2.
ひゅう、と矢羽が大気を裂く音。それが戦闘の始まりだった。
「――――!」
驚愕する思考とは裏腹に、シウスは無意識の内に体を捻り、致命の一矢を回避していた。
正確無比にシウスの額を打ち抜くはずの攻撃は、的を失い、整備された街道の彼方に飛んで行く。
(こんな序盤から、遠距離攻撃を使うモブがいるのか)
シウスの現在地は、最初の街<央都アウレリア>から東に2キロと離れていない郊外だ。
VRMMO<クロスガイア>の舞台となる十字形の大地は広大で、公式ホームページの情報では、総面積は40万平方キロメートルに達するとされる。
例えアバターが2キロ進んだとしても、蟻の歩みのようなものだ。
(なかなかシビアだな。それなら……)
懐に踏み込んで切り伏せてやる――そう考えて、ショートブレードを呼び出した。
即座に、敵の姿を確認すべく目を凝らす。捕捉対象は容易に見つかった。
「え……?」
忠は再び驚いた。相手がモブではなかったからである。
街道の外れ、雑草の生い茂った一帯に、少女は佇んでいた。
敵意に満ちた青い瞳がシウスを貫き、吹き抜ける風が銀糸の長髪を大きく靡かせた。その姿は、ゴシック調の白い衣装と相まって、可憐な妖精を連想させる。
アバター自体の造形も綺麗だった。整った目鼻立ちに、すらりと長い肢体。肌はきめ細かく、その色彩は新雪のようだ。
好き好んで不細工なアバターを使用するプレイヤーはロールプレイヤー以外ほとんど存在しないので、当たり前ではあるのだが。
「…………」
少女は弓に矢をつがえて、シウスに狙いを付けたまま動かない。
CGの基本職において、弓を装備できるのは<狩人>のみ。よって、少女の職業は自動的に<狩人>と確定する。
<狩人>が装備可能な近接武器は、一部の剣と槍、そして短剣。武器を持ち替えてのカウンターに注意するならば、リーチの長い槍を警戒すべきだ――
(どうでもいい……そんなことは……)
熱に浮かされたような思考で、シウスは少女を見やった。
アバターの美しさに魅了された――わけではない。
先程の神業じみた一矢に感銘を受けたわけでもなかった。
重要なのは、<クロスガイア>が仕様として、PKを禁止しているという一点にある。
(あいつ、違法プレイヤーだ……!)
PKを全面的に禁止しているVRMMOで、PKを行う手段の例としては、EEGRの改造が挙げられる。
特定の脳波をサーバに送らないようVR機器に改造を施すと、サーバ側からの強制ログアウトが不可能になるどころか、警告メッセージさえ出現しなくなるのだ。
言うまでもなく、違法行為である。
関連する事案として、西暦2083年にリリースされた、世界初のVRMMO<パラレルワールド・オンライン>が、サービス中断に追い込まれた件がある。
これは、違法改造したEEGRを売りさばく悪質な業者が発生し、プレイヤーの安全を確保することが難しくなったために起きた事件だ。
「何をやってるんだ貴方は! そこまでしてPKするなんて、恥ずかしくないのか!」
「え……」
剣士の一喝に、少女は戸惑った様子で目を泳がせる。その態度はシウスをさらに苛立たせた。
シウスは決してPKを否定しない。エリアの探索に緊張感を与えたり、プレイヤー同士が鎬を削り合い、互いに高め合うこともできると、利点さえ認めている。
しかし、それはPKが仕様として存在するゲームでの話だ。
しかも、<クロスガイア>の拠点には<闘技場>というPvP専用の施設がある。プレイヤー同士で戦闘を行いたいのならば、そこへ行けばいい。
「システムウィンドウ!」
シウスは音声認識でメニュー画面を呼び出すと、悪質なプレイヤーの存在を運営に知らせるべく、透き通った空間投影ディスプレイを操作する。
(<スクリーンショット>と<GMコール>は……)
<テレポート>、<パーティー>、<ステータス>、<アイテムインベントリ>――そこまで探したところで、少女が動いた。弓を下ろし、ゆっくりとこちらへ近づいて来る。
現実の忠が装着しているEEGRは、市販の商品だ。当然、PK禁止エリアで他のプレイヤーを攻撃することはできない。このままでは一方的にPKされてしまうだろう。
(くそ、一か八か!)
「あの、あなたはメールを――」
少女の言葉を待たず、シウスは手の中のショートブレードを消して疾走した。
(武器を使わない攻撃なら……!)
驚異的な脚力で1秒と経たずに女狩人に肉薄し、白衣の胸倉を掴み――
「きゃぁぁぁぁ!?」
――そのまま、背負い投げた。
受け身を取ることなく、背中から勢いよく地面に叩き付けられ、少女の頭上に出現したHPバーが二割ほど減る。
どうやら、投げ技ならば、警告を無視できる仕様のようだ――
そう考えたところで、違和感を覚える。
(……あれ? 警告メッセージすら出ないって、おかしくないか?)
シウスはサーバ側からの強制ログアウトも覚悟して、今の行動を起こしたのだ。だというのに、アバターが停止することも、PKに対する警告もなかった。
眼下の少女をまじまじと見つめる。さかさまの美貌が、じいっと見つめ返して来た。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が流れる。
自分は、何かとんでもない勘違いをしていたのではないだろうか。
シウスがそう思い至ると、少女はそんな内心を悟ったように嘆息した。
「あなた、メール読んでませんね」
◆
『FROM 運営チーム
TITLE デスゲーム実施のお知らせ
この度は、<クロスガイア>をプレイしていただき、誠にありがとうございます。
以下の日時において、デスゲームを実施することを宣言させていただきます。
実施期間
2105年3月28日(土)10:00~クリア条件が満たされるまで
仕様の変更
・死亡時の拠点復活、蘇生アイテム、蘇生魔法の廃止
・ログアウト、GMコール、外部へのメール、スクリーンショットの廃止
・拠点エリア外におけるPKの解禁
・強力なエリアボスの配置
なお、実施期間の長期化による肉体の衰弱につきましては対応しかねますので、あらかじめご了承ください。
今後とも、<クロスガイア>をよろしくお願いいたします』
◆
<央都アウレリア>の郊外、街道の外れにぽつりと立つ大樹の下で、二人のプレイヤーが悩ましげな様子で空間投影ディスプレイを眺めていた。
一人は革鎧を装備した<剣士>シウス。もう一人は白いローブを纏った<狩人>ノイエ。
時刻は正午を回ろうとしていた。現実と同期した太陽の日差しは、初春といえど暑苦しい。二人が日陰を求めるのは自然の流れだった。
「うーん……」
シウスはふざけた文面のメールを読み終わると、<メールボックス>を閉じた。
道理で、<スクリーンショット>も<GMコール>も見つからないはずである。知らぬ間に仕様が変更されていたのだ。
「デスゲームって、いわゆるあれですよね。アバターが死んだら現実のプレイヤーも死ぬっていう」
「……現時点では、そう判断せざるを得ないと思います」
ノイエは重苦しい雰囲気で同意する。
先の戦闘は、互いの勘違いが原因だった。デスゲームを宣告するメールを確認し、疑心暗鬼に陥ったノイエがシウスをPKと思い込んで先制攻撃し、逆にシウスはノイエを改造EEGRを扱う違法プレイヤーと思い込んで応戦したのである。
誤解も解け、謝罪と自己紹介を交わした二人は、現状を整理すべく、意見を述べ合っていた。
「エイプリルフールにはまだ早いですし、事実でしょうか?」
「分かりません。自分で試す気になれない以上、他のプレイヤーの死亡を待つことになるかと。残酷ですが、仕方ありません……」
ますます暗くなる少女を案じ、シウスは話題の転換を試みた。
「……<スクリーンショット>が廃止ということは、現実の俺達の体とサーバとの通信は途切れている可能性が高いと思います。あれはサーバに保存されるアバターデータと違って、プレイヤーの計算機に保存されるものですから」
「計算機?」
「パソコンのことです。電卓じゃないですよ?」
一拍おいて、シウスは続ける。
「そう考えると、外部へのメールが不可能なのも頷けます。俺達は意識のみサーバに閉じ込められている状態でしょうから、外部とは隔絶されている……」
「――なるほど。ここから脱出するには、まず肉体との脳波通信を回復させなければならないわけですね」
「理解が早くて助かります」
暫定的ではあるが、現実への帰還方法を見出したことで、ノイエの表情が和らいだ。対するシウスも心の隅で一安心する。
「ですが、その方法が問題ですね。運営がデスゲームを主催している以上、外部に現状を伝えるのは、ほぼ不可能と見るべきでしょう。同じVRMMOをプレイしていたユーザーが同時期に倒れたとなれば、関連が疑われるとは思いますが……」
意識不明者が多発すれば、当然ニュースになって然りだ。特に今日は<クロスガイア>のサービス開始日である。平日よりも多くのプレイヤーがログインしていたことは想像に難くない。
日本国の総人口は、2104年時点で一億五千万人。MMO人口は総人口の10パーセント程度と言われているため、単純計算で千五百万人。
その中の0.05パーセントが<クロスガイア>にダイブしていたと仮定しても、七千五百人ものプレイヤーがこのサーバに閉じ込められていることになってしまう。
「運営も無能ではないでしょう。ソフトウェアではなくハードウェア――VRダイバーの不具合だと、問題をすり替えることだってできる。警察の操作が始まったところで、あらかじめ用意しておいた偽のサーバで時間を稼いでいる内に、証拠隠滅も可能なはずです」
「…………」
ノイエの冷静な指摘に、シウスは返す言葉がない。全く同じ懸念を抱えていたからだ。
しかし、彼女の思考力に舌を巻く自分がいたのも確かだった。
(この人は、信頼出来る……)
運営によるデスゲームの告知という異常事態に遭って、正常な判断能力を保つことがどれほど難しいことか。事実、ノイエはシウスを勢いのままに狙撃している。
それから十分も経たない内に、落ち着きを完全に取り戻すなど、非凡極まりない。
シウスが感心している間に、ノイエは「システムウィンドウ」と呟いてメニュー画面を呼び出す。どうやら<テレポート>を選択するようだ。
「行きましょう、シウスさん」
「ノイエさん? 行くってどこへ……」
「<央都アウレリア>です。拠点外でのPKが可能になったとしても、拠点内はPK禁止のままだと思いますから、大勢のプレイヤーが避難しているはずです」
「情報収集ですか。それは構いませんが……」
ノイエはシウスと共に行動することを前提に話を進めている。それが気掛かりだった。
白衣の狩人は、困惑する青年剣士の目を正面から捉えて微笑んだ。
「あなたはVRMMOに精通していると推察します。戦闘面でも、知識面でも」
「……まあ、多少は」
「この事態を打開するには、あなたの力が必要です。協力しては頂けませんか?」
少女は、やわらかな陽だまりのような笑顔のままで、右手を差し出した。
その手は小さく、骨ばったところのない指は、か弱ささえ感じさせる。
しかし、内に秘める熱さは、離れていても伝わってくるようで――
シウスはしばし逡巡する。自分は、彼女の手を取るに値する人間だろうかと。
(ノイエさんは、本気でデスゲームを終わらせるつもりだ……)
気高き少女の苛烈な覚悟に、孤独に怯える卑小な男が、どれだけ応えられるだろう。
LFのトッププレイヤーだったという自負はある。だが、CGの世界で、そんなものは石ころ程度の価値しか持たないのではないか。
そもそも、こんな非現実的な事態はありえない。全て夢だ、逃げてしまえと理性が叫ぶ。
この木陰から抜け出して、モブ狩りに精を出すのが、お前にはお似合いだと本能が嗤う。
(――それこそ、ありえない)
年下であろう少女を放っておいて、自分だけ安全を貪るなど、プレイヤー以前に人間として恥ずべき行為だ。
そんなことをすれば、今まで己を導いてくれた博孝に、一緒に語り合ったギルドの仲間達に、合わせる顔がないではないか。
決断してからは、早かった。シウスはノイエの手を取り、微笑み返す。
「俺にも、貴方の力が必要です。是非、協力させて下さい」
「よかった……これから、よろしくお願いしますね」
安堵の表情を浮かべるノイエは、一つ頷くと<テレポート>から<央都アウレリア>を選択し、空間投影ディスプレイにそっと触れた。
シウスもそれに倣って<テレポート>を使う。拠点に配置された転移ポイントまでは、一瞬で移動できる。
<クロスガイア>からの脱出は、間違いなく長く、険しい道のりになる。
しかし、互いに認め合う仲間を得た彼らは、その一歩を着実に踏み出していた。