プロローグ
『解散、ですか』
携帯電話越しに伝わる声は、明らかな落胆を含んで、耳に届いた。
(無理もないよな……)
木塚博孝は、自宅マンションのリビングでソファに腰かけながら、今日何度目かのため息をこぼす。壁時計に目をやると、2時30分を指していた。
昼食後、ギルドメンバー達にギルド解散を告げると決めて、はや一時間半。
電話を一本入れるたびに暗澹たる気持ちになり、携帯電話のボタンを押す指が動かなくなってしまう。結果、未だメンバーの半分としか話せていなかった。
――あと四人も残っているんだ。しっかりしないと――
心を奮い立たせて、何か言わなければ、と言葉を模索する。しかし、一度止まってしまった口は、凍り付いたかのように上手く回らない。
リビングの窓枠から覗く曇天は暗く、博孝の内面をそのまま映していた。
『他のVRMMOには、移らないんですか?』
博孝が悩んでいる内に、その空気を感じ取ったのか、相手の方から話を切り出して来た。安堵と情けなさの狭間で、返答を行う。
「……残念だけど、そうなる」
『仕方ありませんよ……あんなことがあったんですから……』
慰める声は、空しく鼓膜を叩いた。
西暦2104年12月3日。
株式会社ワンダー・プランニングの運営するVRMMO<ラビリンス・ファンタジア>――通称LFのサーバ・データが消失した。
入れ替わりの激しいMMO業界で、九年もの間プレイヤーに愛されたLFは、予想だにしない形でサービスを終了することになる。
大型タイトルの突然の閉幕に、インターネット上では批判の意見が噴出し、公式サイトの掲示板は、見るも無残に炎上した。
一部のプレイヤーは、損害賠償を請求する用意を始めていると、博孝は聞いている。
(そこまでする気にはならないけど……)
博孝もLFのプレイヤーであり、自分を含めて十人の小さなギルド<世界樹の木陰>のギルドマスターを務めていた。だが、LFがサービスを終了した今となっては、その肩書もどこか寒々しい。
博孝にとっては、杜撰な運営への怒りより、空虚さが強かったのだ。
「僕は……LFのデータが消えるなんて考えたこともなかったし、ギルドのみんなと一緒にいるのが当たり前だと思ってた。でも、そうじゃなかった」
『リーダー……』
「みんなが僕を支えてくれていたから、今までやって来れたのに、僕は何も……何も返せないまま――」
言葉に窮して、また何も言えなくなる。
博孝の決断は、ギルドメンバーへの裏切りとも言える行為だ。楽しかった日々は輝かしく、いつまでも続く幻想を抱かせた。故に、燃え尽きて灰燼に帰した過去は苦く、末期の走馬灯のように脳裏をぐるぐると駆け巡る。
(女々しいな……)
博孝は内心で自嘲する。どれほど願っても、過去は戻らないし、VRMMOにここまで入れ込むなど社会人として褒められたものではない。
それでも、忘れることはできなかった。LFは、本当に楽しかったから。
『――俺、楽しかったです』
博孝の想いを代弁するように、携帯電話から声がした。デジタル通信による合成音声とは思えない、温かみのある声だった。
「碓氷くん?」
『<木陰>のみんなと冒険できて、嬉しかった』
「……うん」
『ただ、話しているだけで満たされる、最高の仲間だった』
「うん」
『メニュー画面の呼び出し方も分からずに、右往左往していた俺を誘ってくれた時のこと、覚えてますか?』
「もう、五年になるかな。あの時の初心者が、今やトッププレイヤーなんだから、VRMMOって、面白いよね」
自然と笑みがこぼれる。電話相手はLFで他のプレイヤーから<外道剣士>という渾名を賜るほど戦闘が強かったのである。そのことでギルドメンバーにからかわれるのが日常茶飯事だった。事実、博孝もよくネタにしていたのだ。
「碓氷くんは、別のMMOに移動するのかい?」
『ええ。MAS社の<クロスガイア>というVRMMOが三月の終わりに始まるらしいので、そっちに移る予定です。しばらくは無料期間なので、気が向いたら顔を見せて下さい』
『何だか、宣伝してるみたいですね』と笑う声は晴れやかだ。
相手の気遣いを感じ取り、博孝は三度沈黙する。心地よい静寂が、しばし続いた。
『今まで、本当にありがとうございました。……また、電話します』
「うん。またね」
ぷつりと電話が切れる。相手の理性的な対応に、ほうっと息を吐いた。
独りきりのリビングに、壁時計が時を刻む音が反響する。
一方的なギルドの解散。罵倒されても仕方ないと思っていた。それなのに、今まで電話を掛けた五人は、誰一人として博孝を責めなかった。
――だからこそ、余計に申し訳ないのである。
(本当に、仲間に恵まれてたんだな、僕は……)
今更気付いた自分の愚かしさに、携帯電話を思い切り床に叩きつけそうになる。
振り上げた右腕は――既のところで、止まった。
「……まだ、終わってないや」
あと四人、電話を掛けるべき相手がいる。<世界樹の木陰>のギルドマスターとして、最後まで仕事を投げ出すわけにはいかない。
それが、博孝の、ふがいないギルドマスターを支えてくれた、最高のギルドメンバー達への、せめてもの贖罪だった。