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カリストの来訪

 朝露が輝く夏の朝、カーディは庭の花壇の手入れをしていた。昨日、宮殿で開かれたお茶会に参加したアルテミスはまだ眠っていて、ユミルは「お疲れでしょうから、ゆっくり寝かせてあげましょう」と寝室のカーテンは閉められたままだ。


 軒先に朝日を浴びて咲いた花を剪定し、小さな花束を作っていく。白く可憐な花が集まる霞草、淡い桃色の花冠花、どちらもいい匂いがしてアルテミスが好きな花だ。これをアルテミスの部屋に飾りに行くついでに、昨日の話を聞かせてもらうのだ。


 鼻歌を歌いながら飛び出た枝葉を整えていると、生垣の向こう側に金色が見えた気がした。


「……アルテミスさま?」


 アリスの髪の毛は栗色で、ユミルは黒髪だ。金色はアルテミスのものだが、匂いがちがっていた。アルテミスはもっとあたたかいお日さまの匂いがする。


 見れば、生垣の影に男がひとりしゃがんでいる。カーディの赤銅色の瞳がすっと細まり、獲物を測る光を帯びた。ユミルには侵入者はすべて排除するように言われている。


「おい、ここはアルテミスさまの宮だけど、なんか用?あんた誰?」


 男はカーディの声に顔をあげた。どこかで見たことがあるような、妙な懐かしさを覚える顔つきだ。カーディの問いかけに男は少し考えるようなそぶりを見せた。


「……君はここの使用人か?俺は本宮の庭園の管理を任されてる、庭師のようなものだ」


「庭師ぃ?俺と一緒じゃん」


 確かに、汚れた前掛けにそれらしい作業服を着ている。しかし、男の透き通るような青い瞳、目にかかる細く繊細な金色の髪、上品で端正な顔立ちは使用人というよりどこかの貴族のようだ。


「本宮の庭師が、何しに来たんだよ」


「とてもきれいな庭だったから気になって……」


「ふーん」


 悪い気はしない。カーディが手塩にかけて整えた庭だ。


「すまないが、暑さで気分が悪くなってしまって……中で少し休ませてもらえないか?」


 困った顔で眉を下げる男にカーディは少しためらった。よそ者は警戒対象だが、この男からは敵意は感じない。アリスはいつもアルテミスに「困っている人には親切に」と教えている。こういう場合はどうするのだったか……。


 カーディは難しいことを考えるのが苦手だ。活火山の洞窟で兄と暮らしていたときは、毎日遊んで昼寝しているだけでよかったが、ここに来てからは難しいことを考える機会が増えた。よく見ると、男は背中にぐっしょりと汗をかき、体調が悪いのは本当のようだ。カーディは仕方なくうなずいた。


「別にいいけど、アルテミスさまがまだ寝てるから静かにしろよ?」


「あぁ、感謝するよ」


#


 勝手口から厨房に入り、男に水を用意していると、昼食用のパンの仕込みをしていたローゼマリーが顔を出した。


「どうしたんだい、カーディ」


「あいつ、庭先でふらふらしてて、気分悪いから休ませて欲しいんだって」


「あらあら、暑さでやられちまったのかね」


 ローゼマリーは氷ろう庫からよく冷えた果物水と、氷菓子を取り出し一人分を盛り付けると男に呼びかけた。


「あんた、こっちにおいで。冷たい果物水はどうだい?体の熱を下げなくっちゃ」


「いいのか?かたじけない、いただくよ」


 声をかけられた男は少し驚いたような顔をして、おずおずと席についた。渡された匙で氷菓子をひとすくいし口に運ぶと、感嘆の声をあげた。


「驚いた、とても美味しいな。甘いのに爽やかで、食べたことのない味だ」


「そうかい、よかったよ」


 ローゼマリーは満足そうに微笑むと、また作業に戻った。その背中をじっと見ながら、男は何度も匙を口に運び、あっという間に器を空にしてしまった。


 そこにお茶の準備をしにユミルがやって来て、見知らぬ男にぎょっとした様子で足を止めた。


「カーディ、あの男は何者ですか?」


「俺とおんなじ、庭師なんだって」


「……彼がそう言ったんですか?」


「うん」


 屈託なくうなずくカーディに、ユミルは困ったように眉をひそめた。


「僕の教育不足ですが、カーディはもう少し、疑うことを覚えなければいけませんね」


「なんでぇ?」


「彼の手をよく見てください。あなたと違って全く汚れてないでしょう? 庭師なら土に触れて手も爪も黒くなるはずです。靴だって、あなたのは土まみれなのに、綺麗すぎると思いません?」


「ほんとだ。あいつ嘘ついてたってこと? マジで、すげーむかつくんだけど」


 むっとするカーディの頬が膨らむ。ユミルは肩をすくめて冷ややかな顔で言った。


「そろそろアルテミス様もご起床される時間です。なにが目的かわかりませんが、つまみ出して城外の木に吊り下げてきなさい」


「わかったぁ」


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 嘘をついたのはすまなかった! 俺は……!!」


 今にも男の襟首をつかみそうになったカーディに、男は慌てたように立ち上がった。その顔を見たユミルは、はっと息を呑みカーディの腕をつかんで引き戻した。


「やめなさい、カーディ! この方は正妃セラフィーナ様のご長男、第一皇子カリスト・アストラニア様です!」


 第一皇子カリストは数年前に成人の儀式を終え、歳は19歳。北方の堅牢な永世中立国、ヴァルステイン公国の首都にある高等魔道学院に留学し、魔法学・国政理論の双方において優秀な成績をおさめたという。


 剣技にも秀でており、騎士団からの信頼も厚く、最も立太子が有望視されている皇子だ。ユミルは深く頭を垂れた。


「カリスト様、うちの使用人が大変失礼いたしました。今すぐに応接間にご案内いたしますので」


「いや、いいんだ。彼を責めないでやってくれ。暑さで気分が悪くなったところを助けてもらったんだ」


「そうでしたか……」


 そうは言っても、第一皇子を厨房でもてなすわけにはいかない。応接室へ案内すると、カリストは離宮の中をゆっくり見渡し、感心したように言った。


「ここは建てられてから200年以上経っていて、廃墟も同然だったというのに、よく手入れされているな」


「アルテミス様が移り住まれるようになってから、私どもで整えました」


「そうか。俺も国を離れていて状況を知らなかったが、十分な支援はもらっているのか?」


 支援どころか、我々が来る前まで明日の食べ物にも困る有様で、隙間風が容赦なく吹き込むボロ部屋で夜ごと命を狙われていたのだが、ユミルは貼り付けた笑みを浮かべるのみで答えなかった。カリストもそれ以上追求せず、気まずそうに小さくうなずいた。


「昨日のドロテア妃の茶会の一件から、少し調べさせてもらった。貴殿やディアウッド伯爵が赴任してから環境が一変したようだな」


「ディアウッド先生は皇子の境遇に心を痛め、私財を切り崩し必要な物資を整えてくださっているのです」


 私の手にかかれば全て魔法で解決できるが、ユミルは怪しまれぬよう人間の職人や商人を雇い、少しずつ整備してきた。要らぬ苦労と思っていたが、こんなところで役に立つとは。ユミルの心配症も時には役に立つ。


「フェルミア王国の伯爵家に我が皇室の不始末の補填をさせるとは、実に面目ないことだ。すぐに財政官に指示して然るべき補償をしよう」


「いいえ、結構です。それよりお気持ちを向けてくださるならば、カリスト様にはアルテミス様のお立場をどうかお守りいただきたいのです」


「“守る”とは……俺にどうして欲しいんだ?」


「カリスト様のお名前で庇護をお示しください。アルテミス様が他の妃殿下に命を狙われず、健やかにお育ちになることが我々の望みなのです」


「そうか、アルテミスは良い臣下を持ったな。しかし俺は第一皇子とはいえ、立太子も保証されていない身だ。俺の言葉が全ての妃の思惑に及ぶべくもない」


「それでも、カリスト様がお約束くだされば、少なくない抑止力がございますよね?」


 ユミルの瞳が淡く光り、カリストの視線を絡めとるように揺らめく。ユミルの得意な幻惑の魔法だ。ここでカリストの言質を取り、アルテミスの身の安全を保障させたいのだろう。月の精霊の魔法は強力で、どんな強靭な精神の持ち主でも抗えはしない。


 カリストは見入られたようにわずかに瞳孔を開き、ユミルをじっと見つめている。


「お約束いただけますね?」


 しかし指先がカリストの手の甲に触れた途端、ユミルは弾かれたように後ずさった。焦げた指先から白い煙が上がり、痛みに顔を歪める。カリストはすまなそうに言った。


「悪いな、俺は精神干渉の魔法を無効化する宝具を持っているんだ」


 カリストはシャツの襟元から銀の鎖を覗かせ、困ったように微笑んだ。


「アルテミスの侍従は、珍しい魔法を使うのだな。月の精霊は気難しく契約すらできないと有名だが……実に興味深い」


「……滅相もございません。アルテミス様の安寧を案ずるあまり、出過ぎた真似をいたしました。罰するならば、どうか僕ひとりをお咎めください」


「気にするな。末弟にこれほど忠義深い従者がいることは心強いことだ」


「……寛大なお心に感謝いたします」


 どれほどの処罰を受けたとしても、ユミルは月の精霊だ。火に焼かれても首を括られても、満月の光のもと何度でも蘇る。しかし安易に皇族に手を出すとは、ユミルも判断が甘くなったものだ。


 そしてその原因とも言える眠りから覚めたばかりのアルテミスが、アリスに手を引かれ後ろ頭に寝癖をつけたまま現れた。


「ユミル? その人はだれ?」


「アルテミス様、この方は……」


 ユミルが傷ついた手を隠して振り向くと、カリストは柔らかく笑って言った。


「おはよう、アルテミス。俺はカリスト・アストラニア、お前の1番上の兄だ」


「カリストお兄さま……?」


 二人並んでみると、確かにカリストとアルテミスはよく似ていた。現皇帝譲りのアイスブルーの瞳に、輝くような金色の髪。眉の形や笑ったときの目元の柔らぎなど、実の兄弟のようだ。


「また来るよ。アルテミスがどのように暮らしているのか、気になって来たんだ」


「ぼく、まいにち楽しいです。アリスがいてユミルがいて……みんなぼくのこと、大事にしてくれます」


「……それならよかった。お前が息災であることを兄も祈っているよ」


 それだけ言うと、カリストは静かに微笑んだ。幼い弟を見守る心優しい兄。傍から見れば美しい光景だが、ユミルはカリストの優しい眼差しに、胸の奥がわずかにざわつくのを感じた。


 それはただの勘で、なんの根拠もない虫の知らせに過ぎなかったが、前にも言った通り、“ウサギの勘は侮れない”のだ。

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