第1話 六畳間のダンジョン
田中紅亜にとって、スマホの小さな画面だけがすべてだった。
ボサボサの髪の毛にダボダボのパーカーを着た23歳の無職女。
それが紅亜だった。
紅亜は今、六畳間のすみっこで膝を抱えてスマホを眺めていた。
スマホの中で笑顔を見せる女性をぼんやりとした目で見つめている。
「こんすみー! 今日はとあるダンジョンのとある場所に来ています! この場所お気に入りなんだよねー。予告通り、歌枠やるよー!」
明るい髪のサイドポニー、チェックのブラウス、強化タイツの上にトレッキングスカート。
そんな配信者の女性のキラキラと輝く笑顔だけが、生きる痛みから紅亜を解放してくれる鎮痛剤だった。
顔が良くて、性格も良くて、人気もある。
こんな素敵な子が友だちにいたら、と思ったが、でも自分みたいなしょうもない女とは友だちにはなってくれないだろう。
「澄見歌ちゃん……」
紅亜は呟く。
画面の中にいる女性配信者、それが奏天寺澄見歌だ。
紅亜にとって、この推しの配信だけが、生きる理由であり、死なない理由だった。
澄見歌は画面の中でマイクを手にし、ボカロ曲のカバーを歌い始める。
紅亜は無表情のまま、しかし力強い視線で、歌う澄見歌の姿を凝視した。
『生きる』という不愉快な状態が、この時だけは少しましになる気がする。
配信のコメントが画面に流れていった。
〈ダンジョンで歌枠やるなんて澄見歌ちゃんだけだな〉
〈相変わらず歌がうまい〉
〈顔と声が奇跡みたいにいいよな〉
〈っていうかダンジョン内で歌っていて危なくないの?〉
〈新宿ダンジョンって難易度S級ダンジョンだろ? こんなところで歌配信ってヤバいだろ〉
〈お前ら新入りか? 澄見歌ちゃんは最強探索者なんだぞ〉
〈むしろ歌っているから危なくないんだ〉
世界中にダンジョンが生成された現代、ダンジョン攻略を生業とする探索者の中でも、澄見歌は上位に位置する存在だった。
見るだけで思わずため息がでるほどの端正な顔立ち、それでいて華麗なスキルでモンスターをなぎ倒す姿に、紅亜は完全に心を持って行かれていた。
「……紅亜、またそいつの配信を見ているんか?」
そんな紅亜に、この狭い六畳間の持ち主がエセ関西弁のあきれた声で話しかけてきた。
彼女の姿は、この六畳和室にはあまりにも異様だった。
見た目は中学生くらいの女の子に見える。
だが、身に着けているのが白とピンクのふわふわレースがいっぱいに飾られたドレスなのである。
いわゆる、『甘ロリ』と言われるファッションだ。
顔立ちは幼く、ショートボブの髪をレースのついたカチューシャで彩っている。
紅亜はスマホから目を離さずに答える。
「待って、今いいとこだから」
「掃除は終わったんか? 床とか掃いたんか?」
「あとでやるから!」
「あのなー、お前居候なんやから掃除だけはしといてくれんと困るんや」
「あとでやるから! 小梅ちゃんは少し静かにしてて!」
そう言われた小梅は小さくため息を吐き、口をへの字にした。
「そんな広い部屋やないんやから、ちゃちゃっと掃除くらいせえや」
この部屋は畳敷きの六畳間。
あちこちが黒ずんでいるシンクがとりつけてあって、その上には一口コンロ。
隣には一人暮らし用の小さな冷蔵庫。
このせまい空間で紅亜と家主である小梅は一緒に生活していた。
さらに言えば、この部屋自体がダンジョンでもある。
というのも、紅亜のご先祖様である小梅は人間ではない。
アンデッドモンスターなのである。
「しょうがないやっちゃのー。お前は家賃無料食費無料の居候やで。あたしの子孫やから住まわせてやっとんのやぞ」
小梅の小言が耳に痛い。
しかし、この甘ロリご先祖様の言う通りでもあった。
画面の中で澄見歌が歌い終わるのと同時に、紅亜はスマホの画面を消した。
「わかったよ、掃除するから。あーあー、また畳が汚れてる……瘴気のホコリだらけだよ」
紅亜は部屋の押入れを開ける。
その中には愛用の掃除道具。
100円ショップで買ったホウキとチリトリを取り出すと、畳の上を隅っこから丁寧に掃き始める。
案外掃除は嫌いじゃない。
汚かった場所がピカピカになると、達成感があって嬉しい。
「こんな部屋がダンジョンなんだもんな」
「なんや、文句あるんかいな。立派なダンジョンやろー」
「六畳しかないし」
「こじんまりとしてええ部屋やないか」
「でも魔力が充満してるんだもん、すぐに腐って瘴気で汚れちゃう」
「せや。掃除をさぼると瘴気を吸い込んでしもうて体に瘴気をため込んでしまうんや。そうするとセキやクシャミやタンがでるやで」
その小梅は150センチもない身長なのに、腕組みをして上半身をのけぞらせ、掃除する紅亜を睥睨するように監視している。
「ほら、そこ、まだ瘴気の汚れが浮いとるぞ。ちゃんと掃除せなあかん。お前はあたしのひ孫のひ孫のひ孫や。あたしの子孫はお前しか生き残ってないんや。ほんと、しっかりせえや」
「……小梅ちゃん、そのエセ関西弁やめたら? ここ東京だし」
「やけど関西弁はかっこええやろがい」
「そうだけど小梅ちゃんのはインチキ関西弁だからなあ。本場の人に怒られそう」
「気にすんな、それよりはよ掃除おわらせな。『発孫』買って来とるんや、一緒に飲もうや」
「え、マジで!? 『発孫』!?」
山形県の地酒である『発孫』の名前を聞いて、紅亜はがぜんやる気が出てきた。
甘い口当たりの日本酒である。
紅亜の大好物だった。
急いで畳に浮きあがった瘴気の汚れを掃き清める。
チリトリでそれをとって、玄関の古びた木製ドアを開けた。
ドアの向こう側にはちょっとした空間がある。
ゴツゴツした岩でできた壁、黒ずんだ石畳。
いかにもダンジョンといったつくりをしていた。
さらにその先には人ひとりが通れるくらいの階段があって、そこを登ると地上に出られるようになっている。
岩でできた壁には、数十センチ四方ほどの穴が開いていた。
穴の先は真っ暗闇でなにも見えない。
異次元との境目、と小梅は言っていた。
危ないから覗いたらあかん、と言い聞かせられている。
別に用事も興味もないのだが、いくらでもモノを捨てられるので、紅亜はダストシュート代わりにしていたのだ。
集めた瘴気のゴミをその穴の中にポイと捨てようとしたその時だった。
目の前にポワワンと青い球体が出現したかと思うと、それはすぐに巨大な虫の形となっていく。
「また害虫か。紅亜、やっつけといてくれや」
背後から小梅の声が聞こえる。
しょうがない、虫を放っておくと部屋の中まで入ってくることがあるのだ。
害虫駆除も掃除のうち、と思って、紅亜は持っていたホウキを順手に持ち替えた。
目の前のそれは、カマキリだった。
だけど、ただのカマキリじゃない。
大きさは紅亜と同じくらいで、カマキリとしてはとんでもなく巨大だった。
本来、普通の人間ではとても太刀打ちできないほど強力なモンスターである。
でも、紅亜にとってはいつもの害虫退治に過ぎなかった。
階段の向こうから入ってくる夕日に照らされて、カマキリのカマがギラリと光る。
「ギシャァッ!」
普通の人間なら聞いただけで恐怖に囚われるような、不吉な鳴き声とともにカマキリが襲ってきた。




