カサンドラの後悔③
身一つでスピナー公爵家から追い出されたわたくし。そうして、隣国の見知らぬ貴族のもとへと嫁ぐことになった。わたくしの夫となった男は、田舎貴族にしてはなかなか見目がよく、身に着けている品々も上質なものばかりだ。
ふうん、悪くないわね。
追放後の悪役令嬢が美男子に溺愛される、という展開は鉄板よね?
ここからゲームの強制力が消え、悪役令嬢カサンドラの幸福な人生が始まる……うん、素敵だわ。
その美男子が田舎貴族というのはイマイチ気に入らないけど……。
どうせなら隣国の王太子とか第二王子とか、王族がよかったわ。
まあでも、贅沢は言ってられないわよね。田舎貴族でも綺麗な顔をしているから、我慢してあげるわ。
そうやって折り合いをつけたというのに、夫が最初にわたくしにかけた言葉は信じられないほど酷い。
愛することはないですって……? 高貴なわたくしになんて無礼な!
「僕のように妻にできない身分の恋人がいる男には、君のような仮初の妻が必要だ。だからロバス公爵から君を金で買ったんだよ。公爵は君をどう扱っても構わないと、何があっても絶対に国に帰さないでくれと僕に頼んできた」
「何ですって……? お兄様がそんなことを……!? 嘘よ!」
「え? ……何で嘘だなんて言えるんだ? 呆れたな……ここまで罪悪感をもたないとは」
夫は信じられない者を見るような目をわたくしに向けた。
「王太子殿下の婚約者としての役割も果たさない、婚約者のいる令息に擦り寄って彼等の婚約を壊す。大商会を怒らせて取引停止を言い渡される……。いや、すごい悪行だね。君に比べたら僕の『君を愛さない』という発言も可愛いものだ」
「違うわよ! それはわたくしが破滅しないために、仕方なく……!」
「は? ……うーん、よく分からないけど、つまり君は、自分以外はどうでもいいということだよね?」
「………………え?」
男の発言に一瞬言葉を失った。
それと同時に心臓が鷲掴みにされるような心地に襲われる。
「な、何を言って……そんなわけ……」
「いや、だってそうでしょう? 君は自分がその……破滅? それをしたくないから、他の人間の人生を壊して回った。そして、そのことに対して罪悪感を覚えるどころから当然だと思っている。……いや、すごいね。流石の僕でも妻を名ばかりの存在に置くことに罪悪感を覚えたのにさ」
「大袈裟なこと言わないで! わたくしのせいで婚約が壊れたからって……その人の人生までもが壊れたわけじゃないわ!」
そうだ……別に婚約が壊れたくらいで何だと言うのだ。
レオナなんてクリスとの婚約が壊れたおかげで王太子の婚約者になれたのだし、むしろ幸福になったではないか。
「本気で言っている? 君に侍っていた令息は家から勘当を言い渡されているし、婚約が壊れた令嬢側にも婚約破棄なんて望んでいなかった者がいるんだよ。ねえ、パティ?」
夫が親しみを込めた愛称で、メイドを“パティ”と呼んだ。
わたくしの腕を掴んでいるこの無礼なメイドを。
「仕方ありませんよ、旦那様。この女は自分以外なんてどうでもいいし、興味もないんですから。こんな女のせいで私は……私は……エドと……」
俯いてはらはらと涙を流すメイド。
そんなメイドの肩に夫は優しく手を添える。
「パティ、君はまだ元婚約者のことを……?」
「ええ、勿論です……。ずっと忘れられません……」
主人と使用人とは思えないほどの親しい距離感。
もしやこの無愛想なメイドが夫の恋人なのかと訝しんだ。
すると夫はメイドに向けていた心配そうな表情から一転、蔑むような視線をこちらに向けた。
「もしかして、彼女が私の恋人だと思ってる? 違うよ、私とパティは従姉弟なんだ。というか、彼女の事、誰だか分からないの?」
このメイドが誰かって? こんな無礼なメイドがわたくしの知り合いなわけないでしょう!?
夫の呆れた声にカッとなり睨みつける。
すると今度はメイドが侮蔑を含んだ目で睨み返してきた。
「……呆れた。自分の国の貴族令嬢の顔すら知らないとはね? 仮にも王太子殿下の婚約者だったのなら、国内の貴族の顔と名前くらい全部頭に叩き込んでおきなさいよ」
「はあ!? アンタいったい誰なの? 何でアンタにそんなこと言われなきゃならないのよ!」
「私が誰ですって? 私はねぇ……貴女が誑かした宰相の子息、エドワードの元婚約者よ! 貴女さえ……貴女さえいなければ……私はエドと結婚できたのに……!」
己の胸にある怒りをそのままぶつけるような叫びに唖然とした。
宰相の子息のエドワードですって……?
「エドワードの元婚約者が、なんでこんな所でメイドをやっているのよ?」
彼の婚約者は確か子爵家の令嬢だったはず。
この女は随分と彼にベタ惚れのようだけど……彼はいつもアンタのこと『地味だ』と悪し様に罵っていたわよ?
「パティはね、僕と同じで一途なんだ。元婚約者以外とは結婚しないと、頑なに縁談を拒否していたら家から追い出されてしまったんだよ。彼女は嫡女だったにも関わらずね。……結局パティの家は親類から養子をとったようだ。それで、行くあてがなくなった彼女を私がメイドとして雇ったというわけさ」
また涙を流し始めたメイドの代わりに夫が答えた。
「……貴族の義務を果たさないなら、追い出されても仕方ないじゃない」
「それ、君が言う? 婚約者の責務も果たさず、貴族令嬢にあるまじき奔放さで数々の男の間を渡り歩いた君が?」
「ふしだらな女扱いしないでちょうだい! 彼等とは別にそういう関係じゃないわ!!」
「誰が信じるのさ、それ。まあそれはともかくとして……君が貴族の義務さえ果たしていたら、パティはこんな目に合わなかったんだよ? 可哀想なパティ。愛する人の妻となり、子爵夫人として優雅に暮らすはずだったのに……」
「わ……わたくしが全て悪いみたいに言わないで! 婚約者を大切にしないエドワードが悪いんじゃないの! そして彼女を追い出す子爵家が悪いのよ……!!」
そうよ、わたくしだけのせいじゃない……!
婚約者を大切にしない不誠実な男達や、娘を政略の駒としか見ない非情な親にも罪はあるわ……!
「……うーん、もしかして君さ、現実を見るのが怖いの?」
「は……? な、なにを言ってるのよ……?」
全てを見透かすような鋭い瞳がわたくしを射抜く。
その目には暴かれたくない部分を知られているような、何とも言えない居心地の悪さを感じてしまう。
怖い。この目にこれ以上見られたくない……。
「君が、君の我儘で沢山の人を不幸にしたという現実をだよ。君の家族、君の友人だった男達、そしてここにいるパティ。断言できる、彼等は君と関わらなければ不幸にはならなかった。確かに先ほど君が言ったように、君だけが悪いわけではない。だが、そもそもの原因は君だ。君が公爵家の名に相応しい淑女であったなら、そんなことにはならなかったんじゃないか?」
「ち、ちが……そんなはずない! だって、だって……」
だって元のカサンドラは高慢で傲慢で……あのままだったらゲームの展開通りに王太子に断罪されるはず……。
いいえ、待って……それは……本当にそうかしら?
ここは確かに乙女ゲームの世界そっくりだけど……全部がそのままというわけではないわ。
ヒロインのアイリスは既にネイサンと結婚していたし、そうなると他の攻略対象と出会うこともないわよね?
レオナは……カサンドラと友人関係にすらなっていないし。
そもそも、元のカサンドラならば、甲斐甲斐しく王太子に尽くし、王妃教育に励んで……。
そのまま……王太子妃になっていたかもしれない……。




