エピローグ
「スピナー公爵令嬢が、先日隣国に嫁いだらしいよ」
王宮内にあるサロンにて午後のお茶を頂いていると、ふと思い出したようにアルフォンス様がそう告げた。
「まあ! お早い嫁入りですね? アルフォンス様に謁見してからそう日数も経っていないのに」
「厄介払いだろう。王族にあそこまで噛みつくような狂犬をいつまでも飼っておきたくないと、まともな貴族ならそう思うさ」
「ああ、あの時の彼女は相当……苛烈でしたものね」
彼女の言動は、公爵家の令嬢とは思えぬほど無礼極まりないものだった。
スピナー家の淑女教育をどうなっているのだろうか。あれで王太子妃にするつもりだったのかと、先代公爵の正気を疑う。
「お相手はどんな方なのでしょう? 苛烈な女性がお好みなのかしら……?」
「うーん、相手の好みは分からないけど、どうやら妻には出来ない身分の恋人がいるらしい」
「まあ……ということは、名ばかりの妻になるということですか?」
「おそらくはそうだろうね。お相手はかなりの資産家らしく、スピナー家の慰謝料で積もりに積もった借金を全部肩代わりしてくれたそうだ。しかも持参金は不要と言われたようで、公爵は喜々として嫁に出したようだよ。身一つでね」
「身一つ……ということは、嫁入り道具もなしですか。しかも持参金もなし……。妻として丁重に遇されずともよい、ということですね」
持参金もなく、嫁入り道具も持たない花嫁がどんな扱いをされるか。
公爵がそれを知らないはずがない。
どんな酷い扱いを受けても構わない、という意思をひしひしと感じる。
「あれだけ様々なことをやらかし、家まで傾けたんだ。どんな扱いをされても文句は言えないだろうよ」
「そうですね。その通りです。彼女のせいで多くの婚約が壊されましたもの……。しかもそれが彼女の妄想によるものだなんて……。結局、あの話はいまひとつ理解できませんでしたわ」
「ああ、アレね。聞くにたえない酷い妄想話だったよ、報告書を作成にするのに大分苦労したな。先代公爵や現公爵に聴取して……昨日やっと終わったんだ。荒唐無稽な話だけど、聞くかい?」
「それはお疲れ様でございます。ええ、お聞かせいただけるのでしたら、是非」
アルフォンス様は優雅な仕草でお茶のカップを傾け喉を潤すと、あの話の詳細を語り始めた。
*
「彼女はどうやら……本物のカサンドラ・スピナーではないらしい」
「えっ……? どういうことですか?」
驚いた私は思わずカップを落としそうになってしまった。
「それは……誰かが彼女に成り代わっていた、ということですか? それなら、本物の彼女はどこに……」
「いや、他人がスピナー公爵令嬢に成り代わっていた、というわけではないらしい。……信じがたいが、どうも……彼女の肉体に別人の魂が入り込んだらしい。しかも、この世界とは別のな」
「……別人の魂!? しかも別の世界の? どういうことです!?」
まるで物語の世界の話をされているようで、理解が追い付かなかった。
スピナー公爵令嬢の体に、別人の魂が入り込んだ? そのような非現実的なことが起こり得るとは、到底信じられない。
「驚くよね。この話を聞いた時、私も君のような反応をしたもの。それで彼女は自分を『転生者』と自称していたそうだ」
「『転生者』……? それは……肉体を乗っ取る人をそう呼称しますの?」
「おそらくそのようだね。しかも彼女はこの世界を『乙女ゲーム』の世界だと、それで私や君はその『ゲーム』の『キャラクター』だとも言っていた」
「ああ……確かにそうおっしゃっていましたね。ここは恋愛遊戯の世界で、わたくし達はその遊戯上の登場人物だと。そしてその遊戯の展開では、彼女は必ず国外追放の憂き目にあうとも……」
「そう、どうもその遊戯上では私は婚約者を蔑ろにし、教育から逃げ、アイリス嬢に現を抜かす凡愚らしい。しかもアイリス嬢を妃にしたいがために他の令息と結託し、婚約者を勝手に断罪するような人間の屑だと」
「アルフォンス様がそのような自分勝手で傲慢な愚者扱いされるなんて許せませんね……。貴方様は優れた君主となられる器をお持ちの素晴らしい御方ですのに……」
アルフォンス様は勉学においても剣術においても優れ、馬術やその他どの分野でも教師に称賛されるほどの才の持ち主。己の責務と立場をよく理解し、無礼な態度の婚約者にも礼を尽くそうとするような誠実な方なのに。
「ふふ、レオナにそう言ってもらえると嬉しいなー」
「あ、ちょっとアルフォンス様! わたくしをお膝に乗せるのはお止め下さいと……」
「でも、こうしてレオナに触れていないと私は元気が出ないんだよ。夫を癒すのは妻の務めだし、ね?」
「まだ夫婦ではありませんわ……」
嬉しそうに私を抱き締める最愛の方を目にすると何も言えない。
恥ずかしいのはやまやまだが、彼に甘えられるのは存外心地よいのだ。
そのまま彼の好きにさせたいと思ってしまうほどに。
「彼女はこの世界がその恋愛遊戯の世界だと信じていたのですね。だから発言や行動がちぐはぐだったのかしら……。アルフォンス様を愚か者と決めつけたことも、交流すらないわたくしを友人と称したことも、アイリスをやたらと目の敵にしたことも。全て彼女の思い込みによってなのですね」
「そうらしいね。その恋愛遊戯の世界では、男性の登場人物は皆アイリス嬢を好きになるらしい。私やロバス子息も含めた高位の令息は彼女を一目見た瞬間、恋に落ちるとか。そうそうレブンス商会長もだね」
「確かにアイリスは可愛らしい容姿をしていますけど、性格の違う男性全員が好きになるなんて、そんなことあり得ますかね? ああ、そういえば……アイリスの店でスピナー公爵令嬢がレブンス商会長にこうおっしゃっていたのですよ。 『貴方は自分よりも出来のいい弟に嫉妬し、腐っていたところをヒロインに慰められて魅了されたんでしょう?』と。もしかしてその恋愛遊戯の世界では、アイリスが殿方達の憂いを無くすことによって絆が深まっていたのでしょうか?」
「レオナは賢いな、その通りだよ。どうやら私を含めた令息達はそれぞれの悩みをアイリス嬢に解決してもらうことで彼女に心酔するらしい。……貴族が己の弱みともいえる悩みを晒すような愚行を犯すはずもないのにな」
「ええ、全くです。自分の悩みが露呈すれば政敵を喜ばせてしまいますものね。……あら? それじゃアイリスの役割はまるで諜報員ではないですか。色仕掛けで相手の情報を得る、ということころが……」
「そうなるね。スピナー公爵令嬢の言う『ヒロイン』とは女諜報員のようだ。数多の男を手玉にとり、国を乱す悪女。だがこれは……スピナー公爵令嬢本人のことのようだね」
「まあ! 確かにそうですね。彼女が原因でわたくしも含めた複数の婚約が壊れましたもの。見事に国が乱れましたわね。彼女はご自分を『悪役令嬢』だとおっしゃっていましたけど、言動はまるで『ヒロイン』のようですわ」
「もしこれが本物のスピナー公爵令嬢なら、その『悪役令嬢』らしく振る舞っていたんじゃないか? 中身が別人だから、振る舞い方も変わってしまったのかもしれない。……公爵が言うには、彼女はある日突然人が変わってしまったらしいよ」
先代公爵の話によると、スピナー公爵令嬢はそれまでは高位貴族らしく気位の高い少女だったのに、ある日突然庶民染みた性格になってしまったらしい。おそらくはそこで彼女の体に別の魂が入ってしまったのだろう。
「もし、彼女の体に別の魂さえ入らなければ……このような事態にはなっていなかったでしょうね」
元の性格が高位貴族に相応しいものであるならば、彼女は王太子殿下の婚約者に相応しい淑女であったはず。決して婚約者持ちの令息に擦り寄るなんていう、はしたない真似はしなかっただろう。
そうであるならば、誰の婚約も壊れなかった。誰も廃嫡されなかった。
この世界は乱されることなく静かに時を刻んでいた。
たった一人の、別の世界から来た異物によって、ここまでかき乱されるとは……誰が予想できただろうか。
それに、本物の彼女の魂はどうなってしまったのだろう……。
「すでに終わったことだよ。もう元に戻すことは出来ない。それに、不謹慎だが私にとっては幸運だ。君という最愛を妻に迎えられるのだから」
慈しむように頬に添える温かな手。その温もりが愛しくて、大切でたまらない。
彼の想いに応えるように、その大きな手に自分のを重ねた。
「アルフォンス様、わたくしも愛しております。幼い頃より貴方様をお慕い申し上げておりました……」
「嬉しいよ、レオナ。必ず君を幸せにするからね……」
「あら、わたくしもう十分幸せでしてよ? だって、貴方と飲むお茶が、一番美味なんですもの……」
好いた人と飲むお茶の味はこんなにも甘美だと、以前の不味いお茶に苦しむ私に伝えてあげたい。
アルフォンス様とならばこの先もずっと、お茶を美味しく味わえる。
だって、この方はこんなにも私を大切にしてくれるから―――。
これにて本編は終了です。
次の投稿からクリスフォードとカサンドラの、その後の話をあげていきます。
そちらもお読みいただけると嬉しいです。




