1.
澄み切った青空の下、緑豊かな大地が広がる。人の手が入っていないことを容易に想像させる自然は、空気の匂いからして、現実の狭苦しいビル街とはかけ離れていた。
最新のVR技術を駆使して構築された仮初の世界は、碓氷忠の目にも美しく映った。
道端の木々は日差しを受けて木陰を作り、踏みしめる芝生は足裏から確かな感触を与えて来る。自分の息遣いさえ、聞き取ることが可能だった。
アバターの操作感も良好で、全体的に素晴らしいクオリティである。
「…………」
それなのに、忠はどこか味気なさを感じていた。四か月前までプレイしていたLFと、今まさにプレイしているVRMMO<クロスガイア>――通称CGを比べれば、後者のグラフィックの方が出来がいいと断言できるにもかかわらず。
何故、と考えるまでもない。答えは既に決まっている。
(――独りだからか。こんなに、つまらないのは)
気心の知れた仲間がいない。それが、ひどく悲しかった。
幼少時に、祖父との死別を経験した時を思い出す。まるで世界が色彩を失ってしまったかのような、筆舌に尽くし難い喪失感は、今の心持ちに似ていた。
忠はギルド解散を告げられてから、博孝に電話を掛けることはなかった。ギルドの仲間達と一緒に過ごした日々が、戻ってこないことを再確認するようで、どうしても躊躇われたのだ。
「はぁ……」
結果として、博孝に嘘をついてしまった。臆病さが喉を逆流し、ため息に変わる。
「うわぁぁぁ!」
突然の悲鳴が、鬱々とした気分を吹き飛ばした。忠は思考操作で自らの初期武装であるショートブレードを右手に呼び出すと、柄の感触を確かめながら駆け出した。
その眼光は鋭く、足取りに迷いはない。訓練された軍人を思わせる迅速さで、忠はアバター・シウスを操り、悲鳴の下へ一直線に向かって行く。
(――見えた)
10秒もしない内に、モブに囲まれているプレイヤーを発見した。接近して、闇雲に槍を振り回していることから、VRMMO初心者であると推測される。
「何やってんだか……」
槍という武器は、間合いを取ってこそ真価を発揮する。長いリーチで相手の接近を許さず、一方的に攻め立てることができるから強いのだ。
(アバター作成時の武器選択で槍を選んでおきながら、接近戦を行うとは――)
何とも可愛らしい失敗だった。苦笑と共に踏み込んで、攻撃態勢に入る。
僅かな硬直の後、シウスのスキルが発動した。
「<クロスエッジ>」
CGの基本職の一つ、<剣士>が最初から使えるスキル<クロスエッジ>は、威力こそ通常攻撃の1.5倍程度しかないが、攻撃後の隙が小さく、扱いやすい。
袈裟切りからの逆袈裟切り――交差する二連撃を背後から受けて、狼型のモブ・ダイアウルフ一体が、白い粒子状の光をまき散らして消滅した。
流血表現の代替が妙に幻想的で、シウスは思わず笑ってしまう。
「助太刀します」
「は、はいっ!?」
革製の軽装――シウスと同じ初期装備だ――を身に着けた少年は、突然の救援に素っ頓狂な声で応じた。
「落ち着いて距離を取って。俺がモブのHPを削りますから、とどめはお願いします」
「とどめって――」
「<クロスエッジ>」
少年が質問する前に、もう一体ダイアウルフが霧散する。残り三体のモブはシウスを取り囲み、一斉に飛び掛かった。
しかし、絶妙のタイミングで放たれた回転切りが、それら全てを迎撃する。敵の行動ルーチンを把握していなければ不可能な芸当だ。
シウスはCGのサービス初日にして、既にモブの攻撃を完全に見切っていた。
「……これくらいか?」
ダイアウルフ三体の頭上に浮かぶHPバーを残り三割程度まで削ると、シウスは攻撃を止めた。初心者らしき少年の方を向き、空いた方の手でモブを指差す。
「しっかり間合いを取って戦えば、怖い相手じゃありません。やってみて下さい」
「は……はぁ……」
片手間に攻撃を避けながら言う剣士に、若干引き気味の返礼をして、少年は槍を構える。シウスが誘導した敵に槍を突き入れると、驚くほど簡単に消滅した。
「……こんなに柔らかかったのか」
「私見ですが、当たり所でダメージが変化する仕様だと思います。ダイアウルフなら尻尾の付け根と、首筋と、眼球付近が弱い、といった風に」
「あの……正直グロいっす」
モブを葬り去った少年は、辟易とした様子でへたり込んだ。額にはびっしりと汗を掻いている。肉体的な疲労ではなく、精神的な疲弊が大きいのだろう。
厳密には、仮想空間のアバターが実際に疲れているわけではない。VR機器によって、脳が錯覚を起こしているだけの話だ。
戦闘が終了したことで、二人の武器が自動でアイテムインベントリに収容される。銃刀法に配慮した仕様だった。
「最近のVRMMOって、こんなリアルなんすか? 夢に出て来そう……」
「昔はPTSDを発症する人が結構いましたよ。今は規制が進んで、残酷表現はほとんどなくなってますけど」
「――えっと、何だって?」
「ストレス障害のことです。VRゲーム……特に全感覚没入型は、現実と変わらないくらいリアルですから、PKされたプレイヤーが人間不信になったり、女性ユーザーにハラスメント行為を働いたりするプレイヤーが問題だったんです」
「うわぁ……聞きたくねぇ……」
心底嫌そうな顔をする少年に、シウスは続ける。
「まあ、今はEEGRが進歩したおかげで、そういう問題は少なくなりましたね」
「EEGRって、リアルの俺が頭に着けてる奴?」
「ええ、そうです。VRダイバーと言った方が分かりやすいですか?」
EEGR――エレクトロエンス・ホログラム・リーダーとは、VRゲームのプレイに必要不可欠な電子機器である。プレイヤーはEEGRを頭に装着し、脳波を介した通信を行うことで、仮想の世界に入り込むことができるのだ。
EEGRは、文字通り脳波を読み取るため、プレイヤーが規約やモラルに反した行動を取ろうとすると、当然それを感知する。VRMMOの場合、サーバがそのような信号を受け取った瞬間にプレイヤーの行動を停止させ、警告を行う。それでも止めないようならば、強制的にログアウトさせてしまうのである。
「あれ? でも、それだと意図しないラッキースケベは防げないんじゃ……」
「残念ながら、防げません。ですから、十分に注意してください」
何を妄想したか、にやにやする少年に「訴えられても知りませんよ」と釘を刺して、シウスは背を向けた。
仲間恋しさに、初心者相手に長々と講釈を垂れてしまった自分が情けなかった。いたたまれなくなって、足早にその場を去ることにする。
「あ、あのっ! ありがとうございましたっ!」
「――いえ、どういたしまして」
去り際に掛けられた言葉が気恥ずかしくて、素っ気ない対応になってしまう。
ふと、五年前のことを思い出した。
LFで、初めて博孝に出会った時、彼の様子は今の自分のようだった気がする。
(少しは、近づけたのか……?)
遠い背中と、<世界樹の木陰>での日々は眩しく、色あせないまま、シウスの中に残っている。この先、何があろうとも、決して忘れることはないだろう。
「でも……それにしがみ付いてたら、怒られるよな」
博孝は、ギルドメンバー達が過去に縛られることを望んで、ギルド解散を決断したわけではない。
彼が望んだのは、皆が前を向いて歩いて行くこと。シウスはそう信じている。
「ん? モブか……」
10メートル前にポップしたモブを見つけ、再びショートブレードを手にする。
シウスの心に、もはや陰りはない。爽快な気分で、敵目掛けて駆けて行った。




