
帰りの馬車に乗り込むと背後から魔法の気配がした。続いて悲鳴と共にカエルの鳴き声が聞こえてきて、皇子が心配そうな顔で窓の外を見た。
「なにかあったのかな?」
「……いいえ、庭にカエルが迷い込んだようです」
ユミルの晴れやかな笑顔につられ、皇子もほっと微笑んだ。
「アルテミス様、ご立派でしたよ。でもお食事をあまり召し上がれませんでしたね」
「うん、でもぼく、ローゼマリーのごはんが食べたいな」
「ローゼマリーも喜ぶでしょう、早く帰って。アリスたちに今日のことを教えてあげましょう」
「うん!」
こうして皇子の初めての茶会は幕を閉じたのだった。第2側妃ドロテアと、三人の兄弟たち。策謀と悪意がうずまく宮殿の只中で、アルテミスの輝かしい才能を披露することもできた。
しかし、ことの顛末を正妃の息子、第一皇子カリストに見られており、さらなる運命の渦に巻き込まれていくことになるとは思いもよらなかった。




