69 帰郷
「というと?」
あまりに漠然とした問いだったので、さらに促してみる。
「父さんは、いずれ1層に戻るつもりで、上の事を良く知らない僕に、今回の旅で様子を見せたかったようなんです」
エスタは、前を行くオロンの背中を見つめている。
「でも、僕は上が、いいところだとは少しも思えなかった」
そこまで言って、慌てて付け加える。
「3層の印象はいいんですけど」
これは事実そう思っているのもあるだろうが、後ろに続く3層の連中に気を使ったのもあるだろう。
行きで言っていたように、5層で実戦経験を積む1隊が同行している。
なんと伯爵公子エウォルまで一緒だ。
「まあ確かに2層、1層の印象は良くないな」
エスタの言葉に同意する。
「特に俺たちは、道中馬車に閉じ込められていたわけだし」
「そうですよね」
すまなそうな表情で頷く。
オロンと二人で、普通の馬車に乗っていた自分が、後ろめたいようだ。
「だから俺たちは1、2層の普通の生活を見たわけじゃない。言ってみりゃ、一番歪んだ部分を見たわけだ」
「歪んだ部分、ですか」
「普通の生活を知れば、印象も変わるかもしれない。人も多いし、魔物も少ないわけだしな」
(支配層が歪んでいるんだから、たかが知れてる)
ノマが念話でツッコミを入れてきた。
正論すぎてグウの音も出ない。
「そういえば父さんに連れられて、開拓局に行ったけど、あそこは普通に良い感じでした。活気もあったし」
それは良い情報だ。
開拓村と直接絡むのは開拓局だからね。もっとも、今の王宮は開拓局を命石の供給源としてしか見ていない、という噂も聞いたけど。
「だからさ、今回の印象だけに囚われない方が良いよ」
「はい」
(自分が思ってもいない事を、少年に説くなんて)
再びのノマのツッコミである。
(あんまり、一つの考えに凝り固まる必要もないだろう?)
オロンは中央志向が強いので、いつかエスタたちを連れて、1層に戻るかもしれない。その時にエスタが1、2層への嫌悪感しかなかったら、苦労することになる。
(オロンにしても、今回だけ旅で思うところはありそうですけどねー)
シャルの言う通り、今回の旅は我々に様々な影響を与えた事は間違いない。
「で、なぜ3層の兵と伯爵公子が一緒なんだ?」
村長が胡乱な目でこちらを見る。
5層に帰還し、報告の為に村長とオドに会った時の事だ。
「兵はレベル上げと訓練の為に、交代で駐留するって」
「それは、報告を受けたな。で、伯爵公子は?」
さあ、と本人の方に目を向ける。
伯爵公子は、爽やかな笑みを浮かべる。
「強いて言えば武者修業かな?」
「公子、御身は...」
言いかけた村長を公子は、手を上げて遮った。
「過剰な敬語は、不要だ。それに私のことはエウォルと呼んでくれ」
「ではエウォル殿」
村長はため息混じりに言い換えた。
「あなたの立場で、5層で戦う必要がありますか?」
「もちろん、ある」
エウォルは断言した。
「父は3層だけでも、あなたたちと協力してダンジョン平定を進めるべきだと決意した」
「それは」
村長が絶句する。
大規模な平定戦に消極的な今の王国に不満があっても、一貴族が、単独で協力を申し出るという異例の事態に戸惑っているのだ。たとえそれがダンジョン卿という、有力貴族であっても。
いや、有力貴族であるからこそ、か。
「別に違法ではないし、開拓局長の内諾も得ている」
へえ、と思ってオロンの方を見たが彼も驚いていた。
「兵を5層で戦わせておいて、我々が安穏としていても兵はついてこない」
「いいねぇ」
オドが声を上げて笑った。
「一軍の将の心構えとしちゃあ、満点だ。だが」
声のトーンが変わる。
「そのせいで兵が苦労しちゃあ、本末転倒だ。お分かりかい?」
「ああ。そこは慎重に立ち回るつもりだ」
かなり無礼なオドの物言いにも、エウォルはにこやかに応じた。
「とりあえずは承知したが、10人以上も寝る場所は確保できませんぞ」
村長が言う。キャラバン用の宿舎はあるが、今空いているといっても、そこを使うわけにはいかない。
「天幕も糧食も持ってきています。おいおい、村の近くに拠点と畑でも作るつもりですが」
「居つく気満々じゃねぇか」
オドが呆れたように言った。