看板の町
文字。グラフィック。文字。グラフィック。
視界に入り込む情報の繰り返し。あるものは食料の、あるものは化粧品の、あるものは通信講座の宣伝を美辞麗句で綴っている。いずれのものも現存するのか、あるいは実在するのか定かではない。
この町は看板の集合体だ。家も塀も、道路にすら看板が使われていて、いずれの看板にも何かしらのものを宣伝する文字とグラフィックが貼り付けられている。読めない言語のものも多く、方々の地域にある看板が、どういう訳かでこの町に集まってきていることが伺える。
最初はその情報量に辟易したが、観察を続けていくと、一見雑多で無秩序に見えるこの看板群も、一定の法則でまとめられていることが分かった。それは色味だ。青色系の看板はそれだけでまとめられて外壁などに使われており、また道路に使われている看板は黒や灰など、できるだけ色味の少ないものを扱っているようだ。
面白いことに、看板は一つも「看板として」使用されていないようだ。つまり何かを宣伝したり、誘引したり、掲示の目的には用いられていない。あくまで看板は建材であり、そこに書かれている文章だとか絵だとか写真だとかにはまったく興味を持たれていないわけだ。
木の多いところでは木材で家を建てるだろう。石切場の近いところなら石材だ。この町では木よりも石よりも看板の方が多かったため、それを用いているに過ぎないのだ。見た目が奇抜なだけで、住人たちの発想は大して突飛なものではないと言える。
さてその住人たちだが、ここに入ってから一人もお目に掛かっていない。しかし、町を外から見た時には確かに何人かの人影を視認したため、誰かが住んでいることは確かなはずである。
となると、私は少々身構える必要が出てくる。住人がどこかに隠れ潜み、私の背後を突いて荷物を強奪してくる可能性があるからだ。そうやって町規模で生計を立てている場所も少なくない。ただ、時折見る看板の家の中の内装(家具や雑貨等は看板で作られてはいない)を見る限り、そこまで生活が逼迫しているようにも感じない。
単純に、余所者の私を警戒して身を隠しているということも考えられるだろう。しかし家の中にもいないとなると、彼らはどこに潜んでいるのだろう。
ふと、目の前を何かが横切ったように感じ、私はバッ顔を上げた。横道を何者かの影が駆けていく。やはり人がいる! しかしやはりと言うべきか、私のことを避けている様子だ。いつもなら距離を取ろうとする住人には深く関わろうとはしないのだが、如何せんこの町に来て初めて出会えた人間だったため、もっと細かい事情を知るためにも、私はその影の後を追った。
影の正体にはすぐに辿り着いた。十字路になっているところで、次にどこに行くべきかと頭をキョロキョロ動かしている、女性の姿がそこにあった。
なんというか、随分と綺麗な女性だった。この町の景観にはおおよそ似つかわしくないくらいに。ウェーブした長い茶髪は揺れる度に煌めき、身に纏っている上等な衣服は、ついさっきまで店頭に飾られていたかのように汚れも解れもない。そんな彼女が慌てた表情で戸惑っているのを見ていると、映画のワンシーンを眺めているような気持になる。
私が歩み寄ると、彼女はこちらに気付き顔を青ざめた。私に見つかったことが余程まずかったのだろうか。「驚かせてすみません、怪しい者じゃないですよ」と如何にも怪しい者が吐く言葉を投げかけながら彼女に近づく。彼女はしばらく困惑した様子だったが、やがて意を決したように「いえ……こちらこそみっともないところを」と返事をした。
「何やらお急ぎの様子ですが、どうされましたか?」
「いや、なんと言いますか…………帰る場所が、分からなくなって」
思わぬ返答に私は拍子抜けした。それが私から逃れるための方便の可能性もあるが、先ほどからの様子を見る限り、彼女が何か、あるいはどこかを探しているのは確かなようだ。
「そうですか。私はここに来たばかりなんですが、よろしければ一緒に行動しませんか? この町について色々教えていただければありがたいです」
私の誘いに彼女はまた少し悩んだ様子だったが、やがて「私でよければ……」と承諾した。
ある程度の法則を見出したせいか、同行者ができて気が休まったせいか、看板だらけのこの町にも目が慣れてきた。材質の突飛さを除いてしまえば、形的には普通の町並みである。
女性はトリステールと名乗った。彼女と二人でそれなりの距離を歩いてきたが、未だに他の住人には出会えていない。その点は未だに気掛かりなところだ。
「この町には他にも住人がいるんですよね。彼らは今どこに?」
「はぁ……おそらく、皆さま自分の場所に帰られてるかと……」
トリステールはそう答えるが、私にはそれがどうにも疑わしく思える。さっきから何軒も横切る家屋の中を観察しているが、いずれの家にも人影ひとつ見当たらないからだ。家にいなければ、一体どこに帰るというのだろう。
トリステール自身は、未だに落ち着きがない様子だ。私と話しながらも、しきりに顔を動かしては何かを探している。それが彼女の帰る場所なのか、それとも私から逃れる場所なのかは分からないが、いずれにせよ今の状況は、彼女にとってあまり好ましいものではないようだ。
もう何度目かも分からない角を曲がる。その通りも他と同様、看板で作られた塀や家が並び、私は見慣れた景色のように看板に書かれた文章やグラフィックを流し見した。
ふとそこで、私は視線を感じた。隣にいるトリステールのものではない。まったくの別方向からのものだ。いよいよ彼女以外の住人に会えるのだろうかと視線の方向に顔を動かすが、その正体を見て私は落胆してしまった。
そこにあったのは一枚の看板だった。看板は紺色の背景に白地でキャッチコピーが書かれ、中央には缶ジュースを掲げた笑顔の男性の写真が貼り付けられていた。看板のモデルの男性の目を、住人の視線と勘違いするとは余程出会いに飢えていると見える。私は苦笑しながら踵を返し、先に進もうと足を伸ばした。
そこで私は猛烈な違和感に襲われた。もう一度看板を見る。何度見てもただの看板だ。描かれている男性が動いたり、声を掛けたりする様子もない。
だが、私は違和感の正体に気付いた。
この看板は、「看板として」掲げられている。
この町の看板は、いずれも建材として使われている。壁にされたり、道にされたり、看板本来の目的は無視され、ただ構造物を作成する意図でくっ付けられたり分解されたりしている。
だが目の前にある看板は、既に他の看板によって作られた壁の真ん中に、看板として目立つ形として置かれている。他の町では当たり前のその用途が、この町の中では何かゾッとするような印象を覚える。
「なあ、トリステール。この看板はどういう意図でここに……」
そう言いながら私はトリステールの方を振り向いた。
その時には、彼女は既に「行動」を起こしていた。
道から取り外した看板を持って、私の頭を目掛け、思い切り振り下ろした。
気が付くと、その通りには私一人だけがいた。
私を殴りつけた女の下手人の姿はどこにもなく、辺りは看板で出来た奇抜な町の景色が広がるばかりであった。
私は額を押さえる。幸い怪我はしていないようだが、頭は混乱の極みだった。さっきの一瞬で色々なことが起こり過ぎだ。他の看板とは浮いた存在の看板。いきなり私を殴ってきたトリステール。
そういえば、あの看板はどうなった。私は立ち上がって壁の方を見るが、そこにあったはずの、缶ジュースを持つ男性の看板が消えていた。誰かが取り外して持っていったのか? それもトリステールの仕業なのか?
私は周囲を見回して、その場から駆け出す。トリステールを探さなくては。彼女がすべての秘密を握っているはずだ。
またいくつもの通りを抜け、広場のような場所に出る。円形の空間で中央には看板で作られた水の出ていない噴水のようなものがあり、噴水を取り囲む壁には、先ほど見た看板のように、「看板として」使われているものが等間隔でいくつも掲げられていた。
それらの看板は食料、化粧品、通信講座とバラバラのものを宣伝していたが、ある共通点として、どの看板にも何かしらの人物が描かれていた。それは一人のものもあり、複数人のものもあった。
私はトリステールを追跡していることを忘れ、その空間に引きつけられてしまった。壁沿いに歩きながら、そこに掲げられた看板を一つひとつ見ていく。どれもありふれた看板だ。余所の町でも見るような看板。だが、その中の一つを見た時、私の足は止まった。
その看板は紺色の背景に白地でキャッチコピーが書かれ、中央には缶ジュースを掲げた笑顔の男性と、同じ缶ジュースを持って男性と乾杯をしている茶髪の女性の姿があった。




